死途の徒   作:三羽世継

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二十一灯

 まるで、深い深い水底にいるかのような感覚があった。

 十九時。初夏と考えればまだまだ明るい時間であるのに、辺りは暗く、どこかおどろおどろしい。周囲の林を揺らしては轟々と唸り声を上げる風。夜露が弾け、月明かりに照らされて光る。

 

 そこに、いた。

 

 銀の髪を持つ女の子。胡弓を持ち、目を瞑り──けれどこちらから、顔を逸らそうとはしない。

 少し離れた所には、どこか心配そうに私達を見る黒髪の神様と炎を纏う犬。

 

 一触即発。

 そんな雰囲気が、そこにはあった。

 

 

 

 ○

 

 

 

 ──くるり、くるり、流る、かわぎし。

 ──きいろい髪は、はらはら枯れて。

 ──いつか、どこかへ、委ねて行くの?

 

 歌が聞こえる。

 朱歹神社。その領域に入る前から、歌が。

 

 いつもの車道と歩道を横切って神社へ入って行けば、その歌は一層強く聞こえる。音量が上がったというよりは、雑音が聞こえなくなった、が正しいだろう。風の音。木々のざわめきが追加されているにも関わらず、外にいた時よりも鮮明に、そして何かを訴えかけてくるかのように、歌が脳裏に響く。

 

(そら)の神」

 

 階段を上りながら上を向いて呟く。けれど、当然返事はない。危ないのでちゃんと足元を見る。

 今も空を覆い尽くす大きな手。その持ち主が歌う、ホシミへ宛てられた歌。

 弓の歌。

 

 階段を上りきって、鳥居をくぐる。

 今日は鳥居の上でなく、本殿の上にいるのだろう。

 

「来たか」

「待ち構えてたの?」

「狛犬故な。構えざるを得ん」

 

 油断していたら、死角から声を掛けられた。視認性の悪い神社だ。

 犬の顔にしてはどこか緊張している……っぽい(はく)と、そして。

 

「こうして対面して、二匹揃っているのは初めてだね。壮観って言ってあげた方がいい?」

「お前は心にもない事を口に出すのが得意過ぎるな」

「履歴書に書くよ。特技の欄に」

「紙面より得られる情報など、対話の一割にも満たぬ証左よな」

 

 赤い炎を纏う犬。

 あぁ、壮観だ。大きな大きな犬が二匹、ぐるぐると唸りながら私を見ているのだから。

 鋭い牙。睨みつけるが如き目つき。温度は感じないけれど、現れては消えるを繰り返す青と赤の炎。

 

「確認するけど、今の(びゃく)に、嘉白であった頃の記憶が無いわけじゃないんだよね?」

「そうだ。だが、四ツ木への親愛はない。どうして救おうとするのか、未だに理解は及ばぬ」

「なら、余計な口を出すな。(なれ)はもう、見ているだけでいい」

「ム」

 

 バチバチだ。

 (はく)がこの件について、(びゃく)にどれほど期待していないかがわかる。それほどまでに、冷たい声。(びゃく)も思わずひるんでしまう程の凄味。

 

「……(なれ)

「うん」

「我らは眷属だ。普段はああも軽口を叩いているが、根本の部分では神に従順であると覚えておいてほしい。たとえ赤子同然のアカツキであっても、たとえ未だ幼きヨルツキであっても、我らがあれらの眷属であることに相違はない。神が嫌だと言えば、我らも拒絶する。神が好きだと言えば、我らも肯定する。抵抗はしよう。だが、もしもの場合、この場において神と違う意見を吐き出せるのは、(なれ)しかいないのだと心してほしい」

「随分と重い期待をかけてくるね。私がプレッシャーに押しつぶされるとか考えないのかな」

(なれ)に人の心は無いだろう?」

「都合が良い事で」

 

 でも、うん。

 ちゃんと言うよ。覚悟なんて、何にも決まっていないけれど。

 

「アカツキ、ヨルツキちゃん」

「あぁ、来てくれたのね? ほら、ヨルツキ。覚えている? 前の満月に会った……」

「私達が物を忘れないのは当然では? 勿論、覚えています。天然のお姉さん」

「少なくとも加工品ではないね」

「……ちょっと変えてくるの止めてください。それに、夢見心地ではありましたが……ヨツキとも、遊んでいましたから。記憶には新しいです」

 

