死途の徒   作:三羽世継

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八灯

 他の人には見えないものが見える。

 他の人には聞こえないものが聞こえる。

 そういう事に気付いたのは、多分、幼稚園の時だったのだろう。物心ついた時、というには些か早すぎるけれど、記憶にある限り、覚えている限りの初期地点がそこ。

 別に、見えないものが見えると言葉にして、他者との隔絶を感じる事もなかったし、聞こえないはずのものを聞いて、怖がられる事も無かった。

 単純に、"こんな大きいものを見逃すはずがないから、これは私にしか見えていないのだろう"と自己完結しただけだ。

 

 手だ。

 大きな、大きな手。

 星を覆うように、包み込むように、果てしなく広い手のひらがこの星を覆っている。どんな創作物にも、どんな写真にも写っていない手のひら。私にだけ見える、この星を守る誰かの寵愛。

 それがずっと見えているから、小さいものに驚かなくなった。あるいは、その時に一生分驚いてしまったから、リアクションが薄くなった、のかもしれない。

 手は何かをする、ということもなく、そこにあるだけ。見える範囲が時間によって違うのは、手が動いているのか星が回っているからなのかはわからない。

 

「あれも神だ」

「やっぱり?」

「こちらの声など聞こえぬがな。巨大であるが故、強大であるが故、小さきものの意思など認識できぬ」

 

 縁側、という表現で合っているのかはわからない。

 朱月神社の本殿の縁で、白と一緒に暇を過ごしている。今なお神様は笛を吹いているけれど、私がゆっくりさせてほしいと告げたら、大人しく引き下がってくれた。歌はね、忙しいから。

 水筒に入れて持ってきたお茶を飲みながら、一息。

 

「神様って、いっぱいいるんだね」

「そんなにはいない。大抵が、我のような眷属か、死して尚自らの死に気付かぬ動物霊だ。(なれ)ら人間の方が数は多いし、広く見て生者ともなれば比べ物にならぬ」

「人間と生者は違うんだ」

「生きている者を生者という。人間である必要はない」

「へえ」

 

 者、っていうから、ヒト限定だと思ってた。

 

(はく)は元々人間?」

「我のような眷属は、元より生きていない者として生み出される。故に一度だけ生き返る事が出来る。(びゃく)に聞いたのだろうが、我がヨルツキの母であれたのはそういう理由だ」

「生き返る?」

「死した生者は生き返る事が出来ない。それらは生きていない者となることもあれば、死者としてこの世を去る事もある。ただし、元が生者であった場合は、絶対の法則として蘇生は叶わぬ。二度、生を味わう事は不可能なのだ」

「白が人間になれたのは、一度目だったから、ってこと?」

「然り。(びゃく)も同じだ。奴がヨルツキの……四ツ木の父親たる嘉白であれるのは、一度きり。無論夢を渡って(びゃく)となる事は今でも可能だが、一度完全に(びゃく)となってしまえば……つまり、嘉白の肉体が死し、生きていない者となってしまえば、もう二度と蘇る事は出来ぬ」

「そんな大切な期間だったのに、なんで短命に生まれる予定にしちゃったの?」

「……奴も余計な事ばかりを話すものだな」

 

 じゃあ、似た者同士なんじゃないかな。

 余計な事ばかり覚えている(はく)と、余計な事ばかり言う(びゃく)で。

 

「我にとって生者の母であることは些事でしかなかった、というだけだ。ヨルツキとの関係は消えぬ。故に、四ツ木を産まば、即座に命を落とすつもりであった。しかし、アカツキが自死を許さなくてな。結局予め予定していた寿命を使いきらなくてはならなくなった」

「生者でいたくなかったの?」

「生者はしがらみが多すぎる。(なれ)の言葉を借りるなら、だるい、というものだ」

「そっか」

 

 確かに、だるい。

 生きているのは。白のようにどこへでも顔を出せて、ご飯を食べなくてもよくて、病気や怪我の心配のない身体の方が、絶対楽だ。

 楽なだけ、なんだろうけど。

 

