無常の理、神焼きの焔 作:風剣
実際に命を張って戦う勇者にさえ断片的にしか伝えられなかったバーテックスの出自と、滅ぼされた世界の真実。そして人類を滅ぼした神の存在。
少年の口から語られた内容に衝撃こそ与えられながら、
掌に灯した火を振り払うように消しては淡々と事実を列挙するように語った
土着の神々が人を護り育んでいるのであれば、それと敵対し人を滅ぼさんとする天の神がいてもおかしくはないというのも、日々神の恵みとともに暮らす須美にとってはしっくりとくる理屈として受け止められることだった。
とはいえ──。
「……」
「落ち着いているとは思ったけれど……それでも気落ちするものはあるか」
「天の神の存在、バーテックスに滅ぼされた外の世界……。一般人にそれらを秘匿することで混乱を防ぐ意図はわかるわ、わかるけれど……神樹さまに勇者として認められたと誇らしく思っていたのに、それを隠されていたというのは……。信用されてないようでショックだったかも……」
「それは神樹さまというよりは大赦の人間たちの意向だろうと思うけどな。あそこもまあ創設された当初よりはだいぶ拗れてるみたいだし」
焔も実感をもって認識しているわけではないが、かつて大社と呼ばれていた頃には既にそうした秘密主義の側面が見え隠れしていたという。長い時間をかけそうした悪癖がより顕著なものとなったのだろう組織の在り方は、勇者への情報共有にさえ大きな影響を及ぼしていたようだった。
自分を勇者にと選んだ神樹から信用されていないわけではなかったことを指摘されても、大人たちによる対応もそれはそれでと落ち込んでいた須美はやがて気分を切り替えるように咳ばらいをする。姿勢を正し凛とした姿勢で少年を見つめた。
「ンっ、んんん……。ごめんなさい、私ばかり。それじゃあ次は焔くんの番よね? なんでも言って。答えられることなら答えるから」
「……。──ああそっか、そうだった。俺が後か」
一瞬だけ彼女の発言の真意を図りかねた焔だったが、すぐにバーテックスの話に移り変わる前に取り決めた話の順番のことを思い出す。どうしたものかと思考を巡らせた少年は、そこで須美の深緑の瞳を見つめ真顔で、重々しく問いかけた。
「…………ご趣味は、なんでしょうか」
「お見合い定番の文句……!」
「作法はともかく二人きりにされたとき何を話せば良いかカグツチさまにすら教えて貰えなかったんだよな……」
「神様にそういうこと聞けるものなの……? え、えぇと、そうね……。いざ趣味って聞かれると難しいけれど、強いて言えば料理かしら……」
もしかしたらこの人は少し天然なのかもしれないと、須美は顔を合わせていたときから感じていたもの静かで落ち着いた物腰の第一印象が少し崩れるのを感じていた。とはいえ趣味の話も彼女にとって苦になるものではない、少し考え込んだ少女は鷲尾の姓になったときから本格的に学び始めた料理を趣味として挙げる。
「料理を本格的に始めた頃は使用人の方やお母さんにもついてもらう形で作らせてもらうことが多かったけれど、最近は上手に作れることも多くなってて。おやつに作るぼたもちも人に出しても恥ずかしくない仕上がりになってるって褒められたのよ?」
「へぇ、料理か……。炊きあげや鍋なんかは俺もよくやるけれど菓子を作ったことはないな。ぼたもちって作るのどうなんだ、難しかったりする?」
「手間暇はかかるけれど内容自体はそう複雑なものでもないし、下準備に手間をかけた分美味しくなるなるものよ? なんて、偉そうにいえるほど私も大した腕前をしてる訳でもないけれど……よかったら、今度一緒に作ってみる? うまくできたら神樹様やカグツチ様にお供えする神饌にもなるでしょうし……」
ちらりと、翡翠の瞳が少年の後方――虚空をふよふよと浮く神へと向けられた気がした。
「……私も、秋葉に嫁入りするのなら。きちんと神様に挨拶はしないとだもの」
