死途の徒 作:三羽世継
これだけ毎日、愛していると言っているのに。
これだけ毎日、好きだよ、と言っているのに。
ヨツギは一向に振り向いてくれそうにない。
何が悪いのかを考える。多分、アプローチなんだろう。言葉をそこまで大事にしていないと見た。
「勝手に触らないでくれるかな?」
「でもヨツギ、人肌には飢えてるでしょ?」
「誰がそんなことを言ったのかな?」
「思い込んだだけだけど」
「じゃあ勘違いだね?」
ヨツギは、案外小さい。普段浮いているから解り難いけど、平均的な女性、で思い浮かべるくらいの身長しかない。ともすれば高校生くらいに見えなくもないのだ。
故に。
身長の高いアカツキの身体で抱擁すると、すっぽり覆い込める。あるいは
「何がしたいのかわからないね?」
「スキンシップから愛を覚えることもあるみたいよ」
「じゃあ、覚えないから、放してね?」
「んー」
「髪に顔を埋めるのはやめてね?」
実際の話。
ヨツギは夢の神だ。こうして私を夢の世界に引き摺り込む事も、こうして私の為すがままになっている事も、彼女の意思無しでは成立し得ない。神となったからこそ、この夢の世界においてヨツギの威光とでも呼ぶべきものがわかる。ここは確実に、完全に彼女のテリトリーで、だから本当は、本当に嫌なら、抜けられるはずなのだ。
抜けて、拒絶して。もう誘わない、も出来るはず。
それなのにそれをしないのは、初めに言っていた通り、納得させる理由を見つけて欲しい、という事なのだと思う。
自分から変わりたくは無いから、変えてくれ、という要求。
「ヨツギはさ」
「抱きしめたまま話を進める気だね?」
「どうなの? ホシミやアカツキと、もう、ずっと、永遠……会えない事。悲しくないの?」
「別に、どうとも思わないね? だって貴女が来るまで、そうだった。生者であり生の神であるホシミを認識する事は能わず、見える者でも聞こえる者でもないから夢へも誘えない。アカツキはそもそも私と関わりたくないからね? 私も、特に彼女に思う事はない」
「でも友なんでしょ?」
「友である、という事実だけで、十分だね? それとも佚依ちゃんは、会話をしていなければ、直に合っていなければ、友ではなくなると……そう思う子なのかな?」
「うん」
どれだけ仲の良い大親友でも。
どれだけ仲の良い幼馴染でも。
遠く離れ、会話の一切も無くなってしまえば、距離が生まれる。それは物理的だけでなく、心の距離だ。
長らく認識のすり合わせが出来ていない相手は、過去の時点で記憶が止まる。あるいは、記憶にある大親友であれば、まだ友達かもしれないけれど。今を生きる大親友は、友達じゃないと思う。
その頃には既に出来ている事だろう。新しい交友の輪が。新しい環境が。
仲の良かった過去は忘れないだろうけれど、今の、知らない誰かは決して、友達じゃない。
「関係性は更新され続けるものだよ。こうして、会って、話して。アカツキが寂しくないとか言ってたのは、再会の実感が無かったから。もしこのままアカツキが神に戻って、またホシミと出会えない日々が始まったとしたのなら、それは酷く悲しい事だと思うだろうね。寂しいし、耐えられないし。それこそが関係性の更新不足。会いたいと思うのは、相手の今を自分に取り込みたいからだよ」
「そこまで考えられて、よく、自分は愛が何なのかわからない、とか言えるね?」
「でもこれは自己で完結してるよ。相手に対しての想いじゃない。自分の中の欠落を埋める行為の一環に過ぎない」
「うーん? 佚依ちゃん、なんか変な先入観が妨害をしているね?」
だって愛とは、二つの霊魂の間に無きゃいけないんだろう。
自己愛が過ぎるのならそれもまた可能だと白は言っていたけれど、それは特例。基本、自分と相手が必要だ。相手のためを思って、ではなく、自分のためだけの相手の今を収集するのが、愛だなんて思えない。
「その話、
「したことあるよ。そうしたら"すまなかった"とは言ってた」
「それが答えだね?」
「うん。でも私の中ではこれが今の前提だから」
「それでよく、私に愛しているとか言えるね?」
「ヨツギには愛着があるもん。友達が欲しかったヨツギ。それだけで私が愛す理由になる」
「自分が根本から矛盾している自覚はあるのかな?」
「してないよ。正常」
「うーん」
私の腕の中で、胸の中で、ヨツギがもごもごと何かを呟く。ちょっとくすぐったい……かと思ったけど、この身体にそういう感覚は無いらしい。
