無常の理、神焼きの焔 作:風剣
半端に声を潜めているだけに、クラスメイトたちのひそひそ声はやけに耳についた。
「お役目のこと聞きたいな……」
「安芸先生は聞いちゃダメっていってたでしょー?」
「わーっかってるって……」
「神樹様のお役目を授かったら瞬間移動とかできるようになるのかな……、かっこいいな……」
明らかに自分や銀、席に着いてすやすやと眠る園子の方を見ての囁き声。向けられる好奇に満ちた視線や声に思うところもないではなかったが、それも仕方のないことなのだろうと受け入れため息を押し殺す。
バーテックスの襲来から人々を守るべく展開される樹海化に伴って、神樹によって四国全域で時が停められる。おおまかな襲撃の時期こそ把握できるものの詳細の日時までは関知しきれぬために襲撃が来るまではいつもと変わらぬ日常を過ごす勇者たちはそうして停止した世界で唯一戦うことのできる戦力としてバーテックスのやってくる大橋へと駆けつけるのだが――戦いが終わり樹海化が解ければ、大橋で戦っていた勇者たちは当然のようにその近隣へと放り出される。学校で笑い合い遊んでいたクラスメイトたちを、いきなり消え去ったかのように取り残す格好で。
つまり、お役目とあらば学校に居ようと家にいようと突然姿を消してしまう不思議少女の完成だった。
とはいえ、既に担任の先生からそうした怪奇に関しての説明と注意は済まされているのか。興味深げにしながらも、朝の挨拶前に声をかけて話を聞こうとする者もいなかった。
やがてその厳しさと生徒思いの真摯さで生徒たちから畏れられながらも親しまれる女性担任がやってきて朝の挨拶と神樹様への拝礼が行われると、彼女に声をかけられた須美たちが教壇の隣に並ばされる。
元気溌剌、
「昨日お話したように、乃木さん、三ノ輪さん、鷲尾さんには神樹様の大切なお役目があります。だから昨日のように突然いなくなることもありますが、慌てたり騒いだりせずに心のなかで三人を応援してください」
はーいと声をあげたクラスメイトたち。彼らの様子にほっと一息ついた須美は銀の方を見遣る。
バーテックスとのたたかいにおいても率先して前に出て戦斧を振るった銀。彼女の頬についていた痛々しい切り傷は、今や姿かたちもない――。
「――秋葉焔さん、だよね? 凄いよねー、帰ってる途中はぴりぴりってしてたけれど風呂入ってみたらぜんっぜん! カサブタひとつ残ってなかったよ!」
授業を終えた放課後、前の席を動かし須美と向かい合うようにして座った銀が傷一つ残ってない頬を指さし朗らかに笑う。そんな彼女に口元を緩ませた須美はどこか誇らしげな表情で頷いて見せた。
「えぇ。焔くんのお義母様も仰っていたわ。神世紀以降連綿と力を受け継ぎ続けていた火継ぎは、神カグツチの権能を宿すのみならず独自の形で神の炎を昇華させてきた──。神産みの神話をなぞるようにして産まれた彼が継承するのはそういう力で、それを十全以上に取り扱うことができるように鍛錬を積み重ねた焔くんは既に歴代の火継ぎの編み出した奥義の多くを修得しているのよ」
「お、おう。……それであの人が使ったのが、回復の炎かあ」
少し饒舌になって解説する須美にたじろぎながらも頬を撫でながらぼやく銀が思い返したのは、戦闘の半ばになって参戦し、一撃でバーテックスを斬り捨て焼き尽くしてのけた黒と紅の少年。
少女たちを圧倒する巨体と再生力、得体の知れぬ水泡による翻弄、高水圧の水流によるブレス。外観の非生物的な様相もありどれだけ攻め立ててもわかりやすい消耗を見せてくれることのなかった敵を容易く屠ってのけた彼の印象は本能的な畏怖を感じさせる底知れなさがあったが、その印象は自己紹介をした焔が須美の様子を見るなり露わにした動揺で霧散した。
『焔くん……?』
