死途の徒 作:三羽世継
朱月神社、というらしい。何がって、あの神社の名前が。
建てられた時か、建てる事が決められた時か、あるいは名付けた時か。そのどれかで皆既月食があったのだろう。ブラッドムーンというやつだ。多分、丁度、その頃はこの辺りが一番高い山だとかで、この神社の真上に赤い月が来て……とか、そういうのだろう。多分。
蓮柄高校の図書室。そこにあった古い地図。過去に撮影された周辺の航空写真を添えて、そう刻まれていた。
シュゲツ神社、だろうか。それとも安直にアカツキ神社だろうか。あの時彼女が呼びかけていた名がアカツキだったから、本当に安直にアカツキ神社やもしれない。
とかく、その朱月神社だ。
そこで祀られている神様の事を知りたかった。それを調べるためにここへ来た。昼休み。まぁ、多少。星命先輩から逃げてきた、というのもある。大いにある。むしろそれが主目的で、ついでとばかりに本を取った。
星命先輩。
彼女は頑なに自らを先輩であると認めようとしない。無論、私とて学年が同じである事は理解している。それでも彼女は先輩なのだ。
だって彼女は、留年しているから。
「佚依さん? そろそろ昼休み終わるけど、教室帰らなくていいの?」
「帰らなくていいのなら」
「なんで帰るように促さないんだ、って怒られるのは私なんだから、帰りなさい」
「はい」
流石に司書さんに迷惑をかける事は出来ない。特に用もなく、特に理由もない。本を元の位置に戻して立ち上がり、図書室を出るまでに約一分。無駄のない動作はしかし、図書室を出た時点でピシャリと止められた。
「──」
犬だ。大きな大きな下顎犬歯が特徴的な、ぐるぐると青い光を滾らせる白い犬。
それが、廊下のど真ん中に陣取っている。非常に、心から邪魔なソレを、けれど教師も生徒も見向きもしない。通り抜ける者さえいる。
そういうものなのだと、理解した。
なれば私も気にする必要はない。廊下のど真ん中。本当に真ん中で、両脇に隙間がない程の巨体に、そのまま直進する。
「
「……」
荘厳、と称されるのだろう声を無視する。多分、恐らく、私に話しかけているのだろうけれど、無視をする。
その体を通り、通り抜けて、足早に教室へ向かう。実際問題時間が無いのだから、何も間違った行為ではない。そのまま、そのまま。
教室へ戻る事が出来た。
……授業は始まりかけていたけれど。
○
「や、佚依」
「……」
五限目の終わり、そこそこ程度には話すクラスメイトから、"Cクラスの坂井さんからの伝言でね、下校時間になったら、正門前で待っているよ、だってさ"なんてことを聞いた。やはりわざわざ訪れていたらしい。逃げたのは大正解。
星命先輩は金髪で、目立つ。容姿も整っているし、声も通る。けれど、何よりもそのオーラが……"私、他人とは仲良くしませんよ"みたいなオーラが、あるいは王子様風とでも捉えられただろうルックスを全て相殺している。
だから、七割方悪い意味で目立つのだ。
そんな彼女と共にいれば、尚更に。
私も正直愛想の良い方とは言えない。だからこそ異色に映ったのだろう、初めは質問攻めにあったものだ。ただの友人、と答えても、誰一人として信じてはくれなかった。既に付き合っている疑惑なんてものが浮上しているらしい。噂を流布した者の首を斬るのも吝かではない。
……少なくとも私は、所有物になれ、なんて言ってくるヒトと付き合いたいとは思えないから。
そんな風に考えて、下校時になっても教室へ居残り、19時を過ぎてからようやく裏門へ……と見せかけて正門へ向かってみれば、これだ。
読まれていたのか、あるいは裏も掻かずに馬鹿正直に待っていたのか。
どうせこの時間になったら朱月神社へ向かう事はないのに、どういう了見なのか。
「勿論、好きな子を待っていただけさ。たったの二時間だろう?」
「部活動や委員会は?」
「入ってないよ、そんなもの。入る意味も理由もない」
「卒業する気がないから、ですか」