『――おん、気配は潜めてるのになんとなく気付いてないかこの娘? マジで神樹の選ぶ女の子って優秀だな、いつぞやの友奈思い出すわ』
「……」
感慨深げに呟く燃える神性に、須美の提案を拒む意図は感じられない。カグツチの口から飛び出した個人名に少年のなかで燃える歴代の火継ぎから受け継いだ炎がざわつくのを知覚しながら、彼女へと向き直った焔はこくりと頷いた。
「そうだな。鷲尾さんさえ良ければ、また今度こちらに来た時にでも作り方を教えてくれると助かる。俺は学校が終われば基本的には家で鍛錬と休息をしてるし、事前に一報をいれてくれればこちらの方で準備も整えられるからさ」
「ええ。……ふふっ、なんだか今から楽しみになってきちゃった。授業のとき以外で同じ年ごろのひとと一緒に料理を作ることなんてなかったし、家でも最近は私ひとりで作ることも多かったもの」
「……そうか。俺も、誰かと一緒に料理をする機会は滅多になかったな」
「焔くんは何か得意な料理はあるの? 私は和食全般を修めたいと思ってるけれどまだ――」
互いの得意料理、好きな食べ物から派生し、焔の趣味や須美の愛国談義まで──。話は思いのほかに弾み、驚くほどに早く時間が過ぎていった。
もうそろそろ帰る時間であると大人たちが呼びに来て、ようやく時間を確認した須美は目を見開く──。気付けば時間を確認するのも忘れていた。
娘の表情からある程度の成果を感じられたのか。(どうだった?)と確認してくる母親に、須美は口元を緩ませて楽しく話せたと答える。その様子を焔は穏やかな表情で見つめていた。
「──」
鷲尾家を連れ戻ってきた神主の男性は少年の様子を見て一瞬だけ目を見開いたが、すぐに落ち着きを取り戻すと来客を出入り口へと案内していく。大人たちが別れの挨拶を交わすなか、少女が玄関で靴を履き終えたのを見計らい焔は声をかけた。
「もうお開きの時間、か。……ありがとう鷲尾さん、今日は本当に楽しかった」
「……うん、こちらこそ。ごめんなさい、途中から白熱して長々と私ばかり喋っちゃって……」
「いやいや、俺もいろいろと勉強になった。西暦の時代に関しては習っていないことも多かったからか、不思議と飽きなかったよ。……神樹館の生徒ってみんなそんなにしっかりしてるのか?」
「……どうかしら。その、神樹館では話の合う子が少ないから……」
「あ、そうなんだ。……まあ、何はともあれ有意義な時間だった。帰りは気を付けて」
「ええ、それじゃあまた。……今日はありがとうね」
そう言い残し家族とともに歩き去っていった少女の後ろ姿が見えなくなるまで見送り、やがて鷲尾家が視界から消えるのに細く息を吐いた焔はそこで後ろから父親に声をかけられる。
「随分と、いい顔をしているな」
「……そう見えますか」
『カカッ、
「……カグツチ様……」
神主をからかいながらげらげらと笑い燃える男神は宙を浮く。お見合いの最中もずっとにやにやとして須美と焔の様子を見守っていた炎神は、三日月のように口元を裂いた笑みを浮かべるとにやつきながら囁きかけた。
『で、どうなんだよ焔。東郷美森……今は鷲尾須美か。あの娘とはうまくやっていけそうか?』
「……やっていけたら嬉しいなとは思ってますよ。本当に」
見るものを焼かんばかりに燃える炎の眼。焔のそれとよく似た瞳で少年を覗き込んだカグツチにそう返した彼は、今日の縁談がきたときも比較的好意的に受け入れてくれていたという黒髪の少女の姿を思い起こす。
『おはようございます、焔様』『焔さま』『焔様、お時間です』『焔様』
『焔さま――。どうか、どうか。貴方がその命をもって、お役目を果たされることを願っております』
――気楽にしてくれ。……できれば、様づけもやめてほしい。
――初めてだった。
――誰かに対して、
神の殺害は、今代の火継ぎである焔によって為される。そう予言されて、そう願われて、それができるだけの素質をもって焔は生まれた。火継ぎの子として産まれながら、次代の火継ぎとしては認められなかった父親を差し置いて。
