死途の徒 作:三羽世継
吾輩は佚依である。姓はまだない。
……という冗談は魚の餌にでもしておいて。
「私は、何者なんだろうね」
「わからないかな?」
「元人間で、現神様」
「あるいは無形の神イヨリ、かな?」
「ううん。結局神である自覚はあんまりないんだけどね」
生者に視認されない事。身体が浮いている事。
今まで見ていたアカツキの身体である事、くらいか。私が神であるという自認は。
それ以外は、今までと同じ。
「記憶に変化はない?」
「ないよ。私は
「両親の顔は思い出せる?」
「無理だよ。両親がいる事は知っているけど、名前も顔も知らない」
「貴女のクラスメイトは、貴女を姓で呼ぶよね?」
「でも呼ばれた事なんかない」
白む。視界が。あるいは、脳裏が。
佚依という名を思い出すたびに、認識されるたびに、どんどん白くなっていく。灰色からどんどん、黒が抜け落ちて行く。
「小学校の頃の記憶はあるよね?」
「あるよ。引っ越しをした事も覚えている。けれど、どこの小学校に通っていて、どこの小学校に転校したのかも、どこの中学校に進学したのかも、何も覚えていない」
「高校に入学してからはどう? 思い出はあるかな」
「無い。灰色だった事しかない。私は、つい最近まで、灰色の毎日を送ってきたという記憶しか持っていなかった」
「じゃあ、それが変わったのはいつ?」
「勿論朱歹神社に行った時だよ。アカツキを見て、宙の神の歌を聞いて、先輩に告白された。そこが全ての始まり。それまでの記憶は持っているけれど、私は体験していない」
ともすれば、そこが記憶の始まりだろう。それまではただの記録。
こういう事をしていて、こういう人間で、こういう関係性を持っていた少女の記録。佚依の記録。
神となって、あの身体を抜けて、初めてわかる。
私はあの子じゃない。
「質問を変えるね? 貴女は、誰かな」
「私は」
一度息を呑む。息をしていないこの身体で、息を呑む。唾を飲む。
そしてまた口を開く。
「私は佚依だよ。他の誰でもない」
「じゃあ、今。アカツキの霊魂が入っている子は誰かな」
「あの子は佚依だよ。私じゃない」
「アカツキと身体を交換したよね? なら、当然、それは神降ろしになる。どんな害があったのかな」
「それは簡単。こうやって、思い出すまいと封じていた記憶を思い出してしまった」
「それじゃあ聞くよ? 貴女は誰かな、佚依ちゃん」
何度目かの質問に、今度は息を吐いた。
ふぅ。
「私は佚依。三羽佚依。至極簡単に言えば──悪霊、かな?」
ヨツギは。
私の答えに、にっこりと笑った。
●
「アカツキ!」
「ん……」
「起きて、起きてくれ、アカツキ! くそ、なんだってこんな突然……やっぱり死の神は、生者には……」
「──おはようございます、先輩」
身体を起こす。起き上がる。
起き上がって辺りを見渡して、ここが先輩の家だと知る。
「せんっ!? あ、あぁ……もしかして、佚依かい?」
「はい。お久しぶりですね。
「君はッ!」
先輩の手が上がる。少しだけ身を固め、
けれど想定のソレは来ず、代わりに柔らかなタッチが、私の頬を撫でた。
「……戻ったのか」
「はい。多少時間は食いましたけど、準備は整ったんで」
「準備?」
「ハッピーエンドを迎えるための準備です。あの神社に行きましょう」
身体を起こす。起き上がる。
立ち上がって先輩に手を差し伸べて、理解が追いつかずに此方を見上げたままの先輩を立ち上がらせる。
「……佚依」
「なんですか?」
「少し……変わった? いや……」
「まぁ、一度神を経験すれば、誰だって変わりますよ」
「……本当は今すぐにしたい所だけど、君はどうせ、やるべきことをやるというんだろう。だから、それが終わったら。一日中説教させてもらう。一日中抱きしめさせてもらう」
「どうぞお好きに」
「アカツキの元にいくんだね?」
「はい」
