死途の徒 作:三羽世継
夢を見た。
夢。夢。脳の整理作業。
けれど、これがそう単純なものではない事など、すぐにわかった。
──"貴女は、いつも笑っているんだね"
──"ええ、私は今が、とても楽しいもの"
金髪の女性が笑む。黒髪の女性が答える。
私はそれを、少し高い所から見ている。私と言うか、この視点の主は、か。
明らかに私の身体じゃないし。
明らかになんか、飛んでるし。
──"愛しているよ、アカツキ"
──"私もよ、ホシミ"
何を見せられているんだろう、と思った。
見た事が無くてもわかりきっていた光景。この場にいるのが私でなくとも想像し得たであろう事実。衝撃の真実でも、予想外の出来事でもなんでもない。これを見せた所で何が変わるはずもないし、何かを想う事もない。
──"あぁ、離れたくない。離れたくないよ、アカツキ"
──"大丈夫。大丈夫よ。私は、いつまでも、いつまでも、貴女を待っているから"
消えて行く。
金髪の女性の身体から、光の粒が溢れ出て、そのまま消えて行く。彼女の身体が、彼女の存在が。
見えなくなっていくのだ。
──"必ずだ。必ず君に会いに行く。君が見える目を手に入れて、君が聞こえる耳を手に入れて、君に触れる身体を手に入れて、必ず"
──"待っているわ、ホシミ"
あぁ、やはり退屈だ。
早く目覚めないものか。なんだって他人の悲恋と再会の約束を見せつけられなければならないのか。
なんだって、自分に告白してきた人の、本当に好きな相手との逢瀬を。
──"お気に召さなかった?"
「……」
──"貴女に聞いてるんだよ、佚依ちゃん?"
「あ、うん」
消えかけの金髪の女性と、それを見送る黒髪の女性。双方の身体がピタリと止まって、動かない。
まるで一時停止ボタンを押したかのように。
そして、声はすぐ近くから聞こえた。
というか多分、この視点の主が、喋っている。
「神様、でいいの?」
──"そう。といっても、アカツキとは違う神様だけどね?"
「星命先輩も神様なんだね」
──"だった、だけどね?"
「星命先輩は神様に戻らないの?」
──"戻れない。もう、二度とね?"
すごく、ヘンな感じだ。
自分と同じ位置から自分じゃない声が聞こえてくる。オカルトにもファンタジーにも散々慣れているから今更驚きはしないけれど、初めての事にはちゃんと戸惑うくらいの常識は持っている。
そもそもここはどこなんだろう。神社、っぽいけど、朱月神社でも品場神社でもないように見える。小高い山の上の、裾野がどこまでも見える場所。
──"君は求められているんだよ?"
「白から聞いたよ。でも、私には関係ない」
──"ホシミは君を求めている。自分の全てを捨てても良いくらいね?"
「知らないよ」
──"忘れないで。君がどれほど、素晴らしい存在なのかってことを、ね?"
視界が薄れていく。
起きるのだとわかった。けど、結局何だったのか、理解が出来ない。
この夢を見る前となんら変わらぬ心持ちで、むしろ嫌気が差したくらい。要らぬ世話、というヤツなのだろう。星命先輩にとっては。
夢の中の神様。朱月神社の神様とは違う。ヨルツキちゃんとも違う。
それで、先輩も神様と来た。
多いな、この街。神様。
○
また雨だった。
愛されているのはありがたいけど程度を考えてほしいとも思う。傘は新調したばかりだから、この前みたいに待ち惚け、にはならないと思うけれど。
高校生の授業と言うのは、中学生の頃の復習が多いんだな、と感じる今日この頃。地固めをしっかりするというか、高校生の頃に築いた骨組みに土を込めていく作業と言うか。
だから話半分に聞いても良いし、教科書さえ読み込んでいれば、他の勉強をしていても良い。しないけど。
家から持ってくるのも、持ち帰るのも、筆記具だけ。教科書の類は自身のロッカーに入れっぱなしで、だから手荷物らしい手荷物の無い状態で。
傘を差して──閉じて。
「……冷たい」
「
一瞬でずぶ濡れになった身体。当然の感想を溢す私に、白から理解できないものを見るような視線が飛ぶ。春雨といえども雨は雨。温いはずもなく、ただただひたすらに体温を奪っていくだけの水だった。
夏服だったら少し危なかったかもしれない。まだ衣替えしてなくて良かった。
ふと、雨が遮られる。
上を向く。身体を反らす。目を上げる。
「どうしたんですか、先輩」
「どうしたもこうもないよ。何をやっているんだい、風邪を引くぞ」
「特に何をしているわけでもないですよ。雨に打たれているだけです」
そこには、傘を差した先輩の姿が。
私に被せたが故、自身が濡れてしまっている。
「風邪引きますよ」
「私は引かないよ。生まれてこの方、病を患った事は無い」
「何が風邪をひかないんでしたっけ」
「馬鹿だね」
