鞍上人無く、鞍下ウマのみ   作:肩仮名

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レチタティーヴォ

 

 1

 

 乗るならば勝ち馬だ。

 有朋優希はそう考えていた。

 

 この世界では、競馬はギャンブルでなく、国民的──いや、世界的スポーツとなっている。

 ついでに言えば、競馬という表記すら正しくはない。そもそもこの世界に馬という生物は存在せず、その代わりに『ウマ娘』なる生物が文字通り人権を得ていた。

 

 ウマ娘──人類と大まかな外見的特徴を同じにしながら、馬と違わないほどの圧倒的な身体能力を持つ存在。

 

 彼女たちの行うレースは世界を熱狂の渦に巻き込んでおり、その経済効果は計り知れないほどだった。デパートではウマ娘関連のグッズが一角を占拠し、書店にはウマ娘関連の書籍が立ち並び、都会の大型ディスプレイにはレースのコマーシャルがでかでかと自己主張を行った。

 四年に一度のスポーツの祭典すら霞むほど、人類が一競技に入れ込んでいる世界。

 そんな熱狂の渦巻く世界を生まれ直した有朋優希の半生は、意外にも穏やかなものだった。

 

 優しい父と寛容な母の元に再誕した彼は、ウマ娘という存在、価値観に戸惑うことはあっても、その愛情を一身に受けてすくすくと育っていった。だが、幼くは生まれる前の知識を活かして天才と持て囃された優希も、成長するにつれ進路という壁にぶち当たる。

 十で神童十五で才子二十過ぎれば只の人。

 それは優希とて例外ではなく──いやむしろ、只の人がそのまま子供として生まれたがゆえに天才と呼ばれていた彼だ。

 大きな成長があるわけでもなく、何か誇れるものがあるわけでもなく。

 その結果、彼は当然のように就職に悩み、当然のように自分に失望した。

 

 自分には何もない。

 人よりも時間も経験もあったはずなのに、何一つ先んじるものがない。

 怠惰のツケは道標の喪失。

 前世において就職は実家を継いでいた優希は、就職活動の経験が無かった。何を目的にすれば良いのかもわからず、何がしたいのかも定まらず。

 緩やかな絶望に沈殿し、何もかもがどうでも良くなりかけた、その時──

 

 液晶に映るのはトゥインクル・シリーズの一幕。あるウマ娘が大差をつけての三冠を達成していた。

 かつて神馬とも評された四文字の名前と同じものが、優希の網膜に貼り付く。

 希望を失ったはずの目に、鈍くも確かな光が宿った。

 

 この世界に住むウマ娘は、かつて優希の住んでいた世界における競走馬に酷似していることを、彼はその時ようやく知った。名前も、その強さでさえも。

 ならば、その知識を持つ優希には一日の長がある。

 皇帝、シャドーロールの怪物、英雄、金色の暴君──時代を制し日本競馬史に名を刻んだ競走馬たち。彼らの名も、適性も、強さも、優希は知っている。

 誰よりも上手く、優秀なウマ娘を見付けることができる。

 彼は、他者より自分が先んじているものと、進むべき道を発見したのだ。

 そうして優希は、ウマ娘のトレーナーを志した。

 

 緊張と期待でバクバクと鳴る心臓の鼓動を鼓膜に響かせながら、彼は何度も繰り返した思考を反芻する。

 

 トレーナー専攻は済ませた。しかし、自分は未だ素人にほど近い新米だ。

 名家出身の期待されているウマ娘は、間違っても凡庸な俺のところには流れてこないだろう。加えて、厳しいトレーニングや類まれな騎乗技術により覚醒した馬──と同じ名前を持つウマ娘──も、俺の手には余る。

 欲しいのは、圧倒的な才能。

 あらゆる条件を捩じ伏せて、独力で頂点へと上り詰める、次元の違う才能────

 

 そこまで考えて、優希はふぅと息を吐いた。

 どちらにせよ、スカウトが上手くいかなければ取らぬ狸の皮算用だ。

 どのウマ娘にするか狙いは定めたのだが、狙ったからといって必ず当たるものでもない。

 一応、二番三番と代案の希望ウマ娘は決まっているのだが、どうしても一番希望と比べると不安要素が付き纏う。

 競馬がギャンブルだった前の世界では結局一度も賭けていなかったというのに、賭けが行われていないこちらの世界ではこれほどまでにギャンブルをしている。優希は自らの妙なバランス感覚に嘆息した。

 