動揺はしている様子だった。
けれど、それを押し殺して、こちらを尊重してくれている意思を感じ取れる。
ありがたい。
「急ぎ足ですけど、ちょっと、話しましょうか」
「ああ──いくらでも」
久しぶりに会った先輩は、なんだか。
前より少しだけ、穏やかな表情をしていた。
人の気少ない道を先輩と行く。
「アカツキとは、いっぱい話せましたか」
「うん。たくさん話したよ。私が忘れていたあの頃の事も、私だけが経験した今までの事も」
「何か新鮮な事はありましたか」
「沢山あった。アカツキは、あの頃の懐かしい記憶だけじゃなく……あの頃に想っていた、私に打ち明けていなかった感情も話してくれてね。実はこう思っていただとか、今こうして自覚をしてみれば、随分前から寂しかったのだとか……私をどう思っているのか、とかね。そしてもちろん、君の話も」
「そこ別に付け足さなくて良かったですね。私にとって先輩とアカツキの間にいる私は異物なので」
「まだそれをいうのかい?」
「いつまでも言いますよ。そこは別に変りません」
手が空を切る感覚。足が地を踏む感覚。溜まっていく疲労。
何もかもが懐かしい。たった三週間。されど三週間だ。
別にこの感覚を素晴らしいと思うような感性は持ち合わせていないのだけど、成程、生の実感、という点ではやはり肉体があった方がいいと思う。
「佚依は?」
「私ですか」
「ああ。君は何をしていたんだ、この三週間。神となって……」
「ヨツギとイチャイチャしてました」
「いちゃっ……!?」
「貴女と私は愛し合ってる、とまで言わせました。毎日愛を囁いたし、好きだと告げていたし、抱きしめて頭を撫でて、ヨツギはヨツギで私の抱擁に抵抗もせず、胸に顔を埋めてきて」
「……ずるい」
どういうこと、でも。嘘だろう、でもなく。
ずるい、か。ピュアすぎないかなこの人。
「私もしてほしい」
「ヨツギに頼んでおきますか?」
「ヨツギじゃなくて、君にしてほしいんだよ、佚依」
「はは」
「お手本のような渇いた笑いをありがとう」
歩く。時刻はまだ午後三時で、日も高い。
少しばかり日差しが強く感じられる。これからもっと強くなるだろうけど、五月の日差しというのは真夏のソレとも違う感じ……どこか刺々しい感じがあるように思う。
夢を。
夢を見ていたんだ。今までは。だから、日差しなんか関係なかった。
「先輩はアカツキとずっとイチャイチャしてたじゃないですか」
「……もしかして、見ていたのかい?」
「勿論です。先輩の事だから、私の意思なき私の身体を好き放題するんじゃないかと思ったんで。アカツキが入っているから大義名分はばっちですし」
「君は私を何だと思っているんだい?」
「ストーカーじゃないんですか?」
「最近で一番傷付いたよ……」
別にしてても良かったけれど。
その程度でやいのやいの言う事はない。
「佚依の事だ。やっていないとわかっていて言っているんだとは思うけど、一応ちゃんと言っておく。してないからね?」
「もしアカツキが求めてきていたらどうしてました?」
「それは……まぁ、喜び勇んで」
「はい。アカツキの良識に感謝し、先輩を軽蔑しておきます」
「うぅ……ついさっきまで柔らかい笑顔で話しかけてきてくれていた分衝撃が大きい……」
そういえば、と。
先輩の顔を見る。
「……」
「な、なにかな」
「あの貼り付けたような笑顔はどこやったんですか?」
「言うに事を欠いてそれか……。君ね、それ、結構な罵倒だって気付いているのかい?」
「はい。最大級だと思ってます」
「君は……。あぁ、まぁいい。もう笑顔を繕う必要がなくなったから、だよ。無理矢理にでも笑っていないと泣き出してしまいそうだったからね。散々強がっていたけど、限界は来ていたさ。これだけ探しても、これだけ回数を重ねても、聞こえも見えもしない。自らの精神に安寧を齎すためには、形からでも笑っている必要があった」