「わかっているじゃないか。流石だね、佚依」
なら、本当にこの二時間。何もせずにここで待っていたのか。
相当暇なのか。あるいは、待ち慣れているのか。
「今日は寄りませんよ」
「ああ、わかっている。けど、家まで送っていくくらいは許してくれるだろう?」
「……構いません」
「嫌と言われても、勝手についていくけれどね」
「ストーカーっていうんですよ、そういうの」
「うん、じゃあやっぱり断られなくて良かったよ」
ずしん、と。
私の真横に白い足が落ちる。空気を震わせるのは、しかし重さではない。言葉にするのならやはり、オーラだとか、威圧感というものになるのだろう。
昼に見た犬が、隣にいた。
「勉学に励むでも、物を捜すでもなく、二刻。何を惚けていたのかは知らぬが……
「……」
「佚依?」
犬。狼? いや、狛犬というやつか。
体高は私よりも高い。幅は軽自動車くらいかな。それが、ギロリとこちらを見ているのだ。多分、睨んでいるつもりなんかないんだろうけど。顔が怖いよ、顔が。
「雨」
「うん?」
「明日は雨ですよ。多分。私は傘を忘れないので、二本持ってくる、なんてことはしなくていいですからね」
「……ちぇ、先手を打たれたか」
「帰りましょうか。余り遅くなると、先輩の親御さんも心配するでしょうし」
「だから先輩じゃないって……」
金の髪の少女と、でっかい狛犬。
二つを連れての家路は少しだけ、波のある非日常であったと思う。
○
「あら、今日は早いのね」
「土曜日だから」
「?」
神様には曜日という概念が無いらしい。まぁ、人間の習慣になど興味はないのだろう。
土曜。土曜日。だから朝から、ここへ来た。朱月神社。相変わらず風の強い場所。
階段の上にある鳥居と、そこから本殿へ続く参道。正方形の境内の中心に本殿があり、四隅にはそれぞれ境内社と切り株。境内を囲う林。それ以外の建物は存在しない。小さい神社だから、社務所や手水舎は無い。
元は大きな樹が立っていたのだろう。明らかに周囲の林とは違う種類の切り株は、丁度いいベンチになる。座っていいのかどうかは正直わからないけど、当の本人が注意してこないのだから大丈夫なのだろう。
「今日も歌ってくださるのかしら?」
「そのつもり」
「ふふ、嬉しいわ」
早速、と言わんばかりに笛を取り出す彼女に、制止の意味を込めた手のひらを向ける。
「その前に」
「?」
「教えてよ。神様の言っているかんざしって、どういうの? ちゃんと想像したい」
歌うのだ。ただ歌詞情報の羅列が流れる脳内より、光景が目に浮かぶ方が楽しい。そしてそれの正解を知っている者が目の前にいるのだから、問わない選択肢はないだろう。
彼女は今まさに吹かんとしていた横笛から口を話し、人差し指を口元に当てて、コテンと首を傾げる。そのまま、二度、三度と首を左右に振って、今度は両掌を合わせた。いつの間にか消えている笛。
「ええと、そう……これよ。この服の、ここの色」
言って指す箇所は、雲海の裾。その一点に打たれた染め色は、深く美しい緑をしている。
確か、この色の名前は。
「常盤色、だっけ」
「ああ、そう。それ」
色はわかった。
「形は?」
「普通のかんざしよ? かんざし。見た事あるかしら?」
「わかった。装飾は?」
「黒墨に金箔で、枝葉に止まり羽を休める鶯を」
絵が生まれる。今まで文字列でしかなかったものに、色が生まれる。
それがより強いイメージとなり、紡ぐ言葉に力が入る。
「じゃあ、歌うから……また、綺麗な笛の音を聞かせてほしい」
「ええ、勿論!」
またもどこからともなく現れた笛に口を当てる神様。そこから、美しい色音が漏れ出で始める。少しばかり前奏の長い曲だから、私も少しばかり待って。
口を、開く。
「──ふわり、ふわり、流る、かんざし」
空を浮いて。川を流されて。
違う。
乗せるべきは多分、金の髪の上だ。風にたなびき波打つ
手を伸ばす。天へと手を伸ばす。