『……っ。須美、怪我してるのか――。待ってくれ、すぐに治す』
『あっ……』
『!? 何を――、あれ、焼けてない……治ってる?』
少し痛むけれど、火傷はさせないからと。 そういって蛍の光のように淡く輝く炎を少女の頬に押し当てブレスの一撃を回避した余波で負った擦り傷を治した少年は、同じようにしてあっさりと勇者たちの傷を治していった。
『うぉー、血も止まって……すごいぴりぴりするよー』
『……神の力を受け取って戦う勇者でも、いやだからこそ傷と無縁ではいられない、か。……すまないな、俺も自由にバーテックスと戦えたらもう少しは楽にさせてあげられたんだが』
『かゆかゆ、でも掻いちゃダメだよなあ……あっ、いやいやいや! 平気だったよ、でしたよ? 鷲尾さんや乃木さんもすごい心強かったし!』
アクエリアス・バーテックスの放っていた高圧水流の勢いは凄まじいものだった。
バーテックスとの戦闘において焔が介入するまで銀と共に3人で抑え込んでいた須美と園子。両者ともに水瓶座を冠するバーテックスの用いた高圧水流のブレスの直撃こそ受けはしなかったものの余波の衝撃を浴び転がってできた傷は決して痛みとも無縁ではないだろうと唸った少年は、少女たちを労るように見つめ傷の手当てを続けていた。
「正直バーテックス一撃で消し炭にしてたときはめっちゃ怖いなあって思ったけどそうでもなかったよね。鷲尾さん見る時の顔とかめっちゃ優しかったし。……戦ってる間に飲んだバーテックスの水を浄化したいって丸焼きにされそうになったときは焦ったけど」
「毒だったら危ないとはいえ、難しいところよね。……検査の結果も異状がなかったのは幸いだったわ」
人類の敵が操っていた水球のひとつに囚われ溺死されかけていた銀は、神の力を具現した強靭さを頼りに自身を溺れさせようとする水球を丸ごと飲み干した経緯があった。そのため戦闘後は精密な検査に一日を費やすことになったという彼女に苦笑する須美は、そこで目を輝かせるようにして自分を見つめる少女と目が合った。
「お義母様、か~。ふふふー、家族仲はやっぱり良好なのかな? ねえねえわっしー、許婚のほむくんと2人きりのときとかどんなことをしてるのとか私気になるな~~~」
「んっ」
「あっ乃木さんいつの間に鷲尾さんの渾名わっしーになったんだ? それはそれとアタシも鷲尾さんの話気になるかもっ、ねえねえやっぱり、そのぉ……。キスとかもしてるの!?」
「んんっ!? き、きっ、きっっ……いえ、そんな、せせせ接吻なんて、そんな破廉恥なことはしてません!!」
張り上げられた否定の声が教室に響いた。
園子と銀の言葉に銀の言葉に深緑の瞳を揺らした少女は、がたりと机を揺らして立ち上がると顔を真っ赤にしてまくしたてる。
「い、いい!? 昨日も言ったけれど私と焔くんは努めて健全な関係です! それは勿論、許婚としても不満なんてほとんどないくらいに彼のことは憎からず思っているし、今後許婚としての役目を果たしていくにあたっても将来的にはそういったことも増えていくでしょうし良妻賢母となれるよう精進を重ねた暁には焔くんとも幸せな家庭を築けていけたらとは思っているけれど――何を言わせるの!?」
「いや勝手に自爆しただけじゃん!! しかもめっちゃ大好き感剥き出しだし!」
「おぉう……いいねいいね、これは深掘りすればどんどんネタが出てくる気がするぞぉ……。……あっ」
視線を感じた園子がちらりと目を向けた先、少女たちと同じように教室にて駄弁っていたクラスメイトが、通りがかりの他のクラスの生徒が突然声を張り上げた須美に注目しそしてその内容に目を見開いて硬直していた。
神樹の名を冠するだけあり、神樹館は四国のなかでも格式の高い系列の学舎だ。そこに通う生徒のなかにも大赦での高い発言力をもつような家と繋がりをもつ生徒も、後々はお見合いの形で異性と縁談を組むようなこともあるだろうが……果たしてこの年頃で正式に婚約を果たし、そして周囲にその情報を共有しているような者がどれだけいるのか。
