死途の徒 作:三羽世継
「死のうと思ってませんか?」
問うた。問いかけた。
先輩はこちらへ振り返って、にこりと微笑む。
「まさか」
そこで言葉を切って──こちらを真っ直ぐに見つめて。
「君を殺してしまおうか、とは、考えたけどね」
でも、と。
先輩は続ける。
「残念な事に──君を好きになってしまったんだ。悲しい事にね」
そう。
そう、告げられた。
○
あの日から、星命先輩は私にべったりと付きまとってくるようになった。
今までは昼休みだけだった訪問も、授業の合間合間、時間のある時は必ず来て、私にアイノコトバを囁いていく。通学時、下校時も同じで、朱月神社へ行くときも振り切るのが難しくなった。
神様は先輩が見えていないから、私が歌うのを渋ると、凄く心配そうな顔をする。大丈夫だよ、と返せば、今度は先輩が顔を輝かせる。そこにいるんだね、と。
辟易だ。気が重い。毎日のだるさが、百倍になっている。
何故、何故、自身に愛を囁く人の、他者に対する愛の告白を、目の前で見せつけられなければならないのか。勘弁してほしいと何度思った事か。そんなに上気した頬で、潤ませた瞳で、何も無い所を見続ける彼女に私は何を思えばいい。
私は何をすればいい。
何をすれば、私を──。
「佚依ちゃん。佚依ちゃーん?」
「……あ、はい」
「手、止まってるよ。あれ? もしかしてお悩み? 恋煩い?」
「人中に縫い針刺しますよ」
「ごめんて!」
いけない、いけない。
最近では唯一の心安らぐ時間が部活中なのだ。なんせ、先輩が入って来られないから。
そんな至福の一時に、また先輩の事を考えるなんてもったいないにも程がある。
「そういえばさ、佚依ちゃん、この前神社がどうのー、って聞いてきたじゃん」
「はい。その節はお世話になりませんでした」
「ぬ、ぐ……。……ふふ、でもいいのかな! 生まれも育ちも蓮柄な私が、親戚とかに聞いて、面白いお話を手に入れてきたというのに!」
「部長ってそんなにいい人でしたっけ」
「酷すぎないかな」
ようやく手を動かし始める。
今やっているのは刺繍。練習用の図案をチャコペンで布に写して、刺繍枠で囲った箇所へ、その図案通りにチクチクチクチクしていく作業。バックステッチ。輪郭を造るだけの奴だ。
練習用に使っているのは翼の絵。今飛び立たんとする翼。羽。遠くへ、高くへ行くための道具。
「聞きたい?」
「聞かせたいのなら」
「まぁ、聞きたくないっていっても言うけどね!」
「そういう所が嫌われるんですよ部長」
「え、私嫌われてたの?」
自覚無いんだ。
口が軽すぎて二度と信用したくない先輩ランキング堂々の一位なのに。
「ま、まぁいいや。ええとね、神社。神社の話。蓮柄には品場神社って大きな神社があるのは話したけど、その真反対、正反対の位置に、小さな小さな神社があるんだ」
手を止める。
そんな、ピンポイントに。
もしかしてこの人本当に優秀なのでは。
「シュガツ神社、っていうんだけどね」
「シュガツ? アカツキでなく?」
「え、うん。シュガツ神社」
……それは、おかしな話だ。
先輩も、
もしかして別の場所の事なのだろうか。
「どういう字ですか?」
「朱印の朱に、夕陽の夕に一がついたやつ。単体でがつ、って読む漢字、わかるかな」
歹。
朱歹神社。
……殊、だろうか。言い表したいのは。
「それで、面白い話というのは」
「うむ。おっほん、そこの朱歹神社にはね、ある神様が祀られているの。過去、数多の人々を殺した怖い怖い神様。祟り神、ってヤツ。夜中にかまいたちが鳴ったら、次の瞬間には隣にいた人がぶつぎりの死体に──なんてお話もあるくらい。誰も近づいちゃだめだし、噂をするのも怒られる程の、怖い怖い神様がいるんだって」
「それは」
「勿論昔話と言うか、よくある迷信だとは思うけどねー。で、この話にはまだ続きがあってさ。その怖い怖い神様はあの神社に近づく人間を残らず惨殺していて、神様でなく妖怪として"処理"をされようとしたことがあった。誰が決めたとか、そういうのは聞かないで。知らないから」
「"処理"」
「うん。でも、それがいざ決行される! って時に、黄金色の髪を持つ神様が私に任せてほしい、って言って、単身でそこに向かったんだって。その神様は蓮柄由来の神様でさ、一番に、最初からいた神様で、だから蓮柄の人達は素直に言う事を聞いた。そしてその日から、朱歹神社の神様が人を殺す事は無くなったんだって」
そこで何が起こったのかまでは、当時の人にもわからなかったのだろう。
確か
かまいたち。つまり、風だ。神様が笛を吹くと、必ず風が吹く。
「それで終わりですか」
「ふふーん、それだけじゃないのさ!」
「はい」
「リアクションうっす~。……まぁいいや。それで、朱歹神社の神様は蓮柄の神様のおかげで調停された。けど、はいそうですか、ってならないのが人間というもので。実際いっぱい殺されちゃってたし、安心はできない、って」
「当然、ですね」
「うん。だから朱歹神社の神様の力を封じるために、品場神社の神様が駆り出された。何故って品場神社の神様もまた、元祟り神だったからね」
また祟り神。
この土地、怖くない?
