死途の徒 作:三羽世継
学校の窓から眺める空は黒寄りの灰色で、そこからサァ、という音と共に細い細い雨が降ってきている。
春雨だ。食べる方の、ではなく。まぁ、食べる方の語源がこの雨ではあるんだけど。ごっちゃになるなら唐麺とか粉条って呼べばいいと思う。あっちの方を。
グラウンドに落ちては霧となる雫たちを眺める事小一時間。
「佚依さん、佚依さん」
「……ん」
「ん、じゃなくて。テストもう終わったよ。次、体育館だから」
友人、と呼ぶには少しだけ遠いけれど、席が近いから話す事の多い子が、そう教えてくれた。
そうだった。テストを比較的早く解いてしまって、暇になったから空を見ていたんだった。それを忘れるくらい、春雨が魅力的に映ったのかもしれない。多分違うけど。
さんずいに心と書いて沁みるわけだから、これが風情なのかな。じゃあ理解できたかも。十割。
周りを見れば、確かにもぬけの殻だ。表現を違えたかな。その子以外、誰もいなかった。
時刻表を見れば、次はレクリエーション、とだけ書かれている。もっと具体的に書いてほしい。覚えていない私が悪いよ。十割。
「体育館シューズ、忘れないようにね」
「はぁい」
お節介……は、流石に悪い言葉すぎる。
お世話焼きなんだろうな。いつも気怠そうで、やる気の感じられない私はその世話の対象に入っているのかもしれない。要注意介護者的な。失敬な。
でも助かった。
「雨か」
呟く。紡ぐ。
白にも言われたけど、私は雨女だ。雨に好かれている。雨の神様に寵愛されている。
荷物を持っていなければ、そして風邪をひかなければ雨は好きだ。害が無ければ大好きになれるもの代表。こちらの体温さえ奪わなければ、いくらでも打たれてあげるというのに。
馬鹿を言っていないで早く体育館に行けと。
はぁい。
○
春は新しい事をする季節だ。入学。進学。卒業もそうだし、クラス替えだってイベントの一つだろう。
春だから、というよりは、日本という国の年度初めが四月だから、というのが何よりも大きいんだろうけど。ただ、たまたま重なってしまっただけの春が新しさの代名詞に使われてしまっているだけ。
レクリエーション。
それは酷く簡単に言えば、仲良くなりましょうの会だ。
クラス替えからそこそこの日数が経っているので何を今更感は否めないが、まぁ、そういえばやっていなかったな、という納得もある。
ただ面倒だ。高校生にもなったんだから、仲良くなりたい人は仲良くなりたい人同士で、そうでない人はそうでない人として分類すればいいものを。なんだって教室から出てまで、身体を動かしてまで交友の輪を広めなければならないのか。
それも、全クラス合同で、なんて。クラス替えしたから、という前提名分をどこへやったんだと問い質したい。
「で」
「うん?」
「教師でも脅しましたか。それとも、クジに細工を?」
「まさか。偶然だよ偶然。あるいは運命かな、なんてね」
くじを引いて、ペアが見つかるまで挨拶をして回る。小学生かと思いたくなるようなイベントの末、引いたクジが合致したのは、まさかの星命先輩だった。そんな偶然あるワケ。
それともどこかですれ違った時に私のクジを盗み見て、同じクジを持っている子に交換してもらったとか? いやまぁそれはどうやってその子を見つけ出したんだ問題が浮上するけど……。
「だるくないですか、このレクリエーション」
「まぁ、子供っぽいな、とは思っているよ。でも良いんじゃないか。高校生だって童心に帰る事は必要だろう」
「というか先輩、留年してるから、去年もやってたりします?」
「先輩じゃないけど、そうだね。こういうレクリエーションはあったよ。去年は大縄跳び大会だったかな。ただ、その時怪我人が出てしまって」
「こうなったと」
「ああ」
確かに挨拶をして回るだけの行為に危険性はない。いやまぁはしゃいで走り回るヤツとかいるなら話は別だけど、幸い蓮柄高校にそういう馬鹿はいなかったようだ。いたけど視界に入っていない可能性はゼロじゃないけど。
ただ、挨拶をして回る、というイベントの効果そのものはちゃんと果たせている様子。
私と先輩のように早めに見つかったペアもちらほらとはみられるが、未だ"あれ~?"とか"どこですか"とか言ってグルグルと彷徨っている子がそれなりにいる。全員が思い思いに動いているから、虱潰しが出来ないのだ。わざと効率が悪くなるように自由行動にしたのだろうけど、待ち時間の事も考えて欲しかった。
