死途の徒 作:三羽世継
好きです。愛しています。
自分の中で、先輩にそう告げる事が出来るかどうかをシミュレートする。
「無理、かな」
答えはすぐに出た。
好きです、は言えるかもしれない。けれど、愛しています、が言えない。
だってまだ出会ってひと月。ホシミの知識ばっかり増えて、彼女のパーソナリティな部分は何一つ知らないし、一緒にいた時間というのが余りにも少ない。
愛。愛。
これについて問うた三人は、三者三様の答えを出した。育むもの。恐怖。運命。
正直どれも、しっくりは来ていない。私の思うそれとは違う気がする。
無理だ。
少なくとも今、先輩からの告白にはい、と答える事は出来ない。
答えたい、という気持ちも、あの時の事でどこか罅割れてしまった。
私ががっつきすぎただけ、なのはわかっている。
でも、告白をされたのだ。自分のモノになれ、なんて、普通に生きていたらまず言われないような事を言われたのだ。それに対し情熱的にならず、自分を抑え、消極的にいろ、なんて。
無理だ。絶対に無理。たとえあらかじめ、先輩の性格がああであると知っていたとしても、ホシミに纏わるすべての事情を知っていたとしても、無理だ。
ただ受け付けるだけ、なんて。
絶対に。
「いつもみたいに、"
「我とて感傷に浸りたい時くらいあるのだ」
「なら、私の部屋に来る必要は無かったんじゃないかな」
「
そうなんだ。
もう日常風景となった
そこまで広くはない私の部屋の、今横になっているベッドを除いたほぼすべての空間を白が埋め尽くしている。尻尾なんかははみ出しているから、入りきってはいない。逆に窮屈じゃないのかな、とか思うけど、壁なんてあってないようなものな彼女らであれば、特に気にはならないのだろう。
それで、感傷。
感傷ね。
「ヨルツキちゃん、嫌がってたね」
「……ああ」
「予想外だった?」
「いや、予想はしていた。生きていない者とは基本、自身の変質を恐れるものだと話しただろう? それはヨルツキとて多分に漏れん。目的のないヨルツキでは、何かのきっかけで祟り神となる可能性がある。それは、今のそうでない状態のヨルツキからすれば、知らない自分だ。祟り神となった時点で──生者に干渉しよう、などという気が湧いた時点で、現時点のヨルツキは死んでいるということになる」
「だから、今の状態のまま、消えたいと」
「……それだけでは、ないがな」
ぎょろり、と。ああ、いや、本人的にはチラ、くらいの感覚なんだろうけど、白の、私の顔くらいある大きな瞳がこちらを向いた。
その咎めるような視線に、思わず顔を逸らす。
「知っていたのか。否、気付かなんだ我も悪いが」
「教えてくれた、が正しいかな。ヨツギが」
「成程」
それは、あの夜の問いかけの一つ。
"貴女に害はありますか"と。ヨルツキちゃんは、そう問うてくれた。
私は即答で"無いよ"と答えた。
……何故、悩まなかったのか。何故、即答出来たのか。
決まっている。
その質問が来ると知っていたから。
そして──害があると、知っていたからだ。
「神降ろし。さらには神の強制憑依。神罰などというものはこの世に存在しないが、違う川の住人に干渉しようとすれば、何かしらの害が訪れる。生きていない者が生者に干渉しようとすれば変質しかねないように、その逆も、だ」
「ヨツギがね、"何の不利益も被らずに行えるとは思わないでね?"ってさ。具体的な事は教えてくれなかったけど、私に何かが起きるのはわかったよ」
何かが何であるかまではわからない。教えてくれなかった。
生きていない者のように変質してしまう事なのか、それとも何か傷を負う事なのか。
でも、どちらにせよ、あの場ではああいわないといけないと思ったから、"無いよ"と言ったのだ。
思ったよりもヨルツキちゃんが鋭くて、察されてしまったようだけど。
「祟り神になりたくないから、続きたくない、か」
「言い方悪いけど、妥当だよね。生者を……四ツ木ちゃんを、ヨルツキちゃんは大事に思っているみたいだったし。この土地にいる以上、もしヨルツキちゃんが祟り神になってしまったら……四ツ木ちゃんを害する可能性もあるわけで。勿論これは、私の考えた手段で、二人ともが救えた場合の話ね」
「妹のような存在、か。……我にも
それで、妹を消すくらいなら、自分が消えると。
自分には未練が無く、妹には可能性の芽がたくさんある。だから、もういいと。
いうなれば姉妹愛、なのだろう。家族愛の一種。これもまた、愛か。
「なんというかさ、対話が足りないよね。圧倒的に」
