死途の徒   作:三羽世継

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帰途の徒花
一灯


 ──ふわり、ふわり、流る、かんざし。

 ──きいろい髪に、からから揺れて。

 ──どこへ、いずこへ、求めていくの?

 

 

 街はずれの、ある神社を訪れた時の話だ。

 横笛を吹く女性が、鳥居の上に座っていた。鳥居の上に座った女性が横笛を吹いていた、でもいい。

 風にたなびく程に長く、鴉よりも黒い髪。暖かい色の和装には雲海が描かれ、ところどころに金色の装飾が為されている。対照的に白い肌。陽光を照り返すかのようなその白は、美しいという言葉を体現しているようでもあった。

 綺麗だ。その容姿も、その音色も。

 ずっと聞いていたくなるような、現実を忘れてしまうかのような──そんな。

 

「すごい」

 

 自然と口を衝いていた。もう少しマシな語彙もあったろうに、そんな子供のような言葉が。

 けれど、おかしい。

 これは私の声じゃない。

 

「よく、こんな古い歌を知っていたね、お嬢さん」

 

 振り返る。声がした方は背後で、背後は階段で、だから振り返って、下方を見る。

 そこにいた。女性──否、少女だ。私と同じくらいの、だから、少女、なんていうのはおかしいけれど。

 そのヒトは金色の髪をしていた。染めた色、ではない。どこまでも透明感のある、今にも空気へ溶けていってしまいそうな色。

 彼女はあまり人好きのしない……ともすれば、怖い、とまで評されてしまいかねない笑顔を貼り付けて、階段を上ってくる。

 

「神様が、教えてくれたので」

 

 歩が止まる。金の髪はともかくとして、纏う制服は私のそれと同じだった。同じ学校。同学年? こんな人、いたかな。

 

「神様が?」

「はい。黒髪の、長い長い髪の、和服の神様です」

「それは──」

 

 ああ、と。

 彼女は感慨に耽る。目を瞑り、口角を上げて。

 

「ねぇ、お嬢さん。お願いがあるんだ」

 

 改めて歩を進めて、階段を上る彼女。ゆったりとした歩みなのに、どこか蛇にでも睨まれたかの如く、私は動くことが出来ずにいた。

 そのまま、そのまま。

 目の前に、眼前にまで彼女が来る。

 

 降ろされていた手が上がる。筋肉の緊張に動けずにいる私に、私の、その前に。顔の下。顎に。

 

 手を、添えて。

 

「私のモノになってくれないかな、お嬢さん?」

 

 ──これが、私と彼女の出会いの日。

 

 考え得る限り最大の──最悪の告白を受けたあの日の記憶である。

 

 

 

 ○

 

 

 

 蓮柄高校。

 それが私達の通う高校の名だ。ここら一帯の地名が蓮柄だから、というだけのネーミングセンスは、創設者にも思う所があったのではないだろうか。もっとこう、カッコいい名前にしたかった、とか。

 ないか。

 

 高校二年。二年生だ。人生において二番目に楽しい時期、らしい。一番は大学だとか。

 反面、反転。

 私の世界に色らしい色は無かった。

 勉学に詰まる事、友人関係が拗れる事、恋愛に現を抜かす事。凡そ高校生らしい行事の何もかもに辿り着けぬままでいるのだから、それは当たり前だろう。授業を受けて、授業を受けて、授業を受けるだけの日々。知識は多分増えて行っているし、吸収速度も良い方だ。

 だけど、それだけ。

 波がない。波がない。出来ない事がないのではなく、やりたい事がない。無為な時間だった。無駄な時間だった。

 

佚依(いより)

 

 名前。呼ばれている。呼ばれ慣れていない。

 だから、呼ばれて、興味を持つ事が出来た。伏せていた顔を上げる事が出来た。

 

「……」

「不機嫌そうな顔だね、佚依。私との会話はそんなに嫌かな?」

「単純に、煩わしいな、と思う程度です」

「うん、それは酷く嫌がっているのと同義だね」

 

 金の髪。校則違反として罰されそうなそれは、彼女自身の遺伝子データを提出する事で事なきを得たという。つまるところ、地毛で。染めるには健康被害があるとして。

 

星命(ほしみ)先輩」

「うーん、何度も言っているけれど、同級生だよ? 確かにクラスを同じにした事はなかったから、その感覚になるのは仕方がないとは思うけどね」

「何様……失礼、何用ですか」

「口語だと何も伝わらない間違い方だね、ありがとう」

 

 坂井星命。あの日、あの神社で出会った彼女は、そう名乗った。

 同じ高校の違うクラスに在籍する彼女。今まで一切の関係性を持たなかった少女と、一応。私は友人となった。本当に、一応。

 