待たせる側も焦るでしょ、これ。
「運命と言えば、佚依」
「……なんですか」
「この間、誕生日プレゼントの相談をしただろう?」
「ああ、バングルを贈ったやつですか」
「とても気に入ってくれていたよ。"星命にしてはわかってるじゃないですか!"って」
「どちらかというと貶されている気がしますけど、まぁ気に入ってくれたんならよかったです」
その子の中で、先輩の評価はどれだけ低いんだろう。
「それで、何が運命と言えば、なんですか」
「ん、ああ。その子の家は結構特殊……まぁ、言ってしまえば神社の娘でね。あまりこう、若者風のファッションは好まれなかったそうなんだ」
「へぇ。古風ですね。時代遅れと言うか」
「伝統というのはそういうものさ。で、あの時私は金属製のバングルを選んでね。銀色の奴だ。それを上げたんだ。そうしたら、丁度父親がそこにいて」
「神主さんですか」
「そう。神主である父親だ。厳格な気風を敷いている父親。贈り主たる私がいる前では可能性は低かったけど、没収される事もあったかもしれない。バングルなんか、まさに若者のファッションだろう?」
「そうでもないですけど。OLとか、三十そこら行ってても普通につけてますよ」
「まぁ、現代風であるのには間違いない」
「それはそうです」
まだ、見つからないらしい。
流石にそろそろ人数も絞れてきたはずなので、総当たりで行けば終わると思うんだけど。
「その父親がね、バングルを見るなり言ったんだ。"四ツ木、それは誰からの贈り物だ?"って」
「もしかして節穴なんですか、その神主さん」
「それは失礼が過ぎるね。当然
「可哀想。先輩ってセンス無い代表格みたいな扱いを受けているんですね」
「そういう意味じゃない、と思う。ともかく、神主はこう言った。"稀有な巡り合わせもあるものだ。いいか、四ツ木。それを決して身から離すな。お前の運命が散り散りにならぬための、大切な止め紐となる"って」
「その神主さん大丈夫ですか? 頭ヤってませんか?」
「あぁ、信頼できる人だ」
ううん。
先輩が信頼できないから、その信頼先は微妙。
「ちなみに、どこの神社なんですか」
「品場神社という。聞いたことくらいはあるかな」
「つい先日」
この街で最も有名な神社はそこだという。
朱月神社は、場所も、名前すらも知られていなかった。流石にあの近所の人は知っていると思うけど、少なくとも記憶力の良い部長が知らなかった事から、本当になんのご利益もない神社なんだろうなって。
これも失礼かな。
「私と佚依がペアになったのも巡り合わせだよ。私と君が、あの神社で出会ったのもね」
「そうですか。でも先輩は用事の無い日はほぼ日であの神社に行っているようなので、私以外の子ともたまに出会っているんじゃないですか?」
「誰も来ないよ、ああもさびれた神社には」
「そうですか」
まぁ、私とて笛の音が聞こえなかったら、立ち行っていないし。
ああいう寂れた神社は誰かが住み着いている可能性があるから、実は危なかったりするんだよね。ホームレスのおじさんとか、あるいは追われ逃げている犯罪者とかが。
……笛を吹いていたのが神様じゃなくてそういう人達だったら、本当に危なかったかも。
ようやく全ペアが合致した。
並べ、と言われたので、大人しく並ぶ。ようやくレクリエーションが始まるのか、これだけで終わりなのか。
「先輩は、私と会えて良かったですか」
「……珍しい。君からそういう質問をしてくるなんて。ああ、答えは勿論yesだ。本当に、運命だと思ったよ」
「聞こえなかった、って事ですか。今まで来た子は」
笑み。どこか悲しい、どこか──嘲りを含むような笑みだけが、帰ってきた。
誰に対してなのか。私か、過去の子らか──自分か。
「雨が止んだら、神社へ行きましょう」
「え、それは」
「品場神社の方です。ちょっとその神主さんに会ってみたくなりました」
「……そっか」
期待させたようで申し訳ないけれど。
やっぱり私は、先輩と一緒に朱月神社に行くのだけは、嫌なのだ。
そのまま、何も無く、授業が終わった。
○
「なるほど」
これは。
これは、知らない私の方がおかしい、というのも頷ける。
大きな神社だった。敷地面積もそうだけど、御社殿の大きさが朱月神社とは桁違いだ。まぁあちらはそもそも本殿しかないから当然なのだけど。
鳥居の大きさも、その他施設の充実度も、そして参拝客の量も。