だから、焔さえ使命を果たすのであれば次代の火継ぎも、それを孕むために秋葉の元へ嫁ぐ勇者も決して必須というわけではない――。今回の縁談は、言ってみれば焔による天の神の殲滅が失敗したときに備えてのサブプランに近かった。
最悪、断られても構わない。特に今代以降の火継ぎのもとに嫁ぐことは、相手にとっても非常にリスクの大きい案件とも成り得る。それ故の、神の意向も関わった縁談でありながら相手方に拒否権を託した今回のお見合いだった。
だが――。
果たして、須美に今回の縁談が断られるようなこととなったとき。本当に自分が落ち込むことなくいられるか、焔には自信がなかった。
年下とはとても思えない可憐な容貌、天の神の存在も受け入れ真実を隠蔽された理由を察する聡明さ、2人で話している間も言動の節々から垣間見れた気遣い。少年にとってはどれをとっても非の打ちどころがない、須美がもし彼のところに嫁に来てくれるというのであれば、少年にとってはこれ以上ないことだと素直に思えていた。
「……正直、今日が初対面の相手にかなり入れ込んでる自覚はあります。まあ、たとえ縁談がなかったとしても鷲尾さんが今代の勇者ともなれば対天の神、対バーテックスで共闘することも多いでしょうし……本当に、うまくやっていきたいと思ってますよ」
『……そうかい』
精進しろよと。
にやにやと笑いながらそう嘯く神は、最大限の
『何せ、お前がしくじれば――』
「……」
そんな最初の縁談の日のことを思い出しながら、少年は嘆息する。
「本当に、何がしたいんだか」
脳裏をよぎったのは、にたにたと笑って己を見下ろす燃ゆる神の顔。
神の意図というのは、己が生を受けたときから身近にいる焔にさえ測りかねる部分があった。
追い詰めたいのか、応援したいのか、叱咤激励でもしているつもりなのか、はたまた嗜虐的な部分がたまたま表にでてきていただけか――。単純なようでもあり複雑怪奇でもある神の在り様には、自由きままな神性を祀るためのマニュアルを秘密裏に共有された秋葉の人間でさえ頭を悩まされるものがある。
「悪意だけってわけでもないのは確かなんだけれどもなあ」
そうぼやく少年の前で、ことことと鍋の中身が沸騰する――。それに合わせ次々に手元の食材を投下していった焔は、鍋に落とされた野菜類をお玉でかき混ぜながら小さくぼやく。
(とはいえ、それで俺がやらなきゃならないことが変わるわけでもなし。結局はいつものように火継ぎの御業の制御を中心に鍛錬に取り組んでいくだけ、か──)
鯛のアラをふんだんに使い煮込んだ鍋からは香ばしい湯気が立ち上っている。修行の一環としての屋外での調理の際には境内を縄張りとする何匹かの猫が寄ってくるものだが、昨日が梅雨明けを感じさせない大雨だった影響か小動物の気配はない。
物置小屋の付近に設置された竈に火を投じ、独り鍋を煮込む少年はぼんやりと考え込みながら火元を管理していた。
「ひとまず、今日のはこんなところで良いとして……カグツチ様から甘酒のリクエストあるんだよな。あれ余裕で何時間もかかるから結構精神磨り減るんだけれど──」
「甘酒も作れるの? 料理ができるとは聞いてたけれど、さすが神社の後継ともなると作れるものも幅広いのね」
「──」
わあ、鍋すごく美味しそう。そう囁きながら近付いた気配にちらりと背後を振り向けば。
座り込んで火元を管理していた自分のすぐそばから,様子を観察していたのだろう深緑の瞳と目が合った。
えっなんで、ここに!?!? あ、まず――。
竈が起爆する。
鍋が軽く浮き上がり熱湯が跳ね、子どもの手で乱雑に振り回された花火のように勢いよく火の粉が散った。
「え……焔くん!?」
「っ──!? あっ、ああああああごめん、本当にごめん!! 怪我、火傷、服は焼けて──ないな?! よかった、本当にごめん火の扱い狂った!! 悪い今火を消すから少し離れて──」