 あれ。

 憶えているんだ。起きている間の事。

 

「完全に記憶を共有しているわけではありませんが、私が中学一年生であることを自覚しているように、ヨツキの常識の部分にまで踏み入る知識があれば、私もそれを知識として思い出せます」

「というか知っているんだ。自分が四ツ木ちゃんと共に在る事」

「無論です。私は仮初の神ですから。どうせ、あと少しで水跳夜月は消えます。泡沫の夢という奴です」

 

 ──。

 あぁ、いけないいけない。またか、とか思っちゃ、いけないよね。

 なんでこう、みんなみんな悲観的で、行動力に欠けるんだろう、とか。思っちゃだめだめ。相手はまだ中学一年生なんだから。

 

「受け入れてるの?」

「受け入れざるを得ない、というだけです。どの道、生まれてから今の今まで、ずっとこうして弓を弾いていただけですから。特に未練となる思い出もありません」

「消えないで済むなら、消えたくない、とは思ってる?」

「それもまた、無論でしょう。生者だろうと生きていない者だろうと、自らの存在が消える事に満足する者などそうそういませんよ。ですが、私は私を続かせてまで、ヨツキを消したいとは思いません。私のような存在の意義を持たない神と違って、あの子は生者。これから先、様々な出会いに恵まれ、様々な出来事を体験するでしょう。可能性の芽としての優秀さは確実にヨツキの方が上です」

「四ツ木ちゃんのことは、どう思っているの?」

「会った事の無い、双子の妹、ですかね」

 

 言って、少しだけ笑うヨルツキちゃん。

 背後で二匹が喉を詰まらせたかのような音を鳴らした。

 

「ええと、ええと? イヨリ、ヨルツキに用がある、ということで、いいのかしら?」

「あ、うん。ちょっとだけね」

「そう……。それなら、少しだけ。少しだけ我慢するわ」

「ありがとう、アカツキ」

 

 アカツキがおろおろしているの、初めて見たかもしれない。

 ちょっと凄味出しすぎちゃったかな。険悪なわけじゃないんだけど。

 

 本殿の上からアカツキが消え、背後、二匹の犬の元に現れるのがわかった。

 

「用、ですか」

「うん」

「ヨツキの話題を振ってきたという事は、天然のお姉さんも私達の事情を知っている、という理解で良いですよね」

「そうだね。もうすぐ、四ツ木ちゃんの夢が終わってしまう事も知っている。ヨルツキちゃんがどういう状況にあるのか知っている」

「話したのは……いえ、聞くまでもないですね。母様だけでなく、父様までもがいるというだけで、わかりきった事です」

 

 銀の髪が揺れる。

 月明かりを広く反射するその髪色は、先輩のそれとも、アカツキのソレとも違う、どこか浮世離れした雰囲気を持っている。

 その神が、頭が、顔が。

 その目線が──私を一点に刺し貫く。

 

「私を救いたい、という話であれば──余計なお世話です、といいましょう」

「──……どうして、かな」

「先も言ったように、未練がありません。この世に留まりたいという未練が。仮に、貴女が何らかの方法で私とヨツキの双方を救う手立てを持ってきていたとしても、私は救われたくない」

「消えないで済むなら、消えたくないんじゃなかったの?」

「他人の手は借りない、と言っています」

 

 それは、確実な拒絶だった。

 こちらがあーだこーだと考えを練っていた前提には、救ってあげる、という意志がある。救いたいのも、救ってあげたいのも、可哀想だからだ。

 もし、そこが崩れたのなら。

 すべての意味がなくなるに等しい。

 

「私とヨツキは会話をした事がありません。故に、私とヨツキがそれぞれに一つの対象について考えれば、差異が生まれる事がある。霊魂は同じですが、性格が違いますからね。そうして違う結論が出たのなら、私はヨツキの夢に干渉する。夢の神ですから、それくらいは出来ます。夢で見た事の八割は忘れてしまうのが生者というものですが、無意識には強く残ります。喜ばしい事、恐怖体験、悲しい事、懐かしき出会い。それを起床時に引き継げる。それが夢です」