「……」

「あぁ、待って待って。別に大したことではないんだけどね」

「三秒以内でお願いします」

「一緒に昼食を食べないか? 何せ、昼休憩の時間なのだから」

 

 辺りを見渡す。

 誰も座っていない机がちらほら。向きを変えられた机がちらほら。皆、思い思いにお弁当やパンなどを食べて、談笑している。

 

 なるほど。

 

「でも、私はお弁当を持ってきていません」

「それを見越して余分に作ってきた、と言ったら……どう思う?」

「引きますね」

「それを見越して余分に作ってきたんだ。食べてほしいな」

「引きましたね」

 

 丁寧に、引いた。

 

 あの日、私は告白を受けた。

 ──私のモノになってくれないかな、なんて、告白文としては劣悪の類だろうそれ。実際言われた瞬間は何を告げられたのか理解できなかったし、その後に朗らかな笑顔で"あぁ、今のは告白だよ"なんていう彼女にも理解が及ばなかった。

 告白。何かを告げる事。何かを明かす事。

 この場合において告げられた、明かされた何かとは、つまるところ好意、というヤツである。

 好きです。愛しています。付き合ってください。

 その類の、告白。

 

 当然断った。当然だ。当然、彼女の名前も知らなかったし。当然、彼女の存在すらも知らなかったし。当然──何の感情も無い相手となんて、付き合えない。所有物になれ、なんてのも、当然。

 当然、至極当たり前で、どこまでも普通に、私は告白をお断りした。

 

 意外だったのは、じゃあせめて友達からでも! なんて、彼女が追い縋ってきた事だ。

 私に何を感じたのか。何の魅力を覚えたのか。一目惚れなのか。それとも前から知っていたのか。何もわからないまま、何も知らないまま、"その程度であれば、いいですよ"と返した。

 

 ……それから、毎日。

 こういう猛アタックが続いている。こういう、とは、勝手にお弁当を作ってきたり、だとか。毎朝、挨拶に来たり、だとか。頭に触れてこようとしたり、肩に手を置こうとしたり、あの時の様に顎をグイ、とやったり。過剰なスキンシップを含む猛烈なアタック。

 正直辟易している。

 今まで存在しなかった波の無い水面に、突然モーターボートが入って来た。私の灰色で平穏無事な青春をかき乱すモーターボートが。

 

「……不味かったかい?」

「いえ、美味しいですよ。特に変な味もしません」

「それは良かった。けれど、君は美味しいモノを食べても、美味しいと顔に出してはくれないんだな」

「笑うと表情筋が疲弊しますので」

「毎日笑えば、気にならなくなるよ」

「先輩はいつも笑っていますね」

「先輩じゃないけど、私は今が楽しいからね」

 

 顔に出してくれない。

 まぁ、確かに。表情を動かすのが面倒くさいと感じている節はある。別に笑えないわけじゃないし、怒ったり悲しんだりが出来ないわけじゃない。ただ口角を引っ張るのが面倒で、やらないだけ。

 友人には目が死んでいると称される事があるけれど、それも同じ理由だ。目を開くのが面倒くさい。だるい。だからいつも半目で、鏡を見れば、ひどく詰まらなそうな自分がいる。

 つまらない。多分、それは事実だ。けれど、楽しんでいる瞬間にあっても私の半目は変わらないだろう。

 

「今日、暇かな」

「毎日毎日飽きることなく同じことを聞くのは趣味なんですか?」

「好きな子とデートをしたい、と思うのは不思議じゃないだろう?」

「私は貴女が好きではないので、デートをしたい、とは思いません」

「なるほど、確かにそうだ。じゃあ一緒に帰ってほしい。寄り道をしたいんだ」

「勝手にどうぞ」

 

 手を合わせる。

 ごちそうさまでした。

 

「……つれないなぁ」

「残念ながら」

 

 そもそも、暇じゃないので。

 

 

 

 ○

 

 

 

 あの神社に足を運ぶ。

 周囲を林に囲まれた神社。狭い歩道を挟んで、あちら側。車道から見てあちら側。

 そこに階段があって、それを上ると、あの鳥居がある。

 

「……今日もいる」

 

 一段目を踏みしめた時点でわかった。

 美しい横笛の音。先ほどまで無風に近かったのに、大きく大きく木々を揺らす猛風。その風に乗って聞こえてくる歌声。

 一歩、また一歩。一段をたっぷりと取って上っていく。その度風は強くなるし、遠くの方で聞こえていた工場の騒音や、鳥の鳴き声さえも消えて行く。まるで異界に誘われているかのような感覚に、けれど怯える事は無い。

 

 そうして、辿り着いた境内。

 神主はいない。どころかヒトの姿などどこにもない。ここにいるのは私と、鳥居の上の彼女だけ。

 

「ふわり、ふわり、流る、かんざし。きいろい髪に、からから揺れて。どこへ、いずこへ、求めていくの?」

 

