無常の理、神焼きの焔 作:風剣
生まれたときから……いや、受胎を認められたそのときから、少年の生誕は多くの大人たちに認められ、そして祝福されていた。
そういうものだ、火継ぎというものは。
先代の火継ぎがその身を灰と化すことで受け継がれる神の力は、歴代の火継ぎの身を贄により高められた状態で次代へと受け継がれる。
積み上げられた300年、9人の火継ぎの間を継承されて高められた神の炎。
それを受け継いで生まれる少年は、受胎を確認されたときから神によってその命を祝福され……神話を再現するかのように燃えながら産まれ出たことで。秋葉の宿願を為すための最後の火継ぎとして、彼は多くの大人たちに敬われ、そして畏れられて育っていった。
『――焔様』『焔様。本日はお目にかかることができ光栄でございます』『焔様』『焔様』『あの御方が、今代の――』『お心遣いありがたくお受け取り致します、この度は誠にありがとうございました』『焔様、こちらが巫女の……』
『――ひっ。こないで……来ないで!』
『お願い……。私には、無理なの……。思い出させないで……』
それが、ひとりの家族の心身に永劫に刻まれるものであったことを知るのは。焔と彼の父親、そして彼らの祀る神を除けば――たった、ひとり。
『――焔くん!』
「……」
頭がずきずきと痛んだ。
見上げる天井。蝉の鳴き声が響くなか、開かれていた障子から天高くまで昇っていた太陽を確認した彼は薄く息を吐く。頭上へ震える手を伸ばして開閉を繰り返した少年は呼吸を整え、瞼を整え己の状態を確認すると頭のうえに乗せられた氷嚢をどかした。
朦朧とした視界のなか、辺りを見回し小綺麗な和室の一角を占領する須美の熱烈な推しによって購入・作成となった戦艦の模型の数々に自らの寝かされていたのが自室であるのを把握するとよろよろと上体を起こした彼はずるりと自室の畳に手をつく。
中身の氷はとうに融けたのか、温くなった水の揺れる袋で湿気った額を拭った焔は身にかぶせられた毛布を剥ぎ取ると汗だくの寝巻きを脱ぎ捨てる。
力の抜けた身体で這うようにして枕元に丁寧に畳まれ置かれた衣類に手をかけ着替えを済ませていった。
(頭痛、倦怠感、疲労……食欲は残っている。体力回復に無理やり癒火を用いるのも悪くはないが……まずはなにかしら補給しておきたいところだな……)
ゆらりと起き上がり廊下を出た少年の目に、見慣れた秋葉の装束を纏う女性が足早に横切ったのが映った。
「……あの人」
美しい黒髪の女性だった。
足を止め姿を消した彼女を目で追っていた焔は、やがて仮面をつけた女性が廊下を立ち去っていくのを見送ると首を振りゆっくりと廊下を進む。
重い足取りで秋葉の厨房へと向かう焔の顔色は悪い。胸の奥で熱の廻る身体を引きずる少年は、せめて水分補給はこなしたいとぼやきながら廊下に湯気を漂わせる厨房へと足を進めていく。
給仕が料理でもしているのだろうか、コトコトと煮立つ音を立てていた厨房へと顔を出すと気配に気付いたのか、コンロ前に立って鍋の中身をかき混ぜていた人影が視線を向ける。
──須美。
己を見つめる深緑の瞳、制服のうえから水玉模様のエプロンを羽織った少女の存在に気付いた焔は思わずといったように目を見開いた。
「焔くん!? よかった、目が覚めたのね……!」
「須美……来てくれていたのか」
意識を落とす前の記憶を遡る。
獅子座、魚座、牡羊座、牡牛座、乙女座。御霊を保有した残存するバーテックスの大半を費やしての襲撃を殲滅した焔は、大技を放った余波で神樹を焼いた炎を取り込んだ後に昏倒していた。目を覚ました彼が自室に居たのも、意識を失う直前の秋葉に連絡を取ってくれればいいという指示を守ってくれた須美たちや彼女たちの呼んでくれた秋葉の人員によるものだろう。ひとまず水分を欲した焔に冷蔵庫から取り出したボトルから水を注ぎながら、須美は彼の身を案じるように目線を向けた。