「返す言葉も無いな」
「私も他人の事言えないけどね。……まぁ、ヨルツキちゃんとは満月の夜しか会えないから、話す時間もないんだろうけど」
「言い訳にはなるまいさ。我らはあの子の、親なのだから」
人間であれば、物憂げな表情をしていたのだろう。
ただの怖い犬だけど。
「あの時」
「うん」
「ヨルツキはヨツギに対し、どうして生んだのかを……自分達の存在意義とは、を問うていた。だが」
「刺さったよね。だって直接生んだのは白達なわけで」
「……ああ。二十数年前……あの子が生まれる前は、少し状況が違った。夢の神はその任を失っていなかったがために、ヨツギがいなくなるのなら急ぎ後代を造る必要があった。故に我と
「夢の神の任って、結局なんなの? 役割は覆い隠して鎮める事。性質は水害って聞いたけど」
「……」
また言い渋る気か。
「いや、話そう。だからそう睨むな」
「睨んでるのはそっちだけど」
「そのようなつもりはないが」
「顔が怖いっていうジョークだよ」
「そうか」
ついつい心の声が出てしまった。
危ない危ない。
「夢の神の任。それは」
白がその言葉を告げる前に、少しだけ、揺れが来た。
地震。でも震度は一程度かな。そこまで気にするものではないけど、タイミングがタイミングだから、息を呑んでしまう。
「──この世界を、夢にさせぬことだ」
だから、ちゃんと。
"え?"という疑問を投げかける事が、出来なかった。
○
「ファンタジーだね、と言っていい奴?」
「事実だ。……汝は、夢の世界に行った事があるのだろう?」
「あるけど」
「つい最近までは、夢の神の管理が無ければ、そちらが現実となる可能性があった」
「それは」
あまりにもぶっ飛んだ話だ。
今までの水害や風は、納得は出来ないけれど物理法則に則って……もいないけど、なんとか、頑張れば、現実に起こり得る事だったと思う。
けど、夢が現実となって、現実が夢となる、なんて。
ファンタジーにも程がある。
「世界の仕組みだ。汝の見ている大きな手……宙の神。あれが包むこの星はかつて、夢物語の世界だった」
「既にそうだった事があるんだ」
「ああ。生きていない者が自由で、生者が続くことの苦しみに囚われる世界。生者に生きていない者は見えず、生きていない者は生者に干渉し得る。理解したか? この世界が、生きていない者を酷く優遇していることを」
「比較されたらそうだろうけど、別に生者が冷遇されているわけじゃないと思う」
「全体を俯瞰できぬ生者からすればそうだろうな」
生きていない者が住みやすい世界。
自らの変質が死である事は変わりないけれど、干渉しなければ、ずっとずっと続いていられる世界。死後、死者となるか生きていない者となるかを選べる時点で、確かに優遇されている。消えない選択肢を取り得るのだから。
「汝の見た夢の世界。今の世界との違いはあったか?」
「……ううん、なかったような? あんまり視界を動かせないから、絶対じゃないけど」
「見え得る限りの範囲に、どれほど生きていない者がいた?」
蓮柄神社があって。
アカツキとホシミがいて。
それ以外には──何もない。
山のふもとに広がる土地に、村や街は無い。蓮柄神社そのものにも人の気はない。あそこを蓮柄の土地と呼ぶには、
けれど、それ以上に。
「いなかった、かな。いつも、どこかしらに見える竜とか、蛇とか。アカツキとホシミ以外は見えなかった」
「それがあちらの世界だ。ホシミが消えゆく時の記憶であれば、我もいるはずだ。
「あれは記憶の再生じゃないんだ」
「アカツキとホシミに関してはそうだろうが、場所は現在の……夢の世界における現在の蓮柄神社であろうな。蓮柄神社が壊されたのは此方の世界での事。あちらにはまだ残っているというわけだ。ただし」
「何もない。まるで日本に人がいないんじゃないかってくらい、何も無かった」
「まるで夢物語のように、な?」
あちらを現実にしないために、夢の神はあちらにいる。
それが夢の神の任。
「でも、解かれたんだよね?」
「ああ」
「もう夢の神がいなくなっても、あっちが現実になる事は無い」
「もう二度と、ではないがな。あと数十年……八十年もすれば、またそうなる可能性が出てくる」
「短いね。何の期間?」
また、ぎょろりと。
今度は少し、品定めするかのような視線。……凄い、私、白の睨みにどんな感情が乗っているかわかるようになってきてる。見た目犬なのに。
「
「まさか、私が死ぬまで、とか」
「そのまさかだ」
びっくり。ぎゃうてん。
私、そんなに特殊な立ち位置?
