鞍上人無く、鞍下ウマのみ   作:肩仮名

2 / 2
アリア

 

 

 

 4

 

「今日の皐月賞、気を付けるべきウマ娘は二人いる」

 

 千葉県はホテルの一室。

 優希とオペラオーは向かい合い、来たるべきクラシックレースへ向けてのミーティングを行っていた。

 

 骨折の影響で五ヶ月はレースに出られず、ジュニア級のほとんどを棒に振ったオペラオーだったが、クラシック級に上がってからは脚の調子も元に戻り、今まで通りの走りをできるようになっていた。

 復帰直後の一戦こそ四着に敗れたものの、その次の未勝利戦に勝って以降は条件戦、G3と連勝。そしてついには、クラシック三冠競走の一角、皐月賞へと出走する予定となっている。

 

「まずはアドマイヤベガ、現状、一番人気だ。名家の良血で、母はダブルティアラウマ娘、祖母が凱旋門賞ウマ娘だ。その血統を証明するように、G3で一着、G2で二着と、しっかり結果を残している」

 

「ああ……アヤベさんだね! ふふっ、流石はボクが好敵手と認めたウマ娘! このボクを差し置いての一番人気とは……! しかし、強敵を倒す方がより、劇的に! ボクの未来のファンたちを沸かすことができるだろう!!」

 

 オペラオーは今日も平常運転。

 いや、夜10時にはぐっすりと深い睡眠に入ったからだろうか。むしろいつもよりも調子は良く、舌の回りも普段よりイキイキとしている。

 

「アドマイヤベガの武器は良くキレる末脚だな。弥生賞では仕掛けが遅くて二着だったが、もう少し距離があったら結果は変わっていたかもしれない」

 

「ふむ、なるほど」

 

「で、その弥生賞でアドマイヤベガを降して一着を取ったのが、ナリタトップロードだ。母親は函館競バ場のレコード持ち。現在重賞二連勝で、今一番勢いに乗ってるウマ娘とも言えるな。……まあ、それは──」

 

「勿論ボクを除いて、だろう?」

 

「ああ、そうだ。お前以上に勢いに乗れるやつなんかいないし、これから先も現れない。そうだろ? オペラオー」

 

「はーっはっはっは! 当然だとも、トレーナー君! 金色の角笛を腰に下げ、空から舞い降りてきた素晴らしき戦士! それがボク! テイエムオペラオーだ!」

 

 腕を組み、わざわざ身体を優希から見て斜めにするオペラオー。

 いつ優希がオペラオーの美しさに感激してカメラを取り出してもいいようにという気遣いとして、彼女はいつでもカメラ映えするポーズを心掛けていた。この気遣いが役に立った場面はこれまでに一度もない。

 

「あと、マイネルプラチナムも重賞とオープン戦で二連勝してるぞ。その前のオープン戦も二着だから、気にしてもいいかもしれないな」

 

「ふむ……以上かな? トレーナー君の気になるウマ娘というのは。まだいるんじゃないかな?」

 

「一応まだいるっちゃいるが、言うか?」

 

「よろしく頼むよ、トレーナー君。演者の把握も主演の務めだからね。彼女たちがいてこそ、ボクがより光り輝くのさ」

 

 そう言って謎の決めポーズを取るオペラオーに、優希は皐月賞に出走するウマ娘たちの情報を伝えていく。

 重賞を勝っているオースミブライトとヤマニンアクロ、ワンダーファング。G2二位のタイクラッシャー。メイクデビューとオープン戦の二戦しかしてないが未だ無敗のニシノセイリュウ。目立った成績は無いが、既に九戦もこなしていて経験豊富なカシマアルデル──。

 

「これで、演者は全てだね。ふふ、楽しみじゃないか、彼女たちの活躍が」

 

 有力ウマ娘からそうでないウマ娘まで、計十七人。皐月賞に出走する全員の情報を聞き終えたところで、オペラオーがようやく口を開いた。

 オペラオーは他人を評価することを躊躇わない。

 素晴らしいものは素晴らしいと言い、何ならたまに別に素晴らしくないものにも素晴らしいと言ったりする。

 彼女は本質的に、褒め上手なウマ娘だ。

 

「そして、それら全てを上回るボクの活躍が!!」

 

 ただ、それ以上に自らを素晴らしいと心の底から思っているだけで。

 他人が凄い。そして、それより凄いボクがものすごく凄い!

