死途の徒 作:三羽世継
生者が生きていない者になる状態の事を、
あくまで生者が生きていない者になっている間を死途と呼び、それは大体幽霊と同じ意味である。
この点、星命先輩は死途を経ることは無い。先の未来、四ツ木ちゃんが人間である道を選んだ場合も同じ。
神が生者となった場合、死途は発生しない。ずっとずっと、生者であり続ける。
つまり、たとえ私が先輩に神様を思い出させたとしても、先輩は次の生、また次の生と重ねていくうちに、それを忘れてしまう可能性があるわけだ。
結局は対処療法というか、今の先輩をどうこうしても、根っこの部分にある問題はどうにもならない、ような気がする。私が知らない事も多いんだろうけど。
「佚依、どうしたんだい、難しい顔をして。悩み事かい?」
「はい。悩み事の種が目の前にいまして」
「これは手厳しいな。それじゃあ気軽に相談してくれ、とは言えなそうだ」
「
しかし、しかし。
どうしたもの、だろうか。本当に。星命先輩が、真に救われるには──って、あれ。
どうして私は、こんなにも頭を悩ませて、星命先輩を救おうとしているのだろう。
「お。あぁ、佚依。これとかどうかな」
「え?」
「え、じゃなくてさ。君の誕生日プレゼント。この
……どうして、なんて。
簡単だ。単純だ。
「──それだけは、ダメですよ」
「おや、どうして?」
「次に髪留めを贈る相手は決めている。違いましたか?」
「……」
余りにも可哀想だから──それ以外に、理由なんて。
「そう、だったかな」
「前に言ってましたよ。髪留めだけは、私になんかあげちゃダメです」
「なんか、って。私はこれでも、君の事を考えて」
「神様ですよ。神様が、先輩に贈ったんですよね。かんざしを……常盤色のかんざしを」
常盤色のかんざし。
枝に止まる鶯の装飾。実物こそ見た事は無いけれど、美しいものなのだろう。
「アカツキから、私への……」
「我がまだ発生していない頃の話だな。だが、ホシミは常にあのかんざしを付けていた。金の髪自体が珍しく、それを結い留めるかんざしの踊る様は、見ていて心安らぐものがあったぞ」
「先輩の金髪に映える常盤色ですよ。神様から先輩への、最初の贈り物」
「……そう、そうだ。そうだ。次に、会った時。今度は私が、必ず贈り物をする。その時は髪留めを、って……決めてたんだ」
生を繰り返さぬ内からも、記憶は零れて行くのか。
てっきり今生の記憶を忘れるのは次の生だと思っていた。それとも、もう。神様のほとんどが、私に置き換わってしまっているのかもしれない。私への誕生日プレゼントに、常盤色の髪留めを選びかねない。
可哀想だ。そんなの。
「ありがとう、佚依。危うく忘れる所だった」
「いえ。それはそうとして、誕生日プレゼントはお札でも良いんですよ」
「うん、それだけはないかな。さぁ、他のを見に行こうか」
可哀想、なんて。
上から目線の感情で、いいんだろうか。私は。
○
「え、ホシミとの思い出?」
「うん。聞きたいなって」
「あらあら……ふふふ、自分から聞いてくれる子なんていなかったから、嬉しいわ」
「
「ええ、そう。惚気話は余所でやってくれ、の一点張り。ヨルツキも嫌な顔をするし、
「
「あの子達を生んだのは私ですもの」
そうなんだ。
じゃあ神様は、ヨルツキちゃんのおばあちゃんなのか。見た目二十代くらいなのに。まぁ、老いないか。神様って。
そもそも何百とか何千歳なんだっけ? 年齢の概念とかも無さそう。
「そうね……じゃあ、何から話そうかしら。何を聞きたいの?」
「ホシミが神様だった頃、一緒に何をやってたのかな、とか」
「何を、と言われると……私が笛を吹いて、ヨツギが弓を奏でて、ホシミが踊って……昔はいた、貴女のように笛の歌や弓の歌を聞き得る子達が、歌を歌って。そればかりの……それがとても楽しい日々だったわ」
「どっか一緒に出掛けたりはしないの?」
「ふふ、私達はあまり、自分の神社からは出ないものよ。ホシミが特例なの」
品場神社に行ったり、朱歹神社に行ったりしている。
確かに特例なのだろう。あるいは、ヨツギの言う通り蓮柄自体がホシミの土地で、だから蓮柄であればどこに行くのも不思議ではなかった、とか。
ホシミとアカツキとヨツギ。この三つの神様は多分、本来はなんら関りのないものだ。ただ同じ土地にあったというだけの。人間に慕われていた神と、祟り神達。
「そういえば神様は祟り神だったって聞いたんだけど」
「……それ、誰から?」
