遥かなるヴンダー   作:ブッカーP

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「真の愛にハッピーエンドはない。なぜなら真の愛に終わりはないからだ。」―アレクサンドロス大王


JSP-03 (2)

 JSP-03を白い十字に例えるなら、居住地区は主にその中心部、二つの線が交差する所にあり、四方に伸びる線の中央部が会社のあるところ、先端部が港湾施設だとか企業の実験場とか倉庫とか、そういう施設になる。だから、人々は寄り集まって寝起きし、朝になると四方に散る、夜になると中央に寄り集まる、というルーティーンを繰り返すことになる。もちろん、そのためにモノレール、バスといった公共交通機関も十分用意されている。

 

 マリもその例外ではなく、自宅のすぐ近くにあるモノレールの駅から北崎の研究所に向かっていた。行きたい方角ごとに路線があって(E、W、S、Nとまるで遊園地みたいだとマリは思った)中央から行く分には、乗り換えというものは存在しない。行き先さえ間違えなければ、何とも便利だった。

 問題は、その「行き先」が何とも分かりにくいことだった。JSP-03では、地名とはこれすなわちメガフロートのブロックにつけられたコード番号であり、東西南北でEWSN(それと中心部のC)、それに数字がついたE-XXという数字列で表される。まるでJRのコード番号みたいで慣れないと覚えにくいんじゃないかとマリは思ったが、現地住民がどう思っているかはマリにはまだ分からない。

 

 待ち合わせ場所は、E-13駅の改札ということになっていた。改札と言っても、JSP-03では顔認証で行動が把握されるから切符のチェックという概念は存在しない。移動した分、料金が銀行口座から引き落とされるだけである。ここでの改札は、事故とかの都合で立ち入りを禁止する時だけ、その機能を発揮するのだった。

 

 駅の入り口近くに一人の若い男がきょろきょろとこちらを眺め回している。マリを認識したのか大きく手を振ってきた。マリもそれに気づいて駆け寄る。

「碇さん、ですね」

「どうもこんにちは。迎えに来てくれてありがとう」

「こんにちは。こうして直で顔を合わせるのは今日が初めてですか」

「そうだねぇ。今までオンラインでは何度も見てきたから、初めてというのも違和感あるけどねぇ。島村カズト君」

「そうですね」

 島村カズトと呼ばれた青年は、マリを案内してN-13駅の出口から階段で地上に降りた。髪をオールバックにして黒縁の眼鏡を掛けている彼を改めて見ると、振る舞いのどこかにシンジを感じるものがあるなぁとマリは思った。まぁ、あれぐらいの「見込みがある」男なら大体そうかもしれないけど。

「オンラインじゃ分からなかったけど、背、高いんだねぇ」

「そうですか?177ですけど」

「十分高いじゃん」

「そりゃどうも。ではこちらへ。車を用意してありますから」

 

 駅前に停めてあった軽自動車に、カズトと共にマリは乗り込んだ。

 車は自動運転だった。JSP-03では、自動運転対象の区画では、特段の事情がない限り人が運転することはできないらしい。ここで人が運転するのは贅沢の部類だ、カズトはそう言い切った。

「自動運転で心配にならないの?」

「慣れの問題ですね。長くても一か月ぐらいでみんな慣れてしまいます。まぁ、徹夜仕事で帰りに事故の心配をしなくて住むのは有難いですよ。配車サービスなんかよりよっぽど安心できます」

 

 ハンドルがひとりでにくるくると回る様をマリは不思議そうに見つめた。新型だとハンドルやアクセルはカバーにしまわれて見えないようになってますよ、とカズトは言った。運転席に座っているカズトは、外を見ようともせずにあちこちに電話をかけている。

 

 10分ほどして車は北崎重工JSP-03先端研究所、その正門入り口に到着した。

 

 写真では見ていたが、実際に目にする北崎重工業JSP-03先端研究所の威容には圧倒されるばかりである。3キロ四方のブロックを丸々研究所として使っているのだから、規模としては日本国内のどんな研究施設よりも大きいはずである。建物自体は5階建のどうということはないビルだったが大きさだけでお腹いっぱい、という感じであった。カズトとマリは入り口のゲートで認証を済ませると、車のまま研究所の構内に入った。

 

「研究所の棟ごとに駐車場はありますが、台数が限られています。いつもは正門から送迎バスを使うか、アプリで送迎カートを呼び出してください」

「正門から歩いていってもいいのかい?」

「炎天下の中でランニングしたければお任せしますよ。ただ、熱中症には気をつけてくださいよ」

「じゃ、やめとくか」

 

 程なくして車は目的地、先端研究所C棟の駐車場にたどり着いた。車を降りると、車の方は自動的に走り去っていく。社用車の駐車場に移動するのだそうだ。

 