 

 冷たい目線だ。あるいは、有象無象をみるかのような──どうでもいい相手故、視界に入れていると認識していないかのような、そんな目線。

 アカツキのそれとも、ヨツギのそれとも違う。ともすれば初めて神というものに相対したのではないかと思う程の、静謐にして寒々しい空気が溢れている。

 

「しかし、此度ばかりは、合致しました。即ち私が消えるという事に関して、双方が合意したわけです。ならば私にすることは有りません。下手に干渉し、ヨツキの意識を変えてしまう事も、それを受けて私が変動してしまう事も、私達にとって悪しきことであると断言できます。よって」

 

 身体が重い。

 まるで水底にいるかのような重圧。圧し掛かる水が、呼吸すらも奪っていく感覚に陥る。

 

「改めて拒絶します。結構です。母様や父様に何を言われていたとしても、私の意思は変わりません。お帰り願います、天然のお姉さん」

「お断りするよ」

「……そうですか」

 

 一触即発。

 険悪なわけじゃないんだけど、と言った手前、申し訳ないけど。

 私の拒絶によって一気に険悪になってしまった。そんなつもり、無い……わけがない。

 ちゃんと、真っ向からぶつかるために、ここにいるのだから。

 

「私を救うと。私の意思は無視で、私を救うと言うんですね」

「うん。自分勝手にね。ヨルツキちゃんの意思とか聞いてないし、四ツ木ちゃんへの遠慮も無いよ」

「なれば、理由を聞きたいです。どうしてそこまで、私を救いたがりますか」

「寝覚めが悪いんだよね。やめてほしい。勝手に消えられると、私が罪悪感とか後悔を抱いちゃうからさ。そういうの感じたくないんだよね」

「勝手が過ぎますね。お姉さんが苦痛を感じたくないがために、意思を捻じ曲げて私に救われろ、ということですか」

「うん。ダメかな」

 

 最近分かった事だ。

 どうにも私は、理想が凄く高いらしい。愛のこと然り、行動力然り。

 運命とかいうやつを、流されるままに受け入れている姿に凄くイライラする。でも多分、同族嫌悪なんだろう。

 だって私がそうだったから。

 灰色だ、なんて言って、自分から出会いを探しには行っていなかった。あの日、たまたまあそこを通りがからなかったら、何か起きる事を期待して、何も起きない日々をずっと送っていた事だろう。

 

 時間が解決してくれる、なんて。

 時間が経てば、選ばざるを得ないから、なんて。

 時間があれば、いずれ見つけ出せるから、なんて。

 

 嫌いだ。大嫌いだ。イライラする。

 そんな志の低い状態で、私の世界にいないでほしい。幸せだとか愛だとかを、もっと情熱的に探し求めていて欲しい。

 あぁ、どこまでも、あまりにも身勝手な我儘。

 

「……一応、手法だけ聞いておきます」

「ヨツギを神座から引き摺り下ろして、そこへヨルツキちゃんに入ってもらう。四ツ木ちゃんにはヨツギに憑いてもらって、思春期の終わりと同時にヨツギを引き剥がす。ヨツギはこっちの用意した器に入れる」

「待ってください。少し待ってください。……ヨツギに会えるんですか? というかあの神、今も近くにいるんですか?」

「夢の中に住んでるよ。よくちょっかいをかけてくる」

「……そうですか」

「ヨツギに言いたい事がある感じ?」

「それは、あります。だって私は、ヨツギが品場神社から離れたがために生み出された神です。彼女が離れなければ私は生まれませんでした」

「一度殴ってやらないと気が済まない?」

「それもありますが、問うてみたいんです。私と、そしてヨツキの存在意義を。母様が死に、父様の生者たる肉体も限界に近い。となれば、もうすぐヨツキは天涯孤独の身になる。ヨツギが品場神社を離れた結果、誰に頼る事も、誰に縋る事も適わない女の子が一人、世界に放り出されます。だから」

 

 どうしてですか、と。

 問いたい。

 

 そう言う。

 

「心配? 四ツ木ちゃんの事」

「勿論です。私は神で、生きていない者。変わらずに日々を過ごすだけなら何とでも出来ます。仮に私がお姉さんに救われてしまったとしても、これまでと変わらない日々を過ごすでしょう。品場神社やここで胡弓を弾き、少しだけ伸びた一日に、けれどやはり変わった事をする事も無く、ずっと同じ。でもヨツキは違う」