けれど、けれど、その手が取られる事は無い。すぐ近くにいるのに、すぐそばにいるのに、彼女の手は宙を掠める。すぐそばにいる黒髪の神様の姿を、彼女は捉える事が出来ない。
そしてそれは、黒髪の神様も同じ。
手を伸ばされている事も、片膝を突いている事も、そばにいることさえ気付けない。
ただ、彼女の無事を願って、祈って、笛を吹く。重なり合わない平行線。重なり合っても気が付けないねじれの位置。
ああ──そうだ。
なればこの恋が叶う事は無い。実る事は無い。
なれば、私は──。
「随分と」
風が止んだ。
違う、遮られたのだ。
「懐かしい唄を歌うものだ。笛の歌。既に失せた唄」
「きいろい髪に、からから揺れて──」
「そろそろ無視も利かぬぞ、
「……」
また、ギロリと。
睨まれた。今度は多分、本当に。
歌うのを止める。となれば当然、神様が吹くのを止める。止めて、こちらを心配そうに窺った。
「どうしたの? もしかして喉が痛いのかしら」
「話しかけられたから」
「あぁ、
「然り」
ハク、という名前。なんともまた、安直だ。
多分体毛が白いからだろう。それ以外の理由が考えられない。もしこの名を付けたのが神様なのであれば、この神社の名前すらもこの神様が付けた可能性が浮上する。
神様は今気が付いたとばかりに、否、本当に今気が付いたのだろう。犬……もとい白に向き直り、口元に指を当てて、それからこう言った。
「貴女、歌は嫌いだったかしら?」
「そのようなことは無いが」
「なら、どうして話しかけたりしたの? いつものように隅で静かに笛を聞いていればいいのに」
「む」
……え、なんかアタリが強い。
もしかして怒っている、のだろうか。私がこの歌を歌い得る事を大層喜んでいたようだから、それを中断されたのが気に障った、とか。
とか、じゃなくて、多分正解。
「……すまなかった」
「もう、そういうところ、気が利かないんだから。昔からそう」
「ああ、わかったわかった。アカツキ、癇癪は止してくれ。
「別に続けてくれていいけれど」
「
無いのはそっちだけど。
「神様」
「何かしら?」
「私、今日はそろそろ帰るよ。あぁ、気分を悪くした、とかじゃないから。単純にそろそろ、面倒な人が来そうだから、逃げておこうかな、って」
「あら……そう。残念ね。また来てくれるかしら?」
「うん。私も神様の笛、好きだから」
「ふふ、嬉しいわ。ありがとう」
告げて。
白と目が合った。
「そっちのも、またどこかで」
「うむ」
そっちの扱いでいいらしい。神様と多分眷属とかだろうに、敬えとか言ってこないんだ。言われても敬うつもりはないけれど。もしかしたらこういう本心が見透かされてて、無駄だってわかってるから言ってこないとかなのかな。
どうでもいいか。どっちでもいい。
踵を返す程の角度があるわけじゃないけれど、神様に背を向けて歩き出す。参道から鳥居までの距離は10メートル程。本当に小さい神社だ。
先程よりは弱くなった風に、けれど一応スカートを押さえながら進んで、進んで。
進んで、鳥居を抜けて。
そこはもう、春の木漏れ日差す日常──なんて詩的な言い方をしたけれど、まぁ。
いつもの歩道と、車道だった。
○
次の日。翌日。明くる日。
当然日曜日になる。この日もまた当然学校は休みなワケなのだけど、どうしてか私は学校へと赴いていた。
どうしてかって。
部活動があるから、なんだけど。
「それで、佚依ちゃん。坂井さんとはどこまでいったワケ?」
「鼻と顎、どっちがお好みですか」
「わぁごめんごめん!」
星命先輩と違って、私は卒業する気がある。だから部活動にも参加しているし、委員会にも入っている。内申点は大事だ。実績も大事だ。就職ではなく大学へ進む予定であるとはいえ、高校生の頃に何をやっていたか、はそこそこ重要なアドバンテージになる。はずだ。多分。