 呼吸を整え、襟を正す。

 首をコキリと鳴らすと、眉を顰めるほどの痛みが走った。

 一応、勝算というか──打算は、無くはないのだ。

 

 多くのトレーナーは血統から目星を付けて、公開模擬レースや選抜レースなどで実際に実力を見てから接触を行う。

 その前に行うのはマナー違反。と言うよりも、予めツバを付けておいたにも関わらずレースを見てから勝手に失望し、ウマ娘を無闇に傷付けることが、業界の慣習的に良くないされているのだ。

 期待されていた名家のウマ娘が結果を出せないことはままある。だがその落胆や失望を、彼女らに直接突き付ける必要はないだろう、というのが業界全体の意見だ。

 何せ彼女らは、まだ少女なのだから。

 

 そのため事前に接触を行う場合は、ウマ娘側からの拒否がない限りは必ずそのウマ娘を受け持たなければならない。しかし、ほとんどのトレーナーは実際の走りを見なければ実力はわからないことを理解しているため、そんなリスクは犯せない。

 ウマ娘側もそれを知っている者は知っている。

 ゆえに、決め打ちのごとき熱烈なアプローチは悪い気はしないだろう、という希望的観測だ。

 

 期待三割、不安七割を抱えつつ、足を踏み出すのは日本ウマ娘トレーニングセンター学園の事務室。担当契約書類の在り方だ。

 受付に向かい、緊張を一緒に吐き出すつもりで、言葉を発する。

 

「すみません、私は学園所属新人トレーナーの有朋なのですが……」

 

「はい、何でしょうか」

 

 にこやかに対応してくれた事務員に、免許の提示とウマ娘を探しにきたという目的を告げる。簡単な手続きの後に、契約書類持ち出しの許可を言い渡された。

 

 どなたか、お目当てのウマ娘はいるんですか? と事務員が尋ねる。

 今は公開模擬レースシーズン前。スカウトの旬たる選抜レースと比べると更に前だ。お前に担当を決める意志はあるのか、という遠回しな牽制の意味合いも含まれているのだろう。

 優希はそれに対してほんの少し躊躇し、自分の考えに間違いはないか再度確認してから、口を開く。

 

「テイエムオペラオーというウマ娘は、どこにいますか?」

 

 乗るならば勝ち馬だ。

 有朋優希はそう考えていた。

 

 

 

 

 

 2

 

 テイエムオペラオー。

 年間無敗でG1五勝を含む重賞八連勝を達成し、瞬く間に世界最高獲得賞金記録を塗り替えた世紀の名馬。

 経験の浅い若手騎手を背に乗せてなお速く、レース中ほとんどの馬から包囲されてなお先頭を勝ち取った。

 2000年の覇者。世紀末覇王。

 彼──もとい、彼女が優希の目的とするウマ娘であった。

 

「はーっはっはっは! 鏡に映るボク! ピカピカの床に映るボク! そしてそれらのボクの瞳の中に更に映り込むボク!!」

 

 決して、目の前でポーズを決めつつ高笑いしているウマ娘ではないと、優希は信じたかった。

 

「嗚呼、眩しすぎる……! 世界が、ボクの輝きを反射して眩く煌めいている……!」

 

「…………」

 

 いや、まさかそんなことはあるまい。

 日本競走馬最強の一角にも挙げられるかのテイエムオペラオーが、こんなアレな感じなはずがない。

 例え、事務員に「この時間なら彼女はいつもここにいますよ」と案内されたとしてもだ。

 

 優希は祈った。

 彼は宗教的な神の存在は信じていなかったが、自身を生まれ変わらせた何かしらの存在の実在は確信していた。

 

「ん? 君は……」

 

 彼女の大きな宝石の耳飾りを着けた耳がピクリと反応し、優希の方向を向く。次いで、きっちりとセットされた栗毛の美しい、整った顔も優希を捉えた。

 鏡に囲まれたダンススタジオの中で、栗毛のウマ娘と優希が向き合って、しばしの沈黙が訪れる。

 

「……嗚呼、そうか! なるほど!! 部外者まで学内に呼び込んでしまうほどボクの美しさが世界に轟いている、ということか!」

 

「いや、俺は……」

 

「安心したまえ、君に罪はない。沈魚落雁たるボクの美しさを一目見たいと思うのはごくごく自然なことだ。罪があるとするなら、美しすぎるこのボクにこそあるのだろう! 例えそれが不法侵入だとしても、美を追い求めるその精神は決して責められるべきものではないのだから!」