 他人を下に見ているわけではない。ただボクが事実として頂点にいるだけだ。

 つまりそういうことである。

 

 そんなオペラオーだからこそ、優希も安心して担当を務められる。

 本来、ウマ娘は非常に繊細であり、メンタルの些細な変化がその日の走りに直結する。ゆえに担当ウマ娘のメンタル管理もトレーナーの仕事だ。

 しかし、オペラオーにはそれが不要。

 少しでも褒めたらメンタルは上を向くし、何もしなくても勝手に上を向く。というかそもそも沈まない。

 

 そう考えると、何とも新人トレーナー向けのウマ娘である。

 トレーニングメニューは一から組まなくても良い。オペラオーが勝手にやってくれる。

 メンタル管理はする必要がない。オペラオーが勝手にやってくれる。

 そして──

 

「では、出陣といこうか、トレーナー君! 多くの観客を虜にするグランド・オペラの始まりだ! いつも通り、星の光さえ塗り潰すほど眩い勝利の栄光を掴みに行こうじゃないか!」

 

「ああ、いつも通り、お前の判断で仕掛けて、勝ってこい」

 

 そして作戦も。

 オペラオーに任せれば、オペラオーが勝手に一着を取ってくれる。

 優希が無能というわけではない。

 彼だって、高倍率の試験を潜り抜け中央(トゥインクル)のトレーナーとなった、言わばエリートだ。

 ただ、オペラオーが凡百のエリート程度(・・・・・・・・・)にどうこうできないほど、完成されているだけである。

 トレーナーが介入する余地がないことを考えると、彼女はある意味では新人トレーナーには向かないのかもしれなかった。

 

 だが、それは優希にはどうでも良い話だ。

 彼の目的は勝ち馬に乗ることであり、勝ちウマを育てるトレーナーになることではない。

 優希には勝ち馬を知る知識がある。

 ウマ娘をよく選び、明確に間違いのあるトレーニングの指示さえしなければ、結果は約束されている。

 それがトレーナーになった理由なのだから。

 

「はーっはっは! さあ、レース場の神の御前へ赴こう、トレーナー君! ボクと共に凱歌を歌う準備をして待っていたまえ! はーっはっはっはっはっは!!」

 

「音痴だから遠慮しておくよ」

 

 この皐月賞の結果を、優希は記憶していない。

 しかし、その先の未来に伝説が待っていることだけは、確信できていた。

 

 

 

 

 

 5

 

 鼓膜どころか地面すらも震わせるような大歓声は、人気の証。

 出走するウマ娘が入場し、観客へと手を振ってアピールする度に、束ねられて野太くなった黄色い声が中山競バ場に響く。

 そしてその声の中に、ピンク色で、快活で、馴れ馴れしい呼び方をする声があった。

 

「わーいっ! オペちゃん、がんばれー!」

 

 ハルウララという名を付けられたそのウマ娘は、皐月賞というレースの格を何一つ理解していないながらも、友達に誘われたのだからと、中山へと足を運んでいた。

 ちなみに彼女はこれまでに三回、オペラオーからレースに誘われていたのだが、過去二回は気を散らす何かに遭遇した結果、無事競バ場までたどり着いたのは今回だけ。

 打率ならば三割三分なので強打者と言えるだろう。

 

 ぴょんぴょんと跳ねて応援をするハルウララにオペラオーが気付くと、何度かウィンクをして反応する。

 ハルウララは「目がかゆいのかな?」と思った。

 反応が芳しくないことに気付いたオペラオーが、もっとサービスを求めているのだと勘違いし、渾身のポーズを決める。

 ハルウララは「背中がかゆいのかな?」と思った。

 しかし、ハルウララとは関係ないギャラリーはそこそこ沸いた。周りが盛り上がっているため、よくわからないままハルウララも盛り上がることにした。オペラオーはご満悦だ。

 

「なんだかすごいねっ! いっぱい人がいて……みんな、楽しそう! わたしもこんなところで走れるかなー?」

 

 会場の熱気を直に浴びたハルウララが手をぶんぶんと振り回す。

 隣の人に手が当たりそうになって、その人が紙一重で躱した。それを見てようやく、人混みの中で危ないことをしていたと認識したハルウララは、慌てて手を引っ込めた。

 

「あっ、ごめんなさい……」

 

「当たってないから気にしなくていいぞ。次から気を付けてくれ」

 

「はーいっ! 今度からはちゃんと周りを見てから手をぶんぶんするね!」

 

「周りに人がいるときには手をぶんぶんしない方がいいと思うんだが……」

 

「あっ、そうか! えへへ、まちがえちゃったっ! って……あれー?」

 

 いくらか話してから、ハルウララは気付く。

 今自分と会話している男には、妙に見覚えがあった。彼女のことを招待してくれたオペラオーと、よく一緒にいるのを見る男だ。

 挨拶をする前に目の前を蝶々が通り過ぎて行ったなどの様々な要因により、まだ話したことはなかったが、きっとオペラオーの友達なのだろう。

 