「アカツキと話したことで、解消されましたか」
「ああ、全て、ね。……言われたよ、アカツキにも。"ホシミ。まずはその顔をやめてくれるかしら?"ってさ。そんなに酷かったかい?」
「はい。みんな怖がってましたよ」
「そうか」
その笑顔をやめただけで、随分と見違えた。
見間違えるほど、可愛らしくなったと思う。胡散臭さが完全に消えて、ただの、金髪の美人の先輩が残った。
道を行く。
「正直な話をするとね」
「怒りましたか」
「話の先を行かないで欲しい。そうだよ。凄く怒ったんだ。怒ったし悲しんだし、呆れもした。それに……とても傷付いた。あの日の事は覚えているかい? 半ば、というか、ほとんど喧嘩別れのような形で、君が神になってしまったあの日」
「勿論です」
「別れ方が別れ方だったからね。自責の念も強かった。でも、それ以上に怒ったよ。それだけはするな、って言っていたのに、した。後々考えて、それが長続きするものではないと気付けたけれど、それまでは荒れたさ。君の勝手な行いは、私を、そしてアカツキを大きく傷つけたんだ」
「はい。でも知りません。誰かを傷つけるから、という理由は、私が行動しない理由にはなりません」
「……勝手だな、君は。佚依は。本当に」
「あんまり公言も明言もしたくないですけど、一応、多少は、欠片程度は尊敬している人に、自分勝手でいいと言われたので」
「うん。今度その人に文句を言いに行きたいから、名前を教えてくれるかな」
「知りません」
「……尊敬している人なのに?」
「それについては、神社についてから話すので」
「え、あ、うん」
行く。行く。前を行く。
先輩が立ち止まってしまわないように少しだけ早足で、行く。
そして、着いた。
「え、あれ……四ツ木?」
「んー? あれ、ホシミじゃん。それと、佚依お姉さん」
「や」
「どしたんこんなトコに」
「四ツ木こそ」
「私はパパに行ってこいって言われてさ。大事な話があるとかで」
「嘉白もここに?」
「んーん。パパはもう身体弱ってて、そんな遠出できないんだよね。だから今一人」
「うん。じゃあ、先輩と、四ツ木ちゃん。行こうか」
言いつつ、振り向きもせずに階段を上がって行く。
風。風が吹く、吹き荒ぶ──朱歹神社へ。
一応、困惑しながらもついてきている二人を背後に感じて。
隠れて、深呼吸をして。
さぁ。
●
あるいは、おどろおどろしい、と表現出来るのかもしれない。
風が吹いているのに、爽やかではない。轟々と吹く風は竜巻を形成するが如く。境内を囲う林をざわざわと揺らし、暴れさせている。
「……アカツキ」
「なにこれ……」
二人には見えていない。
今私の目の前で、ボロボロになっている二つの獣の姿なんて。
「アカツキ」
「……? あら、イヨリ。来たのね?」
「うん。待たせちゃった?」
「いいえ。少しばかり……ああ、我慢ならなかったけれど、大丈夫。私は成長出来ているかしら?」
「十分だと思う。殺してないし」
アカツキだ。
三週間ほど、あの身体にいた。風に干渉し得る死の神。
その体から出る風の刃が、地を抉っている。その威力たるや。
けれど。
「遅い……」
「ごめんごめん。先輩と色々話す事があってさ」
「
「だから言っただろう、こいつは、あの時から何も変わってはおらぬと……。祟り神であることに、何も変わりはないと……」
「大丈夫大丈夫。あとは任せて」
「……ふん」
二つの獣は傷だらけではあったが、生者のように血液が出るわけでもなし、単純に酷く疲労している様子。まぁそうなるだろうことは事前に聞いていたし、寸前まで話し合っていたから余り驚きはない。ギリギリまで二匹が嫌がっていたくらいだ。
さて、と。
もう一度居住まいを正して、アカツキに向き直る。
「もう我慢できないよね? ホシミが見えなくなる、なんて」