「体調はどう? 吐き気や食べられないなんてことがないなら朝食を用意しているけれども……何か悪いところはない?」
「……ああ。お陰様で万全──とまではいかないにせよ調子は良好だ。ありがたく頂かせてもらうよ」
恐らくは、相当に心配させてしまっていたのだろう。目を覚ました焔の姿に目まぐるしく表情を変えながらも手を動かす彼女に申し訳ない心地になりながら頷いた少年は、鍋の火を止めた須美から受け取った飲み水をありがたく受け取る。
からからになった喉に冷えた水はよく沁みた。口元を拭った彼は、少女に礼を言いながらコトコトと煮込まれていた鍋の中身を一瞥する。
「お粥か……。本当に助かるな。朝から看病してもらったみたいで申し訳ないな。ありがとう」
「……ううん。本当に……無事でよかっ──。あっ、腕! 腕の火傷は──」
「ああ」
包帯を巻かれた左腕を一瞥した少年は、こともなげに自身の腕を戒めるそれを焼き捨てる。
ボッと燃え上がり一瞬で灰となった包帯。顔色を変えた須美は火を恐れる素振りも見せずに彼のもとに駆け寄った。
「焔くん!? ……あ」
露わになった腕は蜂に刺された後のように赤くなりながらも焦げたり皮膚をグズグズにして腫らしている様子もない。バーテックスを打倒した直後の焼け爛れた傷が嘘のような綺麗な腕に大きく目を見開いた少女は、やがて心底安堵したように相好を弛めた。
「良かった……。焔くんが倒れたとき、冷やせるものもなかったから応急処置も満足にできなくて……。大事がなかったのなら何よりだわ」
「──いやでも、それならそれといきなり包帯を焼くのはもうやめてね! 心配したんだから」
「ごめん……」
腰に手を当てて怒る須美の至極もっともな主張に、無事をアピールしたかった少年はがくりと肩を落とす。須美はくすりと小さく笑うと焔の隣にしゃがみこみ、彼の顔を覗き込んだ。
微笑む。
優しく。柔らかく。慈しむような眼差しと共に。
――少なくとも、記憶に在る限りは誰にも向けられたことのない眼だ。
許婚から向けられる視線はむず痒さを感じさせられながらもどこか心地が良い。焔は照れ隠しにそっぽを向くとふっと息を吐いて、少しだけ早まった鼓動を抑えつけるように瞼を閉じた。
「……状況は?」
「あっ……。そう、焔くんのおかげでバーテックスたちも全滅、侵攻も無事防げたわ。神樹様に移った炎の影響で災害も発生したけれど竜巻が山間部で発生しただけで怪我人はなし。……一緒に戦っていた私たち勇者からも、重傷を負った子は出なかったわよ」
――想定し得る最上、複数のバーテックスを相手取ったうえでの完全勝利。
火継ぎであり、神カグツチの業火を限定的にとはいえ行使した焔が倒れたときには園子や銀も肝を冷やしたものの、須美とともに看病を手伝うと申し出た彼女たちも『最強最優の火継ぎはこんな程度じゃ死なん、暫く寝てりゃ1日もかけずに目を覚ますさ』と太鼓判を叩いたカグツチに従い帰宅していったという。
なお、須美にも焔の父親が看病をする必要はないと帰るように言い含められたとのことだったが断固の反対によって押しきり秋葉邸に泊まり込む形で焔の看護も行っていたようであった。
「……須美のご両親にもお詫びをしないとだな。須美もありがとう」
「ううん、そんな。……私には、看病くらいしかできなかったから……」
「……、うん…………?」
バーテックスとの戦闘、決定打になる攻撃ができるのが焔だけであることから彼に負担が集中していたことを気に病んでいるのだと少年が理解するのに僅かな間があった。
