———月曜日が、嫌いだった。
だが、元々嫌いだった訳じゃない。憂鬱ではあったが、吐きたくなるほどの嫌悪感は無かった。
中学生になって、誰もが慣れを感じてくる一年生の二学期、その終わり頃。この時期から、俺のいじめが始まった。
元々、俺は友達が多いタイプじゃない。自己主張が苦手で、自分から積極的に関わりに行く性格ではなかったから。
だから、学内でこれといった味方のいない俺が標的になったのは、自明の理。
そんな日常が続いて、学年が一つ上がってもそれは変わらなくて。気付いたら、月曜日を心底から嫌悪するようになっていた。
ただ、『これ』と言った理由が思い当たらない。
俺が月曜日を嫌悪する理由は何だ?
授業がつまらなくて面倒だから? それは元からだ。
俺をいじめるクソ共がいるから? それはその通りだ。
……だが、きっとそれだけじゃない。それだけなら、ここまでの嫌悪感は無い。芽生えるのは、理不尽への怒りと恐怖と諦観だけだろう。
この嫌悪は何が理由だ? 俺はもっと、別の理由でこの嫌悪を感じている気がする。
俺が、俺が嫌いな理由は———
「オッラァ!」
「ぐあッ!」
思い切り顔を殴られて、思考は中断される。
口の中で、歯が当たって裂けたようだ。クソ不味い鉄の味がする。
これだけ騒いでいるが、今は授業中。それにここは校舎外の物影だ。助けに来る者はいないだろう。
「お〜い、陰キャくぅ〜ん! 俺ら今週金使いまくっちまってよぉ〜。金欠なんだわ。
だからホラ、金貸してくれよ。お前どうせオタクだろ?
お前の金もさ、そんな人間のクズに使われるよか俺らが有効活用してやった方がはるかに嬉しいだろ〜?」
うっせぇな、んな訳あるかよ。脳味噌に詰まってんのはタンポポか? 春の陽気に中身の綿毛が吹っ飛ばされでもしたのかよ?
「あぁ? なんだよその目付き。いやに反抗的じゃねーか。自分の立場分かってんのかよぉ、陰キャくん?
テメェらオタクなんざ生きてる価値ねぇんだから、せめて俺らの役に立て、よ!」
「ぐうッ!」
カチカチカチカチうるせぇんだよ。スケルトンか。やっぱ脳に何も入ってないから音が反響するんだろ。同じことしか言えないのかよ、この無脳が。
「へっ、まぁいい。どうにも自分の立場を分かってねぇみたいだからよ、ヤキを入れてやる。オイ、タバコ貸せ」
「おう、へへ、おい清水。奴隷って焼印入れるんだろ。お前みたいな人間にぴったりじゃん」
「覚悟してろよ〜、めちゃくちゃ痛ぇから。死んでもしらねぇぞぉ?」
「大丈夫だって。そんな怖がんなよぉ。てめぇの汚ねぇそばかすがちょっと増えるだけだって!」
ふざけんなよ。やっていいことと悪いことがある。俺は確かにブサイクだが、顔に傷が付くのは普通に嫌だ。
だが、こいつらは俺が抵抗しても続けるだろう。むしろ嬉々として、より激しくいじめてくるだろう。
なんでこうなったんだよ。俺なんかしたか?これは俺のせいじゃないだろ。
火のついたタバコはもう目前だ。ジリジリとした音と熱さが心臓を打ち鳴らす。
あぁ、嫌だ、嫌だ。嫌だ! なんで俺がこんな目に遭う? そうだ、こんなクソみたいな所に来なければ俺は今頃———
「ちょっと、君たち。何してんのさ」
思わず目をつぶった直後、きっぱりした声が響いた。大きな声ではなかったが耳に残る不思議な声。
「ッ! ふ、藤丸リツカか!?
なんで、今は授業中で———」
「残念だけど、今日うちのクラスは自習だよ。
別クラスの君たちは知らなかっただろうけど」
「うっ……!」
声を掛けてきたのは、学内でもカースト上位にいる、俺の隣の席に座っている女。
藤丸リツカ。ある意味、天之河より有名な生徒だ。
「ちなみに私は配布物を持って行く途中に君たちの声が聞こえたんで様子を見に来た。
ずいぶんと騒いでたじゃん。窓開いてたから廊下からだとかすかに声が聞こえてたよ」
「クソっ! で!? 先公にチクんのかよ!?