「あー! いっつもオペちゃんと一緒にいる人だ! オペちゃんのお友達? わたしもね、オペちゃんのお友達なんだよ!」

 

 そして、その考えがそのまま口から出る。ハルウララの思考は口と直通しているので、基本的に思ったことはそのまま出る。

 

「友達……って関係ではないな。俺はあいつの担当トレーナーだよ」

 

「ええっ、トレーナー!? オペちゃんの!? あっ、ほんとだほんとだ! トレーナーバッジ付けてる!」

 

 わぁすごいすごいと、何が凄いのかもよくわからないまま、"なんとなく凄そう感"だけでハルウララがはしゃいでバッジを眺める。

 彼女の無邪気な反応は悪い気がしなかったため、優希も襟を差し出してバッジを触らせてやった。ハルウララがつんつんと、目を輝かせながらバッジをつつく。

 

「君は……オペラオーの友達か?」

 

「うん! わたしね、ハルウララっていうんだー! オペちゃんはね、わたしとよく遊んでくれるんだよ!」

 

「……ハルウララ? 何で中央にいるんだ……?」

 

 ハルウララ。その名前に、優希は聞き覚えがあった。

 ハルウララといえば、言わずと知れた常敗無勝のアイドルホースである。しかし、その戦場は地方。負け続けることが話題となって高知競馬場を救うことになるはずなのだが、オペラオーと親しげということは、おそらくは中央トレセン学園にいるのだろう。

 優希は高知競バ場の経営を心配した。

 実際は、この世界でのウマ娘のレースは地方でも活気があり、優希の懸念は的外れではあるのだが。

 

「んーとね、わたしね、いっぱい走りたいなーって思ったんだー! そしたらね、みんながトゥインクル・シリーズで走るのがいいよって!」

 

「それは……」

 

 残酷なことじゃないのか、と言おうとしてやめる。

 自分が関与できるような問題ではない。そこまで責任を負えない。

 

「あっ、そうだ! 今度ね、わたし、選抜レースに出るんだ! オペちゃんのトレーナーも、よかったら見に来て! わたし、がんばっちゃうんだもんね!」

 

「……ああ、時間があったらな」

 

 彼が人情味のあるトレーナーだったなら、ここで彼女の走りを見に行き、あるいはチームでも結成して彼女のトレーナーとなっただろう。これから先、百戦を超えてなお一勝すらできない未来が待ち受けている彼女の運命を変えたいと思うのもまた、自然な情動だ。

 しかし、ハルウララは負ける馬だ。

 すなわち、彼女は負けるウマ娘だ。

 ゆえに優希は、決して乗れはしない。

 

「オペちゃんがいっぱい褒めてたんだよ、オペちゃんのトレーナーのこと!」

 

「オペラオーが? ……あいつの褒め言葉は話半分で聞くといいぞ。歌劇風に誇張と脚色がしてあるからな」

 

「でもでも、半分にしても他の人よりずっとたくさん褒めてるんだよ! きっといいトレーナーなんだなーって、わたし、ずっと思ってたの!」

 

「…………」

 

 優希の胸の奥に、ちくりとした感覚が宿る。

 優希も、トレーナーとしてオペラオーにできる限りのことはしているつもりだ。そのできる限りのことが少なかったとしても、それはおそらく他のトレーナーがオペラオーの担当になったとて変わらないほどの量。

 やるべきことはやっているのだから、罪悪感を抱く必要性など、無いはず。

 そのはず、なのだが。

 

「えーっと、確かな……しんびがん? で見きわめて〜……一緒にお散歩してくれるんだっけ?」

 

「……共に道を歩んでくれる、とか言ってたのか?」

 

「そうそう! えへへ、しっかり覚えてたよっ! えっへん!」

 

 それでも、妙な居心地の悪さは抱えたままだ。

 利用しているという意識がある。ただ乗りをしているという意識がある。

 自分のトレーナーとしての業務は全て代替的で、オペラオーが優希にもたらす唯一的な栄光に対する返礼は、何一つとしてできない。

 

 優希の視界の端で、プレッシャーに押し潰されたワンダーファングが嘔吐をし、ゲートから出てくるのが見える。次いで、彼女の発走除外のアナウンスが鳴り響いた。

 レースはウマ娘の人生を左右する。

 優希は、それに寄生している。

 ……それでも、オペラオーは勝つのだから、仕方ないではないか。例え、それが今では無くとも。未来には、確実に。

 彼女のトレーナーに限っては、誰がやったって同じことだと、優希は息を整えた。

 