目を丸くし、思わず須美の横顔を見た彼はその物憂げな表情に僅かに動きを止め、すぐに首を振るといやいやと彼女の言葉を否定する。
「何を言ってるんだ、俺が
「……本当に? 私……焔くんがあんな風に腕を焼いて、倒れるものだから……、ずっと負担をかけてたんじゃないかって……」
(……これは、相当参ってるな)
ぽつぽつと呟く須美の言葉に、焔は苦々しい表情になりかけるのを取り繕いながら心中で呻きを漏らした。
戦闘後に焔が倒れたのもそうだろうが、須美には複数度自分が炎を取り込んで焼け爛れた傷を見せてしまっていたのも不味かった。思い詰めた様子を見せる少女に胸を締め付けられるような思いを抱きながらも、彼は欠片の迷いもなく首を横に振る。
「須美。俺の傷に関して言うならば、あれは仕方のないことだ。須美たちは本当によくやってくれている。……あまり自分を責めないでくれ」
実際、勇者たちが居てくれなければ彼はああもバーテックスとの防衛戦を繰り広げることはできなかっただろう。――彼ひとりであったならば、文字通りの
そして、彼は単独で天の神の遣わすであろう
「延焼の場合に俺が取り込んでいる炎だって、そうたいしたものじゃない。それはもちろん熱いし苦しいし痛いし
「駄目じゃない‼」
「――それでも、須美たちが居てくれなかった場合の負担と比べれば本当に微々たるものだ。俺は既に、十分すぎるくらいに須美たちに助けられているんだよ」
「でも」
「須美」
なおも食い下がろうとする須美に、焔は静かに名を呼んだ。
びくりとその身を震わせ、恐る恐るといったように焔の顔を見る少女の表情は頼りない。それだけ不安にさせてしまっていることを申し訳なく思いながら、彼は努めて穏やかな声で続けた。
「まだ次がある」
「……えぇ」
「次のバーテックスの侵攻とともに遣わされる天敵に、俺は勝てない。単独であたれば何もできずに殺されるだろうとカグツチ様は見ている」
「――っ」
甚大な衝撃があった。
秋葉の祀る火神に必殺を保証された、神殺しの少年に対するカウンターの襲来。驚愕を露わにした彼女がそれでも口を挟まなかったのは、須美を見つめる少年が事実をありのままに告げる冷淡さを伴いながらもその瞳に何ら諦念を宿していなかったからか。真摯に彼女を見つめる焔は、隠し立てもせずありのままに告げた。
「だから、俺が殺されることのないように。誰も死ぬことのないように。
――どうか、須美たちには俺を助けてほしい」
『天敵』は、焔を殺せるだろう。
だが――勇者さえ居たならば、前提条件が覆る。
本来なら彼女こそが守られるべきなのであろう12才の女の子に、自分を守るために命を懸けろと告げる。
須美が不安を感じているのならば、それを解消し自信を持たせるために言葉を尽くすのが最善なのだろう。だが、焔はそれよりも彼女に次の戦いへと向けた覚悟と、自分たちの未来のために最善を尽くすことをこそ求めた。
自信は後からついてくるものだ。
勇者は一度誰かに遅れを取ったからと挫けるようなものではないと、秋葉の火継ぎはよく知っている。
――果たしてその瞳に力強い意思を携えた須美は、ぐっと拳を握りながらしっかりと焔の目を見て口を開いた。
「任せて。焔くんは私が……ううん、私たちが絶対に守るから」
「約束するわ。この先の戦いで、どんなバーテックスが来たとしても……それこそ神様にだって、貴方を殺させたりなんかしない」
「――」
「…………あぁ」
本当に、頼もしい限りだ。
絞りだすようにしてそう呟いた少年がくしゃりと相好を崩す。淡い微笑みを浮かべ紅い瞳を細めて少女を見つめていた焔は、やがて意識を切り替えるように首を振ると再度笑みを浮かべながら彼女に声をかけた。