「四ツ木ちゃんが寂しがるとか、思わなかったんだ」

「さぁな。母であった我にはあったのやもしれぬ。何故短命にしたのだと嘆いたのやもしれぬ。嘉白を見るに、もっともっと長い間四ツ木を見守っていたかったと、そういう思いもあったのやもしれぬ。だが、我にその感情はない。ヨルツキは我が娘だが、四ツ木は生者たる、母たる我の娘だ。他者の子にしか思えぬよ」

 

 それは。

 酷い、というか、惨い話だと思う。

 嘉白を見るに、性格や思考は生者である時と生きていない者である時であまり変わらないのだろう事は伺える。

 けれどそこから、愛情だけが欠落するのだ。親愛だけが、今まで抱いていた、子に対する愛情だけが消える。縁が千切れる。絆が消える。

 

「四ツ木ちゃんが、四ツ木ちゃんであるか、ヨルツキちゃんであるかを選ばないといけないのも知ってるんだよね」

「無論だ」

「どっちを選んでほしいの?」

「……どちらでも良い。既に夢の神は役割を終えている。ヨルツキがヨルツキ足る理由は消え失せてしまっている。なればあの子が人間であることを選んでも、神である事を選んでも、我には変わりがない。尤も、人間を選んだが最後……我ら夫婦とは永遠の別れになるだろうが」

「四ツ木ちゃんが死ぬときに、生きていない者を選べば出会えるんじゃないの?」

「無理だ。眷属と神は違う。一度生者を選んだ神は、もう二度と生きていない者にはなれぬ。ホシミも同じだ。今どこかにいるホシミがたとえ死せども、生きていない者にはなれぬ。流転し、生者として生まれ変わる事はあるだろうがな。生き返るのとは違う。生者として固定される、という方が正しい」

 

 けれど、あの夢が事実であるのなら。

 星命先輩は選んだのではなく、選ばされた、が正しいのだろう。選ばざるを得なかった。神であり続けることが出来なかった。でなければ、あんな顔はしない。あんな離別は訪れない。

 何度も何度も、生まれ変わっているのだろうか。

 何度も何度も、死んで、生まれ変わって──ずっと探しているのだろうか。

 

 私みたいな体質の子を。

 あるいは、その身体を。

 

「……私じゃなければよかったのにね」

「その体質か」

「うん。別に私、神様に思う所なんかないし。幽霊が見えても嬉しくないし。もっと協力的な子がこの身体になればよかったのにね」

「どうであろうな。過去にいた笛の歌を聞き得る者の中には、(なれ)のようにその体質を嫌った者もいた。見たくもないものが見える。聞きたくもないものが聞こえてしまう、と。だが、そういう者ほど数奇な運命を辿った。悲惨ではなく数奇。出会いに恵まれ、才質に恵まれ、分岐に恵まれる」

「無かったよ、そんなの。今までの人生で」

「持つ者であったが故に、それも持ち得ていた、という話だ。持たざる者は持ち得ぬ、という話だ。(なれ)がその体質であったのは、之より先に数奇が待ち受けているからである、という証左になるやもしれん」

「いらないよ、そんなの。今まで通り灰色でいい」

 

 あげられたらいいのに、と。

 渡せたらいいのに、と。そう思う。使われる気はさらさら無いけど、あげられるものなら上げたいと。

 

「ただ、(なれ)は触れることが出来る者ではなかった。あるいはそれだけが救いやもしれぬな」

「触れる子もいるんだ」

「三種揃ってようやく干渉と呼び得る、と言った方が正確だ。見るだけでは、聞こえるだけでは、愛は確かめられぬ故な」

 

 あぁ、そういえば、夢の中でもそんなことを言っていた。

 ──"必ずだ。必ず君に会いに行く。君が見える目を手に入れて、君が聞こえる耳を手に入れて、君に触れる身体を手に入れて、必ず"……だったかな。

 そうか、確かに。見えるだけ、聞こえるだけで、触る事が出来ないというのは……多分、つらいんだろう。愛恋を知らない私だけど、それは多分、わかる。目の前にあって、手を伸ばせば届く距離で、けれど触れられない。触れ合えない。