 発走除外になった一名を除く、全ウマ娘がゲートに入り、今か今かとスタートの時を待つ。

 そして、ゲートは開かれる。

 決戦の火蓋が切られる音は、すぐさま人間大の少女たちが発してるとは思えぬ地響きに消されて消えた。

 轟音と歓声からの約二分間、少女たちは一時的に風となる。

 

「わーっ! 始まった始まった! オペちゃんがんばれーっ!」

 

 スタートと共に横一文字に広がったウマ娘たちは次第に形を変え、縦に拡がっていく。

 オペラオーは後ろから、前に固まったウマ娘たちを眺めつつ走っている。脚を溜めているようにも、余裕を見せているようにも見えるそのゆるりとした走りには、どこか風格すら感じられた。

 アドマイヤベガもそんなオペラオーを気にしてなのか、あるいは別の因縁からか、余裕の無い顔でしきりに後方を気にしている。

 

 レースが中盤を超え、何人かのウマ娘が仕掛け始める。歯を食いしばり、目を見開いて脚に力を入れているその中に、アドマイヤベガとナリタトップロードが並んでいた。

 しかし、コーナー。

 レースに集中できていなかったのか、アドマイヤベガがバ郡に進路を阻まれて加速ができず、沈む。

 彼女の持ち味はキレのある末脚だ。

 しかし、コーナーで大幅に減速してしまった脚にその切れ味は戻ってこない。完全にコース取りに失敗したことを理解した彼女の頭が、悔しさと共に歯を噛み潰すほどの力を顎に加える。

 

 ここで、勝利を確信したのはナリタトップロードだった。

 一番のライバルは沈んだ。

 道はある。

 脚も残っている。

 先頭のオースミブライトには、追い付ける距離だ。彼女は加速自体はしているものの、もう一杯一杯という表情をしていて、ここからナリタトップロードを突き放せるほどの体力もないだろう。

 ナリタトップロードは、絶対に差し切るとの意志を持って、力強く脚を踏み出す。

 バ場が削れ、勢い良く彼女の身体が前に飛び出した。今まででも屈指の手応えに、クラシックの冠が自身の頭へと近付くのを感じる。

 ──いける、やれる!

 そうして彼女は、全力で駆ける。

 辛くなる呼吸も、徐々に重くなる脚も、全ての苦しみを置き去りにして、自らが一番"速い"ということを証明するために──

 

「……共に歩いてなんかないさ」

 

「え、歩けないの? どこか怪我してるの? 大丈夫?」

 

 ぽつりと呟いた言葉に反応して、ハルウララが優希の方を向く。彼女の意識は、既にレースよりも優希が怪我していないかに集中していた。

 優希はそれに「大丈夫だよ」と軽く返して、レースを見ながら続ける。

 

「俺はオペラオーと共に歩いてなんかない。乗っからせてもらってんのさ」

 

「……? 肩車するの?」

 

 オペラオーが優希を肩車して走り回っているのを思い浮かべて、優希は少し苦笑する。

 この世界に馬はいない。

 騎乗するような動物だって、ラクダか象かといったところだ。お馬さんごっこだって無い。

 ゆえに、彼のイメージは伝わりづらいのだろう。相手がハルウララだからという理由だけではなく。

 

 そう、伝わらない。

 違うのだ。見ているものも、見たものも。

 共に歩く者ならば、同じ方向を向くはずだ。

 しかし、彼が見ているものは、テイエムオペラオーという馬の伝説。ウマ娘であるテイエムオペラオーが目指すものと、果たしてそれは同じかどうか。彼女が目指すものに、彼が必要かどうか。

 

「お気に入りのリュックみたいなもんなんだよ、俺は。オペラオーにとってね」

 

 テイエムオペラオーに騎乗していた、とある騎乗を揶揄する言葉を思い出して、優希はそう告げた。

 きっと必死だった彼よりも、優希はもっと代替的で、もっと乗っかっているだけなのだろう。

 

『外からテイエム!! 外からテイエム!! 外からテイエムオペラオー!!』

 

 そう、彼女は強い。

 

 大外からやって来たオペラオーが、全てのウマ娘を撫で切って、先頭へと躍り出た。

 その脅威の末脚に、圧倒的な風格に、一瞬だけ見惚れてしまったナリタトップロードの脚が、少しだけ鈍る。

 そして、そのままゴールを突き抜けていく。

 着順はテイエムオペラオーが一着。オースミブライトが二着で、ナリタトップロードは三着だった。

 二着争いの分水嶺は、彼女を見てしまったか否か。奇しくも後ろから出て来たナリタトップロードに阻まれて、オースミブライトの目にはオペラオーが映らなかった。

 そうでなかった場合にオースミブライトがオペラオーに見惚れたかどうかはともかくとして、ナリタトップロードは見惚れ、オースミブライトは見なかった。

 それが結果として現れていた。

 

