「で、どうすんのあれ。」
三月。暦の上では既に春と言えど、まだ深夜には寒さが残る。そんな寒空の下、もう街灯の灯りが残るのみとなった商店街のベンチで、俺たちは一人の怪獣に対抗する策を思案する。
「最初から丸投げかよ…。」
「しょうがねえだろ。追い出す手段が思いついたら実行してるっつーの。」
「そりゃそうか…。」
その後、沈黙が流れる。互いに思いつくものはなく、時間だけが過ぎていく。
「やっぱ実力行使しかないんじゃねぇの。理不尽には理不尽で対抗するしかない。」
長い思案のあと、出した俺の答えは、かけた時間とは対照的に、最高に頭の悪いものだった。力こそパワー。
「俺らみたいな落ちこぼれ二人でどうにかなる相手じゃないだろ…。」
「でもお前確か入学時の武偵ランクSで突破してなかったっけ?本気出せばどうにかなったりしないの?」
武偵校では、入学時の試験の成績に応じてランク分けがなされる。最低ランクEから始まり、D、C、B、Aと上がっていく。そしてそのAの一つ上に位置しているのがSランクだ。Sランクは現在世界に712人しかいない。そして、神崎は当然のようにそのSランクとされており、また、遠山も入学時にはSというランク付けがなされている。なので、俺の力こそパワー作戦も、遠山がいけば通用するのではないかと考えたのだが…。
「…あれは違う。俺はちょっとした条件で、それくらいの力を発揮できることもあるって、それだけだ。」
微妙な物言いだな。まあ、恐らくは深堀りされたくないということなのだろうか。であれば俺も、特に追及するつもりもない。
「とりあえず、神崎を追い出すのには使えないってことでいいのか?」
「ああ、間違いなく使えない。」
「さいですか…。」
会話は途切れ、もう一度、しばしの沈黙が流れる。マジであいつに対抗する策がなさすぎる。単なるわがままお嬢様ならまだしも、仮にもSランクの武偵だ。しかも頑固で説得の使用もない。これはもはや土下座で頼み込むとかしかないかもしれん…。
「…気持ち悪いから聞いておく。」
そんなことを考えていると、遠山が何の脈絡もなくそう告げてくる。
「比企谷。お前、気にならないのか?」
「何が。」
何の話だよ。俺が気になりそうなものの話か…。最近俺の中でホットな話題としてはMAXコーヒーのドロップが千葉の市原SA限定で売られているという話があるが、もしかしてそれか?それなら今度の日曜に買いに行くから、気になるならこいつも一緒に連れて行ってやらないこともない。
「俺の…、力というか、入学時Sランクっていうの、知ってたんだろ?」
MAXコーヒーの話ではなかったが、さっき神崎にも聞かれた、話題としては十分ホットな話題だった。
「まあ知ってるけど、別に気にしてない。特に聞く気もねーよ。」
「…なんで?」
心底不思議だといった様子で遠山が聞いてくる。
「いや、誰でも人に聞かれたくないことくらいあるだろ。俺はそこにズカズカ踏み込んでい行くほどふてぶてしい人間じゃねえんだよ。…それだけだ。」
「なら、気になってはいる、ってことで良いのか。」
「…人並み程度だ。さっき言ったが、別に聞く気はない。だから、別にお前が話す必要もない。」
「…じゃあ、比企谷。取引だ。俺の秘密を、お前に明かす。だから、お前も、何か隠してるなら言ってくれ。」
遠山は、真っ直ぐに俺の目を見据える。…こいつ、捻くれてそうに見えて、実際は大して捻くれてないんだよな。こういうとこ。
この一年間近く、こいつと生活してきて心底思う。俺とこいつは全く違う。世間が俺を捻くれていると評するのなら、こいつは世間一般で見れば純粋と言って差し支えない。強いて言っても、やさぐれている程度のものだ。だからこそ、気持ち悪いことを気持ち悪いと言い、他人に踏み込むことを厭わない。
…それゆえに、打算と策略の中で生きてきた俺には、理解も、…信用もできない。出来る方がおかしいのだ。
一人一人違う人生で違う経験をしてきた。育ってきた環境が似通っている兄弟、双子ですら、違いは生まれる。それが他人と他人にもなってしまえば、互いの考えに真の理解などというものは在り得ない。そこにあるのは、ただ似ている経験で分かったふりをしている、共感にも似た、ひどく気持ち悪い何かだ。
「…もし俺の秘密が本当にあったとして、お前の秘密と釣り合いが取れてるかなんて分からんだろ。第一、話したところで何が変わるわけでもない。」
だからこそ、俺は、遠山キンジを信用するわけにはいかないのだ。だからこそ、遠山キンジは俺を信用してはいけないのだ。信用なんてものは、綺麗な言葉で覆い隠した、本質的な強制だ。
「は?いや、釣り合いとかじゃない。ただ、俺はお前の…。」
「それに、お前は俺にそれを話して良いと、本気で思ってるのか?お前に何があったのかは知らん。だが、その秘密を誰にも明かしていないということは、何か大切な情報のはずだろ。それを言うってことが、どれだけのリスクを孕んでいるのか、よく考えたのか?」
「当たり前だ!俺は…!」
「それでもなお話せると言えるなら、俺は、こう考える。俺の情報を聞き出すために作り出した交渉材料、でっち上げなんじゃないかってな。神崎にでも聞かれたのか?お前がそんなに人のことを気に掛けるなんてな。正直意外だ。お前はもっと他人に無関心な人間だと思ってたよ。」
遠山の言葉を遮り、俺が口早にそう続けると、遠山は俯き、黙り込む。そして、小さな声で、
「…クソッ。」
遠山はただ一言そう言って、俺に背を向け、一人で寮に向かって歩き始める。
「他人ってなんだよ…。」
もう八時前とはいえ、まだまだ商店街は車通りが多い。だというのに、遠山のその呟きは掻き消されることはなく、確かな質量を持って俺の耳を叩いてくる。そう感じられたのは、一体何故だろうかと、そこまで考え、思考を止める。今考えたところで、俺が何か言ったところで、上塗りにしかならない。覆水盆に返らず。一度零してしまったのなら、それはもう既に、染み込んでゆく様を眺めるしかないのだ。
…そんなどうしようもない思考だけが、やけに冷静にまとまっていく。ただ、俺は何か間違えたのだと、そのような漠然とした、後悔にも似た喪失感を食む。
いつからか、街灯は明滅することすら諦めていた。ともすれば、二度と光ってはいけないと、自らを戒めているように。
顔を、優しく撫でる風は、どことなく暖かく、近づいてくる春を知らせる。桜の蕾も顔を見せ始め、もうすぐ暖かな季節が巡ってくるのだろうと、そう思った。
…だというのに、その足音は、やけに孤独で、寂しげだった。