あ、怖い。
地雷だったかなこれ。目に見えている地雷を全力で踏み抜いたかなこれ。
「ヨツギから」
「あぁ、あの子……。昔からお節介、大きなお世話、という言葉を体現しているのよね……」
「苦手?」
「発生時期が最も古いから、どうしてもね」
何がどうしても、なのかは全く理解できないけど、まぁ神様的感覚なのだろう。
星命先輩も夢の神と聞いただけで顔を顰めていたし。もしかして
「ええ、そう。私は……昔は、祟り神だったわ」
「今は違うの?」
「ふふふ、貴女は私が祟り神に見えるのかしら?」
「ううん全然。初めて聞いた時は信じられなかった」
「それは、ありがとう、と言っておきましょうか。……昔はね。昔は、その、……怖い事をしていたわ」
「近づく者全てを惨殺する怖い怖い神様って聞いた」
「それもヨツギが?」
「あー……うん」
違うけど。
これで部長が殺されてしまったら大変にもほどがあるので、ヨツギに罪を被せておく。
しかし、こうして対面しても伝わってくる程におっとりとした神様が、そんなヤンチャをしていたというのが、本人の口を経て事実として証明されてしまうと……ううん。
人は見かけによらないなぁ。神様だけど。
「この神社の名前も、そういう事だよね」
「ええ。朱歹神社……殊神社は、人間の名付けた忌避の名前」
「アカツキ神社、じゃないよね」
「流石に、自分の名前を自分の家につけたりしないわ」
そうだよね。
逆に言えば、今も尚アカツキ神社だと思い込んでいる先輩や白達のネーミングセンスが、自分の家に自分の名前をつけるようなもの、ということだったりするんだろうか。
でも蓮柄神社とかいう場所もホシミ神社ではなかったことだし……いや、それは周りが付けただけという可能性も大いにある。
「もしかして、その頃の話が聞きたいの?」
「うん。
「……少し恥ずかしいけれど、わかったわ。その代わり、今日はめいっぱい歌ってね?」
「勿論」
それじゃあ、と言って。
神様は静かに話し始めた。
●
生者を拒絶していた。
死の神として生まれた時から、生体の気配が悍ましく、苦手だった。生きとし生ける者。地表に多く蔓延るヒトだけでなく、動物も、虫も、何もかも。
故に排除した。何者かに建てられた社に住み憑いてから、長らく。近づいてくる生者の全てを殺して、安寧を保っていた。
けれどそれが長く続くことは無かった。
当然ではあるのだろう。生者とは自らに危険を示すものを排斥する存在の名である。生きていない者のように永遠を手にする事がない──あるいは、死後に永遠が手に入ると知らぬが故に、必要以上に死を恐れる。
なれば当然、その危険──死の神アカツキを討伐せんとする動きが発生するのに、なんら違和は無い。
迎え撃つつもりではあった。外界の音など、風に乗って全て聞こえてくる。生者が何を画策しているかなど手に取るようにわかる。唯一深い水底の音だけは聞こえないけれど、地上の音さえあれば十二分で。
そうして、生者らがいざ討伐を、とした時の事だ。
それらを制止し、単身乗り込んでくる存在があった。
ホシミ。生の神。命の神。
悍ましき生者に囲まれ、慕われ、祭り上げられる奇矯な神。
生きていない者は生者に干渉する事は叶わない。しかしその生の神は、多くの生者の信仰を集め、統率していた。なんらかの手法で多くの生者に自身の姿を見せているらしく、見る目も聞く耳も持たぬ者達でさえ、その生の神を崇めていた。まさしく奇矯。それに尽きる。
それが、単身だ。
生きていない者は生者に干渉できないが、生きていない者同士であれば話は別。それが互いに神ともなれば、殺し合う事さえ可能。
況してや自らの領土足らぬ他神の社へ踏み込んだともなれば、全面戦争は避けられない。
事実ホシミが神社に足を踏み入れた瞬間、風の刃を放った。鎌鼬。肉持つ生者であれば、骨までもを容易に切り裂き得る刃を。
不可視のそれはしかし、容易に避けられる。その後に何度放っても結果は同じ。自らの社にあらば何処にへでも出現し得る神だが、他神の領域にあって尚、ホシミはそれに匹敵する程の運動能力を有しているように見えた。
故に選んだのは、対話。
無駄である事にまで躍起にはならない。
「何用だ、生の神」
「ご挨拶だね、お嬢さん」
対応に困った。
発生以来、会話をした記憶はほとんどない。生者を惨殺し続けていたら、生きていない者まで近づかなくなったからだ。
それを、開口一番。
"お嬢さん"、だと?