「喜劇は終わった! さあ、終幕には万雷の拍手こそが相応しいよ! 拍手を、拍手を!!」

 

 笑顔で手を振りながら、オペラオーが勝利を知らしめるためにターフを緩やかに走る。

 歓声と拍手が競バ場のあちこちから響き渡り、今年の最も"速い"ウマ娘となった少女を称えた。優希の隣にいるハルウララも、はしゃいでオペラオーをすごいすごいと褒める。

 オペラオーが観客席の優希にポーズを決めると、彼もようやく、控え目に拍手をし始めたのだった。

 

 

 

 

 

 6

 

「……タイム差無しの三着。シニアと競ってこれなら、まあ悪くはないんじゃないか? お前がそれで納得するなら、だけど」

 

 かけられた言葉に、オペラオーはそんなわけが無いと自信と対抗心に満ち溢れた笑みを浮かべる。

 トレセン学園カフェテリア内にて、オペラオーと優希はつい先日行われた有マ記念の振り返りをしていた。

 

「なに、すぐにリベンジしてみせるさ。今回の有マ記念の返礼をするのなら……春の天皇賞? いいや、二人を同時に降すとなると……宝塚記念か! はーっはっはっは!! どうだいトレーナー君!! ボクが二人を倒すのに相応しい舞台じゃないか!!」

 

 オペラオーは右手でぐっと拳を握り、左手で優雅にティーカップを口に運ぶ。その動作は、以前と比べても一つ一つが明らかに洗練されている。寝る前に日課として行なっている、優雅な動作のイメージトレーニングが活きていた。

 しかし、そんな目を惹く動作よりも、優希はそのとんでもなく的外れな言葉に首を捻る。

 

「グランプリの雪辱をグランプリで晴らすボク……! その躰の輝きは、かつての有マ記念より磨き抜かれていて、見る者の目を眩まし、目がちょっとシパシパするほど! これでもう阪神競バ場は照明いらず! ナイトレースもこれで安心! はーっはっはっはっは──」

 

「スペシャルウィークは今回の有マ記念を最後にドリームトロフィー・リーグに行くぞ」

 

「え?」

 

 トゥインクル・シリーズを戦い抜き結果を残したウマ娘は、その上位シリーズであるドリームトロフィー・リーグへと駆け抜けていく。

 ドリームトロフィー・リーグに所属しているウマ娘が公的なレースで走れる機会は夏と冬の年二回。その二回の両方が、トゥインクル・シリーズとは独立した体系のレースとして行われる。

 つまり、ドリームトロフィー・リーグへと移籍したウマ娘と戦うには、自身もドリームトロフィー・リーグへと行かなくてはならないのだ。少なくとも、グランプリで戦う機会はもう二度と来ない。

 

「……いや、言ってただろ、実況の人も。これが最後だって」

 

「…………」

 

 オペラオーが停止した。

 やはり知らなかったのか、と優希が思うのと同時に、意外に思う。

 

「珍しいな。スペシャルウィークのトゥインクル・シリーズ引退試合なんて、劇的も劇的。いかにも注目が集まってるとこだろ? レース前に、前時代の覇者たちに引導を渡して世代交代がどうたらとか言って絡みに行ってもおかしくなかっただろうに……どうかしたか?」

 

「うぐぅっ!?」

 

 左胸を押さえて、わざとらしくダメージを受けている風を装うオペラオー。しっかりと紅茶の入ったカップを置いてからリアクションをしているあたり、傷は浅そうだ。

 

「くっ……流石はトレーナー君。日頃からボクの美貌をほんの一瞬でも見逃すまいと、常にボクを見ているだけのことはあるね」

 

「……ああうん、そうだな。トレーナーだしな」

 

 言いながら、それはトレーナーの業務なのかと優希は疑問に思った。

 

「皐月賞以来の話だ」

 

 オペラオーが指を一本立てて見せた後、そのその指にキスをする。特に理由は無い。

 

「皐月賞以来、ボクは一度もレースで勝てていない」

 

「……まあ、確かにそうだな」

 

「二着が二回──敗れ去るボクも美しいから構わないけれど。そして、三着が三回──好敵手が強大なほど歌劇は盛り上がるし、それを倒すボクの輝きが一層強くなるから構わないけれど」

 

「ふぅん……構わないってお前が思ってるなら、それでいいんじゃないか?」

 