「まだ中学一年生だもんね」

「父様の肉体が寿命を迎えるのは二年後。それまでに一人で生きていくために必要な全てを、父様がヨツキに授けられるとは思えない。父様は生者としてはあまり評価の高い方ではありませんから」

「ヨ、ヨルツキ?」

「父様の事ではありません。父様の事です」

 

 凄い。

 さっき四ツ木ちゃんの無意識の常識にある事はヨルツキちゃんも知っている、と言っていた。つまり、今こうしてヨルツキちゃんが物凄い勢いで貶していっている事の数々は、前提条件として四ツ木ちゃんが抱いている嘉白の印象ということだ。

 頼られて無さすぎでしょ。生者歴二十年の仇か。

 

「だから、問いたいんです。貴女の行動は一人の可哀想な少女を生み出したに終わりましたが、そこにどんな意図があったのか、と」

「ヨツギの事、嫌い?」

「心から」

 

 ああ、うん。

 ほんと、誰からも嫌われてるなぁ、あの祟り神。

 

「勿論、感謝はありますよ。こうして弓を弾ける事。ヨツキが学校に行って友達を作り、喜楽の感情を得た事。こうして弓の歌を歌い得るお姉さんに出会えたこと。すべてはヨツギの行動が故です。一厘ほどは、感謝しましょう」

「今度ヨツギに会ったら伝えておくよ」

「はい。……すみません、話が逸れましたね。それで、あの神を引き摺り下ろして器に封じ込め、私を正式な夢の神に上げる、という話でよろしかったでしょうか?」

「簡単に言うとそうだね」

「では、嫌ですと言いましょう」

「知らないよ、というかな。君の意見とか聞いてないから」

「……私の同意なしに行える事だと?」

「うん」

 

 実際は知らないけど、堂々と胸を張って言う。

 私が何も知らない事を除けば事実だから、嘘は言っていない。

 

「二つ、聞きます」

「うん」

「その手法は、ヨツキに害がありますか」

「無いよ」

「では、その手法は」

 

 一拍。

 ここで初めて、彼女が目を開く。

 

「──貴女に、害はありますか」

「無いよ」

「……」

 

 言い切る。

 私に害なんて、あるはずがない。

 

「……母様」

「なんだ」

「母様は、わかっていて、お姉さんに頼んだのですか。どうせ母様でしょう? 私を救いたいなどと言いだしたのは」

「我と嘉白だ。(びゃく)は四ツ木に対しての思い入れは無いようだな」

「ム、いや、夜月が妹だと言うのなら、我とて、」

「そして、(なれ)の言いたい事もわかっている」

「そうですか。……私は水跳夜月。祟り神ヨツギの後代ではありますが、私自身は祟り神ではありません。人間を害した事などありませんので」

「うん」

「ですので、再度、強く。嫌だと言います。私は祟り神になりたくはないので、お姉さんに救われたくはありません」

 

 決裂だった。交渉は、完全に。

 別に今日を逃したからと言ってヨルツキちゃんがすぐにでも消えてしまう、という事は無いけれど、あぁ、あまりにも意思が固い。

 彼女の言葉を考慮するつもりは一切ないけど、もし、私の考えた手法にヨルツキちゃん側の協力が必要だった場合、少し大変だな、なんて。

 

 でも、うん。

 祟り神になりたくないなら、尚更、救わないとね。

 

 

 

 ○

 

 

「ええと、話は終わった、という事でいいのかしら?」

「あ、うん。ごめんね、待たせちゃった」

「いいのよ。それに、大切な話なのでしょう? だから、私からは、何も言わないでおくわ。ふふ、それより歌いましょう。今日は弓の歌をお願い出来るかしら?」

「うん。宙の神もさっき歌ってたよ」

「ヨルツキも、それでいい?」

「はい。お姉さんとは相容れませんが、弓の歌が聞こえる生者は珍しいので」

 

 それじゃ。

 

「──くるり、くるり、流る、かわぎし──」

 

 もうそろそろ、決めないとだね。

 

 

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