「ええ、無理よ。一度知ってしまったもの。生者として、ホシミと触れ合う歓びを。どんな手を使ってでも、私はホシミといる道を選ぶわ。本当は、こうはなりたくなかったのだけど。もう変わってしまったから。そして、変えたのは」
「私。だから、安心して。アカツキが生者になれる術を今まで準備してきた」
「そうなの?」
うん、といって。
アカツキに手を伸ばす。
私は触れ得る者ではないから、その体には触れないけれど。
「問うよ」
「何かしら」
「アカツキ。貴女は、死の神でありたい? 在り続けたい?」
「いいえ。私が死の神である事は、枷でしかない。なくなれるのなら今すぐにでも」
「アカツキ。貴女は、ホシミといたい? これからも生まれ変わり続けるホシミのそばで、ずっと。全く違う場所に生まれたら、どんな手段を使ってでも会いに行くほどに、ホシミを」
「愛しているわ。私はホシミを愛している」
「じゃあ、大丈夫」
笑う。ああ、久しぶりに笑った気がする。
初めて、笑った気がする。
じゃあ、と。
置いてけぼりになっている二人に向き直る。
「四ツ木ちゃん」
「え、あ、うん。な、何?」
動揺が伝わってくる。まぁ当たり前か。彼女には見えないし、事情も知らないんだ。
友達の友達が、突然虚空へ話しかけたら……それも、明らかに自然現象ではない風が吹き荒ぶ神社でそれをし始めたら、動揺もしよう。というか引くだろう。
それでもちゃんと受け答えをしてくれる彼女は、良い子なんだろうな、と思う。
「もしさ、君に……昔から。一度も出会った事が無いけれど、ずっとずっと君を見ていた、双子の姉がいる、って言ったら、信じる?」
「え、うん」
──……即答。凄いな。
「四ツ木、知っていたのかい……?」
「あれ、何ホシミまで。お姉ちゃんの事でしょ? たまに夢で会うもん。見た事ない服だし、銀髪だし、口調も性格も全然似てないけど……なんか、めちゃくちゃ気遣ってくれるし。話した事ないんだけどね。話せないっていうか。まぁ私がずっとお姉ちゃんか妹欲しい、って思ってるのの願望なのかなー、とか思ってたけど」
「本当にいる、と言ったら」
「だから信じるって。リアリティありすぎだもん。これでも一応神社の娘ですよ? そりゃ、ファンタジーだけどさ。でもファンタジーな方が面白いじゃん。パパがさも見てきたかみたいな口調でウチの神様の事話したりとかさ、品場神社に伝わるアレコレとかさ。そういう、ファンタジー? オカルト? を信じられる要素、いっぱいあるんだよね、周りに」
だから、お姉ちゃんがいる、なんて。
そんなマユツバモノでもないよ。
と。
「いいね。思い切りがいい。じゃあ、最後。先輩」
「う、わ、私かい?」
「今から、神降ろしをするから。それに神の代替えも行うし、神の分離もする。全部いっぺんにやる」
「──ダメだ。それは、君が危なすぎる」
「だから、佚依をお願い」
「ダメだよ。君は私の事を馬鹿だと思っている。けど、違うよ。それくらい察している。君の事をどれだけ私が調べたと思っているんだ」
「ストーカーじゃないですか」
「その誹りは甘んじて受けるから。それは、やっちゃダメだ。いいかい、何もせず、後ろに下がれ」
なんだ、知ってたのか。
もっと動揺すると思ってたのに。残念。
先輩がこれなんだ。部長もちょっとは違和感覚えてたのかな。
「──お気持ちは嬉しいのですが、丁重にお断りさせていただきます」
だから、まぁ。
あの時出来なかった返事はコレで勘弁してほしい。
雨が落ちる──。
●
さて、幾つかの事が同時に起きる。
一つは、品場神社の方角から光が飛んできた事。それは時を同じくしてアカツキから放たれた光とすれ違い、弧を描く。弧は、けれど反転し、どちらもが元の場所に戻る。
一つは、四ツ木ちゃんから仄かな光が漏れ出でた事。それは四ツ木ちゃんと同じくらいの体積をもって中空へ浮かび、同時に四ツ木ちゃんが倒れかける。それを支える先輩の前で、漏れ出でた光が四ツ木ちゃんの中へ戻ろうとする。
