TS転生悪役令嬢は、自分が転生した作品を勘違いした。 作:ソナラ
――この世界で、幸せという言葉を口にする人はいない。
まずもって、自分を幸せだと言える人はそういないだろう。この世界が幸せではないのだから、自分を幸せだと思える人間はいない。
戦姫候補の新入生、シェードもそうだ。
シェードは自分を恵まれている方だと思っているが、だからといって自分が幸せかといえば、そうではないだろうとも思う。
そもそも幸せってなんだ? やりたいことを好きなだけできること? 明日を疑わずに眠りにつけること? 親しい人と好きなだけ、言葉や想いを交わせること?
どれもそうだと思うし、どれも自分では叶わないと思う。
そもそも、この世界の人々は、他人が幸せになっていることを許せるだろうか。
許せないと口に出せるほど、他人を攻撃する余裕のある人間はそういないだろう。けれども、誰もが心のどこかで思ってるはずだ。
自分が幸せになってないのに、他人が幸せになるのは気に入らない。
そんなことを思いながら、けれどもそれを口に出すことはなく、暗黙の了解として生きていく。
それがこの世界の普通なのだと、シェードは漠然と思っていた。
彼女に出会う、その時までは。
初めて彼女を目にしたとき、彼女は幸せそうに笑っていた。壇上で、明日への希望を口にする少女は、まるで自分の幸せを疑っていなかった。
口には出さなかったけれど、それは他人に聞かれなかったからで、もし彼女は自分が幸せかと問われれば、きっと満面の笑みで幸せだと答えることだろう。
不思議なのは、そんな彼女の幸せを、気に食わないと思う人が思ったよりも少ないことだ。
流石に、攻撃的な気性の多い“院”出身の子たちは、ああいったポケポケした感じは気に入らないみたいだけど、でもあまりにもポケポケしすぎてて、向こうが全然厭味に気付かなかったりと、色々と空回りしてしまっているらしい。
あと、この間の料理は、魔導タンクからしかエネルギーを補給しない彼女たちにとっては初めてのものだったので、とても興味深そうだったけれど。
シェードだって、ちゃんとした手料理は一度しか食べたことがないし、まともな料理というのも、基本的には嗜好品だ。
魔導を使わなければ料理は作れない、だったらその魔導をもっと別のモノに使うべき、というのは当たり前の感覚だ。
例外なんて、それこそ彼女くらいのはずだ。
彼女の場合は、あの不思議なコック帽の力か、はたまた本人のスキルかは解らないが、凄まじい勢いで料理を完成させるので、むしろ美味しさや満足感を考えると、あちらのほうが効率がいいのかも知れないが。
それができるのは彼女が天才だからなわけで。
自分にはできないな――と、シェードはそう思わざるを得ないのだ。
そして、そんな不思議な隣人――ミリア・ローナフは今、なにかに悩んでいる様子だった。
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「んーーー」
身体をゆらゆらさせながら、腕を組んでミリアは悩んでいた。
そのたびに、彼女のつやつやな長い髪の毛は、あっちにいったり、こっちにいったり。戦姫は魔導機を使うと体調管理機能でお肌とかがツヤツヤになるけれど、普段から自然体のまま魔導を行使するミリアの場合は、常に体の状態が万全に整えられているのだろう。
夜、明日のことを考えて怖くなり、時折眠れなくなるシェードとしては、ミリアの才能は少しうらやましい。
ともあれ、ミリアが悩んでいるということを隠さないということは、ミリアはそのうち周囲に声をかけるということだ。
というか彼女は隠し事をしないし、できないのでそのうち誰かが気がつく。
なのでシェードは、ミリアに声をかけることにした。教師たちはミリアが悩んでいると顔を青くしてこの世の終わりのようにミリアに声をかけるというが、シェードはミリアに声をかけるのは嫌いではない。
というか、地獄へと舗装された道でしかないこの学園において、楽しみと言えるのはミリアの存在くらいではないだろうか。
「どうしたの? ミリアちゃん」
「あ、シェードちゃん!!」
ミリアはシェードに気がついて、すごい勢いで近づくと楽しげに顔を輝かせた。本で読んだ、犬という生き物はこういう存在なのだろうか、と思う。
なるほど確かに愛玩動物として飼育されるのも不思議ではない。
「シェードちゃん、ちょっとお伺いしたいことがあるのですが」
「何かな」
「何かこう、変な事件とか起きたって話は聞きませんか?」
「えっ?」
目の前にあるけど、と続けて出てきそうになった言葉をシェードは既のところで押し止める。別に言ってもいいが、どう考えても話が脱線して戻ってくるまでに下手すると一時間かかるので、ここはミリアの話を聞くことを優先する。
「学園といえば、なんかこう事件が起きるものだと思うんですよ!」
「うん初めて聞いたかな」
「そんな! じゃあ図書館で手と手がふれあって嬉し恥ずかししたり、木の上に引っかかったフランスパンを取ってくれてときめいたりとか、そういうイベントは起こらないんですか!?」
「待ってフランスパンって何」
時折ミリアは変なことを言う。いや、フランスパンは聞いたことあるような気もするが、絶対に木の上に引っかかっているものではないと思う。パンというからには食べ物のはずなのだ。
「ガーンガーンガーン、学園とは一体……ヒロインとは一体……」
「私はミリアちゃんの言ってることが一体だよ……」
「ですが!」
「まだ続くの!?」