じゃあ、私は大丈夫だ。
白曰く、私も馬鹿だから。
「何か、嫌な事でもあったのかい?」
「だから、特に何もないですよ。雨に打たれたくなったから、雨に打たれていたんです。雨に打たれたくなることないですか」
「無いかな」
「そうですか」
さいですか。
そのまま、歩き出そうとする。
すると傘もついてくる。一歩進む。傘もついてくる。一歩進むふりをして右へ逸れる。傘もついてくる。
「なんですか」
「なんですか、じゃないだろう。このまま濡れ行くのは見過ごせない」
「私が、人間だからですか」
「──」
踏み込んだ。
そういうのに触れるつもりはサラサラ無かったのに。熱に浮かされたかな。
「……君が、大切な人だからだよ」
「死なれると困るから、ですか」
また深く。
口が浮く。
「そういう話じゃない。君を好いているから、君に病気になってほしくないだけだ」
「そうですか」
そのまま、後ろに倒れ込む。
慌てたような呼気。先輩は私をその胸で受け止めて、抱く。
だるいだけだ。
だるいだけで、私は大人じゃない。大人じゃないのだ。
そう簡単に割り切れる話じゃない。こうも、これほどにも──友人然として話しかけてくる人の不義理が、許せない。
告白をして。好きだよ、とか、好いているとか、言って。
その言葉がうわべだけのものであることが、あまりにも。
「先輩の家」
「うん?」
「先輩の家、行きたいです」
「先輩じゃないけど、それは告白と見ていいのかい?」
「やっぱいいです」
「ああ、待って、待ってくれ。勿論歓迎するよ。君がここで雨に打たれ続けるよりも私の家に行く事を選んでくれたことを、喜ばしく思う」
嘘ばかりだ。
嘘しか吐いていない。
……あぁ、もう。本当に。
心から──嫌になる。
○
先輩の家は、割と普通だった。
割と。敷地が広かったり、離れがいくつかあったりすること以外は、普通の家だ。神社神社してるとか、武家屋敷っぽいとか、そういうことはない。その辺りの住宅街にあってもおかしくはない家。
先輩の家に着く頃には雨は上がっていて、けれど濡れたから、ということでシャワーを勧められて、断って。制服は乾いていたけれど、少しだけ不快な、じめっとした感触のままに。
手持ちのタオルをお尻の下に敷いて、ソファに座る。
「はい、お茶」
「ありがとうございます」
私に合わせてか、シャワーを浴びることもなく、けれど着替えをした状態の先輩が、お茶を出してくれた。
部屋着の先輩。私服の先輩。出会った時でさえ彼女は制服だったから、凄く以外。
白いTシャツ。だぼっとしたデニム。和風の和の字も無いその恰好に、なんだか、期待が外れた、というか。
品場神社の面々や、神様らがあれほど和風だっただけに……その。
「意外だったかい?」
「普通の家でした」
「そうだよ。別に、家の様相までもを和に寄せる必要なんてないからね。そんなことをしても誰も喜ばない。結局ああいうのは、神様を信仰する人間が雰囲気づくりにやりたいだけの事だ」
「当事者の意見、ですか」
「……」
ああ、もう。
そろそろ面倒になってきた。これだけ踏み込んでいるし、先輩側も匂わせているくせに、全然肯定しない。わかりきっていることなのに、どうしてこうも。
「先輩は神様なんですよね」
「……違うよ」
「知ってますから、いいですよ。隠さなくてもいいです。昨日、夢の中で神様から聞きました。金色の髪の神様。生者になった、生きていない者を見る事の出来ない人」
「なる、ほど。余計な事をしてくれたものだ」
「その前から知ってましたけどね。どうせそんなことだろう、って思ってました」
はぁ、と溜息を吐いて、私の隣に座る先輩。
少し距離を開ける。
「傷付くなぁ」
「だって先輩は、私の事、好きじゃないじゃないですか」
「そんなことはないって何度言ったらわかってくれるんだい? 私は君を愛しているよ。あの時告白したじゃないか」
「生きていない者が見える私を、手放したくないだけでしょう」
問う。回りくどい言い方をしない。
面倒だ。だるくなってしまった。気を遣うのが。
「そんなことは、ないよ」
「嘘吐かないでください。前に先輩と一緒にいるのは嫌じゃないと言いましたけど、撤回します。嘘しか吐かない先輩は嫌いです。その嘘だらけの心で、私に好きと言わないでください」
「佚依」
抱きしめられる。
何も感じない。感動的に仕立て上げるには、圧倒的に地盤が足りない。今までそんな雰囲気ではなかったし、それに至るために必要なものが欠落しすぎている。
これでお涙頂戴など、あまりに人を舐めている。
「離してください。これ以上嘘を吐くというのなら、もう、話しかけてこないでください。鬱陶しいんですよ。なんで私が、私に関わりのない恋愛事情に気を遣ったりしなきゃいけないんですか。ただ私を介さなければならないというだけの昔話に付き合わなければいけないんですか。そんなどうでもいい話に、好意なんて嘘を貼り付けないでください」
