菊花賞を終えてから、私は変な夢を見る。
きっかけは三女神の像で、走ってる誰かの姿が見えた時からだろうか。
その夢は、私がなりたかった私の夢。
『ミホノブルボン先頭だ!ライスシャワー突っ込んできた!ミホノブルボン僅かに先頭だ!』
『外からライスシャワー!抜けた、ライスシャワー先頭だ!』
『ライスシャワー、そのままゴールイン!優勝はライスシャワーだ!』
『ミホノブルボン三冠ならず、菊花賞優勝はライスシャワーです』
勝ちたかったブルボンさんに、勝てた夢。
「なんつーかちょっと残念だな」
「三冠ウマ娘誕生の瞬間を見たかったのに」
「なんでライスシャワーなんだよ、余計なことしやがって」
「ミホノブルボンが勝つところを見に来たのによぉ」
「ブルボンがセンターじゃないライブなんか見る価値ねぇよ」
でもそれはライスの想像してたみんなの喜ぶ顔はなかった。
歓声はそこになく、ざわめきと罵倒の声だけがあった。
誰もライスが勝つことなんて望んでなかった。
ライスがブルボンさん達の夢を壊して、みんな悲しんでしまう夢だった。
あぁ、勝ってもやっぱりライスは不幸にしてしまうんだ。
だからだろうか、お兄様は勝たなくてもいいと言ったのは……。
お兄様の言う通りだった。
レースの後、ライスの課題であるスピードはある日を境に解決した。
誰が見ても見違えるほどに足は早くなっていたのだ。
確かにお兄様の言うとおりにすれば強くなれていた。
前よりも早く、前よりも長く、前よりも上手く走れるようになっていた。
でも、ライスは本当に勝ちたいのか分からなくなっていた。
ライスは、誰かを幸せにしたいって思って走り始めた。
でも、もし一番になっても本当にライスは人を幸せに出来るんだろうか。
みんなの喜ぶ顔は、私の見た夢にはなかったのに……。
「ライス、ライス!」
「ふぇ!?は、はいっ……!」
「寝不足か、保健室に行こう」
「え、えっと……ごめんなさい」
そのせいか、私はよく寝不足になっていた。
お兄様は相変わらず優しくて、保健室にすぐに連れて行こうとする。
怒ることもせず、ただあるがままを受け入れて、これはこういうものだからと諦めている。
ライスは、諦められていると思ったら、自然と泣きたくなってくる。
だからだろうか、お兄様の言葉を拾って不安になった。
「これは、今回もダメかもしれないな……」
今回も、それはレースの事だろうか。
お兄様が気にしてるレースは天皇賞の春だ。
じゃあ、お兄様は既にライスの事を勝てないと見限ったんだろうか。
結局、保健室で休んでも寝不足は治らなかった。
春の天皇賞、それは少しずつだが近づいてきていた。
それはマックイーンさんの三冠が期待されていたレースだった。
「ライス、俺は次のレースで勝てないと担当を外れることになる」
「えっ?」
それは唐突な話だった。
元々、お兄様は三年間の担当契約を結んでライスのトレーナーになっていたのだという。
お兄様は始めから分かっていたと言っていた。
今回で、諦めるつもりだったとも言った。
「ライスシャワーに出会って、何ていうか救われたんだ。あぁ、もう少しだけ、あと一度だけ頑張ってみようってな。自分だけの力でやることに限界を感じていたんだ」
「ラ、ライス頑張るよ!頑張ってライスが」
「もういいんだ、まだ次がある」
もういいって何?
どうしてお兄様はそんな事言うの?
まだ次があるって、それはライスがレースで負けたときにお兄様が言う口癖だって気づいてる?