 ダービーではアドマイヤベガに遅れて三着。

 京都大賞典ではツルマルツヨシに及ばず三着。

 菊花賞ではナリタトップロードに届かず二着。

 ステイヤーズステークスではペインテドブラックに敵わず二着。

 そして有マ記念ではグラスワンダーに一歩足りず三着。

 オペラオーは皐月賞以来、イマイチ勝ち切れていなかった。

 

 トゥインクル・シリーズの重賞クラスで掲示板の範囲内に入るというのはそれだけで凄いことなのだが、それはそれとして、こうも二着三着が続くと世間からは「善戦ウマ娘」として見られていく。好走はするし、強いはずなのだが、妙に勝てないウマ娘。そういった意味だ。

 クラシックの一冠を取ったウマ娘がその後徐々に沈んでいくのはよくあること。その点から見ても、オペラオーへ世間から寄せられる期待はあまり大きいものでもなかった。

 

「菊花賞が終わった後、ボクは悩んでいた──本当にこのままで良いのかと。ボクも自らの美学を曲げて、実践的で"覇王"としてのものでないトレーニングに身を費やす必要があるのではないかとね」

 

 クラシック三冠を三人で仲良く一冠ずつ分けて三強。それに関してはよくある話で、切磋琢磨できるライバルがいるという証明ではある。

 しかし、そのレース内容が問題だった。

 ダービーでは早仕掛けにスタミナが着いていかず、アドマイヤベガに差された。

 逆に菊花賞では自身のパワーを見誤り、仕掛け遅れが響いてナリタトップロードを差し切れなかった。

 どちらも、オペラオーが自身の能力を過信し、より"美しく"勝利を掴もうとした結果、敗北した。

 

 相手が強く、称えられるべきだというのは前提にしても、自分のミスも敗北の要因として大きい。

 ナルシストではあるが、自身の中に理想の"覇王"像があるオペラオーとしては、それが許せなかった。

 

「しかし、君はボクはボクのまま強くなれば良いと言ってくれた。折れず屈さず、曲がらぬ強さを持つその姿こそ、"世紀末覇王"には相応しいと」

 

「それが、どうかしたのか? まさか、有マでも負けたからやっぱり普通にトレーニングしようって?」

 

「まさか! せっかく君に押してもらった背中だ。君が見つめ焦がれるに値する力強さを保っておかないとね」

 

「だよな。俺だって本気で今更お前が自分を曲げようとしてるだなんて思ってるわけじゃない」

 

 半分くらい心配で聞いてみただけだ。

 

「ただ、その有マ記念でだけど……このボクが五番人気だったことが、少しばかり気になったんだ」

 

 ふぅ、と小さく溜息を吐いて、オペラオーはいかにも憂鬱そうに顔を作る。

 実際に彼女は誘惑な気分になってはいるのだが、演技過剰な表情筋がその内心をあまり外部に悟らせない。

 

「これは一大事だよ、トレーナー君! このボクが! 五番人気! それが意味するところは──」

 

 パン、と手を叩いて、一呼吸。

 

「──ボクがこれまで、ファンたちの期待を裏切り続けてしまったということだ! 嗚呼、すまない! ファンたちよ! 不甲斐ないボクを許してくれ!」

 

 オペラオーは額を指で押さえて、悩ましげに叫んだ。

 周囲の視線が集まり、声の主がオペラオーだとわかると視線がさっと散る。ところ構わずポーズを取って大声を出すオペラオーは、トレセン学園の日常風景だ。

 

「オペラオー。ここカフェだからもうちょいボリューム落としてくれ」

 

「嗚呼、すまない! ファンたちよ! 不甲斐ないボクを許してくれ!」

 

 オペラオーは器用にボリュームを落として叫んだ。

 注意には素直に従ってくれる。根は良い子である。

 それはそれとして次の機会があったらちゃんと大声は出す。

 世界に己の麗しき美声を届けるのも、彼女の使命の一つなのだ。

 

「それに、トレーナー君。君にもだ」

 

「俺?」

 

 上品に手のひらで指されて、優希は首を傾げる。思い当たる節が無かったからだ。

 

「何しろ、ボクに一番の期待を寄せてくれているのは君だからね。よく語ってくれるじゃないか。ボクは皇帝にも並び、そして超え、年間無敗すら可能であると」

 

「ああ、それは……」

 

 期待も何も事実だし、とは言えない。

 

「……別に、気にすることじゃないさ。お前はいずれそうなる。少なくとも俺は、それを確信してる」

 

「トレーナー君……!」

 