お前の噂は聞いてる。大したチクリ屋みたいじゃねーの。自分じゃどうしようもねぇから人に頼むんだろ?
力じゃ俺らに敵わねぇもんなぁ!」
藤丸リツカに、俺をいじめていた奴が殴りかかる。
リンチにして、口止めでもする気なのだろう。ノコノコ出てきたこいつの責任だ。
……俺のことなんて、無視しておけばよかったのに。
そんな俺の悲観的予想を、事態は裏切った。
「そうでもないと思うよ?」
「ゴッ!?」
藤丸リツカはいとも容易く相手の懐に潜り込むやいなや、端から見ても強烈な肘鉄を喰らわせた。
「狙いが見え見え。パンチも大振り。目線も正直。格闘初心者でしょ君。そんなんじゃ私一人屈服させらんないよ」
「ぐっ、クソッ! おいテメェら! 今すぐこの女を……!」
藤丸のことを脅威と認識した奴は仲間に囲むように指示する。
だがやはり藤丸の方が一枚上手だったようだ。
「コラァーッ! 授業中に何やってるお前らァー!」
「!? チィッ、先公かよ! こんな時に……! 逃げんぞお前ら!」
「わ、分かった!」
「コラァ! 待てぇ! 待てと言っとるだろうが!
おい! お前達もそこで待っていろ! なんで授業中に立ち歩いてたか、後でじっくり聞かせてもらうからな!」
「はーい!」
蜘蛛の子を散らすように逃げて行く男達。急に現れた先生がそれを追いかけて行く。
あとには俺と藤丸がポツンと残されることとなった。
「や、災難だったね。清水くん」
藤丸はまるで何事もなかったかのように、にこやかに笑いかけてくる。
「……プリントは?」
「大丈夫。二人で取りに行ってたから。任せちゃったのは悪いんだけどねぇ」
あはは、と誤魔化すように笑う藤丸。俺は無愛想に言葉を続ける。
「……なんで、俺を助けたんだよ。ほっとけばよかっただろ」
「いや、普通に助けるよ。理由とか無しに」
「お前には関係のないことだろうが」
「関係なくないよ。お隣りさんじゃん、私たち。それに———」
「それがどうしたってんだよ!!」
さも当然かのような言葉が、頭にきて仕方ない。
人の気も知らずに、良いことをしたと思ってやがる。典型的な偽善者だ。
放っておいてほしかった。見ないでいてほしかった。
見下されると分かっていたから。こういう奴は自分より惨めな奴を助けて悦に入る。惨めな奴だと思われる。
目の前のこいつも、きっとそうだ。
思わず、藤丸の襟を掴んで怒鳴り散らす。
「お前に何が分かるってんだ!? いじめられたこともないくせに! 俺みたいな奴の気持ちなんて分からねぇくせして、勝手に首突っ込んできやがって!
可哀想だったかよ!? 助けてほしそうだったかよ!?
こっちはそんなの頼んでもねえのに!」
「……」
目の前の女は目を逸らさなかった。胸ぐらを掴む俺のことを、ただ、じっと見つめていた。
そんなこいつを見ていると、無性に腹が立つ。
こいつは俺とは違う。いじめなんざ真っ向から立ち向かって吹き飛ばしちまう強さを持ってる。小学生の時のあの有名ないじめ事件と、こいつの現状がそれを物語っている。
なんでお前はそうやって強く在れるんだ。
俺はさっきタバコを突きつけられて心が折れた。僅かに燻っていた反骨心が壊された。
家に引きこもっていれば良かったと思った。そうすれば誰も俺を傷つけない。触れられない。自分の心を好きなだけ甘やかしていられる。
そう思った次の瞬間にこれだ。お前は俺にできなかったことを息するようにやりやがった。
まるで御伽噺の勇者のように。
変わらない奴だお前は。だから俺はお前に惚れてるんだ。小学生の頃から、ずっと。
小五の時、「人殺しだ」と言われていじめをされそうになったお前のことを、教室の隅から見ていた。クラスの全員がお前のことを気味悪く見つめていて、俺はただただ怯えていた。
だが、お前はそれを瞬時になんとかして見せた。
その時見せたお前の凄絶な表情が、今も脳から離れない。
あの時俺はお前に惚れた。でも勇気がなかったから、何もしなかった。やる前に諦めて、変わらなかった。それはさっきも思い知った。
諦めずに戦えるお前と、諦めて折れてしまえる俺。
あぁ、今なら月曜日が嫌いな理由がよく分かる。
いや、気付かない振りをしていただけで、本当はもっと早くに気付いていた。
その理由たる元凶の藤丸が出てきたから、簡単に答えと結び付いてしまっただけだ。
俺は、俺自身が嫌いなんだ。
情けなく、ウジウジと心の底に引きこもってしまう俺自身が、俺は心底大嫌いなんだ。
そのことを心底理解してしまう一週間で最初の日が月曜日だから、俺はその日を死にたくなるほと嫌悪するんだ。
殻を破れない俺自身の弱さと惨めさをこれ以上なく思い知ってしまうから。
だから、悠然と困難に立ち向かえる、強い勇者に憧れる。どんな苦難も理不尽も、大したことでもないように吹き飛ばせる強さが羨ましい。
そんなお前に恋焦がれるんだ。
だからお前にだけは、このいじめはバレたくなかった。
好きなお前に、情けなく震えて、心の中でしか啖呵を切れない生地無しの俺を見られたくなかった!