彼女の異装を撫でて、首筋まで手を這わせる。銀の髪。顔立ちも服装もこの髪も、正直日本的じゃない。ホシミが金髪……きいろい髪だったのも、何か関係があるのかな。
「たとえば」
「ん」
「私が佚依ちゃんの言う通り、寂しいと思ったとして。じゃあ、どうするつもりなのかな? 死の神となってしまったら、結局、ホシミやアカツキとは別れることになるけれど」
「私がいるよ」
「でも貴女は、あと八十数年くらいで死んじゃうね?」
「ヨツギも永遠を求めるの?」
「……成程ね? 佚依ちゃんにとって、幸せとは、永遠でなくて良いものなんだね?」
「え、うん」
それは、そうだ。
そもそもアカツキを生者にしようとしているのは、先輩が永遠を欲しがったからだ。先輩が、此度だけでは受け入れられないと、アカツキを残してしまうのが心残りだと。忘れてしまってでも、ずっとずっと続けたいと、そう言ったからだ。
私にとっては違う。私は別に、一度会えて、それでよかったね、でいいと思うし。
私は別に、死ぬまで一緒にいて、その後は、違う人生を歩み始めてもいいと思うし。
生者であるのに神の時間を有すからこその傲慢なんだろうけど、それが満たされないと幸せになれないというのなら、私は支援する。だって私の世界において、ホシミとアカツキは幸せでないといけないから。
永遠に会えないのが寂しい、悲しいというのはわかる。
碌な思い出も残せないで永遠のお別れは辛いだろう。けれど、十二分に生を謳歌できたのなら。
満足の行く人生だった、と思えたのなら。
その次は、別に、今生で愛した人々に囲まれなくたっていいと思う。それは綺麗に完結した物語として。それは余計な後日談や短編のついていない、蛇足の無いお話として。
永遠に続く物語なんて駄作にしかならない。終わらない事は決して良い事じゃない。
私はそう思う。
「私は別に、私を好きだとか、私の後ろにいる誰かが好きだから、とか。そういう理由さえなければ、全然フィルターになってもいい。巫女、みたいなことだよね。神様の言葉を民衆に伝える役割。それなら何も構わない。ヨツギにとってホシミやアカツキに然程思い入れが無いのなら、月に数回とか、年に数回とか、交流の場を設けるくらいでいいと思う。寂しくなったら私を引き込めばいいし」
「ならないね?」
「なるかもしれないじゃん。変わりやすいんだから」
「……結構よかったよ? あと二、三押しくらいしてくれれば、傾けるかもね?」
ほう。
こんなことでいいのか。
永遠。それがいらない、という思想。そして友には会うべきだという思想。
「夢の神ではあり続けたいの?」
「別にこの世界に思い入れはないね?」
「じゃあ夢の神である必要はないね」
「そこには完全に同意するよ? 別に、生者の夢にも然して興味ないからね?」
「死の神になるのが嫌な理由は?」
「
──白む。
ああ、大体わかってきた。
「停滞したくないんだ」
「さっきから、言っているね? ずぅっと言っているね? 変わりたくないと。変えたいのなら、納得させろ、とね?」
「ヨツギ自身は変わりたいんだ。成長したいんだ。死ぬ事も、怖くないし、ずっとずっと進んでいたいんだ」
「どうだろうね?」
「でも、死の神は成長できるよ」
「……それは無理だね?」
「アカツキは変わったよ。私に、私と、愛を育もう、って。自身の変動の可能性があるのに、自ら、私に愛を囁いてきたよ」
私が直に接して、私が話してきたアカツキは、少なくとも、こんな短期間で新しい一歩を踏み出し得るくらいには、成長していた。
「死の神の役割は停滞。だけど、その程度のものに縛られない事は出来るんじゃないかな。変動があれば」
「……変動する事は、むしろ、良い事だと言いたいんだね?」
「そうだね。少なくとも今の自分に満足できないのなら、積極的にしていい事だと思う」
「じゃあ、あと二つ」
良いのかな、こんな簡単な事で。
……いや、そうか。変わりたい。変わりたかったんだ。ヨツギは。
「夢の神じゃなくてもよくて、死の神になってもよくて、友とは会いたいものであって、けれど永遠は要らなくて。他に、何が納得できないの?」
「なんだと思う?」
「……私の愛が受け取れないのは何故?」
「それは、佚依ちゃんが愛を理解していない……というか、自分自身の愛を持っていないからだね?」
「借り物の考えじゃ、なびいてくれない?」
「当たり前だね?」
それは、確かに、そうか。
それぞれに愛があり、それぞれに違う愛があり、だから、私には私の愛がないといけない。