 感激するオペラオーの目を、優希は直視できない。ただ、オペラオーが好みそうな風に意味ありげな笑みを浮かべ、目を細めることが関の山だ。

 しかし、罪悪感も一瞬で通り過ぎる。

 オペラオーとも、その罪悪感とも、短くはない付き合いだ。二年も一緒にいれば、折り合いも付く。

 考え込むことに意味なんか無い。

 トレーナーが誰であろうと、最終的に勝者となるのはオペラオーだ。自分はそれに乗っかるために、できる限りのサポートをすれば良い。

 優希は角砂糖が三つ含まれているコーヒーを飲み干すと、オペラオーに向き合う。

 

「有マが終わって、一年が終わった。お前もいよいよシニア級だ」

 

「第二幕、ということだね」

 

「これまでが序章だったのさ」

 

「はーっはっはっはっは! 確かに、その通りだ! クラシックの舞台は大舞台だが、これからボクが"世紀末覇王"として君臨する伝説の長さに比べれば、瞬きほどの僅かな時間さ! 日本制覇編、激突世界編、全世界踏破編がこれより待っているのだから! はーっはっは! はーっはっはっはっは!!」

 

 オペラオーは高らかに笑った。

 今、彼女の脳内では高速で、日本を制し世界を超え、地球全体が"覇王"である己を称える映像が流れている。

 そして、それはいずれ現実のものとなる。確かな実感と確信を持って、オペラオーはさらに高らかに笑った。

 

「はーっはっは!」

 

「ボリュームボリューム」

 

「はーっはっは!」

 

 オペラオーは小声で高らかに笑った。

 

「トレーナー君、君が信じてくれるのなら、ボクは誰よりも速く、どこまでも駆けようじゃないか! そう、来年こそ、一度として敗北の辛酸を舐めることは無いと思っていてくれたまえ!」

 

「ああ、期待しているさ」

 

「過ぎ去れ、夜よ! 沈め、星よ! このボクという太陽が、世界に闇をも塗り潰す光を齎そうじゃないか! はーっはっはっは!」

 

 有マ記念は終わった。

 スペシャルウィークはトゥインクル・シリーズから退き、新しい時代が始まる。

 その時代の名前を、優希はよく知り、そして待ち望んでいた。

 

 世紀末が、始まる。

 

 

 

 

 7

 

 勝利とは彼女のためにあり、レースを陳腐へと変える。

 

 京都記念。阪神大賞典。宝塚記念。京都大賞典。春秋天皇賞。ジャパンカップ。

 彼女が出走したレースの掲示板の頂点は全て彼女が飾り、ウイニングライブのセンターは全て彼女が独占した。

 その年の勝利者とは彼女をおいて他には無く、彼女のいない戦場にしか他の者の栄光は飾られない。

 

 テイエムオペラオー、年間無敗の六連勝。

 

 そして、七勝目。

 無敗でのシニア中長距離G1グランドスラムが掛かった有マ記念が、始まろうとしていた。

 

 ざわざわと、鳴り止まぬ観客の騒めきに囲まれながら、優希は伝説を目撃すべくターフを見つめていた。

 既に結末は決まっている。

 テイエムオペラオーが一位に、メイショウドトウが二位。

 これまでも散々繰り返された順位が、そのままこのレースでも再生される。

 それで、オペラオーは揺るぎもしない"世紀末覇王"として君臨し、優希も彼女のトレーナーとして栄光を手にする。

 

 アナウンスが入り、出走ウマ娘たちがパドックへと入場した。

 オペラオーはいつも通り観客席にしきりに手を振り、写真映りの良いポーズを意識しながら歩く。今朝に踊り損ねて壁に激突し、鼻血を出していたウマ娘と同一人物だとは思えないほど調子が良さそうだ。

 

 そんなオペラオーとは正反対に、彼女以外のウマ娘はピリピリとした空気を隠そうともしていなかった。

 ある者はオペラオーを睨み付け、ある者は拳を強く握る。ある者は俯いたまま目を伏せ、またある者は泣きそうな目をしていた。

 自分で決めたにせよ、トレーナーの指示を受けたにせよ、彼女らはオペラオーの勝利を阻むことのみを目的に結託した。そのために、確実な自らの敗北を代償としてもだ。

 

 彼女たちは、決して弱いウマ娘ではない。

 少なくとも、グランプリである有マ記念に出走できるだけの格があるウマ娘たちだ。

 しかし、そんな彼女たちでもオペラオーには敵わない。G2、G3で勝って負けてを繰り返しているウマ娘とは、役者が違う。

 ゆえに、ここでその勢いを止めなくてはならない。

 例え勢いが止められなくとも、あんなふざけた(・・・・)ウマ娘に年間無敗のグランドスラムなど、渡すわけにはいかない。

 己の、全ウマ娘の夢の価値を、貶めるわけにはいかない。

 競技者として正しくない行為に手を染めてでも、彼女たちはオペラオーを勝たせるわけにはいかなかった。

 