この街で最も有名な神社、というだけはある。初詣とか興味の無い家系だったのが災いしたなぁ。
「先輩、私神社の作法とか知りませんでした」
「ああいいよいいよそういうの。気にしないから」
「いいんですか」
「どうでもいい、という方が正しいかな。何度手を合わせようが、礼をしようが、特に何があるわけでもないからね」
この神社の主と懇意らしい先輩が言うのだから、それはそうでいいと捉えることにする。伝統。伝承。守らなければ、受け継いでいかなければならないものは沢山あるのだろうが、神に一切の敬いの無い私がやっても意味が無いのは確かだ。形だけ取り繕ったところで何が生まれるはずもなし。
常日頃、神様にも白にもかなり失礼な態度取ってるというのもある。
「佚依、こっちだよ」
「あれ、お参りは」
「うん? 神主に会いたいんじゃなかったのかい?」
「神主って御社殿にいるものじゃないんですか」
「いる事は多いけど、出ずっぱりじゃないよ。彼だって人間だ、休息は必要さ」
「仕事中では?」
「いいからいいから。ほら」
手を差し出される。
取らず、抜かす。
「つれないなぁ」
「先輩はスキンシップ多めですよね」
「好きな子の肌に触れたいと思うのは普通……と言いかけたけど、流石にこれは気持ちが悪いね」
「自覚出来て何よりです」
にしても、と。
「この神社も、四隅に切り株があるんですね」
「あぁ、ここで祀られている神様にそういう逸話があってね。むしろあちらは後発というべきか」
「へえ」
知らない歴史が沢山あるものだ。
そんなことを話しながら、先輩の隣を歩くこと数分。
境内の敷地内でありながら、思い切り"関係者以外立ち入り禁止"の札が括られたロープが張られた区画が見えてきた。奥には二階建ての建物。職員宿舎なのだろう、つくりや雰囲気は似せてあるけれど、中身は多分普通のアパートだ。
なんでもないかのようにひょい、とロープを飛び越える星命先輩。
「あの」
「私は関係者だからね」
「そうなんですか。でも私は」
「佚依は、私の関係者だからね」
それでOKなら六次の隔たりで誰でも入れそうな。
まぁ、怒られるのは星命先輩だろう、と願って、ロープを越える。
「──」
越えなきゃよかった。
「佚依?」
ぬぅ、と。
地面から、あるいは木々、施設の壁、そして空。
そこかしこから──動物が湧いて出てきたではないか。街で見かける白蛇に似た、けれど小さなもの。猫。狼。鳥に猿によくわからない生物。
それらが、一斉に。
一点に、私を見つめている。
さしもの私もこれは怖い。白の睨みつけだって結構怖いのに。
「先輩って、動物に嫌われていたりしますか」
「そんなことはないかな。餌を上げずとも、鳥やら猫やら、色々と寄ってくるくらいには好かれているよ」
「そうですか」
なら、私か。
先輩は自身を関係者だと言っていたし、彼女がここへ入るのはいつものことなのだろう。
単純で明快で、尤もらしい異物を見間違えるなど、しないか。
さて。
これらが私に害がないかどうか、が微妙だ。先日の白の言に寄れば、触る事が出来るようにもなれるのだとか。それが眼前の動物たちにも可能なのかはわからないけど、さて、はて。
一歩目を、踏み出していいものかどうか。
「あれ、ホシミ? ……と、誰?」
声。奥の方からだ。
小さい女の子の声。私だけが感じている緊張感は、星命先輩も、その女の子も感じていないようで。
「あぁ、四ツ木。ちょっと神主に用があってね。こっちは佚依。私の友じ──」
「え、じゃあその子がホシミの彼女? へぇ~」
「やっぱり先輩って最低ですよね」
聞き捨てならない。未だ睨まている……というか、女の子が出てきてから視線は一層強くなったけれど、聞き逃してはならない単語には反応せざるを得なかった。
そういう紹介をしていたんだ。そういう風に話していたんだ。そういう人だったんだ。
「ち、違うんだ佚依。確かに四ツ木に愛する人だとは話したけれど、彼女だとは言っていないよ?」
「お姉さん、気を付けた方がいいよ~? ホシミは過去にも何度か女の子に手を出しては捨ててるからね」
「それは流石に悪意がありすぎるぞ四ツ木!」
「きゃ~」
それで、ようやく、多少の余裕が出来た。
それでようやく、四ツ木ちゃんをはっきり認識する事が出来た。
あれ。
「……ヨルツキちゃん?」
ぬぁ、いっそう視線が強くなった。