 正直、意味の全てがわかるわけではない。ただ音として気持ちが良くて、だから口から紡いで出して。

 繰り返しだ。曲も歌詞も、ずっとずっと繰り返す。

 多分。

 ……多分、まだ、その疑問の答えは出ていないのだろう。どこへ、いずこへ。わからないままにこの歌は歌われている。

 

 知りたいのだろうか。

 

「ねぇ」

 

 だから、問う事にした。

 けれど彼女が演奏を止めることは無い。聞こえていないのか、あるいは、自分に向けられた言葉だと認識していないのか。

 

「ねぇ、貴女」

 

 もう一度。

 

「そこの──鳥居の上にいる、神様」

 

 声をかける。

 カミサマ、という言葉に、ようやく彼女は反応を示す。

 笛を吹くのをやめて、きょろきょろと辺りを見回して。

 

 そうして、私に気が付いた。

 

「ねぇ、神様」

「……もしかして、私に話しかけているのかしら?」

「他に誰かいる?」

 

 綺麗な声だった。声自体が笛の音を思わせる、サラサラとした色。

 神様は、彼女は、もう一度周囲を見る。見て、小首を傾げた。

 

「いないわ。ここには、私と貴女しかいないのね」

「そう」

「それで、どうしたのかしら。ふふ、人間と話すのなんて……ああ、どれくらいぶりかしらね」

「用件は一つ。あの歌の歌詞……アレに出てくる、かんざし、というの。どういうものか覚えている?」

「……?」

 

 小首を傾げたまま、目を右上に。人差し指を口元に当てて。

 なんのことかわからない──それを、こうも体現されるとは。

 

「歌? 歌詞?」

「貴女がいつも吹いているあの曲の歌詞のこと」

「……まぁ!」

 

 今度はぱぁと顔を輝かせて、それから嬉しそうに笑う。

 コロコロと表情の変わる人だ。あぁ、神様か。

 

 彼女はよいしょ、なんて言って、姿を消した。

 次の瞬間、眼前に現れる彼女。

 

「貴女は、もしかして聞こえるのかしら? ふふ、笛の歌。聞こえる子は、もうとうにいなくなってしまったと思っていたのだけれど」

「貴女が歌っているわけではないの?」

「私は笛を吹いているもの。ねぇ、歌ってくださらない? 私、久しぶりに歌が聞きたいわ」

「じゃあ、笛を吹いてくれる?」

「勿論!」

 

 嬉しそうに。心から、楽しそうに。

 彼女は自らの和装の、どこからともなく取り出した横笛を口に当ててから、こちらを見遣る。

 こくん、と頷き返せば──演奏が始まる。

 

「ふわり、ふわり、流る、かんざし」

 

 歌う──歌だ。私の考えた歌ではないし、歌詞の意味さえ理解していない歌。

 けれど、この場において。

 この歌を紡ぐ事が出来るのは、私だけしかいないのだと確信している。横笛を吹く神様は美しく、黒が、黒い髪が、まるで川のせせらぎが如く煌めく。黒い髪だ。見つめたのなら、引き込まれて行ってしまいそうな黒い髪。あでやかで、つややかで──あぁ、余りにも、悲しい色の。

 

「きいろい髪に、からから揺れて」

 

 歌は多分、得意なのだ。

 誰かと比べた事がないし、他の物事が苦手なわけでもないから、多分、だけど。

 多分、私は歌えている。今──美しく、綺麗に、心地良く。

 

「どこへ、いずこへ──」

 

 風が強い。強く、強く、強くなって。

 

「──求めていくの?」

「私はここにいるよ、アカツキ」

 

 気が付けば、振り向けば。

 そこに彼女がいた。

 笑顔で、涙を流して、心から、幸せそうに。

 

「いるんだろう、アカツキ。君の探し物も、私も。ずっとずっと、ここにいるよ」

 

 彼女は、星命先輩は、何も無い所へ手を伸ばす。

 彼女は、黒髪の神様は、未だに笛を吹き続けている。

 

 見えていないのだ。どちらも、どちらとも。

 

「ああ、ここにいるんだろう? 私がここにいて、君がここにいる。それなのに、だというのに」

 

 中空に手を伸ばし、無を掴み、掻き抱き。

 彼女は大粒の涙を流して笑う。

 

「会いたいよ、アカツキ……」

「ふふ、疲れちゃった? 大丈夫よ、またここへ来て、歌ってくれたらいいから。勿論、強制はしないわ。貴女の好きな時にきて、好きな時に歌ってちょうだい。それで、少しでも……私はホシミを思い出せるから」

 

 だから、やっぱりあれは。

 考え得る限り最大の──最悪の告白なのだ。

 

 だって既に、彼女には、意中の相手がいるのだから。

 

 

 

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