もう頑張らないで良い、そういった貴方に   作:nyasu

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彼女との出会いは、少し離れた駅前まで買い物に出かけたある日だった。

 

「がんばれライス……がんばれー……おー!」

 

駆け抜けていく彼女の後ろ姿が、その嫋やかな黒髪が、小柄な体型ながら強いバネを感じさせる走りが、俺の目を奪った。

一目惚れとでも言えるかもしれない、少なくとも俺はその瞬間に目を逸らすことは出来なかった。

 

「…はうっ」

「……あぅぅぅ」

「………ふぇぇ」

 

そして、そんな彼女が何度も赤信号に捕まる姿も目に残っていた。

ころころと変わる表情は困っているのだが、惹きつけてやまない魅力に満ちていた。

 

「あ、あの……すいません!」

「ん?俺?」

「は、はい。あの……ご……」

 

どこか自罰的で、自分のせいで迷惑を掛けたと謝られたこともあった。

 

「うぅ……さっきの人、こんなに遅くなっちゃって大丈夫だったかなぁ」

 

気にしてないと追いかけた先で俺のことを考える彼女を見た。

 

「ぐすっ……!なんで、なんでライスはダメな子なの……がんばろうって、決めたのに……」

 

切り株の傍で大泣きする痛ましい彼女、そんな姿に心配して声を掛けたこともあった。

ひたむきに走る彼女を支えたくてスカウトしたこともあった。

 

「ライス、がんばるね!」

 

ぎこちないながらも精一杯の笑顔を今でも覚えている。

 

「絵本だよ、一番お気に入りの『しあわせの青いバラ』っていう絵本」

 

愛おしそうに思い出の絵本を撫でながら、どうして自分が走ろうと思ったのか語る彼女を覚えている。

 

「応援してる子がね、レースに勝ったらみんなとっても幸せそうなお顔になってたの。それでね、ライスもあんなふうになりないなって。みんなを不幸にじゃなくて、みんなを幸せに出来るそんなウマ娘に」

 

デビュー戦、その直前に自信をなくした彼女を覚えている。

 

「ライスなんかレースに出ても……誰も幸せに出来ないって、わかっちゃうこと」

 

俺は、あの時なんて言ったかな。

 

「君が諦めない限り、俺も君を諦めない」

 

あぁ、そうだ。

それが俺たちの約束だった。

 

 

 

 

 

 

クラシックレース、最後の栄誉を賭けた戦い。

菊花賞、それは三冠ウマ娘になるであろうミホノブルボンに注目の集まった試合だ。

 

『逃げるミホノブルボンっ!2バ身以上のリードっ!』

『しかし、外からライスシャワーだ!ライスシャワーが猛然と上がっていくっ!』

『追い上げるライスシャワー!2バ身、1バ身、並んだ!あーっと、ここで抜けた!抜けた!先頭はライスシャワー、ライスシャワーが先頭だ!』

 

最初から最後まで逃げ続けるミホノブルボン、その呼吸を、その鼓動を、感じれる程にライスが駆ける。

そして、追い抜き、そして、走り去る、その差を開く!

 

「行け、ライスシャワー!」

『ライスシャワー先頭、今、ゴールイン!菊花賞を制したのは、ライスシャワーだぁぁぁ!』

 

俺達の夢、その最初の一歩が達成された瞬間だった。

だが、それは望まれない一歩だった。

 

「なんつーかちょっと残念だな」

「三冠ウマ娘誕生の瞬間を見たかったのに」

「なんでライスシャワーなんだよ、余計なことしやがって」

「ミホノブルボンが勝つところを見に来たのによぉ」

「ブルボンがセンターじゃないライブなんか見る価値ねぇよ」

 

何も知らない奴らの悪意が、俺達の夢を蝕んでいく。

彼女の思いも、彼女の努力も、彼女の夢も知らない奴らが踏みにじっていく。

 

「ライスはみんなに認めてほしかった……ブルボンさんに勝てばきっと認めてもらえると思ってた……だから、一生懸命頑張った!でも、誰も求めてなかった!ライスは、ヒールなんだよ」

 

違う、違うんだライス。

俺だけは、お前の努力を知っている。

お前はヒールなんかじゃない、お前は誰かの希望になれる、お前勝った瞬間、俺は嬉しかった。

お前は俺のヒーローなんだ。

そう思っていたとしても、俺は彼女に何も声を掛けられなかった。

 