そして、アカツキから放出され、しかし戻ってきた光と、四ツ木ちゃんから放出され、しかし戻らんとする光の双方へ向かって──それを投げつける。
「馬鹿が。
「適任がいるだろう。我ら狛犬。自らの主の大事とあらば、多少の傷など気にはせん」
結構強めのイヌぱんちで頭を小突かれた。両側から。
そして、私の投げたそれ……今はまだ霊魂のない器を二匹は運ぶ。運んで、戻らんとする光へ押し付けた。
「──ふわり、ふわり、流る、かんざし──」
見ているばかりではいけない。
私は私でやることがある。
「──きいろい髪は、からから揺れて──」
歌。実は、歌う歌は別になんでもいいんだけど、一応一番思い入れのあるこの歌を選んだ。
歌う。祈る。──お願いする。
「──どこへ、いずこへ、求めていくの?──」
この歌に強い意味があるわけではない。本当に何でもいいのだ。
必要なのは、ただ。
宙に坐す神の前で、この歌を、私が歌っているという事実だけ。
「──くるり、くるり、流る、かわぎし──」
四ツ木ちゃんの隣。
星命先輩の腕の中。
そこに、二人の少女が現れる。異装を纏う少女だ。方や茶髪の少女。方や銀髪の女性。
神の役割も性質も、どちらもを剥がされた少女は、ただの霊魂として。神の役割も性質も、どちらもを交換した女性は、神の霊魂として。
無事、肉体を得る。得た。ああ、成功だ。
「──きいろい神は、はらはら枯れて──」
ここにいる。
ここで歌っている。これらが起きたここで、私が歌っている。
ならば見るだろう。ならば注目するだろう。今やだれもが聞き取り得ぬ歌を。今やだれもが知り得ぬ歌を。貴女が作り上げた、貴女が一番好きな、貴女が送った歌を。
「──いつか、どこかへ、委ねて行くの?──」
宙の神。
貴女が視認した時点で、この事実は確定する。貴女にとっては蟻の如き小さな存在だろうが、歌は届くと知った。声は届くと知った。誰のでもない──私の声だけは、届くのだと知っていた。
神の代替えも交代も神降ろしも、ほとんどの下手人はヨツギだけど。私はハブのようなものだけど。
まぁ、どうだ。一応私の功績って事で。
「あらら……もう、そんなことをしなくても、私はずっと、貴女を見ているのよ?」
声。
声が聞こえた。
それで、力が抜ける。ああ、違う。
身体に力が入らなくなった、が正確だ。
私のものではなくなった、が。正解だ。
「佚依!」
「──改めて、告白、謹んでお断りいたします。私は貴女を愛してはいない。もう興味もない。けど、私は違う。私は多分、先輩の事が好きだから。もう一度……今度は、人間の常識で、告白してあげてほしい。モノになれとか、絶対、言っちゃダメですからね」
返事は待たない。待つ時間もない。
「宙の神。私を、死途の徒に上げてほしい」
「ええ、わかったわ」
そのために私は、日々を始めたのだから。
「──そんな、後味の悪い終わり方は、許されないね?」
夢だ。夢の世界だ。
銀から黒へと髪色を変えたヨツギが、私を見降ろしている。見下している。
「別に、今頃私が説明している頃だと思うけど」
「貴女の事を気にしない子達だと思うのかな?」
「思わないけど」
じゃあ、一つずつ。
確認して行こう。
「さて、そもそも貴女は誰かな? 佚依ちゃん」
「佚依。イヨリ、と言った方がいいかな。悪霊のイヨリ。生きていない者のイヨリ。あの時、アカツキに出会い、先輩に告白された時点で既に、佚依に憑いていた霊魂」
「そうだね? 貴女は確かにイヨリだけど、生者ではない。あるいは長く憑きすぎて、佚依ちゃんと見紛う程そっくりに変わってしまった、という可能性もあるけれど、少なくとも、貴女は生者の両親から生まれた佚依ちゃんじゃあない」