そして──須美はその生真面目さが高じクラスのなかでも畏れられやや孤立し気味な印象こそあるものの、男女問わず仲良くしたいと想っている者は少なくはないだろうとびきりの美少女である。翌日にはまず間違いなくクラス中、なんなら学年中に共有されているだろうことを想像する園子は武士の情けの心境が4割、どうせならもう少し話を聞きたいという願望6割に提案する。
「わっしー、ほむくん呼べたりしないかな? 昨日はミノさんもほむくんも居なかったからさ、今日はみんなで祝勝会しようよ!」
その瞳は、キラキラと輝いていた。
『えぇと……、これから大橋に襲来した敵を無事に退け窮地をともに乗り越えた同胞と共に勝利を祝い合うべく会合をするのですが、もし貴方さえよろしければ是非ご参加して頂ければと……』
「? わかった、すぐに行くよ。……乃木や三ノ輪の勇者の娘たちもいるってことで良いんだよね?」
鍛錬の最中にかかってきた婚約者からの連絡に携帯を灼熱から守りながら応答すれば、他の勇者とともにいるらしい須美から堅苦しい文言で持ち掛けられたのはそんな誘いだった。
固い! 普段からそんな話し方してる訳じゃ絶対ないでしょー!? などと話し声の聞こえる通話を切り本殿の一角を借りての鍛錬を切りあげた少年は、曝け出された上半身を汗だくにしながらタオルと飲み水、衣類を回収し身支度を整えていく。
イネスは瀬戸大橋近隣の街のなかで最大の規模を誇るショッピングモールだ。秋葉の家からもそう離れた距離にあるというわけでもなく、境内を出て15分も歩けばすぐに着く――。一度買い物に行ったことのある場所なだけに道に迷うこともなかった。
貴重品を屋敷から回収した彼が誘ってきた少女の教えた店の付近で辺りを見回していると、探していた少女たちがフードコートの店舗のひとつに並んでジェラートを購入しているのを見つける。
「ジェラート……」
「そうそう、ここのは特におすすめだよ! 本当に美味しいから食べてみてよ、イネスマニアのアタシいちおしだから!」
「んー……それなら私は、メロン味にしようかなあ。わっしーはどうする? なんだかすごい難しそうな顔をしているけれども美味しそうなのありそう?」
「っ……。ジェラート……いえ、でも食わず嫌いで拒絶は愚の骨頂、ここは、えぇ。折角三ノ輪さんが誘ってくれたのだし……けれどせめて和の味を――。宇治金時味にするわ」
「凄い悩んでたね、じゃあアタシは醤油味で!」
それぞれの注文した味のジェラートを購入し席に着いた彼女たちの和気あいあいとした様子に眩しいものを見るように目を細めた少年は、やがて各々の選んだ味に舌鼓を打つのを見つめながらそちらに向かって歩を進める。銀と園子が接近に気付いて笑顔を浮かべるのに手を挙げ応じながら、ランドセルを膝上に乗せ手に持ったジェラートと睨めっこする許婚の様子に思ったことを口にした。
「須美が和菓子以外を食べるのも珍しいな」
「――ほ、焔くん!? っ、こ、これは――いえ、これは決して和の道からの離反ではありません。そう、いうなればこれは敵情視察で……」
「う、うん? いや、美味しいならそれで良いんじゃないかとは思うけど……。俺も買ってこようかな、何かおすすめはあったりする?」
「アタシの注文した醤油味! これすっごい美味しいよ!」
「メロン味も美味しいよ~。……うーんでも温州みかん味もすごい美味しそうだったんだよねえ」
「くっ……おすすめできるだけの味の知識が、私には……! あ、だけど宇治金時味……この抹茶とあんこの織り成す調和はなかなか……!」
