ある日のこと。ノイズサウンドはいつもよりも遅く来て、いつもの笑顔が微妙に陰ったような状態でトレーニング場に来た。
「何かあったか?…まさか、またあの…!」
異変を感じた恐山はまたコモーノーデスが何か絡んできたのかと思い、尋ねると、ノイズサウンドは首を横に振り、否定した。
「違いますよ…いえ、違わなくはないのですが、その後が…。」
そこまで言ったノイズサウンドは嫌そうな顔をして、それ以降、口を閉ざしてしまった。余程思い出したくないのだろうと察した恐山は後ろ髪を引かれる気分だったがそれ以上触れない事にした。
「ふぅ~…、ふぅ~…。」
「カイシン!併走してくれてありがとねっ!」
カイシンはあの日以来、主に上昇志向が強いウマ娘に併走トレーニングを誘われる機会が多くなった。ただし、恐山はカイシンとの併走トレーニングに制限をつけた。
走ってもいいのは一日二人まで、距離はマイルまで、極力離しすぎない。という三つだ。
これ等はノイズサウンドで検証して分かった事で、カイシンと併走トレーニングを行う前に恐山が説明するようになったのだが、これのお陰か、カイシンが暴言を吐くことなく走れている。
「でも、カイシンも大変だよねぇ。もう一人の自分を抑えながら走ってるんでしょ?今はどんな気分なの?」
この日はトウカイテイオーが併走トレーニングの相手だった。カイシンの事情を理解している一人であるテイオーはもう一つの人格がどうしているか尋ねる。これも、恐山からの頼みで、併走トレーニングを終えたら今はどんな気分なのか教えてほしいと言われたのだ。
「うぅ~ん…何だろう?すっごいムカムカしているけど、テイオーさんだからかな…?今のところ、併走してくれた人でこうなったの、今のところテイオーさんとミホノブルボンさんとノイズサウンドさんだけなんだよねぇ…。」
「ふぅ~ん…。ミホノブルボンって、あのロボットっぽい子だよね?まだデビューしてないけど、ブルボンもいい走りをしているよね。もしかしたら、カイシンとクラシック路線で競い合うかもね。」
「そ、それまでに自分を制御出来るようになっておかないといけないけどね…。」
カイシンは苦笑いしながらテイオーの言葉を返す。既に今年のデビュー戦のシーズンは終わってしまっており、カイシンは来年までにデビューができない状況になっていた。
しかし、裏を返せばそれまでに悪癖の改善に取り組めるという事なので、カイシンはむしろチャンスだと感じているのだ。
「ところでさ、ノイズサウンドはどうしたの?なんか不機嫌そうだけど…。」
そこに、テイオーがノイズサウンドの耳に入らないようカイシンにひそひそと聞いてきた。ノイズサウンドの異変はカイシンもテイオーも察してはいたが、理由は聞けずじまいだった。
「うぅ~ん…ゴールドシップさんに絡まれたならもっと不機嫌そうだけど、あのコモーノーデスさんの事も気にも止めてないから…何だろう?」
カイシンも理由は分からず首を捻るのだった。
「はぁ…はぁ…はぁ…。」
坂路トレーニングを終えたノイズサウンドは膝に手をつき、肩で息をする。そして、トレーニングへ来るまで起こった出来事を思い出していた。
「あんたのお陰でアタシなんて言われたか分かってんの!?この悪魔め!!」
昼休み、コモーノーデスはノイズサウンドを人通りの少ない場所に連れ出し、壁に叩きつけながら問い詰めた。だが、ノイズサウンドは変わらず仮面のような笑みを浮かべるだけだ。
「さぁ、何でしょうか?」
「デビューしてないウマ娘に負ける田舎者よ…!アタシの華々しいクラシックデビューに泥付けるような事しやがって…!」
「それはごく一部の意見では?少なくともクラスメイトたちは何も…」
「黙んなさいよ!このでくの坊!」
コモーノーデスはあんたのせいでと恨み節をノイズサウンドにぶつけながら地面に投げ出す。しかし、ノイズサウンドはそれでも手を上げず、ただなすがままの状態だ。
「何なのよあんたは…!いっつもいっつもアタシの邪魔ばっかりして!なんか恨みでもあるの!?」
コモーノーデスはノイズサウンドの制服の襟首を掴み、問い詰める。だが、ノイズサウンドは不気味な笑顔でただただ、見つめ返してくるだけだ。
