既に時刻は七時を回り、夕食時。放課後まで遊んでいた学生の姿は、外にはほとんどない。三月と言えど、この時期は日中ですらまだ寒さが残る。それが夜ともなればなおさら。外気は冷え、制服一枚ではまだ十二分に寒いと言えるだろう。
「ヘクチッ」
まさしくそんな外気に体温を奪われたらしく、制服一枚の神崎がくしゃみをする。
「…なんで制服だけで出てきちゃったの、お前。」
「う、うるさい!こんなに寒いと思わなかったのよ!」
神崎の住んでいたイギリスは世界では珍しく、日本と同じような四季が存在する国だ。そのため季節感の違いはそこまでないはずなのだが…。さてはこいつ空腹に気とられて着込むの忘れてたな…。
「…寒いならこれ着とけ。」
とりあえずは神崎に俺が着ていたコートを渡しておく。ちょっと…、というかかなりサイズに差があるが、着れないことはないだろう。
「…ありがと。意外と紳士なのね。」
相当寒かったのだろうか、意外にも神崎は素直に受け取る。しかもお礼とかいうオプション付き。
俺はその賛辞に、深い肯定を返す。
「よく気付いたな。俺は紳士なんだ。女子に告白して振られ、そのことをその女子がいたグループにネタにされて、果ては教室中の笑いものにされたが、仕返しの一つもしなかったからな。」
小学校時代の淡い記憶がよみがえる。あの時は本気で死のうか迷ったし、二度と学校には来ないと思った。義務教育じゃなかったら間違いなく行かなくなってた。
「それは紳士じゃなくて瀕死っていうのよ。それに、紳士っていうのは自称しない物よ。覚えておきなさい。」
なにやらちょっとうまいことを言われてしまった。どうやら神崎自身もそう思ったらしくちょっと自慢げな表情をしている。
こいつマジで日本語うまいな。とてもイギリスにいたとは思えん。発音も完璧だし。
「♪~」
俺がちょっと本気で関心していると、だいぶ寒さが緩和されたのか、神崎は鼻歌なんか歌いながら先を歩き始める。ぶかぶかのコートも相まって、その姿はとても年相応、というか背格好と合っており、まるで本当に小、中学生ほどの無邪気な少女のように思えた。
「ねえハチマン。」
「なんだよ。」
「やっぱりあたしのパーティに入りなさい。あんたとは、うまくやれそうな気がする。」
「は?いやパーティの話とか聞いてないんですけど。」
「言ったでしょ?あたしのドレイになりなさいって。」
「それ全然意味違うんですけど…。」
うん。やはりこいつは帰国子女だ。ドレイ=パーティに入ること、なんて勘違い、少なくとも在日日本人の方々はしない。…いや、俺が知らないだけでイギリスではパーティに入ることを奴隷になると表現する可能性もある。うん。絶対ないな。
…まあなんにせよ、俺はパーティを組まないし、組めない。俺は一人だ。そうするべき、理由がある。
「…もし、万が一うまくやれたとしてもパーティは無理だ。実力差がありすぎる。俺は強襲科きっての落ちこぼれだぞ。大体、本当にうまくやれるかの保証だってない。もっと言えば、俺はパーティに入ろうという意欲も、入ることで得られるメリットもない。」
強襲科、本来は銃や刀剣などを筆頭に、様々な武装を使用した近接戦による強襲逮捕を想定した授業を行う、俺や神崎が属している科だ。
その強襲科で、俺は毎回ワースト争いをしている。拳銃などに限れば一年の頃からドベを誰かに譲ったことがない。本来は、というのは、俺は銃を使用する授業には、他の生徒の命に関わるという理由で出させてもらえず、主に刀剣で先生と組手じみたことをやらされている。そのため俺はほぼ銃の授業は受けていない。いやまあ、銃以外もドベ争いしてるけどね。
「あんたが落ちこぼれ?」
神崎は意外そうな顔でこちらを見つめる。
「ああ、落ちこぼれだ。俺は強襲科の中だとワースト争い常連なんだよ。単位だって危うい。」
俺が自嘲気味にそう告げると、神崎は、少しの間考えるような仕草を取っていたが、すぐに、閃いた!と言った様子で、こちらに真っ直ぐ指をさしてくる。
「じゃあ、条件を出すわ!」
「え?いや、別に条件付けても問題は解決しないんですけど…。」
ていうかじゃあって何、それ前の話題と関係がある話題の時しか使わない接続詞だよ?今の話条件出してどうにかなる話だったっけ?