「……もう一度問うぞ、生の神。何用だ」
「そんなに睨まないでほしいな。お嬢さん、私はね」
──君を奪いに来たんだから。私のモノになってくれないかな、お嬢さん?
そう。
ホシミは、口にした。
○
「一瞬で私の眼前にまで歩み寄ってね? こう……顎に手を添えて、少しだけ上を向かせて。ホシミの方が背が高かったから、そうして、そうして、不敵な笑みをね? ……あら、どうしたのかしら。そんな、額を押さえて……」
「大丈夫。なんでもないから。色々思う所があっただけだから」
「それはなんでもないと言わない気がするけれど……ふふ、続けるわね?」
あの告白、もしかしてフィルターになれ、って意味じゃなくて、本当に告白文だったのかな、とか。
だったら色々考えなおした方がいいですよ、とか。
色々、本当に色々思う所があるけれど、今は続きを聞こう。
●
ホシミが社に居座るようになってから、生者の気配を悍ましいとは思わなくなった。
どうしてか、と問われると、少しばかり困る。ホシミが生の神として、何かをしているのやもしれないが、問えども"そうなのかい? それは良かったじゃないか"などと言って笑うばかり。
とはいえ自らさえもわからぬ変化となれば、今まで被害の側にあった生者らの気が気でないのは手に取るようにわかる。一度目にした危険が、何の証拠もなく消えた、などと。
となれば当然、措置が為される。
はじめの頃のような討伐、あるいは処理、という結果にはならなかった。恐らくはホシミが手を回したのだろうが、大人しくそれに甘んじる事にした。
死の神アカツキの処遇。それは、夢の神ヨツギとの相互監視。
同じく──ともすれば、死者の数は此方を超えるだろう夢の神ヨツギ。水害を司り、幾度となく未曽有の事態を引き起こしてきた彼の神であれば、死の神の監視役に足り得ると。
「初めましてね? ヨツギよ。これからよろしく、死の神さん?」
「……アカツキだ。よろしくするつもりはない」
「随分と尖っているね? でも、可愛らしい」
「ふふふ、そうだろう? アカツキは可愛らしいんだ。でも、上げないよ。彼女は私のモノにするんだから」
「へえ、そういう関係になったの? 私は否定しないけど……人間達は、捨てられてしまうのね?」
「別にいつまでも守ってやる必要はないと思っているからね。頼られたら応えるつもりではあるけれど……人間同士の諍いにまで手を出すつもりはないよ。今回や君の時の様に生きていない者が相手であれば、話は別だけど」
自分でも不思議だった。
不快、なのだ。
旧知の仲ではあるのだろう、夢の神と生の神。ヨツギとホシミが、親し気に話す様子が。
不快なのである。
「ああ、ごめんごめん。君をほったらかしにしすぎたね。謝るから、そう顔を顰めないでほしい。アカツキの顔はとても綺麗なんだから、怒ってしまうと勿体ないよ。ほら、笑って?」
「……ヨツギの前では、嫌だ」
「可愛いなぁアカツキは!」
抱きしめられると、凄くほっとする。安堵する。
同時にヨツギに対して優越感が生まれる。
あまりにも、不可思議な感覚。生者を拒絶し続けていた頃には獲得し得なかった感情。
「それじゃあそろそろ私はお暇するね? 大丈夫、常に監視はしているから。何かしたら、しようとしたら、すぐにでも夢の世界へ誘ってあげるよ」
「ふん。努、忘れぬことだ。お前の行動とて手に取るようにわかる。ホシミに余計な事をしてみろ、素っ首刎ねるぞ」
「情熱的ね? それじゃ、ホシミ。あとは任せたから」
「うん。ヨツギ、私は多分そっちへはあまり行かなくなるから」
「言わなくても分かっているよ? 大丈夫、ちゃんと育てておくから」
