私は霊が視れる 作:なななな。
妖怪物語で使い古された設定に逢魔ヶ時というものがある。大禍時という表記もあり、昼と夜の間、夕方の薄暗い時間帯を指す言葉である。
そんな逢魔ヶ時であるが、どうして妖怪物語で多用されているのだろうか。そのヒントは名前を見れば分かる。
──魔に逢う時、大きな禍の時。
読んで字の如し。恐いモンスターに会ってしまう時間だから多用されるのだ。
物語で妖怪を出すには、何かキッカケがなければならない。
血液銀行に幽霊の血が混じっていたり、身体に鬼を封じた教師が転任してきたり、ガチャガチャで妖怪が飛び出してきたり。
主人公の前に、魔物が現れるだけの理窟がないといけないのだ。村の言い伝えでも、祠の破壊でも、七不思議でも。何かマクガフィンがない限り、ソレの登場に道理が通らない。
その点でいくと、時間帯という言葉一つで説得力を持たせられる逢魔ヶ時というのは手軽な存在だ。
なんてことのない日常に、突如として魔物を顕現させられるのだ。藪を突かなくても蛇どころか鬼が出る。理不尽この上ない。
「つまり、使い古される設定には、使い古されるだけの理由があり、逢魔ヶ時は便利な存在なんだよ」
眼鏡を掛けた少女が右手を精一杯広げながら、そのような力説をした。絶え間ない説明はまるで間歇泉の如し。息継ぎをせずに語り続けていたようにも見えた。
彼女は一段落したのか満足気な表情をして、眼の前の人物を一瞥した。
「……おお。小説の話になるとテンション高いね、片岡ちゃん」
狸を思わせるようなタレ目に幼気な顏立ちをした少女が、困惑するような表情を浮かべてそのように話した。
それは熱辯に圧倒され、何とか絞り出した言葉であった。
とある中学校の一年教室。窓側の最前列の机を囲って、二人の少女が会話をしていた。時刻は八時と少し。朝のホームルーム前の時間だ。
眼鏡の少女──片岡藍佳と、タレ目の少女は話を続ける。
「テンション高いって、そりゃあもう。『新しい本を買うときの参考にしたいから最近読んだのを教えて』──なんて言われれば、こうなるよ!」
藍佳は眼鏡の奥に見える目をギラギラ輝かせながら、タレ目の少女に近寄る。タレ目の少女は一歩後ろへと下がった。
「尾野君は本の話をしだすと何処かに消えるし、サカモっちゃんは興味ないみたいだし」
タレ目の少女に向かって、態とらしく溜息を吐きそのようなことを嘯く。尾野君とは片岡少女の前の席の少年であり、サカモっちゃんこと坂本さんは彼女の隣の席の少女だ。──話を聞く限り、二人は藍佳の本語りから逃げ遂せたのだろう。
どうやら早まったようだと、タレ目の少女は藍佳に小説の話を振ったことに後悔の念を抱いた。
「えと、最近は怪異モノに嵌ってる……ってことやね。参考になったよ」
いち早く話を切り上げんと欲し、タレ目の少女は言葉を紡ぐ。
四月の初め。中学一年である彼女にとっては、新たな環境の置かれて直ぐの事である。三月から関東へ引っ越してきたこともあり、誰がどのような性格をしているのか分からない。
少女としては、入学初め友達になるキッカケを摑もうと、教室で本を読んでいる子に小説の話題を投げ掛けただけのことであった。しかし、この軽い気持の行動は、結果的には地雷畑に自ら突っ込んだだけだった。
タレ目の少女は撤退の意思を示す。しかし、藍佳はそれを見逃すことはなかった。
「赤倉ちゃん、ちょっと待って。まだまだ話し足りないよ。LANE交換しよ?」
可愛らしく首を傾げる藍佳に、一瞬の間を置いてタレ目の少女はグングンと首を縦に振る。逆らえば、恐ろしいことが起きる。そんな光景を幻視したためだ。──眼鏡少女、強し。