しかし、俺の言葉なぞ聞こえていないかのように神崎はこう告げる。
「あんたが本気を出さない理由。あたしが当てる。当たったらあたしのパーティに入りなさい。外れるか、本当にあんたがただの落ちこぼれだった場合、今後一切あんたをパーティに誘うようなことはしないわ。」
何言ってんだこいつ…。正直少し混乱する。俺が本気を出していないということもなぜか神崎の中では確定しているらしく、神崎はやけに自信たっぷりだ。当たったかどうかでパーティに入るか決まるならば、俺のさじ加減一つで正否を決められるというのに…。
…いや、何か確実に口を割る方法に心当たりがあるとしてこの条件を出している可能性もあるか。まだ警戒はしておくべきかもしれない。
「いや、だから言ってるけどな、俺は今のままで全力だ。本気を出さない理由も何もないんだよ。あと、さっきも言ったがそんな条件つけても俺とお前の実力差が埋まるわけじゃない。その条件は、色々破綻してる。」
色々の部分を少し強調する。
この条件は俺一人に正否が委ねられていることを神崎自身わかっており、何か口を割らせる方法を持っているのか、はたまた、ただ単に神崎が気付いていないのか。
その如何によってはこの条件を飲むかどうかが大きく変わる。俺はわずかな表情の変化も見逃すまいと、神崎を見つめる。
「本当にハチマンが本気を出しているなら、調べられても問題ない。でしょ?」
神崎は、完璧でしょ?この作戦、みたいな目でこちらを見つめ返してくる。その表情は純粋そのもの。全くの悪意を感じない。いや、多少の悪意自体は感じるが、それは、嵌めてやったというような、いたずらっ子程度のかわいいものだ。これから嵌めてやる、というような詐欺師の顔ではない。てかもうただのドヤ顔だ。
いや、ならもう、いいか。最悪神崎が俺の身辺もろとも全て正しい情報を持ってきたところで、俺が間違いだと一蹴すれば、それでこの話は終わりになるのだ。それ以降俺は誘われることはなくなる。
「まあ、分かったよ。好きにしてくれ。ただ捜査期間は決めておく。…二週間くらいでいいか?」
神崎のその表情に毒気を抜かれた俺は、不自然にならない程度に抵抗して、その条件を受け入れる。
「それで十分よ。」
もしかしてこいつ意外と知略的な面は甘いのか?全く気付く様子がない…。
まあ、気付かないことに関してはありがたい。この様子だと、このまま期間の二週間が過ぎればそのまま俺は解放されそうだ。神崎のおつむが小さめでよかった…。
神崎は、そんな俺の思惑には全く気付かず、ホクホク笑顔で、スキップなんかしながらコンビニへ向かい始める。
その背中は、やはり年相応の少女のようで、さもすれば、彼女が武偵であることを忘れてしまうほどだった。
…だからだろうか、彼女がなぜこの武偵高校に入ったのか、不思議に思う。彼女は俺とは違い、常に強襲科でトップの成績を取り続け、武偵たらんと努力する。一人で突き進んでいくその様は、あるいはそのまま壁にぶつかれば自らが壊れる、弾丸のようにも思えた。
それは、過去の自分を見ているようで、俺は思わずその背中から目を逸らす。しかし胸の痛みは、戒めるかのようにいつまでもそこにとどまり続ける。
彼女を武偵たらしめているものを、俺はまだ知らない。