走る、走る、走る。
ただ、ただただ真っ直ぐに、走っていた。
視線は前に、間に合えと走る。
いつしか目の前は涙で滲んでおり、胸は締め付けられるように苦しい。
胸の苦しみは走りすぎたからか、それとも後悔のせいか。
どうしてあの時と、過去の自分を疎ましく思う。
珍しく早起きした私はトレーニングコースに一足先にやって来ていた。
これからトレーナーさんとのトレーニング、逸る気持ちに身を任せて少しだけ走ってしまおうか。
そんな欲が出てしまったのだ。
それが良くなかった。
コースにはブルボンさんがおり、周囲にはブルボンさんの練習を見る人達がいた。
たくさんの視線はブルボンさんに注がれており、そんな場所にいるのは邪魔だと思った。
そこで、練習を見ればいいのに何を思ったのか私は走ろうと思った。
立ち止まって、いられなかったのだ。
まるで急かされるように私は走りたい衝動を抱いたのだ。
「うぅ……」
帰り道は緊急の工事によって通行止めになっていた。
誘導に従って回り道をすれば、そこからは袋小路で彷徨うことになった。
親切な人の案内でやっと大きな道に出たら、今度は何度も赤信号に足止めされた。
いつしか、一人で見た空は真っ赤になっていた。
それは、トレーニングの時間がなくなってしまったことを教えてくる。
「ぐすっ……ライスのせいで……」
自分が情けなくて、涙が溢れていた。
きっとトレーナーさんは、ライスのことを呆れてしまっているだろう。
トレーニングの予定を、せっかく考えた予定を台無しにしてしまったことで失望させてしまったに違いない。
それが、たまらなく嫌だった。
「……ライス」
「ふえっ!?」
そんな私を呼ぶ声が、遠くから聞こえた。
声のした方向に振り向けば、そこにはトレーナーさんが立っていた。
トレーナーさんはどこか悲しそうな顔で、それでも無理してるように笑みを浮かべていた。
「ご……ごめんなさいっ!」
「あぁ……良いんだ、無事ならそれで大丈夫なんだ」
一瞬、何を言われてるのか分からなかった。
だから、私は反射的に声をあげる。
「だ、ダメだよぉ!だってライス、せっかく考えてもらったトレーニングを台無しにしたんだよ」
「そんなことは良いんだ」
「でも……ライス、ダメな子のままでいたくないから……一人でもがんばるから……!」
「良いんだよ、俺はライスの事をダメな子だなんて思ってないからさ。ライスが誰よりも頑張ってることを知ってるからさ」
トレーナーさんは、見上げる私を気遣ってか少しだけ屈んで目線を合わせてくる。
そして、私の目を見ながら言うのだ。
「今度こそさ、頑張るからさ」
「……!」
「一緒に頑張ろう。頑張って勝とう」
「……うんっ!」
それはトレーナーさんの決意だった。
そんな言葉を私は聞けると思ってなくて、少しでもダメじゃなくなりたくなくて、私は力強く頷いた。
「あぁ……ありがとう……」
こうして、トレーナーさんとトゥインクルシリーズに挑戦する日々が始まったのだった。
ライスに、トレーナーさんがつきました。
ダメダメなライスの手を取ってくれた、絵本のお兄様みたいな、優しい人。
どこかで会ったことがあるような、そんな親しみやすい素敵な人。
だからだろうか、ふと思っちゃったんです。
やっぱり私は青いバラになりたいなって、不幸を呼ぶダメな子じゃなくて、幸せを呼べる素敵な存在に――。
「あれ、何で……」
その頬を伝う涙の理由を、私はまだ知らなかった。
ジュニア期、メイクデビューに向けてのトレーニング。
どんなトレーニングをするのかと思ったら、トレーナーさん……ううん、お兄様は言った。
「まずはたづなさんの所でトレーニングだ、まぁ験担ぎだな」
ライスはよく分からなかったけど、何か考えがあったみたい。
次の日、また験担ぎということで今度は神社に行った。