タレ目の少女、赤倉は魔王の登場に為すすべなく敗北してしまった。ラスボスからは逃げられない。
◆◇
四月の中頃、それは春の柔らかな陽気で包まれる季節。
寒すぎず暑すぎず、暖かで人間にとって過ごしやすい季節であり、それは少女赤倉にとっても同じであった。
年々、春の時期が短くなっている気がしなくもないがそれはそれ。寒くて身体の動きを止めていた変温動物は動き出し、草木は青く萌え出づる季節、それが春なのである。
じめじめとした梅雨もまだまだ先で、何をするにも気持が良い。
「……だからと言って、日も沈み掛ければふつうに寒い……」
不満を吐き出すようにして、私はそのような言葉を口にした。
四月に入ったある日のこと、私は一人通学路を遡っていた。太陽はほとんど沈み掛け、空の色も赤くなっている。それに伴って、気温も下がりとても肌寒い。
どうして通学路を遡っているのか?そのような疑問を湧かせている人もいるだろう。遡ると書いたのだから、行った道を引き返している最中。
ランニングがてら通学路を走っている訳でも、夕焼けが綺麗だからと通学路を歩き回っている訳でもない。
もっと、くだらない理由がある。
恥や外聞なぞ母親の胎盤の中に忘れてしまえ。途轍もなく恥ずかしい事実だが、はっきりと言ってしまう他ない。──畢竟、学校鞄を学校に忘れてしまったのだ。
「……まさか、手ぶらで家に帰っているとは思わなんだよ」
笑わば笑え。私は嘆息してそう呟いた。
学校から帰るのに、学校鞄を忘れるなど正気の沙汰ではない。そう思うも全ては後の祭り。手ぶらで校門を出て、手ぶらで通学路を歩き、手ぶらで家の前まで着いたのである。
正気の沙汰ではない。大事なことなので二度書いたが、本当に笑っていられない話だ。
自宅の前で友達と別れる直前に「そう言えば赤倉ちゃん、荷物何も持ってないけど何かのギャグ?」という言葉を掛けられ漸く気づいたレベルだ。
何を言ってるのか分からないだろうけど、一言書かねばならない。赤倉ちゃんとか云う娘、ほんまアホちゃうの?自分で自分を罵倒してまう。
下校中指摘しなかった友達は薄情だし、気づかなかった私も私だ。
ここに至るまで、誰も私が手ぶらで歩いているのをツッコまなかったのが奇蹟的だ。私以外に三人と下校したというのに、三人共身体を張ったネタだと思っていたらしい。…………やっぱりこれイジメやない?
因みに三人の中に例の本狂いは居ない。帰り道が反対方向らしい。助かった。
とかく、ネタだと思うならツッコミを入れろと、そう思わざるを得ない。果たして、この考えは異端なのだろうか。否、こればかりは私が正しいと思う。
───出落ち芸人。
これは最近になっての私の友達からの評価である。
自分でもかなり思うところがあるので強くは言えないが、最近ではクラスの中でその評価が定着してきている。中学一年になった四月の時点でこの評価である。心に大ダメージだ。
頭はクラスで三番目ぐらいに良いし、運動神経だって、女子は
自分では、明るく朗らかな美少女だと思っているのだが、友達からは「鏡を見ろ」との意味不明な言葉を頂いたのでここでは追求しないことにする。──本当のことなのに。
私はそんな毒にも薬にもならないようなことを考えながら、通学路を歩いてゆく。学校へはもう直ぐだ。
歩道橋を渡り、四つ辻を進みいき、三叉路を左に曲がる。河に沿って進み、高台になっている学校まで舗装された道を歩く。
自宅から四十分ほど掛けて、漸く学校はその姿を表した。東第二中学校だ。因みに第一中学は存在しない。何なら西南北もない。……一体この中学校は何なのだろうか。
