TS転生悪役令嬢は、自分が転生した作品を勘違いした。 作:ソナラ
――シェードは、戦姫の中では恵まれている方だった。
戦姫は親に愛されない。死ぬと解っている子供を愛せるほど、人は生活に余裕がない。心に余裕がない。第一、戦姫もそれを望まない。
親を悲しませたという記憶は、戦姫には余計な柵だ。
だから、戦姫は親を愛さない。親は戦姫を愛さない。
そんな中で、ときに戦姫を愛してしまう親もいる。シェードの母親もそうだった。生まれてきた子供を祝福し、すくすくと育ってほしい、と彼女はシェードに名前をつけた。
シェードというのは、彼女の一族で最も長く生きたという女性の名前、シェードもまた、健康で長生きしてほしいという願いでもってその名を与えられた。
そして、直後の検診で体内のオドが検出された。
戦姫になるためには、オドが必要で、それを有するのは一部の女性だけ。遺伝などは関係なく、突然変異的に出現する。意図してオドを有している子を作ることはできるが、莫大なコストがかかるため、血統が保証されている“姓持ち”の家系にしかそれは許されない。
もっと言えば、人生をすべて戦姫に捧げる覚悟のできた家族にしか、それは許されない。
――シェードの母親は、それができなかった。
彼女はシェードからオドが検出されたとき、シェードを離そうとしなくなった。オドの検出された戦姫候補は必ず魔導学園アルテミスに入学する。
そうすれば、どうあっても戦姫は戦場の中で死ぬ。
シェードの母にはそれが我慢ならず――しかし、父親によって引き剥がされた。
結果、シェードは生まれてから、一度しか母の顔を見たことはない。
そしてその一度は、入学式の前夜。
――今生の別れでしか、シェードは母との面会を許されなかった。
この世界で、もっとも恵まれている部類に入る、ありふれた戦姫の生い立ちだった。
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「なんで!?」
走る。
「なんでなんで、なんで!!」
走る、走る。
シェードは戦姫の脚力を利用し、駆けていた。
彼女の遠く後方には、黒に染まった怪物たちの大行進。今はまだ自分に気づいてはいないが、少しずつ追いつかれつつある。というよりも、シェードが誘導するために同じ方向に走っているのだ。
万が一でも、街やミリアたちの方向に逸れたら、即座に反転して宿痾に特攻を仕掛ける。それが戦姫のこの場における最善である。
もしかしたら、このまま街からも、仲間たちからも離れたら、自分はここを離脱して、生き残れるかもしれない。
そんな希望を持ちつつも、しかし終わってしまった命は、嘆きながらただ走る。
「どうしてこんなところに、宿痾がいるの!!」
いるはずのない――とは、口が裂けても言えない。
シェードたちがやってきたのは、宿痾の発生する可能性のある場所で、場合によってはシェードは直接宿痾と対峙することになっていたはずだ。
流石に、撃退はローゼかミリアがやっていただろうが。
しかしそれは、宿痾が一体や二体――せいぜい十体未満だった場合の話だ。基本的に、宿痾は群れる数でその脅威度が決まるが――一体や二体の「はぐれ」と呼ばれる階級ならば、教師としての練度を持つ戦姫なら悠々と片付けられる。
だがそれが、数百や数千という数になったら。
「レギオン」。そう呼ばれるクラスの宿痾部隊が、今、シェードが逃げている宿痾の群れの通称だ。
このクラスの宿痾は、エースと呼ばれるカンナのような天才戦姫を中心とした部隊に、更に幾つかの部隊が共同であたって、勝率は三割というくらいの規模だ。
悲しいかな、シェードたちではそもそも戦闘を挑むということすら、とち狂った選択であった。
そして、それが今――
「やだ、やだやだやだ!」
シェードに、追いつこうとしていた。
幸い、ミリアたちからは大分距離をとった。逆に言えば助けはないということだが、構わない。役目は果たしていると言えるだろう。
だから、シェードには何一つ落ち度はない。
むしろ初陣演習で、ここまで教科書どおりに戦姫としての行動が取れるなら、彼女はそれだけ優秀ということだ。
一つだけ、彼女にとって落ち度があるとすれば――
「まだ、死にたくない!!」
――覚悟ができていない、という致命的な心の問題だけだった。
そもそも初陣で心の準備が出来ている方が異常なのだ。
ヘタに錯乱して、仲間を巻き込んでしまうことを思えば、シェードだって天才といえる部類の逸材だろう。仮にも、ミリアの部隊でミリアの親友として実質的にナンバーツーを努めているだけのことはある。
それでも、無理なものは無理だ。
死への覚悟とは、一朝一夕で身につくものではない。一年、下級生として学園に通う中で少しずつ見に付けていくものだ。
二年生にもなれば、かならず部隊に誰かしらの損耗が出る。八人のうち、五人も生き残っていればその部隊は優秀だ。そして、その頃には、死という終への恐怖は、麻痺しているのが普通。
だからこそ、残酷なことに。
――シェードは、その覚悟ができない少数の側に、回されてしまったということだ。
「やだ、やだよ!! ミリアちゃんにおやすみも言ってない!! アツミにゴメンも言ってない! 皆にありがとうも言ってない! なのに死ぬなんてヤダ!!」
叫ぶ、宿痾たちはそれに気がつくだろうか。
そろそろ、気がついてもおかしくはないはずだ、けど、構わずシェードは叫ぶ。もう彼女には、それしか救いは許されないのだから。