「お兄様は……ライスが勝てないって……そう思うの……」
「あぁ、どんなに足掻こうが結果は変わらない」
お兄様は目すら合わせてくれなかった。
しんどそうに胸に溜まった何かを吐き出すように吐露するだけだ。
そんな姿に、涙が溢れてくる。
あぁ、ライスのせいでお兄様は苦しんでるんだ。
ライスが、勝てないから……。
「もう後は勝っても負けても、次に活かせるんだ」
「そんなこと、無いよ……だからもう一回だけ頑張ろう」
「もう無理だ。今回は失敗だった」
「ライス頑張るから……だから、だからライスのこと……捨てないで」
「もう頑張らないで良い」
お兄様の言葉が重くのし掛ってくる。
それを跳ね除ける自信が、私にはない。
「……どうして?たった1回の失敗で――」
「――1回?馬鹿言うな……」
私の言葉にお兄様が合わせなかった目を向けてくる。
その顔は焦燥しきっていて、今にも泣き崩れそうだ。
お兄様は、声を荒げて言う。
「俺が何回!何十回失敗したと思ってる!俺には分かってるんだ、この時間の輪がどれだけ残酷な結末を用意してるか!分かっていた、分かっていたんだ……もう、疲れた」
「お兄様……」
お兄様は立ち上がって、私の横を通り過ぎる。
私はそんなお兄様に掛ける言葉が見つからなくて、ただ服の裾を掴んで引き止めるしか出来ない。
「ライス、まだ頑張れるから、だから……」
「青いバラの花言葉は不可能なんだ。ライスのなりたい物がそんな物なんて、皮肉な話だよ」
そう言って立ち去るお兄様を、ただ見続けるしか私には出来なかった。
引き止めることを、ライスは諦めてしまった。
お兄様の言う通り、ライスは勝てなかった。
ライスは勝てなかったから、お兄様はトレセン学園から去ることになった。
そして数週間後、新しい勤務先に言ったはずお兄様との連絡が途絶えた。
お兄様はライスのレースを二度と見ることは出来なくなった。
お兄様が、自殺した。
目覚まし時計が秒針を動かす音しかない何もない部屋で、録画してあった自分のレースを見ていた。
ライスが諦めなければ、ライスがあの時引き止めてていれば、もう今更なのに考えてしまう。
どこでライスは間違えたのか、どうしたら良かったのか。
これは諦めてしまったライスへの罰なのだろうか。
「これが、夢だったら良かったのに……」
いつしかそんな思いを抱いたまま、お兄様のいなくなった部屋で一人。
どれくらいの時間が経ったのかも分からない。
起きてるのか寝てるのか、ご飯も食べれなくなってから頭がまわらない。
誰かが連れ出そうとした気がするけど、暴れたらいつの間にかいなくなった気がする。
今は、何も、考えたくなかった。
夢を見る。
だって、この場所は、このレースは、春の天皇賞。
終わったはずの、終わってしまった、あのレース。
夢だと再認識させるようにありえない光景が私を驚かせる。
お兄様が生きていて、そしてキラキラした目で応援している。
夢の中の私は力強く頷いて、一番人気のマックイーンさんを見つめていた。
そして、走って……走って……追いつけなかった。
「また次がある」
また同じ場面、今度はゴールした所からスタートまで戻った。
お兄様は生きていて、でも応援はしていなかった。
どちらかというと必死に目を瞑って祈っていた。
今度の私も走っていき、そして追いつきそうになって、追いつけなかった。
「また次がある」
同じ夢が繰り返す。
何度も何度も、私が走る。
色々な工夫をして、コーナーで加速したり、直線で加速したり、深呼吸したり、色々と試している。
それでも、それでもやっぱり一番はマックイーンさんで、ライスはやっぱり勝てない。
「どうして、貴方は勝ちたいの」
誰かの声が聞こえた。
どこかで聞いたことあるような、そんな声。
声は、私に問いかけてくる。
「ライスは、勝たなくちゃいけなかった」
「どうして?」
「それは……」
それは、どうしてだろうか。
前は誰かを幸せにしてあげるためと言えたけど、本当に勝てば幸せに出来るんだろうか。
「ライスは才能がなかった。もっと努力しなきゃいけないのに、期待に答えられなかった。それに勝っても……」
「勝っても誰も喜ばないの?」
だって、ライスの勝利を願う人は誰もいないから。
ライスは勝てなかったけど、もし勝ってもきっと言われる。
ミホノブルボンの三冠が見たかった、メジロマックイーンの三連覇が見たかった。
ライスに買って欲しかったと、そう思う人は一人もいない。
「一人もいないの?本当に?」
「だって、もう……」
私の目の前にお兄様がいた。
トレーナーさんは、見上げる私を気遣ってか少しだけ屈んで目線を合わせてくる。
そして、私の目を見ながら言うのだ。
「今度こそさ、頑張るからさ……一緒に頑張ろう。頑張って勝とう」
「あぁ、そうか、そうだったんだ」
私が勝たなくちゃいけなかったのは、誰かを幸せにするためじゃない。
私が幸せにしたかったのは、知らない誰かじゃなくて私を助けてくれたお兄様だったんだ。