 

 

 

 

 

それから彼女は負け続けた、負けて、負けて、負けて。

レースに出るたびに、誰かの悪意が彼女を傷つける。

 

「なんで勝てないんだよ」

「やっぱブルボンに勝ったのはマグレかよ」

「ライスシャワー終わってんなぁ」

「もう引退すればいいのに」

 

そして、それが引き金になった。

天皇賞(春)それはマックイーンの三冠が期待されていたレースだった。

学園から担当トレーナーの力量を疑われていた俺は担当トレーナーを外されないための起死回生の一手として一位を目標に掲げていた。

ライスシャワーと話し合い、山に籠もって練習も行った。

その練習はまるでボクサーの減量の如く、ライスシャワーから無駄を削ぎ取った。

勝てる、そうとしか思えない最高の仕上がりだった。

 

『前を行くマックイーン!ここで一気にスパートを掛けてきた!』

『速い!内からライスシャワーが食い下がる!しかしマックイーン止まらない!』

『マックイーン先頭!その差は広がっていく!ライスシャワーは届かないか!』

『先頭はメジロマックイーンだ!やりました、メジロマックイーン!見事、春の天皇賞を制しました!』

 

だが、現実は非情だった。

 

 

 

 

 

 

祝福されるメジロマックイーン、そんな彼女の横でライブを終えたライスシャワーを送り届ける。

移動するタクシーの中で、俺達は無言だった。

お互いに言いたいことはあるだろう、でも重い口は開けない。

寮に辿り着いても会話はなかった。

 

タクシーから降りて、学園へと入っていく。

無言の時間すら苦ではなかったのに、今はこの時間が息苦しい。

そんな俺に、ライスシャワーの方から話しかけてくる。

 

「お兄様、ライス負けちゃった……」

「……まだ――」

「――次がある?無いよ、だってお兄様は担当契約を解除されるんだよ」

「お、俺はそうでも!ライスには、まだ!」

「もう無理だよ……お兄様が諦めたら……ライス、もう頑張れないよ……」

 

それは、それは俺達の最初の約束だった。

 

『君が諦めない限り、俺も君を諦めない』

 

俺は、先に諦めてしまった。

そして、ライスはそのレースを最後に走れなくなった。

数週間後、新しい勤務先のテレビから流れるニュースで彼女の訃報を目にした。

死因は、自殺だった。

 

 

 

 

 

 

目覚まし時計が秒針を動かす音しかない何もない部屋で、俺はただ録画してあったライスシャワーのレースを見ていた。

俺が諦めなければ、俺があの時ああしていれば、もう今更なのに考えてしまう。

どこで俺は間違えたのか、どうしたら良かったのか。

これは諦めてしまった俺への罰なのだろうか。

 

「これが、夢だったら良かったのに……」

 

いつしかそんな思いを抱いたまま、俺は寝落ちした。

 

 

 

ジリジリと騒音が響く。

それは、セットした覚えのない目覚まし時計だ。

もうライスシャワーはいないけど、大事なレースの前にはいつもセットして早起きしていた事を思い出す。

あぁ、また彼女のことを思い出すとは俺も未練がましいな。

 

「おい、いるんだろ!クソ、ここはドアを蹴破るしか無い!」

「ん?」

 

突然、不穏なワードが聞こえた。

あぁ、あれはゴールドシップか。

アイツは、また近所で騒いでいるんだろう。

いや、待て待て待て、ここは新しい勤務先だからいるはずない。

 

「ドアと言ったな、あれは嘘だ!」

 

その時、俺の部屋の窓が割れる音を奏でながらぶっ壊された。

 

「はぁ!?」

「寝坊してんじゃね―よ!スカーレット!ウオッカ!やっておしまい!」

「お、おい!どういう、んんんん!?んんんっー!」

 

窓の外、そこにはゴルフクラブを持ってサングラスを掛けたゴールドシップが立っていた。

いやいやいや、お前何してんだ。

呆然としている俺をゴールドシップはウマ娘を使って拘束してくる。

頭から袋を被され、どこかに運ばれた。

人より身体能力の高いウマ娘の拘束は成人男性の力を持ってしても抵抗できなかった。

 

そして、俺はありえない光景を目にする。

ライスシャワーが、レース場で走っていたのだ。

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