 

「俺は学園の関係者だ」

 

「そうかい? だとしても、君がここに来てしまったのはボクの美しさに惹き寄せられてのことだろう。君に何か用事があったのならすまない。まあ、"世紀末覇王"たるこのボク、テイエムオペラオーの美貌を見る用事より大事な用事などこの世に存在しないのだがね! はーっはっはっは!!」

 

 祈り、届かず。

 あるいは届いたうえで手折られたのか、無情にも優希の願いは叶えられなかった。

 今は世紀の終わりでもないのに世紀末覇王を名乗る彼女こそが、テイエムオペラオー。日本競馬界にて伝説を打ち立てた名馬と名を同じにするものであり──優希は知らないことではあるが、その馬の魂を継いだものである。

 

 ごくりと唾を飲み込んで驚愕と少々の幻滅を隠す。ガッカリした顔でスカウトに臨んで成功するはずもない。

 優希は気持ちを切り替えた。

 むしろ、これは良いことなのかもしれない。

 このナルシストが極まって多少頭の軽そうなウマ娘なら、自分のスカウトに応じてくれるかもしれない。計算高く堅実なウマ娘だったら、新人トレーナーと組むなど、考えられないだろう。

 よし、と心の中で呟いて、

 

「気遣いはありがたいが、用事の心配はいらない」

 

「おや? そうかそうか。となると、やはりボクに会うのが一番の目的だったということか」

 

「ああ、その通りだ、テイエムオペラオー。俺はお前に会いに来た」

 

 優希が真っ直ぐにそう告げると、オペラオーは少しだけ目を見開いた後、満足そうに目を細める。

 そして、せっかく来てくれた己のファンに考えうる限り最大限の美しさを披露しようと、ポーズを取ってキメ顔を作った。

 しかし、優希の口から続いた言葉は、彼女の予想していた単純な称賛や感動の言葉とは異なっていた。

 

「俺はトレーナーとして、お前をスカウトしに来たんだ」

 

「トレーナー……? スカウト……? ややっ、その襟に煌めくのは……よもや、トレーナーバッジではないか!? ふふっ……そうか。もはやこのボクは、美しさだけではなく、その強さまでもが外から見てもわかるほどに研鑽されきったということか! ははは……はっはっは! はーっはっはっはっは!!」

 

 オペラオーは演技過剰に反応し、一通り笑ったあと、優希に向き直る。

 

「おっと、無視をしてしまったようで申し訳ないね。なにぶん、これまではボクの内なる強さが誰にも伝わっていなかったのか、不思議なことに誰一人としてスカウトが来なかったんだ」

 

「そりゃあ……見る目がない奴が多いもんだな」

 

「いやあ、無理もないさ。一目でボクの強さを理解してくれる人に出会ったのは今日が初めてだ。いくら"覇王"であるボクと言えども、見るだけで強さがわかるようなレベルに至るには時間が掛かったということなんだろう」

 

 一言を発するたびにオーバーリアクション気味なポーズを決めるオペラオー。

 ポーズは手先までしっかりと決まっておりブレがないところから、ポーズもこのダンススタジオで練習していたことが予想できた。あるいは、彼女が自身の肉体を完璧にコントロールできているのか。

 後者の方が望ましいが、おそらくは前者なのだろう。

 オペラオーは、自身の持つ名に違わぬほどには歌劇的らしい。

 もしやオペラハウスやメイセイオペラもこんな感じなのだろうか、と優希はこの世界の安直さに懸念を抱いた。

 

「しかし、君が一番乗りなのだから、慧眼だよ。えーっと……」

 

「有朋優希だ。よろしく頼むよ」

 

「ああ、優希君。君は……ボクのトレーナーになりたいんだったね」

 

「ああ」

 

 オペラオーをどういった風に口説くのかは、いくつか手段を考えていた。

 しかし、彼女のキャラクター性の衝撃でいくつかの手段が優希の頭から飛んでしまっていた。加えて、その猛烈な自己愛と演技がかった所作からは、彼に中二病の症状を連想させる。さもありなん、オペラオーはまだ中等部なのだ。

 中二病患者と仲良くするための秘訣は、適度な称賛と同調、そして共感だ。

 余計なことは考えず、優希は恥を捨てる覚悟を決めた。

 

「──お前を知ったとき、俺は運命を感じた」

 

「ほう……?」

 