「でも二十数年前って、私生まれても無いけど」
「生まれる事が確定した。汝の両親が出会った時にな」
「また運命?」
「そうだ。汝にも、汝の両親にも悪い言い方をするがな、あと少し早く出会っていてくれたら、我らは四ツ木とヨルツキを産もうとは思わなかっただろう。夢の神の任。まさか解放される日が来ようとはと、ヨツギも驚いていたものだ」
「でも、でも、本当になんで私? 見えて、聞こえる者だから?」
「理由は我に問うな。知らぬし、わからぬ」
「えぇー……」
「我とて汝に出会い、確信を得ただけだ。この
本当に肝心なことを知らないなぁこの犬。
私が夢の神の任を解いた? でもその言い方だと、私の両親が解いたともいえるような。
なんにせよ、やめてほしい。そんな重大な役目を肩に載せないで欲しい。
「別に、この世界が夢物語になったからといって、何が失われる事もない」
「そうなの?」
「どちらが夢で、どちらが現実であるかを気にするのは生きていない者だけだ。生者にとっては自らがある世界こそが現実だろうよ」
「じゃあ私が死んだ所で、何が起きるわけでもないんだ」
「背を押したわけではないぞ」
「わかってるって」
じゃあ何のために管理をしているのか、とも思ったけれど。
何か、あるのだろう。生者にはわからない事情が。
「あれ、じゃあさ」
「うん?」
「私が死んだら、ヨルツキちゃんの目的が生まれるわけだよね」
「……」
「睨まないでよ。流石にそんな自己犠牲の精神はないよ」
「そうか?」
「うん。でもさ、目的にはなる。私がおばあちゃんになって、死んじゃったその後も、ヨルツキちゃんは続くんだよね。生きていない者だから」
「此度の件で消えなければな」
「なら、向こう八十年くらいは暇になっちゃうかもだけど、そこから先で夢の神の任を全うできる目的が生まれる、と考えたら、心変わりする事は無いかな」
「……どうであろうな。昨日のヨルツキの様子は……固い意志の下、であるように思えたが」
「そうやって思い込んで違ったから、今感傷に浸ってるんじゃないっけ」
「それは、痛い所だな」
良い事を聞いた。
説得の材料になる。
「ヨルツキちゃんの事は、愛してる?」
「ああ。最愛の娘だ」
「白にとって愛って何?」
「……愛、というものは、厳密には存在しない。形容し得ないものを便宜上愛と呼んでいるに過ぎぬ」
「ん」
「自身と相手。自分と他人。その間にある形のない繋がりを、愛と呼ぶ。それはたとえば、一方的に知っていて、一方的に好くことであったりもするし、互いに想い合う場合でもあるし、……互いが互いを、嫌い合う事でもある」
「嫌い合う?」
「感情の繋がりが愛と呼ばれるのだ。想いが交差する事そのもの。自己を乖離してしまえる者であるのなら、自己にすらその繋がりは向く。生者であろうと生きていない者であろうとそれは変わらぬ」
相手の事が好きでも嫌いでも、自分の事が好きでも嫌いでも、それは愛なのだと。
……これもまた、しっくりはこない。
「生きていない者にとって、大きな感情という物自体が自身を危ぶむと話しただろう。故に生きていない者は、同じものを愛し続ける。一度変わって死んだのだ。なれば、また失って変わりたくはないと、自己愛もかねての愛情である場合が多い。我もまた、そうなのだろう」
「ヨルツキちゃんにとっては、同じように、変わりたくないから、だもんね」
「あぁ。文字通り、身を引き裂かれる思いだ」
消えても良い。消えたい。と。
彼女は言っていた。
「だが、ああいわれてしまえば、我も
「嫌だよ」
「……ここまで聞いてもか」
「生者は変わり難いだけで、変わらないわけじゃない。私だって変わりたくない。折角変わって、凄く楽しい世界になったのに、いきなり欠損なんて許せない」
「これで汝がヨルツキに嫌われるとしてもか」
「嫌いも愛なんでしょ、白の中では」
「む」
「いいよ。ヨツギも私が嫌いみたいだし、夢の神にはとことん嫌われるのは受け入れてる。そうだよね、仕事を奪ったんだもん。嫌われて当然。だけど」
ヨルツキちゃんも、ヨツギも。
いなくなるのは許さない。
独裁政権だ。私が許さないから、私のために残ってもらう。
「ホシミとアカツキもそうだよ」
「そっとしておいてやれ、といっても、聞かぬか」
「うん。もう、私の視界に入って、私が知ってしまったんだから、悲恋なんて許さない。悲劇なんて御免だよ。……よし、決めた」
「何をだ」
「告白されてたんだよね。ちょっと、断ってくる」
「アカツキか」
「うん。そっちも」
「……そうか」
決めた。
決めた。もう、良い。納得も理解もしていないけど、もう、こうなったらとことん我儘を貫く。
ホシミとアカツキは、一途じゃなきゃダメだ。私の中で、彼女らは最高の恋人として刻まれている。
私を見る事を許さない。私に愛を注ぐことを、決して許さない。
そう伝える。
「もう一度、言っておく」
「何?」
「呑まれるな。今までは一応、アカツキなりに、手加減をしていたはずだからな」
白は。
ついてくる気は、ない様子。
ただそんな、怖い事を言って。
「……後ろ髪を引いてくるじゃん」
でも、決めたから。
行ってきます。