お参りして、おみくじを引いて、大吉だったことが嬉しくて、でもお兄様はどこか冷めた目で生返事。
それが最初の違和感だった。
「ライス、次はスズカの所だ」
「はい!」
次の日から始まったトレーニングは、一つに集中するのではなく色々とローテーションして行っていた。
ライスに足りない走り込みや筋トレなどを補うトレーニングではない。
とにかく、合同のトレーニングにお兄様はこだわった。
「良いんだ、今は設備が不十分。それよりも他のウマ娘と合同訓練をすることで閃きや仲間意識が重要だからな」
「でも、ライスはもっと走ったほうがいいかなって。もっと、強くなりたいから」
「気持ちだけ受け取っておくよ」
そういったお兄様の目はやっぱり冷めたかった。
デビュー戦、ライスは先攻で走ると思ってたけどお兄様は逃げで走るように言ってきた。
ライスには向いてないけど、お兄様の絶対勝てるという言葉にしたがって逃げで走る。
走って、走って、お兄様の言う通り見事一位を取れて、でもお兄様は喜んではくれなかった。
初めてのレースで一位を取れて、すごく誇らしかった。
「誇らしいよ、次のトレーニングに進もう」
スプリングステークス、ブルボンさんも走るレース。
ライスはやっぱり一位を目指していたけど、お兄様は言った。
「本気で走らないで良い、勝てなくてもいいぞ」
「どうして……そんな事を言うの?」
「うん?あぁ、このレースはマイルだからライスは勝てなくても仕方ないんだ」
違うよお兄様、ライスはそんな事が聞きたかったんじゃない。
でも、ライスが勝てなくても仕方ないという言葉に、私は言いたいことを飲み込んだ。
そんなことはないと口では言えるから、結果で示すしかなかったからだ。
「ハァハァ……ハァハァ……」
ブルボンさんは速かった。
追いかけても、追いかけても、ライスの見る景色は変わらない。
同じ距離を維持するのが精一杯、距離を縮める事はできない。
「ライスが……ライスが、ダメな子だから……」
マイルでも一位が取れないことは、そんなに仕方ないことなの。
「お疲れ様。まだ次がある」
「無いよ!」
「ッ!?」
「あっ、ご、ごめんなさい……ライス、なんで……」
お兄様の慰めの言葉に、思わず反論してしまった。
普段と違うような言動に、自分でも驚いてしまって、合わせる顔がなくて走り去った。
次の日からお兄様との関係はギクシャクしていた。
トレーニングも水泳が多くなり、あの背中に追いつくには走らないといけないと思っても意見は酌まれなかった。
「どうして分からないんだ、今は走らなくても何とかなる!」
「分かんないよ!分かんない、分かんない!お兄様の言うとおりにしても、ブルボンさんに勝てる気がしないもん」
だからだろうか、衝突するのは必然だった。
他のウマ娘に色々と聞いて、自分なりに工夫もして、レースでうまく出来るように勉強もしていた。
でも、どうしても足の遅さが気になっていて、たづなさんもスピード不足を指摘していた。
お兄様は、たづなさんの予想は信用できないなんて酷いことを言って否定した。
もうこの頃から、お兄様はライスに期待していないんだと気づいてしまった。
そして、お兄様の口喧嘩は決定的だった。
「ブルボンに勝てなくてもいいだろ。今はレースをする時期だから」
「どうして……どうしてお兄様は、そんな事言うの……」
「うん?あぁ、ブルボンは通過点だから。今は天皇賞に向けて調整しないと」
「……天皇賞」
「メジロマックイーンには、勝たなきゃいけないからな」
それは、それはずっと先の話だ。
ライスはブルボンさんに勝ちたいのに、なんでお兄様は別の人を見るの。
どうして、今のライスを見てくれないの。
まるで、他の誰かを見ている目は誰を見ているの。
結局、答えは出ないまま菊花賞も勝てなかった。