「ただいま…。」
帰ってきた遠山の挨拶で目を覚ます。時計を見ると今は午後六時。もうすぐ飯の準備をしなければいけない時間である。
「おけーり、遅かったな。」
自室から出て、飯の準備をするために台所に立つ。俺はこの男子寮で、遠山と同じ部屋に暮らしているのだが、基本的に家事は俺の仕事だ。家事といっても世間の専業主婦の方々と同じというわけではなく、朝と夜の飯は作るが、掃除などは毎日するわけではない。なんなら洗濯も億劫がってしない日もある。それくらいの緩い家事である。
「ああ…、クラスの連中がなかなか帰してくれなかったんだよ。」
神崎によるクラス全員殺害予告事件ののち、クラスの連中も流石に身の危険を感じたようで、特にそれ以降騒がれることはなかった。また、神崎はちゃんと宣言通り俺の隣の席に座ってきやがったので、ついぞバックれることは出来なかった。
まあ、クラスがそんな状態だったため、恐らくクラスの連中も質問したくても神崎が怖く、質問したいことばかりが増えていたのだろう。そのツケを払わされたのが遠山というわけだ。ちなみに、一応俺の近くにも何回か人は来た。しかし誰も俺の狸寝入りを突破するには至らず、俺の生活が普段と変わることはなかった。友達いなくて良かった。
「まあそいつは災難だったな。…今日なんか食いたいもんあるか?」
普段は冷蔵庫にあるもので適当に作るのだが、なんとなく遠山が可哀そうだったので、今日くらいはリクエストを聞いてやる。なんだか母親になった気分である。
「あー、特にないな…。何でもいいよ。」
「なんでもいいが一番困るのよね…。」
まあ食いたいもんがないならしょうがない。なんか遠山の好きなもん作ってやるか…。
「それより比企谷。」
先ほどより幾分か堅い声音で遠山が話しかけてくる。
「なんだ?夕飯よりゲーム買ってほしいのか?」
「俺はお前の息子じゃねえ!」
ふざけたやりとりの後、一息ついて遠山は話し始めた。
「朝の事件さ、あれ、誰が何の目的で起こしたと思う?」
「…さあな。さっぱり見当がつかん。犯人から何かを要求されたわけでもないが、とすると俺たちの命を奪うのが目的ってのが考えやすい。しかしそれなら、問答無用で自転車に乗った瞬間爆破してしまえばいい。だから…」
だから、恐らく犯人の目的はこの事件を「起こすこと」にある。俺たちが死のうが死ぬまいがどちらでも良かったと考えるのが自然だろう。ならば怪しむべきはこの事件の発生によってメリットを得た人物になるわけだが…。
「いないんだよなぁ、そんな奴…。」
一般的な高校ならいざ知らず、ことこの高校に限って言えば殺人未遂程度のことなんてのはちょっとした事件に過ぎない。普通の学校で言えば、誰かが給食をひっくり返した、とかその程度だ。つまり、この事件での影響力というものもほとんどない。よって、この事件を起こすほどの労力に見合うメリットを得られた人間なんてものは存在しないはずのだ。
「まあ正直俺たちが今持ってる情報が少なすぎるしな。そのうち誰かがなんか発見するだろ。」
「もしかして気付いてないのか。」
「何にだよ。」
「今回の事件、武偵殺しの模倣犯だ。」
武偵殺し。確かこの学校の周知メールで来てたな…。武偵の車などに爆弾を仕掛けて自由を奪い、マシンガン付きのラジコンで追い回して海に突き落とすとか言ったものだったはずだ。確かちょっと前に逮捕されたと聞いたから頭から抜けていた。
「確かに手口は一緒だな…。この前捕まった武偵殺しは実は濡れ衣でしたって証明のために事件を起こした…、とかなのかね?」
だがその場合、なんでそんな証明をしなければいけなかったのかという話になる。そうなると正直情報不足の現状では手詰まり。全く分からん。
「まあ、だからって犯人を特定するには至らないだろ。濡れ衣の話だって可能性だしな。」
そう告げると遠山はなにやら考え込み始めてしまった。…何か思うところがあるのだろうか。
ピンポーン
と、再度事件を考察しようとしているとインターホンが鳴る。俺には特に心当たりがないので恐らく遠山の関係者だろう。と思い遠山の方をちらと見るが、遠山は未だ思考に意識を奪われているようで、恐らくインターホンにすら気付いていない。
ピンポンピンポーン
えぇ…、なんかめっちゃ鳴らしてくるじゃん…。遠山お前借金でもしたのか…?と思いつつ仕方がないので俺が玄関を開ける。最悪遠山は売ろう。いのちだいじに。
「はい、何の用ですか。」
俺が覚悟を決めて玄関のドアを開けるとそこにいたのは身長が優に二メートルは超えていそうな巨漢…、ではなく、中学生だった。
「遅い!あたしがチャイムを鳴らしたら五秒以内に出ること!」
訂正。神崎だった。両手を腰に当て、相当お怒りのご様子…。
こいつ、神崎・H・アリアはこの前のチャリジャックから遠山を、ひいては俺を救出してくれた張本人である。
てか五秒以内とか普通に無理だろ…。
「いや誰がインターホン鳴らしたとかわかんないし…。てか何の用だよ。」
「中にキンジもいるのよね?」
こちらの言葉には耳も貸さず、当然の権利のようにトランクをコロコロ鳴らしながら部屋の中に入ってくる。どうなってんのこの子の頭の中、話通じないとかいう次元じゃないんですけど…。
「トランクを中に運んでおきなさい!ねえ、トイレはどこ?」
俺がちょっと本気で引いていると、またもや勝手に話が進んでいく。
「トイレはそこのドアだ、あと何の用だ。」
「そう、ありがと。」
マジでなんなんだこいつ…。いきなり家に押し掛けてきたかと思えばトランクを中に入れておけだのトイレを貸せだのと…。遠山がなんか言ったのか?