(一度家に帰ってから戻ってきたので計八十分。……帰りを考えると後四十分追加……憂鬱だ)
そう心の中で言って肩を落とした。
しかし、いつまでも肩を落としてはいられない。私は学校の正門を通り過ぎた。
「夕方の学校って、雰囲気あるね」
私は、辿り着いた学校の校舎を見上げて呟く。
白い色をしていた校舎は、焼け落ちてしまいそうなぐらいに赤くなっており、その場で鎮座しているように見える。夕日に当てられ不思議なぐらい雰囲気がある。
「……まあでも、何とか学校が閉まる前に着いて良かったよ」
下校時間に間に合わなんだら──と、考えると精神的ダメージは凄まじい。もしも遅れていたならば、草臥儲も良いとこだった。
中学生にとっても、八十分の通学時間は非常に長いものなのだ。決して無駄にはできない。
私は校舎に入る。まだ文化部などが中で活動しており、
部活動生を一瞥すると、鞄を取りに行く為に私は階段を昇った。
「1年2組、1年2組ーっと。鍵はー、まだ開いてるみたい」
リズムに乗って歌うように呟く。どうやら教室の鍵は開いているようだ。開いていれば職員室まで行かなくて済むと思い、階段を昇ってみたが正解だったようだ。
手ぶらで自宅まで帰ってしまったので、教室まで鞄を取りに来ました。なんて職員室で言えるほどの図太さは私にはない。
鍵が開いているなら、鞄を拝借してさっさと帰ろう。気軽な気持で私はそう考えた。
──誰も居ないのにどうして教室が開いているのだろうか。
そんな疑問は私の頭の中には、露にも思い浮かばなかった。
教室の中へと入る。窓側の一番前の席を見ると、机の上に黒い大きなリュックサックがそこにあった。──テラ◯オンばりの存在感だ。
「……若年性健忘?」
思わず、そのような言葉が口から漏れる。
机の上でその存在感を放っている学校鞄を遠い目で見つめた。家まで鞄なしで帰れたことが不思議でならない。
私は机の近くまで近づくと、徐ろに鞄を持ち上げる。時間割を確認せずに全ての教科書を入れている鞄は、ヅシリと重たく感じた。
この学校には指定の鞄というのは存在しない。
そこにあったのは、機能性を重視した絶妙に不恰好なデザインのものだった。しかし、収容量と持ち運び易さに関してはピカ
──女子力が死んでる?気の所為だと思うよ。
「とかく……忘れ物も見つけたし、さっさと去ぬか。最終下校時間もそろそろマズいし」
もうすぐ日が完全に沈む。空もすでに赤みが消えてきている。辺りからジーーっとクビキリギスの鳴く声がする。耳を澄ませば鳥の鳴く声だって聞こえる。後ろからなんて、ぐほーと形容し難い冒瀆的な音も轟いている。
私は春の風流を感じながら教室を後にしようとする……。
…………。ん?
冒瀆的な音?聞き捨てならない言葉が出てきた。あれ、おかしい。この教室には私の他に誰も居ないのに。何か嫌な予感がする。
いや、声が聞こえたのはドア付近だ。単に誰かが教室に入って来ただけに決まっている。聞こえてくるこの『グボョ゙ロ』みたいな音も、よくよく聞いてみれば可愛らしいような気もしてきた(?)。
しかし、確かめれば良いじゃんと気軽に振り返ろうにも、蛇に睨まれた蛙のように身体を反転させる気力が出ない。
……いや駄目だ。音が段々近づいてきている気がする。無理矢理にでも振り返らないとマズい予感がする。
あれだ、せーので振り返って見よう。一人で一体何に対してせーのしているのかは分からないが、取りあえずせーので振り返ろう。よし。
息を整え、目を深く瞑りガッと見開く。その勢いのまま私は心の中で大きく叫んだ。
せーのっ!