「ひゃー」

 C棟の構内に入ったマリは、思わず感嘆の声を漏らして固まってしまった。

 宇宙服の開発のためには、宇宙環境の再現が必要であり、宇宙環境の再現のためには特殊水槽の中に宇宙環境と同じ設備を設置するのが手っ取り早い。宇宙空間で実験をするわけにはいかないからだ。

 こと宇宙開発について、水槽は伝統的かつ一般的なオブジェクトだったが、C棟に設置されているそれは規模が違いすぎた。体育館の50mプールをさらに拡大したような水槽が目の前にあり、水槽の深さは5メートル以上もあろうか。もちろん、周囲から中を見ることができるように、特殊ガラス製である。

 

「間仕切りしてありますから、水泳はできませんよ。横50メートル、縦20メートルのうち、こちら側20メートル四方がウチのテリトリーです。向こうは、来月のミッションのための訓練施設になってますよ」

「来月?例の宇宙ステーション増設工事のこと?」

「そうですよ。宇宙往還機はウチが出しますからね。訓練施設もウチのところでやってます。発射から宇宙空間作業まで全部ウチでやるのは今回が初めてで、気合入ってますよ」

 カズトは嬉しそうに言った。宇宙開発のために、わざわざ日本から数千キロ離れたところまでやって来るのは、大なり小なり宇宙に魅せられているから、というのが世間の見立てなのだが、カズトはその典型例らしかった。

 

「それだけじゃないんです」

 カズトの話は止まらない。

「これと同じ水槽がD棟にもあります。あちらは……まだ公開情報ではないですが、ヴンダープロジェクト用の実験施設として使われていてですね」

「ヴンダープロジェクト?EUの?」

「ですね。ま、ここだけの話にしておいてください。これは」

 カズトはまだ話し足りない感じであったが、胸に入れてある端末が鳴り出した。何事か話して、マリの方に振り向く。

「課長の会議が終わりました。うちの課のみんなが会議室に集まっているそうです。行きましょう」

 

 水槽のブロック、そのすぐ横が事務スペースになっていた。こちらは、どこにでもある会社の風景と変わらない。違うのは、男女共にベージュを基本としたブルゾンとパンツを着用していることだった。日本のものと変わらない、北崎重工の制服だった。おかげで、夏用スーツ姿のマリはひどく浮き上がっていた。

 

 カズトに課長と呼ばれた人は、デスクから立ち上がり手を差し出してきた。背は低く、マリの方が多分高いのだが、体つきはがっしりしているのが分かった。エネルギッシュを人型にしたような感じ、マリはそう思った。

「君が碇君か。課長の児玉だ。君の評判は聞いている。期待しているよ」

 マリは児玉ヒロシーー首から提げた社員証にはそう書いてあったーーから差し出された手を握ろうとして、逆に握り返された。痛い。素の握力はかなりのものらしかった。

「ああ、痛かったらこれは失礼。ついいつもの癖でね。娑婆の力加減……おっと今のは忘れてくれ」

 

 児玉はそう言うと、事務スペースの机に居る面々にマリを紹介して回った。大抵は事務的な自己紹介で終わったが、怪訝そうな顔をしてマリを見つめる人が多いことに気が付いた。宇宙服開発主任が女性だとは思っていなかったんだろうさ、児玉はそう言った。

 

 仕事で関係する設計官や事務員、医師等に挨拶して周り、最後に来たところは相手が不在だった。 

 穂積君はどこかね、児玉は先ほど自己紹介をした社員に聞く。あー、ミッションが押していたみたいですけど、そろそろ戻るはずですよ、という答えがあった。同じタイミングで、奥の扉が開いた。

「あ、すいません!遅れました」

 一人の女性が駆けてくる。小柄で、短髪で栗色の髪、顔立ちは幼く、見ようによっては中学生か高校生が紛れ込んでると見えなくもない(もちろんそうではないんだろうけど)。でも顔立ちは誰もが好意を持つようにできている。

「お、丁度いい。穂積君、こちらは新しく配属になった碇君だ」

「碇マリです。よろしくお願いします」

 マリは頭を下げた。穂積と呼ばれた女性はマリを眺めてぽかんとしている。どうやら、彼女も新しく配属されるのは男と思い込んでいたらしい。

「え、あ……穂積アヤノです。よろしくお願いします」

 アヤノは思い切り頭を下げた。マリはそんなアヤノを眺めていたが、ふと何かを思い出すものがあった。

「……どうしたんですか?」

「え、あ、いやー、ちょっと知り合いに似ていたもので。まぁ、これから、よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします。あ、では課長。EVAU(イーバウ)のセットアップに戻りますね」