言い返さないノイズサウンドに、しびれを切らしたコモーノーデスは叫ぶ。
「…っこの、ヘラヘラ笑ってないでなんか言い返せよ!この親知らず!」
「では、言わせて頂きます。今、この現場を誰かが見たらどちらが悪者になりますかね?」
ノイズサウンドの言葉にハッとしたような表情になったコモーノーデスは、ノイズサウンドから乱暴に手を離すとイラついたように歯噛みをして、そのまま立ち去っていった。
(全く…、私ごときに時間を無駄にしているようでは、ね。)
一人残ったノイズサウンドはコモーノーデスの行動に呆れながらも立ち上がる。制服もよれて、土が付いたが別に気にするほどではないだろう。
(それよりも、今日はトレーニングでしたね。早速向かわなければ。)
今日の予定を思い出したノイズサウンドはトレーニング場へと向かおうとした。が、
「あら…?そこのあなた!大丈夫かしら?」
「うん?」
更衣室に向かう最中に声をかけられた。ノイズサウンドは立ち止まり振り向くと、声の主を見てすぐに無視すれば良かったと後悔した。
「制服が汚れちゃってる…転んだのかしら?」
声をかけたのはとても柔和で母性溢れる印象を持つウマ娘、スーパークリークだった。
コモーノーデスに絡まれた時に乱れた服装から心配そうに近付くスーパークリーク。
「いえいえ、特に何も。ご心配をお掛けしましたね。」
だが、ノイズサウンドは軽くあしらって立ち去ろうとした。
スーパークリークの自分のトレーナーの頭すら撫でる甘やかしっぷりはノイズサウンドも知っている。このまま話していたら、トレーニングの時間が無駄になると感じたからだ。
「こらこら。強がっちゃいけませんよ?そうやって無理しちゃって大怪我しちゃったら大変ですよ?私に話してみなさい?」
しかし、スーパークリークは引き下がらない。大勢の子供達を世話したことがあり、一時期、トレーナーが多忙で甘やかせない状況が続いた時に調子を崩してしまう事があるほどだ。
それほど世話好きのスーパークリークの目にはノイズサウンドの制服の状態から、何かあったのでは?と感じたのだ。
「…あのですね。私は今からトレーニングに行かなくちゃいけないのですよ。その時間を無駄にしたくないわけでして、貴女のご厚意はありがたいのですが気持ちだけでじゅうぶ…。」
「こぉーら!意地張らないの!」
ノイズサウンドは真正面から断ろうとした瞬間、顔中が柔らかい感触に包まれた。
スーパークリークが抱きしめてきたのだ。
「うっぷ!?あ、あの、スーパークリークさん?意地など張っていませんので離してくださいませんか?というか、この状況が嫌なのですが?」
「うふふ、そう恥ずかしがらなくても良いのよ?」
ノイズサウンドは何とか引き離そうとするも、スーパークリークの慈母のような微笑みと抱擁に力が抜けそうになった。
(こ、これは…今まで感じたことがない感覚だ…。まるで、温かな布団に包まれているかのような…。)
初めての感覚にノイズサウンドは最初こそ戸惑ったが、段々と気持ち良くなり、いつもの笑顔が段々と力が抜けたようにふやけていく。しかし、すぐに我に帰った。
(ま、まずい!このまま受け入れたら、私の何かが崩れそうになる!私が私たるのに必要なものが!)
「あの!本当に結構ですので!」
ノイズサウンドは危機感を覚え、何とかスーパークリークを引き離すとそのまま逃げ出した。
「あっ!待ちなさぁーい!」
だが、後ろからスーパークリークが自分を呼び止める声を聞こえる。
捕まればもう逃れられない。そう感じたノイズサウンドは追跡を振り切ろうと更に加速した。
こうしたやり取りがあったために、トレーニングに遅れ、少し笑顔に陰りがあったのだ。
(スーパークリーク…。今まで理由なく避けていましたが、今なら分かります…。彼女の母性は私の何かを崩してくるんだ…。それも自我を形成するために必要なものを…。)
もし、あの抱擁を抗うことなく受け入れていたら…。
悪寒を感じたノイズサウンドはそれを振り切るようにトレーニングを再開するのだった。
ノイズサウンドの秘密
背が高いのでドアによっては屈まなければいけないのが密かな悩み