一気に後ろを振り返ってみる。
『ᝤᝳᝠᝠᝠᝠᝠᝠᝠ、?』
は
『ᝬᝠᝠᝥᜀᝠᝠᝠᝠ、?』
????
『ᝢᝥᝠᝠᜀᝠᝠᝠᝠᝠ、?』
!!?
……、?!
濃緑色に少し白濁色が混ざったドロドロと光る液を躰中に垂らし付けた、赤紫色の身体をした何か。児子が戯れに描き殴ったような人型の物体が、教室のドア付近に突っ立っていた。
体長は四メートルほどで、どこかけらけらと笑っているように感じた。
ソレは教室のドアに身体が引っ掛かったのか、四メートルほどの体躯を足のような何かを曲げてちぢめると、私の眼の前で嬉しそうにしている。身体の上の方に大きな穴を広げ、それが歪な笑顔に見える。
「ᝨᝲᜊᜒᝡᠰᝠ、?」
怪物はその穴から何かを発する。テカリと汁のようなものを光らせる赤色の触手が、穴からニョロリと伸びていく。
私の眼は嫌悪感からか際限まで開く。カラリと眼が乾く。息が詰まる感覚がする。おちゃらけた脳内が、一気に冷えていく。
ここに居たら死ぬ。
私の脳内にはそのような言葉が浮かび上がった。
赤紫色の大きな怪物はゆっくりと私の方に向かってくる。怪物の通った跡には、白色の水っぽい何かが残っていた。それは、シューという音を立てて煙を発している。
早く逃げねば。私は教室の化け物が立っている方とは反対の、教壇側のドアを押し開いて走り出した。本能的に逃げ出したのだ。
私は昇降口に向かって駆け出す。嫌な
え、これまじでヤバい奴やない?
「しぬ、死ぬ。死ぬ死ぬあぁぁぁ、!!」
漸く声が出た。
その声に釣られてか、バケモノは耳を
「ᝣ̊ᝫᝨᜊᜀᜓᜅᝮᜀᜒ、!」
階段を落ちるように降りる。私が通っている中学校では、一年生の教室は二階だ。下駄箱まで、階段を降りると直ぐそこの位置に教室がある。
助けを求めようと周囲を見回しながら走るが、先ほどまで居たはずの生徒たちが誰も居ない。部活動で何人も生徒が居たはずなのに、全てが幻のようだ。
「ᝪᝲᝠᢇᝣᜑ ᝠᝣᝳ ᝫ̊ᝫᝣᜑᝫᝳᜃᜓᝤ.ᝡᝦᝳ ᝠᝧᝮ᯿ ᜃᜒᝯ.ᝫᝣᜑ ᜃᜒᝯᝫᝳ!!」
しかし、そんなことを冷静に考えるだけの余裕がない。
靴を履いて外に出る。
何時もの癖で咄嗟に履いた。結果的にはこの行動は良かったのだろう。靴を履くぐらいそれほど手間ではないし、校庭は何だか黄色く泥濘んでいるようにみえた。
上履きで外に出るには向かない地面であった。
外に出ても生徒の姿が一人も見えない。
化け物の動きは遅い。それも私が全力疾走を続けられたらの話であるが。息が切れたときが私の最期になりそうだ。
いまだに捕まっていないのは、
校舎から出て森の方へと逃げる。あの巨体では木々に引っかかって抜けられないと思ったからだ。しかし、私の予想とは反して化け物は器用に木々の間を抜けて来た。逃げ場はない。そう思った。
池を抜ける、橋を渡る、段差を飛び越える。
私は、我武者羅に走った。
しかし、その甲斐なく、
心臓が大きく搖れる。
食べられる?誰が。私が。
その事実に心臓が破裂しそうだ。死にたくない。私は化け物からの捕食に全力で抵抗をする。人生最後の足搔きだ。
それが最善の選択なのかは分からないが、私は化け物に抗い続けることにした。