「佚依。違うんだ。私はちゃんと、君を愛している」
「じゃあ、朱月神社の神様のことは?」
「……アカツキは」
「愛してないんですか?」
そんなわけがない。
積年の想いという言葉の体現者だ。あの夢がどれほど昔の事なのかはわからないけれど、神様や白の言から察するに、数百年はくだらないんだろう。数十年しか生きる事の出来ない人間に、十数年しか生きていない小娘には想像もし得ない領域の話だ。
それが、この程度の些事で覆るはずもない。
「嘘を吐かないでください。別に、良いです。私を好きだなんて事を言わなければ、先輩の言葉を神様に伝えてあげてもいい。神様の言葉を先輩に教えてあげても良い。だから、言ってください。言い切ってください。私の事なんか、好きではないのだと」
「……」
「出来ませんか」
そんな簡単な事が、出来ませんか。
嘘を吐くのを止めることが、出来ませんか。
私を騙す事は、止められませんか。
「ああ」
「……」
「出来ない。出来ないよ。自分の心に、嘘は吐けない」
「あの日、あそこで出会っただけでしょう。この世に一目惚れなんてものは存在しませんよ」
「違うよ。私はちゃんと、君を愛している」
じゃあ、もう。
もう決別だ。決裂だ。
「終わりです。告白は断りました。あの時、先輩は"せめて友達になってほしい"と言いましたが──それも、断ります。嫌いです。縁を切ります」
「そうかい。それは、悲しいな」
「……今日はもう、帰ります。お茶、ありがとうございました」
それで終わり。これで終わり。
これ以上引き留められる事もなく、それ以上後を追われる事もなく。
星命先輩との友達関係は、終了を告げた。
○
「暗い顔をしているな、
「……とうとう家にまで出るようになったんだ」
「うむ」
うむ、じゃないけど。
プライバシーって知らないのかな、この犬。
「色恋か」
「違うよ。そういうのじゃない」
「我が力になれることか?」
「なれないことだよ。
「そうか」
ベッドで仰向けになって、腕で顔を覆って。
部屋の中央に
「ふわり、ふわり、流る、かんざし。きいろい髪に、からから揺れて。どこへ、いずこへ、求めていくの?」
「笛の歌。懐かしい唄だ」
「ねぇ、白。これはどういう時に歌われてた歌なの?」
「常日頃、だろうな。昔はそれなりの数がいたのだ。笛の歌を聞き得る者が。故にアカツキは笛を吹き、ヨツギは弓を奏で、ホシミが踊った。昔はただ、それだけだったよ」
「ヨツギ?」
「ヨルツキの前の神だ。夢の神。当代をヨルツキが務めている」
「ふぅん」
じゃあ、あの夢を見せたのは、その神様なんだろう。
それで、もう一つ。
「ホシミについて、教えてよ」
「これも神の一柱だ。生の神。命の神。その性質故、ある時から生者でなくてはならなくなった。神である事に耐えられなくなった。何百と昔の話だ」
「神様は?」
「アカツキの事か」
「うん」
「アカツキは、死の神だ。とはいえ周囲のモノを殺すだとか、寿命を操作するといった力は有していない。ただ、生者に死という概念のある限り、アカツキは神として在り続ける。生者になる事は出来ず、生者に干渉する事もままならぬ」
「私はいいんだ」
「故にこそ
ああ、本当に。
そればかりだ。口をそろえて、珍しいだの稀有だのと。
「ホシミは、生者になったんでしょ。どこにいるの?」
「わからぬ。我ら生きていない者には、ホシミを見ることは叶わぬ。ただ生者であるものならば、
「じゃあ、この街にいるかもしれないんだ」
「可能性は高いだろうな。ホシミとて、アカツキを酷く愛していた。アカツキはずっと朱月神社にいるし、好いている相手のいる場所をホシミが忘れるはずもない。どのような姿で、何をしているのかは知らぬが、朱月神社にまで立ち寄っている事さえもあるだろう」
「……そうだね」
まさか、毎日来ているとは。
まさか、ずっとずっと、想っているとは。
考えてはいないのだろう。
「神様もホシミが好きなの?」
「ああ、相思相愛だ。当時は見ていて胸が焼ける思いだった。今もたまに、アカツキが惚気話を話す事がある。凡そ楽しい時間とは言えぬな」
「誰かに浮気する事とか、あると思う?」
「断言するが、無い。あの二人の縁は、そして想いは、
「そっか」
お墨付きだ。
ほら。やっぱり、嘘だったんだ。
……微かにでも、勘違いがあれば、とか考えた私が馬鹿みたいだ。
もう知らない。先輩の事なんか、どうでもいい。
寝よう。ふて寝。
「その暗い顔が、明日には多少でも晴れている事を願う」
「おやすみ、
「ああ、おやすみ」
ちぇ。