ミリアの悩みはそれだけにとどまらないようだ。気を取り直したように、しょぼくれていた顔をいつもの顔に戻して笑う。
辛気臭い顔は、三秒以上維持できないのではないだろうか。
「しかし、イベントが起きていないということはこれから起きるということです!」
「いや、明日には初陣実習だし、起きるの解ってるよね?」
「…………」
ミリアちゃんは黙った。
「イベントはいつか起きます! ですので、今はそちらを気にする必要はないでしょう!」
「続けるんだ……」
ミリアちゃんは強かった。
「イベントではなく、重要人物を見つけるべきです!」
「重要人物かぁ……」
ミリアが何を言っているかシェードにはこれっぽっちも解らなかったが、とりあえず彼女が事件ではなく人を探すことに切り替えたのだということは解った。
しかし、ミリアがわざわざ探すような人物、というのがいまいちわからない。
シェードのイメージとして、ミリアは正直誰が誰とか、気にしないものだと思っていた。これは良い意味で。たとえ自分が嫌われていても、自分も相手も楽しめると思ったら、彼女は構わず自分のペースに引き込んでくる。
そんな少女だ、ミリアは。
「どんな子を探してるの?」
「はい、まずはどこか他人とは違う雰囲気をしています!」
ミリアちゃんかな? シェードは思った。
「次に、他人とは違う才能を持っています!」
ミリアちゃんかも? シェードは思った。
「そして、特定の人物からは嫌われますが、特定の人物からはそれはもうすごい勢いで溺愛されます!」
ミリアちゃんだよね? シェードは思った。
「最終的には、学園の代表になるくらいのカリスマ性と、魅力を秘めています!」
ミリアちゃんだよなぁ、シェードは思った。
そして、
「でもって、地味めな美少女です!」
「うん、これっぽっちも知らないな、ごめんね」
即答だった。
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「なんですかなんですか!! ちょっとくらい真剣に考えてくれてもいいじゃないですかー!」
「ごめんごめん」
――一息すら入れないほどの即答で、ミリアはむくれた。
それはもうすごい勢いでむくれて、今はポカポカとシェードを叩いている。シェードはおかしくなってしまって、笑いながらそれに謝っているが、よけいにミリアはむくれるばかりだ。
「もう、もう、もう!」
ああ、楽しい。
ミリアと話をしていると、いつもこんなことばかりだ。
何もかもが新鮮な体験、自分は幸せなのではないかと、そう思ってしまうほどに、ミリアにはそれだけの力があった。
だから、少しだけ思ってしまう。こんな日々が、もっともっと続けばいいのに、もっとミリアと、一緒にいることができればいいのに、
「シェードちゃんはたまに酷いです! 私にそんなに意地悪がしたいんですか!?」
「そ、そういうわけじゃないんだけど……」
こうしているのが楽しい、というのは、どうしても否定できない――肯定するしか無い事実だった。
「私はシェードちゃんのことを
そうやって、話をしていて、ふと。
シェードは気になった。それまで、時折彼女はその言葉を使ってきたけれど、ソレを問いかけるタイミングが今までなかったが、今ならば聞けるだろう。
そんな状況で、ポツリと、
「そういえば、ミリアちゃん」
「なんですか?」
シェードは、
「ねぇ、――――
「――――え」
ずっと疑問だったのだ。
トモダチ、トモダチ、とミリアは口にするけれど、そもそもトモダチというのはなんだろう。初めて聞く言葉だ。これでもシェードは本はそこそこ読んだことがあるけれど、そんな言葉聞いたこともない。
ミリアは、それはもうすごい顔で停止している。そんなに驚くことだろうか、
「同じクラスの人にも、先生に聞いても、
「…………」
ミリアちゃんは答えなかった。
答えがなかった、のだろうか、ミリアちゃんにしては珍しい。彼女の場合、行動には必ず意味がある。それを理解できるかどうかはともかくとして、
ミリアちゃんが意味のないことを言うなんて、シェードにとっては初めてのことだ。
だから――
シェードは少し、不安になった。
もしかして自分は、引いてはいけない引き金を引いてしまったのではないかと。
「……あ、えっと」
「…………」
何かを考えている様子のミリアに、シェードは声をかける。
このままにするのは、まずい。怖い。そう思ったから。
「ミ、ミリアちゃん!」
「わう!」
「実習、明日だよ! ……そういえばなんだけど、お弁当作るって言ってたけど、作らなくていいの? ――もう、夜なんだけど」
「…………あっ!」
ミリアの意識が別のものにそれた。
こうなったら、彼女はそちらに一目散だ。
だから、この話はここでおしまい、そのことをシェードはよく知っていた。
「いいいい、今すぐ準備です! 八人分……いやさ教師の先生の分を含めると、九つ! 今から準備しないと間に合いません!!」
「え、そんなに!?」
「一人だけだと不公平でーす!!」
アタリマエのこと、と言わんばかりのミリアに、シェードは思わず問い返してしまったが、ともあれ。
ミリアは急ぎ足でキッチン――に彼女が改造した一角――へと向かう。
シェードは、そのことに。
――心のどこかで、ホッとしていた。
それが、全ての間違いであると気付かずに。
このとき、もしもミリアの言葉に踏み込んでいたら、シェードはあんな想いをしなくて済んだのに。
――――初陣実習は、明日。
地獄は、すぐそこで手ぐすねを引いている。