「シンジ君、3ヶ月後に転勤だから」
夕食の席で唐突にそう告げられたシンジは、危うく瓦そばを喉に詰まらせるところだった。
「は、転勤?どこへ?」
「ミクロネシア」
マリの口調は、隣の課に異動になったよ、ぐらいのものだ。
「奄美大島?」
「奄美大島じゃない。ミクロネシア。外国だよ」
「ミクロネシアって……どこ?」
「シンジくーん。もっと地図帳を読んだ方がいいよ。ミクロネシアはフィリピンのずっと東にある国だよ。日本から行ったら、グアムのもう少し先、と言えば分かるかな」
いやいや、地図帳なんて読んで楽しいのはマリさんだけだよ。確かに、ネオンジェネシスでいろいろと「戻った」地球の姿を知った時はシンジも感動したものだったが、シンジにとって世界はそれっきりの価値しかないものだった。
「それ……本気?」
「冗談で言ったつもりはないけど」
「いや、だってマリさんの会社、そんなところに事業所ないでしょ。それにマリさんは研究職だって」
「それがあるんだにゃー。私の会社、知ってるでしょ?」
「もちろん。北崎重工って言ったら、三菱やIHIに匹敵する航空系製造業の最大手で……」
「そゆこと。私は簡単に言うとそのロボット部門にいるんだけど、今度からJAXAとか防衛省とか……おっと守秘義務だから今のは忘れて……宇宙服の開発をやることになったんで、北崎からも人を出すことになったんだにゃ。共同開発ってことよ。で、その開発をやる所が国連直属の開発研究専用大型人工島ってことなのよん」
国連直属の人工島ねぇ……ネルフという国連直属の組織が今までの人生、そのほとんど全てだったシンジとしては言いたいことの一つもあったが黙っていることにした。目の前の女性はそれ以上に人生をネルフに費やしているはずだったからだ。エヴァの呪縛から解放されたはずなのに、ロボットで宇宙って……本当に呪縛はないのだろうか。
「で、その場所がミクロネシアって所なのよん。正確に言うとチューク諸島という島の集合体の中に、すっごく大きなメガフロート施設を作ったんだって」
「へー」
「あれ?わんこ君は興味ない?」
「い、いや。海外に引っ越すなんて考えたこともなかったし……」
幸いかどうか分からないけど二人とも天涯孤独の身で、親族に気を使う必要はないけど、見たことも聞いたこともない国にいきなり引っ越しをするなど、それだけでシンジの頭の中はオーバーフローしてしまうのだった。手紙一通で新第三東京市に呼び出された時の方がまだマシとすら言えた。
「シンジ君、パスポートは新婚旅行の時に作らなかったっけ」
「そりゃイギリス旅行の時に作ったけど……じゃなくて!言葉とかどうするの?僕はほとんど英語喋れないのに」
「別に喋れなくたって問題ないよ」
「へ?」
「引越し先は日本企業の社員の居住区だから、英語なんて使うことないよ。まぁ、喋れればいろいろ便利だけどさ」
「……それはそうと、僕の会社はどうするのさ?ミクロネシアに支店なんてないよ!」
残念ながら、シンジの職場はありふれた飲料会社のありふれた総務職である。海外はおろか県外にも拠点はあったかどうか。
「うーん。大変心苦しいのですが、辞めてもらうしかないですねー」
マリの言葉はどこまで行っても明朗快活、悩みを探すのに苦労するほどだ。
「辞めて生活どうするのさ!」
「シンジ君、転職先探していなかったっけ?まぁ、南の島でだって仕事は探せば見つかると思うし、この際、永久就職に切り替える?」
「永久……就職……どこに?」
回答など分かりきっていることだが、敢えて知らないふりをする。二人の経済的な力関係を認めることに、気恥ずかしさがあるからだった。
「私に決まってるじゃん。今度の職場だと、家賃はかからないし、遠隔地手当ががっぽり入るから、シンジ君には家で家事やって子供の世話してくれるだけでも十分やってけるよ。何年かして日本に戻ったら、キャッシュで家が買えるかもよ」
「子供なんていないじゃん」
「いずれそうなるんだから先に言っただけだよ。第一、シンジ君には何があってもついてきてもらうつもりだから」
「……どうして?」
「人類補完計画はゲンドウ君だけで懲り懲りだにゃ。君を一人ににはしておけないよ」
そう言われてはシンジに返す言葉はなかった。
マリの就職先を北崎にするかサカタインダストリィにするか一瞬迷いました。
後者だったら舞台はハフマン島だったでしょうけど。