愛着がある、程度じゃダメなのか。私にとってのそれは十二分の感情を持つものだけど、ヨツギにとってはそうではない、というだけの話。
私にとって。
私にとっての、愛。
「じゃあ、対話といこうか」
「愛については語らいたくないんじゃなかったの?」
「変動は良い事だと言ったのは貴女だね?」
「良い事なら受け入れると、そう言えるんだ」
夢の神ヨツギ。
あぁ、意欲的だ。積極的だ。
だってそもそも、誰も、何も行動しようとしなかった……みんながみんな悲観的で、消極的だった生きていない者達の中で、唯一。
彼女だけが、自ら、私に話しかけてきた。
変わりたいと思っていたから、か。
「さて──」
ヨツギは私に抱きしめられたまま、そんな、どこぞの名探偵みたいな口調で。
○
初めに、と前置きをして、ヨツギは語り始めた。
「佚依ちゃんは、愛の定義って何だと思う?」
「二つの霊魂の間に生まれる形容し得ない何か?」
「それは
「別れたくない、離れたくないと惜しむ心?」
「それは
「運命の」
「それはホシミの愛だね?」
「妹が心配で」
「それはヨルツキの愛だね?」
「……もうストックがない」
「聞いているのは佚依ちゃんの愛じゃなくて、愛の定義だよ? 何をしたら、あるいは何を考えたら。何を思い、何を抱き、何を求めたら、愛と言える?」
ふむ。
言い方からして、ヨツギは答えを知っているのだろうか。
それともわからないけど知っているフリをしている?
「愛おしいと思ったら、じゃない?」
「愛おしいと思うのと、好きだと思うのの違いは何かな?」
「……ううん」
違い。
違い。
「無いかな」
「成程? 相手を好くことも、愛する事も、同義なんだね?」
「私にとっては。好きな時点で、多少の愛は有ると思うし。愛している時点で、好いている事は間違いないと思うし。強いて言うなら、度合いの差?」
「じゃあ、佚依ちゃんにとって好きの定義はなんだろうね? 佚依ちゃんが好きだと思うのはどんな時かな?」
「好きは、簡単」
私にとっての好き。
それは。
「興味があるかどうか」
「……だけ?」
「うん。興味があったら、好き。無かったら好きじゃない」
「成程ね?」
だから、わからない。
どうして私を愛してくれないのか。ヨツギはこんなにも、私にアプローチしてきているのに。
「それなら、確かに? 貴女と私は愛し合っているね?」
「やっと認めた」
「じゃあ、最後だね? 残り一つ」
……本当にそれでいいのか、という思い。
私にとっての愛の定義。好きの定義。それを知る事が出来たら、愛し合っていると認める。
わからない。そんなに軽くていいのか。
もっとこう……それこそホシミとアカツキのように、深く深く、重いものがあって、譲れないものがあって……もっともっと、狂ってしまうものじゃないのか。
私自身が、私自身の愛をこうだと捉えていると自覚した上で、こんなにも軽いものなのかと思っているのに。
ヨツギには無いのか。自らの愛が。
「じゃあ、これは、おまけで教えてあげるね? 私にとっての愛」
「おまけって……」
「私にとっての愛は、"相手に合わせる事"。相手の思想に、相手の意思に。自分を曲げてまで、変えてまで、合わせられるなら……合わせてもいいと思えるのなら、その時点で、私はその相手を愛しているね?」
……。
結果こうなったから、必然的に、自分は相手を愛しているのだろう、という推測。
それがヨツギの愛なのか。
ああ、それは、軽いのではない。ともすれば一番大きいかもしれない。目に見えない程に大きいから、小さく感じられるくらいの。
それを、軽いだの、無いだのと罵るのは……ダメだ。
反省する。
「さぁ、最後の一つだよ? 何かわかるかな」
「ヨツギが納得できない最後の理由?」
「そうだね?」
周りの事を話した。愛の事を話した。ヨツギの事も話した。
それで、残っているもの。
決まっている。
「……私、か」
「うん、そうだね? 貴女──佚依ちゃん。
「──うん」
白む。
違う。ずっと白かった。ずっと灰色だった。
そのベールが、フィルターが、ようやく剥がれてく。神となったことで、生者の時には見えなかったものが、少しずつ。
「佚依ちゃん。貴女はいったい、何者かな?」
その問いに。
私はようやく、ヨツギの抱擁を解いた。
解いて。言う。
「私は──」
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