「……朝ごはん、用意してくれていたみたいだしありがたくいただこうかな。食べさせてもらってもいいか?」
「――もちろん!」
焔の提案に満面の笑顔でそう返した須美は、ぱたぱたと嬉しそうに駆けていく。手伝おうとした少年を座らせて複数の鍋を再度温める彼女はエプロンを纏いながら声をかけた。
「
「ああ、そんなことなら全然構わないよ。食材だって新鮮な内に使うのが一番だし――凄いな、美味しそうな匂いだ」
いざ食事に手をつければほとんど半日寝込んでいた身体は相当に補給を求めていたのか、須美の用意してくれていた朝食が身体に染みるようだった。お粥と野菜たっぷりの味噌汁をありがたく口にする彼は、激戦の末に倒れた少年が少なくとも食事を摂れるだけの容態を保っているのに安堵した様子の須美が笑顔で食事を見守ってくるのに若干気恥ずかしい思いを抱きながらも快復直後の身にしては旺盛な食欲のままに出された朝食を食べきっては息をつく。
「ごちそうさま。美味しかったよ、本当に……。特に味噌汁は本当に美味しかった。須美と
「もう、焔くんったら……。でも食欲はありそうでよかったわ、おかわりはいる?」
「――そうだな。ありがたくいただきたいところだけど……」
「……」
そこで言葉を切って廊下へと一瞥をくれた少年に、須美もまた人の気配に気が付いた。
厨房の前で佇んでいた、秋葉の家門を刻んだ祭服を纏う神官。2人の視線に恐縮したように身を縮めた彼は深々と頭を下げながらも簡潔に用件を伝えた。
「お邪魔いたします、焔様、須美様……。焔様を、カグツチ様がお呼びとのことです」
「ん、了解した。――じゃあ須美、行ってくるよ。今日は本当にありがとう」
「ううん、このくらいなら何時だって構わないから。……いってらっしゃい、焔くん」
神官に連れられて本殿へと向かっていった彼の後ろ姿を見送った須美は、彼の背中が通路の奥へと消えていくと暫しそのままで佇んでいたが……やがて厨房に戻った彼女は空になったお碗を片付けながらふむと思案する。
「味噌汁、褒めてもらってよかった……。やっぱりお野菜を入れるのは栄養にもなるしいい味にもなるから正解よね。そのっちの言っていた精のつく食べ物だと山芋辺りも具材にいいだろうし……」
「――須美さん」
「あっ、はい!?」
背後からの呼び声。
もしや自分も秋葉の神性からのお呼びかと肩を跳ね上げさせながら振り返った少女は、そこで目を丸くする。
そこには、秋葉の一族や彼らを支える者たちが暮らす屋敷でもめったに見かけることのない人物がいた。
「
秋葉の紋を刻んだ仮面をもってその容貌を隠す、花の刺繍で彩られた白い和装を身に纏う女性。
須美の許婚である少年の母親が、その表情を仮面の下に隠しながら彼女を見つめていた。
「――須美さん」
「大切なお話があります」
「もう少し待つことって、できたりしないでしょうか」
『それが無理な相談なのはお前が一番よくわかっているだろう、違うか?』
「……いや、わかります、わかりますけれど」
苦り切った声が秋葉の本殿で吐き出された。
挨拶もそこそこに、己を呼びだした神から端的に告げられた
『次に来る天の神の
「――あと1年、2年を待つことは」
『神樹が予言した。次の襲撃は2週間後だ。そのときには俺の天敵が来るだろうさ。
もう一度言うぞ。
――状況は、彼らを待ちはしない。煌々と燃えるカミは、己の力を宿した火継ぎへとあっさりと告げた。
「鷲尾須美を孕ませろ、次代の火継ぎを遺せ。嫁を出産で焼き死なせたくなけりゃお前の手で次に来る
それは、神産みの神話においてカグツチを斬り殺した神剣の名前である。