 言ってから、恥ずかしさで少し後悔する。

 しかし、ここが正念場だ。

 乗り切れなければ沈むのみ。今後の人生の重さに比べたら現在の恥ずかしさごとき、何だというのだろうか。

 

「このウマ娘はターフの覇者になる──いずれ誰をも寄せ付けない偉業を成し遂げると。天を征し、地を揺るがし、己の通った後に道を作るウマ娘になると!」

 

「────」

 

「お前ならば年間無敗とて、もう手の中にあるはずだ! 皇帝の七冠を超えることすらも可能なはずだ!」

 

「────」

 

「だからテイエムオペラオー、俺はお前が欲しい! もし俺と来る気があるならこの手を掴め!」

 

「────」

 

 驚いたように目を見開くオペラオー。

 優希は失敗したのか成功したのか判断が付かず、伸ばした手をそのまま固定する。停止する時間の長さに比例して羞恥も増大した。

 何倍にも引き伸ばされたように感じる時間の中、遂にオペラオーが口を開く。

 

「────ふ」

 

 漏れ出た吐息は次第に笑いへと変わり、

 

「ふふふ、ふっふっふっ……」

 

 そして、高笑いへと突入した。

 

「はーっはっはっはっは!!」

 

 悪性の差し引かれた見事なまでのさわやかな三段笑いを披露したオペラオーは、差し出された優希の手にそっと自身の手を触れさせる。

 その姿はエスコートを受ける姫のようであり、戦いを誓う騎士のようでもあった。

 

「いいだろう、トレーナー君(・・・・・・)! 新たなる伝説の幕開けだ! 脚本と演出は君に任せよう! ボクが主演を務める歌劇を、この世界中に響かせようじゃないか!」

 

 優希は未来の勝利と栄光を確信し、ああ、と力強く頷いた。

 

 

 

 

3

 

「すまないね、トレーナー君。"覇王"として不甲斐ないところを見せてしまった……」

 

 テイエムオペラオーが折れた。

 

「気にするな。そのハンデがあっても二位だったんだろ? 覇王として最低限の実力は示しただろうよ」

 

 正確には、テイエムオペラオーの骨が折れた。

 

 記念すべきメイクデビューの日。

 オペラオーはいつもよりも1.5倍は高いテンションで「さあ、見るといい! トレーナー君! そして全世界よ! これが"世紀末覇王"伝説の序曲だ!」などと言いながら意気揚々とターフへ向かったは良いものの、そのやる気が空回りしたのかレース中に骨折。二着の結果を引っ提げながら、優希に背負われて病院へと運ばれていった。

 

「そうはいかないよ、トレーナー君。例え骨が折れていようとも圧倒的な差を付けて勝利するのが"覇王"の走りというものだ。ボクも"覇王"としてはまだまだということなのかな」

 

「そもそもまだ身体が出来上がってないんだろ、無理はするなよ」

 

「いいや? 出来上がってはいるさ。ただ、これからも伸び代が無限にあるというだけで!」

 

「ともかく、これからのトレーニングは考えなくちゃいけないな」

 

 オペラオーを背負い寮へと向かう優希がそう零すと、すぐさま背中から反応がある。

 

「ふむ……確かに、優美なダンスも、華麗なる飛び込みも、この脚だと厳しいかもしれないね……。しかし! 神社でのお祈りは松葉杖を使ってできるはず──」

 

「駄目だ。松葉杖で石段を昇るのは危険すぎる。それに、松葉杖は神経も圧迫するから、お前の黄金の肉体バランスに何かあったら困る」

 

 競走馬の肉体は非常に繊細であり、競走馬の肉体の神秘が人型の器に収まったウマ娘もまた、繊細な肉体を持っている。

 今日と明日で同じ走りができる保証はどこにもないのだ。

 ただでさえ故障でブランクが発生するのだから、優希はそれ以上余計な懸念を持ち込みたくなかった。

 

「代わりに、こうしようか。今後は、ボーカルトレーニングを中心に行う」

 

「ボーカルトレーニング? 癒しの力すら持つボクの歌声で怪我を早く治そうということかい?」

 

「まあ、それもあるが……」

 

 優希は基本、オペラオーの妄言は否定せずに聞き流すようにしていた。

 

「プールでのリハビリが可能になるくらい回復するまでは、筋力維持トレーニングが基本になってくる。だが、それでは心肺機能が低下する一方だ」

 

「それに何より、華がない。"覇王"のするトレーニングではないね」

 