「ありがとう。いつも、お世話になるね」
「……」
信頼関係、なのだろう。
あの祟り神とホシミの間には、強固な繫がりを感じられた。
不快。
「それじゃあアカツキ。ヨツギが居なくなったから、笑ってくれるかな」
「……難しい。今まで、笑うなどしてこなかった」
「それじゃあ私と一緒に練習しよう。大丈夫大丈夫、すぐに出来るようになるさ」
ホシミが笑う。
金の髪をなびかせて、碧色の目を細めて。どちらも美しい。自分とは違う、華々しさに溢れる色。
「君の髪も、透き通るような色だ。あでやかで、つややかで、とても美しいよ」
「心を読んだのか?」
「まさか。でも、君の考えている事なら、それこそ手に取るようにわかるよ。なんたって私は君が大好きだからね。愛しているんだ」
「……」
よくもまぁ、ぬけぬけと、とは思った。
まだ出会って数日だ。それなのに、こうも歯の浮く言葉を吐けるものなのかと。
それでも。
「我……わ、私もだ、ホシミ」
「~~~っ! うんうんうんうん! これからずっと、愛を確かめ合っていこう!」
少なくとも、そこからは。
不快などというものは欠片も無く──。
心から、暖かい……幸せな日々が続いたのだ。
○
「神様、昔はそんな口調だったんだ。というかもしかして
「……そうね。あの子が発生した当初はまだ、こうじゃなかったから」
「あんまり思い出したくない過去?」
「いいえ、そんなことはないのよ。だってこれも、ホシミとの大切な記憶。次にホシミと会えるのがいつになるかはわからないけれど、ホシミを思い出しながら過ごす今に、思い出したくない過去なんて存在しないわ」
「もし次に会えたら、今度はもっと楽しい思い出が更新されていくんだね」
「ふふ。貴女もいつか出会えるよう祈っておいてくれる?」
「……うん」
出会える、というのは、やっぱり。
星命先輩が、ホシミが、見える目と、聞こえる耳と、触り得る身体を手に入れた時の事、なんだろう。先輩のことだ、覚えてさえいれば、たとえ海外で生まれたってなんとかしてここへは辿り着くだろう。だからやっぱり、あとは運で。
それまでに先輩が、神様を忘れなければ、という条件付きで。
「それじゃそろそろ歌おうか」
「ええ、お願い」
「……一つだけ、聞いていい?」
「なぁに?」
今まさに歌を歌わんと、声を出さんとしていたけれど、ふと、気になって。
気になって、問う。
「寂しくはないの? 今……ホシミと出会えていない、今が」
「寂しくはないわ。だってホシミは、必ず私に会いに来てくれる。たとえ──
それは、極上の笑みであったのだろう。
思わず引き込まれてしまう──呑まれてしまう程に、美しい笑み。
けど、なんとか踏み止まって。
「気付いてたんだ」
「大丈夫よ。たとえ私は、私達は、互いの一切を忘れてしまったとしても、必ず出会える。必ず結ばれる。ねぇ、知っている? 運命……というものが、存在するわ」
「うん。聞いた」
「私達にその全てを読み取る事は叶わない。適わないし、叶う事は無い。けれど」
胸に手を当てて、神様は言う。
「私達は信じているの。その運命の行きつく先に、私とホシミが、互いを認識して、会話をして、互いを確かめ合う未来が待ち受けていると。知っているのよ。必ずホシミは、私の前に現れてくれると」
そしてそれは、ホシミも同じ。
「だから、歌ってほしいの。この歌は、私が作った歌ではないけれど……ホシミに宛てられた歌だから」
「うん。じゃあもう、この歌に悲しみは乗せないようにする。悲しい唄じゃないんだね」
「ええ」
笛が始まる。
息を吸う。
「──ふわり、ふわり、流る、かんざし──」
これは、希望の歌であると。
歌え。