「品場神社の神様は水害の神様でさ。そっちはとっくのとうに調停された……というか、和解をしていたみたいなんだけど、祟り神には祟り神をぶつけとけの理論で、品場神社の神様は朱歹神社の神様を見張ることになった。そうすれば蓮柄の神様の手を煩わせなくて済む、って考えもあったみたいね、当時の人には」
「慕われてたんですね」
「多分ねー。今はもう無いけど、蓮柄にはもう一つ神社があって、蓮柄神社って名前でさ。なんで取り壊されちゃったのかはわかんなかった。知らないのか教えてくれないのかもわからずじまい。まぁウチのお爺ちゃんも結構なボケ歳だからね、忘れちゃってるのかも」
「多分部長の方がぼけてますよ」
「ううん、必死こいて調べてきてあげたのにこの仕打ち」
「すみません。今回は結構面白い話を聞けたので、感謝しています」
「素直な感謝がちょっと怖いと思ってしまうのは私だけだろうか」
三つの神社。三つの神様。
じゃあ、あの夢に出てきた神社が、蓮柄神社かな。それで、蓮柄の神様たるホシミが消えてしまったから、神社も無くなって。
ヨルツキちゃん……いや、前代はヨツギ、だっけ。それと神様が、祟り神で。
昔の事は知らないと言っていた辺り、
「それで、この話のオチなんだけど」
「あ、はい」
「朱歹神社の神様と品場神社の神様は、互いを監視し合う関係になったんだって。けど、蓮柄の神様は人々の元には帰ってこなかった。何故って、朱歹神社の神様に恋をしてしまったから!」
「はい。知ってます」
「何故に!?」
そのまま多分、ホシミは消えるまで、神様と共にいたのだろう。信仰だのなんだの、人間が存在する事すら生きていない者である神様たちには必要のないモノだったみたいだし。
神様と人間は完全に隔絶した存在で、人間にとって神様が必要でも、逆はそうではなかったってことだよね。多分ホシミが友好的だったのは、本当に単純に、ホシミが友好的だっただけ、ってことなんだろう。
そういえば、
役割って、神様を監視する事、だったのかな。
「だからこれは、あの神社に近づいちゃダメ、って教訓的な昔話でもあり、ラブストーリーでもあり、この蓮柄って土地の逸話でもあり……ともかく凄い話なのです」
「ありがとうございました」
「話終わらせる気満々だぁ」
でも、本当に面白かった。
興味深かった、というべきか。オチは普遍的だし、関係性も想像通りな部分が多いけれど、神様たちの背景は知らなかった。
……これ、直接聞いたら流石に不味い話、かな?
「とりあえず刺繍できたので、見てください」
「お、ほいほーい。……あ、わかった! バナナだ!」
「捨てます」
「ごめんて!! 翼、翼だよね、わかってるわかってる!!」
見直さなければ良かった。
○
「や」
「……待ち伏せですか」
「うん。だって、来ないはずがないからね」
当たり前の様に、朱月神社……朱歹神社の前で待ち構えていた先輩。
このまま帰る、という選択肢はない。どうせ、明日来ようが明後日来ようが、深夜だろうが早朝だろうが、先輩はいるのだろうから。
丁度いい。少し聞いてみることにする。
「先輩」
「なんだい、先輩じゃないけど」
「この神社の名前は、アカツキ神社、であっているんですか」
「うん? この前も同じ質問をされたけれど、合っているよ。アカツキ神社。朱印の朱に月と書いて、アカツキ。アカツキ神社だ」
「……シュガツ神社、という場所については、知っていますか」
「うーん?