つーか人の家にトランク持って押し掛けるとか何しでかすつもりだよ…。もしかしてガチで遠山が報奨金の請求とか受けているのだろうか。
「どうした比企谷、今のインターホン誰だったんだ?」
リビングで騒ぎを聞きつけたらしく、いつの間にか玄関まで来ていた遠山が声をかけてくる。この様子だとどうやら遠山も神崎が来ることに心当たりはなさそうだ。
…嫌な予感が加速していく。
「…悪魔。」
「はぁ?」
何を言ってるのかわからないというように遠山は首をかしげる。
「やっぱりキンジもいたのね。」
噂をすればとでもいうべきか、トイレから出て、手を洗い終えた話題の悪魔さんが無遠慮に話しかけてくる。
遠山は何が何だかわからないというような表情だが、悪魔にとっては人間一人の感情などどこ吹く風。全く興味がないというように、肩にかかった髪を払う。そしてそのままこちらにピシッと指をさすと、
「あんたたち、あたしのドレイになりなさい!」
…何言ってんのこいつ?
ほんとに悪魔なんじゃないのこの女…。髪飾りもなんか角っぽいし。少なくとも確実に将来の夢は悪魔とか鬼とかだろこいつ。
混乱の絶頂にたたずむ二人の少年はそして、考えることをやめた。
「ほら!さっさと飲み物くらい出しなさい!」
いつの間にかリビングのソファへと腰を下ろしていた神崎は、客人への礼儀がなってないわねとでも言いたげに不遜な態度で飲み物を要求してくる。
「コーヒー!エスプレッソ・ルンゴ・ドッピオ!砂糖はカンナ!一分以内!」
もうなんか遠山に丸投げしてしばらくホテルとかから登校しようかな…。と、遠山の方を見るとまだ完全に機能停止していた。なんか綺麗な気を付けの姿勢である。人ってほんとに情報処理しきれなくなるとあんなふうになるんだな…。
「この家にはまずエスプレッソがねぇ。あと、砂糖も種類とか気にして買ってないからカンナとか言われてもわからん。」
とりあえずもうコーヒーなら何でも良いだろうと思い、差し当たっては俺の貯蓄のMAXコーヒーを与えておく。甘すぎるとか言われるかもしれんが、もうなんか相手するのも面倒なので適当でいいだろう。
「エスプレッソもないの!?どうなってるのよこの家は!」
そう言い放ち、渋々といった様子でMAXコーヒーに口を付ける。
「ん…?」
一口目は何か不思議そうな顔をしていたが、意外とお口に合ったのかごくごくと飲んでいく。てか飲み干してた。
「ふぅ…。美味しかったけど、あたしはコーヒーが飲みたいと言ったのよ。人の話はちゃんと聞きなさい。」
「それ一応コーヒー飲料だけどな。」
ブーメランすぎるだろ…。この上MAXコーヒーを不味いなどと抜かしていたら小一時間かけて論破しているところだったが、まあお気に召したのであれば良い。もう一杯くらい温めたバージョンをご馳走してやろう。
俺がウキウキでMAXコーヒーを温めていると、ようやく遠山の再起動が完了したらしく、神崎に話を聞き始める。
「なあアリア、今朝助けてもらったことには感謝してる。あと、お前を怒らせるような言動についても謝る。でも、だからってなんでここに押し掛けてくる?」
まずはそこからだ。と遠山は話を切り、神崎の回答を待つ。
「分からないの?」
「分かるかよ。」
「あんたならとっくにわかってると思ったけど。んー…、でもそのうち思い当たるでしょ。まあいいわ。」
「いやよくねえだろ。」
MAXコーヒーを温め終わり、テーブルに並べていると、そんな会話が聞こえたので思わず口をはさんでしまう。こいつ会話苦手すぎるでしょ。俺より会話苦手な奴始めて見たわ。
しかしそんな言葉は天上にお住まいの神崎様のお耳に届くことはなく、話は別の話題へと移っていく。
「おなかすいた。」
飲み物の後は飯、野生動物かこいつは。自分の欲求に素直すぎるだろ。
「なんか食べ物ないの?」
「飯を作ろうとしたらお前が来たんだ。…もうこの時間からだと、買ってきた方が早い。」
時計は既に七時前を告げている。この時間から作るのもなんか面倒だし、買いに行くことを提案する。
「ふーん、そう、じゃあ行きましょ。」
すると、さも当然かのように神崎は一緒に行こうとしてくる。いや別にはぶるつもりもなかったけどね?