「起きる予定も無かったからね。元々、こちらを夢の世界でなくするために打ち込まれた楔なわけだし。多分元々意思なんかなくて、ヨツギの言う通り、佚依のせいで変動したんだと思う」
今から少し前、宙の神がある楔を地上に落とした。
夢の世界と現実世界をひっくり返らなくするための楔。生きていない者であるそれは、本来、なんでもないところに落ちる予定だった。
けれど、どうしてか。何の因果か何の偶然か、それに丁度当たってしまった生者がいた。
それが佚依の両親だ。
「けれど、佚依の両親は別に、干渉し得る者じゃなかった。こればかりは血筋とかじゃないから、仕方ない。見えも聞こえも触れもしない両親にとってその楔はなんでもない……認識すらできないもの。宙の神にとっても別に此方の世界にあればいいものだから、特に気にも留めなかった」
「でもその二人から、佚依ちゃんが生まれてしまったね? 千年に一人の逸材。見え、聞こえる者。干渉し得る者の三分の二を持った少女。そして楔はそのまま、佚依ちゃんに受け継がれた」
「けれどそれでも、楔は眠ったままだった。だって別にやることないし。この世界にいればいいだけなんだから、何をするでもなし。だるいし。だからこのままでいようと思って、十六年が過ぎた」
そうして、そんな状態のイヨリと佚依は、出会うのだ。
黒髪の神様と、金髪の先輩に。
「佚依ちゃんは生者だから、その時は平気だった。けど、イヨリちゃんは違ったね?」
「私は生きていない者だから、簡単に変動した。アカツキにも先輩にも心惹かれるようになったし、同時に嫌悪感もあったし。とにかく情緒不安定になったよね。でもまぁ、それすらもそこまでだった。問題は次」
「私が話しかけてきたね? 楔に最も関りのある夢の神が。お察しの通り、私も変わりたくなくて近づいたわけだから、貴女がいたのは想定外だね?」
「結果。私の感情は、ダイレクトに佚依へ伝わるようになる。私の膨大な情熱が、変動によって得られた特大の情熱が、未だ愛も恋も理解せぬ佚依に流れ込む。彼女が突然行動力を発揮するようになったのは、何も彼女が変わったから、ってだけじゃない。私のせいであるところが大きい」
そしてその情動は、段々とタガを外し始める。
なんでもない日常を生きていた少女が、突然献身性を見せ始めたり。突然全てを救わんとしたり。
彼女の異常行動の全ては、私に原因がある。生者に憑いて、生者の性格を変える。ああ、悪霊だ。狐憑きの類。犬憑きの類。
「そしていつしか──分離したい、と思うようになった」
「それはいつからかな?」
「多分だけど、アカツキや先輩に告白された時だと思う。最初のじゃなくて、二度目のね」
「自分に、無いはずの愛があると、認識してしまったんだね?」
「そう」
これだけ語ったけれど、ついこの間まで、私は自分が、私に憑いている悪霊だ、なんて思ってもみなかった。当然のように佚依として過ごしていたし、佚依もまた、私を自らの個性か何かの様にあつかっていたのだから当然だ。
自分でも理解できない感情。自分でも制御できない情動。そういうものだと、思い込んでいた。
両方が。
でもそれは、その均衡は、私側だけが……私だけが愛を認識した事で、崩れ去る。
結果、私は佚依から離れた方がいいと思うようになった。
「そんな折、丁度。救いたい対象のために、神に成り得る機会が訪れる」
「神となれば当然、生きていない者の側面が強く出るね? 佚依ちゃんが抑え込まれ、貴女が強く表出するようになる」
「そうして、最初に私を叩き起こしたヨツギ、貴女との対話。ここまでくれば、はっきりする。私が佚依ではなく、イヨリであると」
「そして貴女の為すべき役割も、ね?」
そうだ。
私は楔として生まれた。落とされた。
楔なのだ。たかだか八十年で、無くなって良いものではない。
本来は生者ではなく生きていない者として存在し、存在し続けんがためのモノ。
ならばもっと強く、強固に、堅固でありたいと思う。