少し──白む。
白んだ。視界が。知らないはずはない。あるいは、部長の聞いた話が間違っている、という可能性はある、けれど。
そうではなく、もし。
もし──先輩が、もう。
覚えていないのだとしたら。
「聞きたい事があります」
「いいよ。私は君が好きだからね、君が望むものを与えてあげよう」
「何回目、なんですか。人間としての生は」
「──……」
そんな、そんな残酷な事があるのだろうか。
あの時私が言った、黒髪の、長い長い髪の、和服の神様、という表現に、深く深く、何かを噛み締めていた彼女は。
本当に、神様の容姿を覚えていたのだろうか。
「何回目、か。それについては……覚えていないよ。気が遠くなる程、であるのは間違いないけどね」
「じゃあ、じゃあ」
「
自身の掌を見つめて、先輩は言う。
朱歹神社の階段の前で。ホシミが、言う。
「彼女の声も、彼女の容姿も、彼女の温もりも。あれほど愛したはずなのに、あれほど愛されたはずなのに、私はもう何も覚えていない。アカツキへの愛だけは今も変わらずあるのに、私には何も残っていない。ふふ、記憶にあるアカツキはね。佚依、君の容姿で、君の声で、君の体温でいるんだ。髪をもっと伸ばして、和装で、いつもあの歌を
神様は言っていた。
これは私の歌ではないと。笛を吹いているから、歌ってもいないと。
そんなことも覚えていないのか。
「さぁ、そろそろ行こうよ。今日も歌ってくれるんだろう? アカツキのいる場所を見つめて、アカツキと共に」
「……もういっそ、すべてを忘れてしまいたい、とは思わないんですか」
「思わないよ。絶対に嫌だ。アカツキを忘れてしまったら、私が私でなくなってしまう」
「自分が神様だったという記憶も薄いんですか」
「薄い、というよりは、無いに等しいね。神であった頃の感覚は未だに持っているけれど、神であった頃の感情はほとんど思い出せない。たまに考えるよ。実は全てが偽りの記憶で、私が何かから逃げるために作り出した思い出で、本当は、本当に、私はなんでもない少女なんじゃないか、と」
「じゃあ、どうやって今、実感を得ているんですか」
「ここへ通う事さ。ここへ来て、アカツキの名を呟いて、胸に抱き留めて。そうでもしていないと、ふとした瞬間に、ある日、忘れてしまいそうだからね」
……そうか。
ここへ来るたび、見せつけるように、いっそのことわざとらしい程に神様の名を口にしていたのは、自己への暗示も込められていたのか。
忘れてしまいかねない記憶を。思い出せなくなる恐怖を。
「行こうよ、佚依。ここで話している時間さえも勿体ない」
「……わかりました」
ようやくわかった。
私は、代役なんだ。思い出せなくなってしまった神様の影法師。名前以外の全てが私に置き換えられてしまっているから、注ぐべき愛が私にまで来てしまっている。あるいは本当に先輩が神様を忘れてしまったら、何故自身が愛しているかもわからずに、私へ愛の言葉を囁き続けるのだろう。
そんな事情は、本当は、私にとって知った事ではない、けれど。
余りにも──あまりにも、それは。
悲しい話が、過ぎる。
○
笛の歌を歌っての、帰り道。
送っていくよ、という言葉に素直に頷いて、夜道を二人で行く。
「死のう、と思ってませんか? 次の生に期待しよう、とか」
「まさか。君を殺してしまおうか、とは考えたけどね」
「それで何かが、変わるんですか」
「変わるよ。その体質を持っている人間は、一世代に一人しか現れない。無論範囲を日本から海外へ広げたのなら、もう少し人数は増えるだろうけどね。けど、日本には常に一人しかいない」
「……私が死んで、先輩が生まれ変われば」
「ああ、その体質を手に入れられる可能性は上がる」
ぞっとする。
重いのだ。あまりに、感情が。
「しないけどね、そんなこと。残念な事に──君を好きになってしまったんだ。悲しい事にね」
此方を振り向きもせずに。
好きになっていなかったら、殺してしまっていたのだろうか。
「星命先輩は、生の神、なんですよね」
「だった、だよ。さっきも言ったけど、昔の事なんかほとんど覚えていない」
「神様は死の神で、ヨルツキちゃんが、夢の神で」
「そう、だった、かな。そう、そう、だった気がする。そうだ、アカツキは……死の神だった。あぁ、何か大変だった気がする。記憶がある気がする」
あぁ、どうしてこう、私は。
本当に、
余計な事だ。本当に余計なことを、今からする。これからもする。
「昔、神様は凄く暴れん坊で、あの神社には誰も近づいちゃダメだと言われるくらいで」
「……ふふ、あぁ! そうだ、そうだった。アカツキは、手が付けられない程に排他的で、危なっかしくて」
「だから先輩が、あの神社へ向かったんですよね。神様を停めるために」
「そう。そうだよ。良く知っているね。私は……生の神として、人々が、彼女を……傷つけようとしているのを、そう、確か、止めるために、停めに行って」
可哀想、じゃないか。
これだけ想っているのに、忘れてしまうなんて。
だから、これから、今から。
私が神様を知って、神様や白たちからも教えてもらって。
先輩に、神様を思い出させてあげよう。
そうすれば──先輩が、私へ愛を嘯くことは無くなると思うから。