 それは苦痛なのだろう。

 

「三つを持ってる子は、どれくらいの確率で現れるの?」

「……聞こえるだけの者、見えるだけの者、触れ得るだけの者はそれなりにいる。(なれ)のように二つを持つ者は、数える程しかおらぬ。だが、三つを持つ者は……我の発生以来、見た事が無い。過去にいた笛の歌を聞き得る者達の中にさえも、だ」

「そんな子と、ホシミが出会える可能性は」

「零に近いが、無くはない」

「ホシミがそういう体質を持って生まれる可能性は?」

「同じだ。零に近く、無くはない。この国に生まれ得るとも限らぬしな」

 

 果てしない。

 じゃあ先輩は、どれほど無為な時間を過ごしているのだろう。出会う事が出来なかった生は一度や二度じゃないはずだ。そしてその体質を引いたことも無い。千年に一人の逸材、とか言われた覚えがあるから、二つを持っているのは本当に希少なのだろう。

 ずっとずっと、待っているのか。

 ずっとずっと、神様の事が好きなのか。

 

「白は、ホシミに会いたい?」

「会いたい、という感情は持ち合わせておらぬ。アカツキのように愛情があるわけでもないのでな。だが、話を聞くことはしてみたいと思う。生者であった時間、どのような経験をしたのか。どのような運命に出会ったのか。とはいえ我ら生きていない者は永遠にあるものだ。人間がいなくなろうとも、生者がいなくなろうともな。故に、急きはしない。いつかは、いずれかは、(まみ)えることもあるだろう。その時ホシミが人間であるか、現存する地球生物であるかどうかもわからぬが、問題は無い」

「そっか」

「何も、悲しい話ではないぞ。我らは変わらぬ。故に、ホシミへの縁も変わらぬ。奴を忘れることはないのだ。無論、(なれ)もだ」

「私も? まだ出会ったばかりなのに」

「忘れない。生きていない者は、自らを認めた者を決して忘れはしない。その者との記憶こそが存在意義となる故な」

「生者は、忘れちゃうのかな」

「……(なれ)はどう思う? もし、我らとの交流を断ち、時が過ぎ、成熟した時……我らを覚えているだろうか」

 

 覚えていられるだろうか。

 もし、成長と共に見えなくなったら。子供の時にだけ見えていた不思議な事として、忘れてしまわない事が出来るだろうか。

 

 ……多分、出来ないのだろう。

 考え方がもっと大人になったら、こんなモヤモヤも、簡単に処理できるようになってしまったら。

 全部全部、忘れてしまうのかもしれない。

 

「ホシミは、覚えていると思う? 神様や白のこと」

「わからぬ。奴の愛は強いものであったが、時が経ちすぎているのも事実だ。あるいは名こそ忘れぬのやもしれぬが、姿形はとうに忘却の果てへと消えてしまっている可能性もあるだろうな」

「それでも愛せるものなのかな」

「ふむ。先ほどからの言動からするに、愛恋に興味のある年頃、というものと見たが……生憎、我は相談相手には向かぬぞ。先も言ったが、我にはもう生者としての感情が残っておらぬ故な」

「肝心な事は知らなくて、余計な事ばかり知ってるのが(はく)だもんね」

「ふん、まぁ、悩むという事は、(なれ)にも多少の人の心があったということだろう」

 

 褒め言葉として受け取っておこう。

 さて。

 

「神様、そろそろ歌おうかなって思うんだけど」

「あら! 嬉しいわ!」

 

 先程まで鳥居の上にいたのに、一瞬で私の横に来た神様。その顔には満面の笑み。ずっと待ってたんだね……。

 

「──ふわり、ふわり、流る、かんざし──」

 

 歌い始める。

 やっぱりまだ聞こえる。聞こえるはずのない、笛の歌。これ、誰が歌っているんだろう。

 ……いつか、これを歌っている神様にも出会えるのかな。

 

 

 ○

 

 

「や」

「……なんですか」

「お弁当、一緒に食べないかい?」

 