こいつ会話できないけど意外とコミュ力は高いのかもしれない。ならばもはやコミュ力とはいったい何なのか…。
思考のループに入りかけていると、神崎と押し問答をしていた遠山がさらなる疑問を投げかける。
「いや待て、ここで夕食まで食べるつもりなのか?」
「当然じゃない。言ったでしょ?あたしのドレイになりなさいって。その答えをまだ聞いていないわ。」
…ダメだ、こいつとの会話は時間がかかる。時間をかけても成り立つのかわからんが、とりあえずは先に夕食を調達するべきだろう。
「なあ遠山…。」
「ああ…。コンビニ行くか…。」
ちょうど同じことを考えていたのか、観念したようにそう呟いた。そしてそんな俺たちの作戦会議を知ってか知らずか、神崎は俺たちに声をかけてくる。
「ねえ、そこって松本屋の『ももまん』売ってる?あたし、食べたいな。」
とのことなので、まあとりあえずは満場一致でコンビニへ向かうことになった。というか松本屋のももまんは松本屋にしかないと思うぞ。知らんけど。
「多分ももまん自体はあるだろ。行こうぜ。」
俺が出発を促すと、となりでいつの間にかケータイを取り出していた遠山が声をかけてくる。
「あ~、その、すまん比企谷、悪いんだが…。」
なにやら歯切れが悪い。なんだよ、告白か?だとしたら速攻で断るし学校側に言って部屋も変えてもらおう。そして最終的に神崎をその部屋に押し付けて俺は平穏な暮らしを享受する。
「めちゃくちゃ白雪からメール来てた。つか電話も。多分このままだと寮まで来ちまうから、ちょっと会って話してくる。二人で行ってきてくれ。」
「いや無理、不可能、却下。てかわざわざ顔合わせる必要ないでしょ。」
余裕でお断りさせてもらう。俺一人でこいつのご機嫌取りながら夕食の買い出しとか冗談じゃない。
「白雪が会って話すって言って聞かないんだよ…。白雪のことだ。俺らの部屋にアリアにいるのがばれたら絶対にめんどくさいことになる…。」
確かに。白雪さん、大して話したことはないが、俺が遠山の夕飯を作ってるって言っただけでめっちゃ質問された。しかもなんか闇のオーラみたいのを纏いながら。「普段何を作っているんですか?」とか「栄養バランスは考えていますか?」とか。多分あれはヤンデレとかメンヘラとかの類だと思う。普通にめっちゃ怖かったし、出来れば二度と関わりたくないと思った。
「…了解だ。ただ、そっちはそっちでちゃんと説得しといてくれ。絶対に。」
俺あの人怖いから会いたくないし。
「ああ、任せろ。…でもお前ほんとに白雪のこと嫌いだよな。」
「嫌いなんじゃなくて怖いんだよ。あの人お前のこと好きすぎでしょ。何あれ?生まれたときに刷り込みでもしたの?」
「いや、別にそんなことは…」
「何もたもたしてるの!?早くいくわよ!」
俺たちが話していると腹ペコ怪獣カンザキが腕を上下にぶんぶんさせながらこちらを呼ぶ。どうやらもう空腹が限界のご様子。
「へいへい…。」
今行きますよと答えながら神崎のもとへ向かう。どうやら神崎も話はなんとなく聞いていたらしく、特に何も聞かれることはなく、
俺たちは、夜の町へ繰り出していった。