「ミリアちゃんの料理、もっと食べたかった! 皆ともっと仲良くなりたかった! アツミたちとだって、ちゃんと話し合ってチームとしてまとまりたかった!!」
叫ぶ。
「あのカンナ先生から学べるって知って、嬉しかった! なのにほとんど質問もできなかった! 何も学べなかった! ローゼ先生は噂通りの人で、ミリアちゃんの言ってることを理解できるくらいの天才だった! なのに何も聞けなかった!!」
叫ぶ。
「ミリアちゃんともっと仲良くなりたかった! ミリアちゃんなら、きっと世界を救ってくれるって! そんな希望を夢見たかった!!」
叫び――
「ミリアちゃんが世界を救うところを、隣で見たかった!!」
――ふと、シェードの視界が反転した。
足元に浮遊感。何かが、シェードの足元からこそげ落ちた。地面がえぐられたのだということは、派手に転んで、地面を滑って――起き上がってから気がついた。
シェードが足を滑らせたその場所に、宿痾が居た。
「あ――」
終わりだ。
シェードは、いつのまにか追いつかれていた。
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音が、した。
音、何かをさえずるような音。
宿痾の独特な囁き声。
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「あ――」
無数の、十や二十では足りない量の、絶望がシェードの眼の前に鎮座していた。
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「――私はね、愛の結晶がほしかったの。愛した証がほしかった」
「証?」
「そう、私とあの人が愛し合った、っていう証明。私達、意外かもしれないけどお互いに愛し合って結婚したのよ?」
「それは、珍しいですねお母様」
――夜、暗闇が染み渡る部屋の中、カンテラの明かりだけを頼りに、シェードは自分を二周りも大きくしたような女性と話をしていた。
女性は、持ち込んだ道具を使って何かを作っている。
「そうね。今の時代、子を残すということは人類の義務。本部が決められた相手と結婚するのが、大多数の人間の結婚なんでしょうね」
「私は……どうでしょう」
「貴方はいいのよ、戦姫なんだから。誰を好きになってもいいし、一人で子供を生んでもいい。私達はそうじゃないけれど、貴方は選ぶ自由があるわ」
「……生きていられれば、ですけれど」
そう言うと、女性は困ったように黙ってしまった。
シェードはそれに、申し訳無さそうに頭を下げると、女性は構わないと返す。
「生きていれば、きっと貴方にも見つかるわ。そういう大切な人が、きっとね」
「お母様は――」
その時のことを、シェードは今でも後悔している。
この会話は、最後の晩餐だ。親が子にできる、唯一の愛情表現。愛していたと語ることの許される場所、だからここを、戦姫は最後の思い出にしなくてはいけない。
だから、シェードは後悔している。
踏み込むべきではなかったと。
「お父様の、どこが好きになったんですか?」
この思い出が、思い出のままにしておけるように。
シェードは、そのことを言うべきではなかったのだ。
――その時母親は、とても壮絶な顔をしていた。幸福と、絶望と、好きと、嫌いと、愛情と、憎悪。それら全てを一つに混ぜた、そんな顔をしていた。
知らなければよかった、こんな感情。
シェードは人生で初めて食べた手料理を――母の最期の愛情の味を、思い出せなくなってしまった。
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目の前に、死が迫る。
口から出てきた後悔は、全て希望に満ちた後悔だった。
明日があると信じたがゆえの後悔だった。
けれど――
「――――知らなければよかった」
ここからは、違う。
「ミリアちゃんなんて、希望」
明日を失ったがゆえの、絶望。
ソレ故の後悔だった。
「ミリアちゃんが笑っている間、どれだけの人が死んでいるだろう。どれだけの戦姫が犠牲になっているだろう。ミリアちゃんは世界を救えるとしても、大切な人は守れない。それを私が証明してしまう」
知らなければよかった。
「だったらミリアちゃんと、私は出会うべきじゃなかったんだ」
――大好きなんて気持ち。
生きていれば、きっと見つかる大切な人。
自分にとってそれが誰かなんて、語るまでもないことだ。
でも自分はもう生きられない。
だから、自分は彼女の一番大切な人にはなれないだろう。
彼女はきっとこれからも生きていく、多くの人を失いながら、ソレ以上の人の希望になって。
だから、シェードは、
宿痾が迫る。
死が、目の前にある。
――シェードはもう、助からない。
「もっと話をしておくべきだった! もっと知っておくべきだった! ミリアちゃんのこと!!」
そうすれば――
「そうすれば、こんな想いはしなくても済んだのに!!」
――もっと知りたかったなんて、思わなくても済んだのに。
あのとき、もっとミリアに踏み込んでいれば、
自分はこんなふうには、ならなかったかもしれないのに。
ああ、だから――
「――ごめんね、ミリアちゃん。私、貴方のことが大好きだよ」
私の側には、大好きな人がいました。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
直後、凄まじい勢いで回転しながら頭から降ってきたミリアが、迫る宿痾の頭と激突し、宿痾の身体を粉砕した。
本人には傷一つついていなかった。