 オペラオーは通常のウマ娘がするようなトレーニングを、あまり行わない。行う場合もあるが、日常的なトレーニングは彼女自身が決めたものを、優希が監修する形になっている。

 その内容は、体幹を鍛えるダンスやメンタルを鍛える飛び込み。足腰を鍛える神社通いの石段登りなど、真面目にウマ娘を勝たせたいトレーナーが見たら激怒か困惑か、どちらかの反応を示すであろうものだった。

 

 しかし、史実におけるテイエムオペラオーという馬が「どこで仕掛ければ勝てるか」をわかっていた、と言われるほど頭の良い馬であったことから、優希は彼女にトレーニング手段を任せた。

 彼女がレースで勝つためのトレーニングをしているのだと、信じることにしたのだ。

 事実、彼女はほぼそれらのトレーニングのみで、模擬レースでは他のウマ娘を圧倒した。

 トレーニング内容は彼女の我儘ではあったのだろうが、我儘だけというわけではなかった。

 何しろ、テイエムオペラオーは"勝てる"ウマ娘なのである。

 

「そう、だからこそのボーカルトレーニングだ。オペラオー、お前には筋力維持トレーニングをしている間、常に歌ってもらう」

 

「筋力維持トレーニングをしている間、かい?」

 

「ああ、レース後のどんな状況でも高らかにお前の美しい歌声を響かせられるようにだ。辛いときこそ輝けなければ本当のスターとは言えないからな」

 

 無論、本当の目的は心肺機能の衰えを危惧しての有酸素運動としてなのだが、こう言った方がオペラオーの食い付きが良い。

 案の定、背負われているオペラオーから素早く応答がある。

 

「確かに、真なるスタァの輝きとはそういうものかもしれないね。ボクはいずれ世界を遍く照らす"世紀末覇王"として、どんなときも世界中に天使の美声を響かせる存在……! 優雅な泳ぎを見せる白鳥も、水面下では忙しなく足を動かしていると、そう言いたいんだね!? トレーナー君!?」

 

「今は雌伏の時だ。お前が今すべきことは、来たるときに備えて力を蓄えること……わかるな?」

 

 優希の問いに、オペラオーはふふんと鼻を鳴らして答えた。

 どうやら了承してもらえたらしいと、優希は内心安堵の溜息を漏らす。

 オペラオーは誘導しやすくはあるが、それはそれとして扱いにくいウマ娘でもある。誘導しようとした結果、明後日の方向に駆け出すなど日常茶飯事だ。

 トレーナーは騎手ではないが、相方を乗りこなす技術が求められるのは一緒なのである。

 

「……オペラオー?」

 

 ふと、首回りと背中の圧迫感が増した気がして、背負われている相方に呼びかける。

 彼女に欲情するほど飢えてはいないが、背に感じる密着は、彼の居心地を悪くするには十分すぎた。

 

「トレーナー君、すまないね」

 

「あ? どうしたよ、また謝って。らしくない……故障は仕方ないことだろ?」

 

 いつものオペラオーなら、もっとポジティブだ。

 失敗があっても決して後に引かず、どうしてそう思考が繋がったのかがわからないような立ち直り方をする。

 

「せっかくのデビュー戦、君に格好良いところを見せたかったんだが……今はこうして、君に背負われている」

 

「……まあ、おぶわれてるのは格好良いとは言いがたいけどさ」

 

「トレーナー君も期待していたのだろう? ボクが天を飛び地を翔け、"覇王"たる風格を見せつつ大差で勝利を飾る様を……!」

 

「天は飛ばずに地に足つけて戦ってほしいとは思うが、勝つのを期待してはいたな」

 

「だからこそ、ボクは約束しよう! 復帰レースでは必ず君に勝利を捧げると! 見ていてくれたまえ、"覇王"の勇姿を! そして、その強さと美しさを目に焼き付けるといいさ! はーっはっはっは!!」

 

 オペラオーが彼女がいつもするように、高らかに笑う。

 自信に満ち溢れたその笑いは、例え骨を折って背負われていても、見る者に力強さを思わせる。

 その笑い声を聞いて、優希も静かに顔を綻ばせた。

 優希は今、確かに勝ち馬の鞍上にいる。

 オペラオーを寮へと送る道のりの途中、大きな高笑いと誰にも聞こえない小さな笑いのアンサンブルが、曇りの空にこだました。

 

 

 ちなみにオペラオーは、休養明けの未勝利戦で普通に負けた。

 

 

 

 

 




多分あと二話くらい続きます
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