あまつさえ、お前に救われるなんて、俺は絶対嫌だった!
「人の気持ちも察せねぇなら、人助けなんてしてんじゃねぇよ! 救える奴なんて一人もいやしねぇ!
お前に救われるなんて、俺は望んじゃいなかったッ!」
罵倒の言葉が止められなかった。悔しくて、情けなくて、堰き止めていた涙が溢れ出す。
本当は言うつもりなんてなかったのに。つくづく、俺は最低なクソ野郎だ。
「……そっか。だけど、私は自分の選択に自信を持っているよ。私はもう一度さっきの場面に出くわしても、きっと同じ選択をすると思うから」
「ッ……!」
「だから———」
優しく声を掛けてくる藤丸。その声は慈愛に満ちていて、それでいて力強い、俺の全てを認めてくれるような声。
そういうところが
この場所にいるのが耐えられなくて、俺は思い切り駆け出す。
驚いた藤丸が手を伸ばすが、俺はそれを振り払う。
頼むからその希望に満ちた目で見ないでくれ。
頼むから励ましの言葉を掛けないでくれ。
頼むから、俺を救わないでくれ。
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私は一人、夕方の帰り道を歩む。
清水くんいじめ事件が起きてから、彼は一度も学校に来ていない。
すでに学校では彼のいじめの上手は広がりきってしまって、もう彼あ居場所は無くなってしまった。
「……クソっ!」
夕日に照らされ、悪態をつく。やってしまった、と。
あの時は、完全に対応を間違えた。彼のコンプレックスに気付かないまま意図せず地雷を踏んでしまって、言うべきことが言えずじまいになってしまった。
私は自身の選択に誇りを持っている。しかし、反省も後悔もしないワケじゃない。むしろずっとそれは続いていて、私の心を痛めつける。選択をして、救えたはずのものを失ったり、救えさえしなかったこともざらにあった。
だから今私はすごく後悔している。あぁ、なんであの時の私はあんなことしちゃったんだろう。せめて先生が戻るまで、黙って待っていればこうはならなかっただろうに。
正直言って、八方塞がりだ。私がここからどうがんばっても、彼の立場は好転しない。
清水くんは転校するようだ。今日担任の先生から通達があった。もう時間は無い。
……やっぱり、彼ともう一度話すべきか。話してくれるだろうか? 私なんかと。
いや、諦めちゃダメだ。覚悟を決めろ。
彼はこんな風に思ってしまう私こそが気に入らないのだろうけど、私はもう何がなんでもこう生きると決めているのだ。
だから、私は私なりのやり方を見つけなければ。一刻も早く。でないと、手遅れになる気がする。何か取り返しのつかないことが起きると私の勘が告げている。
何か、何かないか。私が関わること自体間違っているこの場合、私にできることは———
「あっ、これは奇遇だなぁ。え、えっと、こんにちは?藤丸さん」
「え……?」
思考に嵌まり込んでいて、家の前まで来ていたことに気付かなかった。そしてそこに、予想外な人物がいたことにも。
「ハンカチ、遅くなったけど返しに来たんだ」
ちょっと恥ずかしそうに笑う、南雲ハジメがそこにいた。
思春期男子は難しい。