「そうか……。それなら須美のと同じのを注文してこようかな、醤油味は前食べたし他の味はイネスにまた寄ったときにでも……」
「!」
そこで園子の眼がきらりと光る。
彼女の本能はいった。今この時にこそ押していかねばならぬのだと。
「それだったらさ、宇治金時とは別の味を頼んじゃえばいいんじゃない? わっしーのと分け合いっこすればいいんだよ~」
「……?」
「……なるほど。そうするか……」
「……。っ!?」
分け合いっこというフレーズの意味を特に考えずに了承した焰、一拍をおいて理解できてしまった須美。注文に向かってしまった彼の後ろ姿を為す術なく見送った彼女は、やがてみかん味のジェラートを手に少年が戻ってくるとごくりと息を呑む。
(す、スプーンに余分はない……つまりこれはそういう、関節キ、間接的な接吻という形になるのでは? そんな、はしたな──、けれども焔くんが私のジェラートの味が気になるのなら断るのも、それに嫌かというと決してそんなことはな──)
そんな彼女の葛藤も露知らず、ぱくりとみかんのジェラートを口に運んで堪能し。食べないのかと須美に向かって差し出そうとした焰は、そこでようやく導きだされた状況に気付くとぴたりと固まった。
「…………あー、そうか、こうなるのか。どうしたものか……」
「いいぞ、やれやれー(小声)」「大丈夫大丈夫許婚なら普通だよー(小声)」
「人前でするようなこととは到底思えないのだけれど……!?」
どこか気まずそうに迷うようにジェラートを引っ込めようとした少年に無責任に囁きかける外野たち。からかわれているという自覚こそありながらも、関心の色を隠しきれずにスプーンをさ迷わせていた焰はやがて自身のジェラートを掬うとそのまま須美の方へ突き出した。
「──!」
「……はい、あーんって言うんだっけ? これもなかなか美味しいよ、良かったらどうぞ」
「え、ええいままよ……!」
半ば自棄の心地で突き出されたジェラートを口にした須美は、口のなかに広がる柑橘類らしいさっぱりとした甘味に美味しいと呟く。それはよかったと微笑んだ彼に僅かに沈黙した少女は、やがて少しだけ溶けかかったジェラートを掬うとずいと焰の方へ突き出した。
「わ、私のも美味しいから、よかったらどうぞ……」
「……憧れがなかったとは言わないが、いざされるとなるとなかなか恥ずかしいなこれ……」
「い、今更!?」
「じゃあありがたく。……うん美味しい」
須美のスプーンに乗せられたジェラートを食べては口元を綻ばせた少年に、どこか安堵と達成感に満ちた心地になりながら本格的に宇治金時ジェラートの攻略にとりかからんとした須美は、そこでにまにまと笑いながら自分たちを見つめる2人の少女に気付いた。
「ヒューヒュー熱いねえ」「この世の春を謳歌してる感じがしますねえミノさん」「冬が終わってそう大した時間も過ぎてないのに夏といわんばかりの熱さですよ乃木さん」
「ひゅ」
──真っ赤になって爆発する。
自身が焰と同じ火継ぎの身であったのなら一帯は焼け野原だったろう確信を持ちながら、顔をトマトのように真っ赤にした少女は涙目になって唸った。
「こ、この辱しめは断じて忘れないわよ2人とも……!!」
「きゃー怒った、ごめんよわっしー、ほむくんも結構満更でもなさそうだしついつい後押ししちゃったんよー。……よかったら今度は同時にあーんとか……」
「しないわよ!?!?」
「というか焰さんも割りと轟沈してないか……?」
「……顔が熱い。買ってきたのがジェラートで良かったな……」
何やらスイッチの入ったらしき少女たちに翻弄されながらも、どこか楽しげにした少年は得難いものをみるようにして穏やかな一時を噛み締めていく。
そんな賑やかな祝勝会から、数日後。
壁の外からまた新たなバーテックスが侵攻し、そして火継ぎの少年によって跡形もなく焼却された。