「はぅ〜……」

 

 ちなみにドトウは、殺伐とした空気に怯えて縮こまっていた。

 

 険しい表情をしたウマ娘たちがゲートに入り、出走準備が整う。その中で余裕綽々の顔を引っ提げているのは、ただ一人のみ。

 高く晴れた空の下、ウマ娘たちはゴールを見据える。

 それが、レースの終着点なのか、目的の達成なのかは、それぞれだが。

 

 ゲートが一斉に開き、各々が出遅れまいと飛び出してくる。

 大歓声の中で切られたスタートに、大きく出遅れた者はいない。

 しかし、飛び出した者もいない。

 逃げウマ娘であるはずのホットシークレットがスタートに失敗して、大きな逃げを打てないまま前方が密集する。

 オペラオーは中段下。他のウマ娘の徹底的なマークを受けて、進路をブロックされていた。

 

「ははっ……人気者は辛いね!」

 

 オペラオーの心肺機能の高さもあるが、スローペースゆえに声を出す余裕がある。

 後方三番手から発せられた声に、前方のウマ娘が睨め付けるように目をやった。オペラオーはウィンクで返す。歯軋りの音が大地を揺るがす足音に掻き消された。

 だが、彼女の余裕とは裏腹に、レース展開は彼女に不利のまま続いていく。

 脚を緩めて抜け出そうとすると、横をマークしているウマ娘も速度を落とし、速度を上げてバ郡の間を縫おうとすると、前が隙間無く密集する。

 前方は前方で先頭争いを繰り広げるが、決して抜け出して縦長にするつもりがないように、位置のみを奪い合っていた。

 

 最終コーナーに突入しても、未だオペラオーは十三番手でバ郡後方。短い中山の直線では、逆転は不可能に近い。

 誰もが、オペラオーの敗北を確信した。

 そして、それは結託していたウマ娘たちも同じこと。オペラオー潰しが成ったのなら、もはや結託する意味はない。

 あとは有マ記念優勝の座へと、我先にと駆け出していく。

 それが優勝候補を潰して得た偽りの栄誉でも、誰よりも速く駆けたいと願うのはウマ娘の性であり、その証明は勝利によってのみ果たされるのだ。

 

『残り200を切った! テイエムは来ないのか!? テイエムは来ないのか!?』

 

 しかし、各ウマ娘がラストスパートのために開けた隙間が仇となる。

 

『テイエム来た! テイエム来た! テイエム来た!』

 

 僅かに開いた一人分のスペースを突き抜け、オペラオーが前へと出てくる。

 隣にはドトウ。弱々しくも、強い意志の宿った瞳でオペラオーをちらりと見て、勝負を仕掛ける。

 

『テイエム来た! テイエム来た! 抜け出すか!? メイショウドトウと! テイエム!』

 

 先頭を走っていたダイワテキサスを軽々交わして僅かに先行したオペラオーを、ドトウが追いかける。力強く大地が蹴られ、抉れた芝と土が巻き上がる。

 これはもう、二人の勝負だ。

 他のウマ娘など眼中にないかのように二人が加速して競り合い、勝利をもぎ取ろうと懸命に体を動かす。

 

 ウマ娘の豪脚が地を揺らす音も、劇的な一騎打ちに沸く観客の声も。

 彼女たちにはもはや何も聞こえない。

 ただ愚直に、隣にいる好敵手に勝ちたいと。先んじてゴールラインを越したいと、それだけを思って前へと進む。

 100メートル程度の、一ハロンもない距離だというのに、二人にはその時間は、ひどく長く感じられた。

 

 しかし、それも実際には五秒程度のこと。

 すぐにオペラオーとドトウは、ほとんど横並びになってゴール板を通り過ぎる。

 歓声が上がり、アナウンサーが吠えた。

 

 見たことがある、と優希は思った。

 オペラオーが囲まれ、抜け出し、ドトウと一騎討ちをする。

 そして掲示板には、僅差での決着を示す「ハナ」の文字。

 全て。レース展開も、そのラストも。

 それらは全て優希の記憶の中にあるものと同じだった。

 

 ただ一つ、彼の記憶と異なっていたのは、数字の在り方。

 その掲示板の頂点には、オペラオーを示す七番ではなく、メイショウドトウの十三番。

 彼の知識と逆に発光する掲示板の文字が表すのは、たった一つの現実。

 

「……………………は?」

 

 テイエムオペラオーは、有マ記念にて敗北したのだった。

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。