 そう言うなり、アヤノは慌てて事務スペースから駆けだしていった。課長の返答には興味がないようだった。児玉はアヤノが出ていったドアの方を一瞥した。

「……済まんね。目の前に、そのEVAUの担当官が居るというのに」

「いえ、いいんですよ。彼女が新型EVAUのオペレーターですか?」

「そうだよ。君の三か月前に配属になったばかりの新人さ。外見が良くてエネルギッシュなのは有難いが、まぁ、大学出てすぐの時はあんなものか。多分、君と付き合いが長くなると思う」

「でしょうね」

 マリは彼女が出ていったドアの方を見つめたままだった。

 

 

 

「あー、今回、JSP-03先端研究所宇宙服開発第一課に配属となりました、碇マリでーす!よろしくおねがいしまーす!趣味は読書とダイビングと旦那さんデース!(ウケ狙いのつもりが完全にスルーされた)よろしくぅ!!」

 

 その夜行われたマリの歓迎会は、中央区にあるどうということもないチェーンの居酒屋で行われた。歓迎会と言いつつも事実上は普通の飲み会で、マリが席ごとに頭を下げて挨拶した以外は、各々テーブルで飲み食いしながらあれこれ話をしていた。

 

 席に戻ったマリは、課員のリストを頭に思い浮かべながら、何か忘れていないかをチェックしていた。

「あ、そうだー。カズト君」

「何です?」

「そういえば穂積さんはどこに居るんだっけ」

 課員のうち、穂積アヤノに挨拶していないことを思い出したのだった。

 

「あー。穂積さんはベジタリアンで、お酒も飲めないからこういう場にはあまり来ないんですよね」

「ああー。そうなんだ」

 

 マリはうなずいて、目の前に運ばれてきた刺身盛りに箸を伸ばした。こんなに美味しいのに実に勿体ない。そういえばシンジも、最初お刺身を気味悪がっていたことをマリは思い出した。無理もない。あちらの世界では、海産物なるものは存在しなかったのだ。

 もっとも、シンジが魚の味を覚えるまで一月もかからなかったのだけど。

 

「酒に対してまさに歌うべし。人生幾何ぞ、例えば朝露の如し……ドライ派(アルコールが飲めない人)はもったいないにゃ。うわばみのように飲むのも、それはそれで風情はないけど」

 

「短歌行、曹操かね」

 

 そう言われてマリが振り向くと、児玉が立っていた。焼酎のロックを持って立っている。

 

「あらー。分かりますか」

「そりゃそうだ。有名だからな」

「有名だって言ってくれた人、児玉さんが初めてですよぅ」

「漢詩か三国志に興味があれば、かな。知り合いに君と似たような人が居てね。仕事の偉いさんさ」

「うちの会社ですか?」

「いや。お役所の方だ。碇くんとは関わり合いにならないと思うが」

「ふーん」

「それはさておき、折角JSP-03まで来たんだ。仕事の活躍を期待しているよ。新型EVAUのテストは来週から本格的に始まる。あと、体調に気をつけてな。南洋ボケとかあるから」

「あ、それは座学で聞きました」

「そうか。なら、碇君の赴任とこれからの活躍を祈って」

「「「乾杯!」」」

 

 

 

「どうしたのマリさん。そんなに酔っぱらって」

「うーん。今日はペースを上げすぎたにゃ。久々に」

 歓迎会から帰宅するなりマリは玄関で倒れこんでしまった。慌ててシンジが駆け寄ってくる。

「そんな所で倒れていないで、せめてソファーに座ってよ。お水も持ってくるから」

「ついでに〇ャベジンも頼むにゃー」

「わかったわかった。で、どう?仕事はやっていけそう?」

「どうかにゃー。それはおいおい分かるんじゃないかな。でも、面白い人、沢山いることだけは確かだにゃ」

「例えば?」

「うーん。零号機パイロットに似てる人が居た」

「綾波に?」

 シンジの声のトーンが突然低くなる。

「え、あ、性格も外見も違うけど、雰囲気がねー」

「……まさか綾波じゃないよね」

「まぁ。そんなに気にすんない。世界に同じ顔の人は三人居るって言うしさ。まずは、私たちだけでも生きてみることだよ。もし、レイや姫がこの世に居るなら、縁が導いてくれるってものよ」

 それだけ言ってマリは本当に潰れてしまった。そんなマリを見るシンジは、「生き写しの女性」がどんなものかを想像したのだった。

 




 佐藤大輔ワールドからキャラがどんどん出てきます。代わりにエヴァの世界からキャラが出てくることはない予定なんですが、どうしましょうか。
 この世界がどうやって成り立っているのかについては、おいおい語っていく予定です。

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