手芸部。まぁ、これほど語っておいてそれかよ、みたいな。文芸部に並んで"行くところの無い奴が入る部活"の代名詞ではあるけれど、一応、そこそこ、ちゃんと手芸をしている。
編み物をする、だとか。
縫物をする、だとか。
刺繍を作ったり、衣服の修繕をしたり、縫いぐるみを作ったり。
そこそこの活動はしている。
無論私とて、何故わざわざ日曜日に学校へ集まってまで手芸をしなければならないのか、という疑問は持っているけれど、そう定められて、了承の意を返してしまったのだから仕方がない。断ればよかったと酷く後悔している。
断れば良かったなぁ。だるい。
「でも、本当にどうして、というかどこで坂井さんと知り合ったの? ぶっちゃけ接点らしい接点思い浮かばないんだけど。共通点は……まぁ」
「まぁ?」
「ちょっと怖いとこくらい、かな……わぁ殴らないで!」
「殴りませんよ。自覚してますから」
確かにそれは共通しているかもしれない。
近づかないでくださいオーラ。彼女の他人を寄せ付けない雰囲気。私の場合は単純にだるいからなんだけど。
「でも、部長も怖がられてますよ」
「エ?」
「恋愛相談したら全部言いふらす人、って」
「わぁお、嫌な怖がられ方」
手芸部部長。なんというか、軽い人だ。凄く。至極。
後輩である私にも気兼ねなく接してくれる、といえば聞こえはいい。悪い言い方をすると死ぬほど馴れ馴れしい。手芸部に入っても独りでいようと思っていた私の領域に、ずかずかずけずけと入り込んでくる。非常に鬱陶しい。
良い所は、ああ、まぁ、手芸知識がちゃんとあることくらいだろうか。部長らしい働きは出来る、という程度。人間性は劣悪の類なんじゃないかな。
「それ、もしかしていぬ?」
「下手ですか」
「いやいや! 犬と分からないくらい下手、とかそういう意味じゃなくてね?」
「そこまで詳細に言われると傷付きますね。捨てましょうか」
「ごめん、ちょっとふざけた。いやさ、編みぐるみで犬なんてのはまぁありきたりだけど、佚依ちゃんが創る、ってなると意味が変わってくるでしょ?」
「そうですか?」
「え、だって佚依ちゃん、動物嫌いだし」
……ふむ。
確かに。
白の姿を思い浮かべて編みぐるみを作っていたけれど、そういえば私は動物が嫌いだった。
いや嫌いというか、苦手というか。面倒臭い、というか。
「やっぱり捨てておきましょうか。これが切っ掛けで野良犬にでも遭遇したら嫌ですし」
「今どき野良犬とかいるっけ……」
「野良狼がいいですか」
「もっと怖い! ……って、ああ! 本当に捨てようとしないの! 最初に教えたでしょ。人形には命が宿るんだから、作り始めたら完成まで持っていく事。下手でもいいから、ね?」
「やっぱり下手だと思ってるんですね」
「今のは言葉の綾!」
いいんですよ、別に。上手いと思ってませんし。
けど、まぁ、確かに。この編みぐるみに罪はない。部活動終了時間までまだかなりあるし、ここで捨ててしまえば新たな題材を見つけなければいけなくなる。惰性でも、続けるに越したことは無い。
「ほう。我か、それは」
「……」
「え、本当に傷付いちゃったりしてる? ごめんごめん! 本当に冗談だよ、下手だなんて思ってないって!」
「大丈夫です。一応、犬には見えるっぽいので」
「大丈夫大丈夫。ぽいじゃなくて、ちゃんと犬だよ」
ご本人登場、というヤツ。
ぬぅ、と窓側の壁から顔を出した白に、一瞬固まってしまった。神様はあの神社から出てくる様子がないのに、こいつは自由に動き回れるんだなぁ、って。こいつ呼びでいいよね。犬だし。
奇しくもモデルが目の前に現れたことで、記憶にあるそれより完成形のイメージがしやすくなった。
「良い、良い。汝の作る代となれば、上質となろう」
「あげないけど」
「いや別に要らな……あ、嘘嘘! ほしいほしい!」
「安心してください。部長にはもう一生、何もあげません」
「ごめんてぇ~!」
ちょっと、不便だな、とか思ったり。
完成までをなんとか漕ぎつけて、その日の部活動は終了した。