普段なら考えられないようなミスだった。
咄嗟に立ち上がって舞い上がった火の粉を全身で受け止めた少年は須美の無事を確認すると腕を振るい、不気味に黒い煙をあげる竈で燃え上がっていた火を消し去る。
再度後方を振り向き、彼女の無傷を確かめ安堵の息を吐いた焔だったが──背後からその腕ががっしと捕まれ、険しい表情の須美に見つめられたのに色をなくした。
「……焔くん」
「あ、本当に、ごめ──」
「あんなに火を浴びて、熱湯だってかかったでしょう、平気!? 近くの水場はどこ、すぐに患部を冷やして手当てしないと──」
一瞬。何を言われたか、わからなかった。
「え? ぃ、いや。平気だよ、俺──」
「いいから!!」
「み、水浴びと消火に使う井戸が、そこに──」
「来て!」
有無を言わさず少年の手を握り連れ出していく須美の五指は、反射的に握り返した手にひんやりとした感触を返していた。
井戸まで少年を連れてきた須美が、慣れた手つきでポンプから水を汲み上げていくのをなんとも言えない表情で見守る焔。「傷を見せて」と真剣な表情で口にした彼女に観念したように、少年は若干焦げた衣服の袖をまくった。
「……あれ?傷は……」
「……火継ぎは神も焼いた火の神の炎を受け継いでるんだ、当然火に対する耐性は強い。さっきのだって、そりゃあ少しは熱かったけれど……火傷を負うほどのものでもなかったよ」
少年が火を浴びるのを見るなり頭から水を被せんばかりの勢いで井戸まで連れてきた彼女に本当に平気なんだと言って火傷痕ひとつない腕を見せる焔。目を丸くした彼女に腕を見せるその表情はどこか気まずそうだった。
「……本当に? 本当に火傷はないのね?」
「ああ、傷一つないよ。……言うのが遅れてごめん……」
「……………………よかったぁぁぁ~……」
心底の安堵を込めた声を絞り出すようにして、制服の少女がへなへなとへたりこんだ。
「私がいきなり声をかけたせいでああなっちゃったならどうしようって思って、何も考えられなくなって……無事なら本当によかったぁ……、急に邪魔をしてごめんなさい……」
「何も考えられなくなってあの適切な反応は普通に凄いと思うぞ……? それに謝るのはこっちの方だ、たったあれだけのことで術の制御を乱すなんて最悪すぎる。危ない目に遭わせてすまなかった」
焔にとって、本来炎の制御と操作は呼吸も同義だ。火の扱いを覚えてからはこうも手酷い失敗をすることは一度もなかった──、一体どうしてこのような失態を犯すこととなったのか。須美に声をかけられたときは跳ね上がる勢いだった心臓が今やキリキリと痛んでいた。
苦渋に歪んだ顔に悔恨を滲ませて謝る焔に、目を瞬いた須美ははっと口元に手を当てる。
「術の制御って……あの竈の火、焔くんのだったのね、通りで凄い爆発の仕方を……本当にごめんなさい……」
「いや、それは俺が……これ話が進まないな。……互いに悪意や実害があった訳でもなし、今後はお互い気を付けるってことで良いか?」
「………………えぇ、そういうことにしておきましょう」
未だに責任を感じているのだろう、如何にも不承不承な様子の仏頂面で首肯した須美に苦笑しながら黒焦げて罅割れた竈と底を焦がしてその上に乗せられた鍋の方へと向かう焔は、須美にかけられた言葉を口のなかで転がす。
「(……無事ならよかった、か)」
「焔くん?」
「……いや。――なんで鷲尾さんがここにいるのかとか、聞きたいことはあるけれど取り敢えずは向こうで話でもしようか。……鍋でも食べる?」
神は嗤いながらいった。
愉し気に/呪うように/愛おし気に/憐れむように/期待するように。
『精進しろよ』
『何せ、お前が神殺しをしくじれば鷲尾須美は焼かれ死にかねないんだからなぁ――。お前の母親と同じように、燃えて産まれる火継ぎの子を産んで』