此方の世界を縫い留めるために、寿命があってもいけないし、消えてしまってもいけない。
けれど神になる事は出来ない。ヨツギの力でも一時的が限界なのだ。
であれば、神ではなく、けれど神に近しい存在にならないといけない。
「それが
「貴女は今、あらゆる軛から外れているね? 生きていない者であるから、神とも交流できる。悪霊であるから、これ以上の変動に恐れが無い。楔であるから、"処理"されることもない。当然佚依ちゃんとも交流できるだろうし、夢の神となったアカツキとも会えるんじゃないかな」
「でも、ホシミとは会えない。彼女は生の神で、生者である事を選んだから」
「後悔してる?」
「全然。ホシミが好きなのは佚依だし。アカツキが好きなのも佚依だし。どっちもを好きなのも、佚依」
「じゃあ、私の事を愛してくれているのは、どっちかな」
「それは私だよ。ずっとずっと、夢の中で強く表出していた方のイヨリ。つまり私」
さぁ、これで話は終わりだ。
四ツ木ちゃんとヨルツキちゃんは、ほとんど普通の人間になった。ヨルツキちゃんからは夢の神の役割と性質が剥がされ、髪も茶髪になっている。剥がされた夢の神はアカツキに与えられ、アカツキは夢の神の霊魂を持つ生者となっている。生の神の霊魂を持つホシミとは、一生、生まれ変わっては出会ってを続けて、永遠を手にするだろう。
そしてアカツキと死の神を交換したヨツギは、今こうして目の前にいる。
同じく私もこうしてここにいる。
生者の佚依が消えたわけじゃない。記憶を失ったわけでもない。ただ少し、ヨツギへの愛情だとか、先輩への嫌悪だとかが消えるかもしれないけれど、佚依は佚依のままだ。多分普通に私の事も見えるだろうし、どうせ不機嫌な顔をして"丸投げは止めて欲しかった"とかなんとか言ってくるんだろう。
神降ろしの罰は私達二人が別たれた事で終了。魂を引き裂かれたに等しいのだ。十二分の罰と言える。
それであとは、白達か。
彼ら彼女らは特に変わりはない。嘉白の寿命があと少しなのが気がかりだけど、ホシミとアカツキと佚依がまぁなんとかするだろう。勿論、ヨルツキちゃんも。盛大な葬儀をするだろうし、自らの体質を打ち明けた佚依がメッセンジャーになるかもしれない。
「そういえば、あの子はいいのかな?」
「あの子?」
「この間身体を借りた子だよ?」
「ああ、部長? 部長は……いいよ。どうせ部長もなんとなく察するだろうし。餞別もくれたからね」
「あのタマゴの事?」
「うん」
結局、私の作りかけアカツキ人形にも、部長のタマゴにも、誰が入る事も無かった。
けど、そういう意味で。
部長があのタマゴに三羽の名を付けたのは、私が何も知らない事を知っていて、だったりして。
……いやないか。部長に限って。そんな頭の良い事するわけないし。
「それにあれ、タマゴなだけじゃないよ」
「そうなの?」
「ぬいぐるみだから開けられないけどね。本当は、中に入っている人形が主体」
「何が入っているの?」
あのタマゴに入っているもの。
それは。
「教えない」
「ええ?」
「まぁ、また今度ね。それよりさ、ヨツギ」
「何かな?」
その身体を、抱擁する。
「私達愛し合っているわけじゃんか」
「うん、そうだね?」
「じゃあヨツギは、私に嫁入りするわけだ」
「違うね?」
「三羽世継。今日からそう名乗ってね」
「嫌だよ?」
「愛し合ってるんでしょ?」
「名前を変えるのは、少なく無い衝撃だね? また変動してしまうのは嫌だね?」
「元々品場夜注だったんでしょ? 品の字は三個の物。ミツバとも読めるわけで」
「読めないね?」
「読めるよ。読めるまで、また対話しよう」
「……わかった」
じゃあ、これで。
こちらの話は本当におしまい。
後は佚依に任せよう。私は、そっちの三角関係とは全く別の所で、ヨツギとイチャイチャさせてもらう。
これにて御免……みたいな?
●