 おかしい。

 もう縁を切ったはずなのに、なんでもない顔で現れやが……現れた。

 星命先輩。ホシミ。

 

「付きまとうのやめてくださいって言ったはずですけど」

「諦めきれないからね。君が嫌いだって言っても、私は君の傍にいるよ」

「本気でストーカーじゃないですか。警察行きますよ」

「構わない。捕まった所で失うものはないからね」

「うわぁ」

 

 生まれ変わり続ける、だっけ。だから、そうか。

 死んでも良いんだ、この人は。そう、考えている。

 

「君を手に入れられない生に価値などないよ。ただ、何もしないのは性に合わなくてね。限界まで粘らせてもらう」

「そういうの学校で言うの止めてもらえませんか。いくら小声と言っても、聞こえるんですよ、割と」

「問題は無いな。前は君に嫌われたくなくて自重していたけれど、君が嫌いだと言ってくれて助かった。もう嫌われる心配をしなくていいんだ」

 

 開き直ったストーカーほど怖いものはない。 

 勝手に私の前の席に座って、その椅子を反転させて、私の机でお弁当を食べ始めて。

 その分量は当然の様に私の分まであるし、割り箸も持ってきている。

 

「要りません」

「そうか。じゃあ捨てるしかないかな」

「……それは、勿体ないです。持ち帰ってください」

「どうして君の言う事を聞かなければならないんだい?」

 

 にこやかに。

 もういっそ、清々しい程に、星命先輩は笑って言う。

 貼り付けたような笑みであるのは変わっていないけれど、凄味が増しているというか。本当に今まで私に気を遣っていたんだな、感が凄い。

 先輩は机に肘を突き、手の甲に顎を乗せて──こちらを見上げるように見つめる。

 

「行儀悪いですよ」

「はは、君は私の母親かな? ふふ、許してくれ。食事をしている時に、好きなものを眺められる。これほど嬉しい事は無い。君が嫌がる顔すらも愛おしいからね」

「実は今ドン引きしてるんですけど、気付いていますか」

「ドン引きする顔も可愛いよ」

 

 最悪だ。

 あの日の行動が、最悪の結果を引き起こした。

 先輩はもう声を抑えていない。つまり、クラス中に今の言葉が聞かれている。

 口元に手を当てて頬を染める子や、ばれていないとでも思っているのか、小さく指を指して友人とこそこそ話している子。果ては両手でハートマークを作り、ぱっちりとウィンクをかましてきている奴までいる。最後のは首を斬りたい所存。

 

「……お弁当、貰います」

「へぇ?」

「ここで断って、星命先輩がお弁当を捨てている所を誰かに見られたら、完全に私が悪者になるので。何を言われるか分かったものじゃないですから」

「そういうの気にしない性格だと思っていたんだけどね」

「気にしませんよ。実害があると面倒なだけで」

「成程。それは良い事を聞いた」

 

 あぁ、余計なことを言ったのだろう。

 (びゃく)の事はもう言えない。でも、実際、食材に罪はないし。勿体ないし。

 

 なんで嘘を吐いてまで、私に嫌がらせをするんだろう。

 (びゃく)(はく)も、断言している。ホシミが神様へ向ける愛は本物で、強いものだと。浮気をするなんてありえないと。その貼り付けたような笑顔も相俟って、私へと囁かれる愛の言葉の全てが嘘であると、わかりきっているのに。

 どうしてこうも。

 自分を偽り続けられるんだろう。

 

「佚依。私は君が欲しいんだ」

 

 ああ、最悪だ。

 また声を抑えずに発した。だから、みんなに聞かれた。

 紛う方なき告白文だ。事情を知らぬ者からすれば、確実に。

 星命先輩の手作り弁当を食べている私へ向けられた告白は、断る事のし難い雰囲気に形作られている。

 

 ここで嫌です、とでも言おうものなら、後の展開があまりにもだるすぎる。

 ……そういう、ことか。

 

「友達、からでお願いします」

「その言葉を待っていたよ。これからもよろしくね、佚依」

 

 本当に、嫌い。

 この人。

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