蒼天飛仙録   作:うささん

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第一集(前編)

 中原南部は八王国の一つにハイラスの国がある。神々が築いた山に囲まれ、湿潤な気候で、雨豊かで森も深く緑に覆われている。

 山河から流れ込む水は川となって集結し、やがて一本の大きな大河となって旅の終わりとなる三角州に流れ込む。

 三角州のあるバラガ地方にハイラスのほとんどの人口が集中している。水と海の恵みを享受し、文化、文明が花開いていた。

 始祖帝より始まって二十八代目の王がこの地を治めている。  

 武帝ロウガより始まりし王都ミロクは百万都市として繁栄の頂点を極めていた。

 

 馬を引く御者や商売の品物を肩に背負った人々が大通りを行きかっている。

 百万都市ともなれば通常の市に朝市も開かれる。そのほとんどが朝の仕入れに向かう商人で占められ、都市経済の一翼を担っていた。

 日常の都市の営みが始まろうという朝にその事件は起こった。

 中央通りをまっすぐに行くとある正門の天辺に英雄の像がある。民を苦しめる邪竜を討った英雄像だ。

 その像を見上げるように人々が集まる。像を指さしては目にした恐ろしいものを口々に囁きあった。

 ぼろをまとった幼い子どもが血塗られた城壁と生首を見上げた。

 

「ええい、どけ。お前たち下がらぬか!」

 

 正門を封鎖したものの、市に向かうには必ずここを通るので観客は増えるばかりであった。

 兵士たちが物見遊山の者たちを下がらせる。

 

「すぐにアレを下すのだ!」

「はっ!」

 

 隊長の命令を受けて兵らが梯子を取りに走る。

 

「いったい誰があんなものを……」

 

 つぶやく隊長の先に三つの生首が晒されていた。大門の内壁にはこう記されている。

 【悪臣誅滅】──と書かれているのだ。それも首をはねられた男たち自身の血によって。

 英雄の像が持つ槍に生首がくくられていた。人々はそれが誰であるのかを知らない。

 王都守護の部隊を預かる隊長である彼は知っていた。この国の大臣を務める高位貴族たちの首がそこにあるのだ。

 放置すれば彼の首も同じ目にあいかねない。

 

「梯子です」

「かかれ!」

 

 梯子が壁にかけられ英雄の像に兵士らが登ろうと梯子に手をかける。

 その間も祟りかと町民同士が囁く。

 祟りが人の首を刎ねようはずもない。人の手によるものだが神業である。

 だが隊長は知っている。

 事実、彼らは国を思うがままに動かし王すら蔑ろにしていたのだから。

 

 その様子を見つめる二つの目があった。

 観客は十分であると言えた。これは手始めに過ぎないのだ。

 女は身にまとう青い法衣をなびかせて人々の注目を集めるように城壁に降り立った。

 そして片手を振るうと梯子を上り像に手をかけた男たちを吹き飛ばす。見えない力によって兵士らが地に落ちていく。

 民の一人が女を指差し誰だ? と問うた。

 

「ハイラスの民よ! この逆賊どもは私が討った。私は三度の勧めを導いたが自らの罪を認めることをしなかった。ゆえに誅滅したのだ!」

 

 女のよく通る声が集う人々の耳に届いた。

 普通なら届かぬ距離であるが、その内に秘めた神力を声に乗せて響かせたのだ。

 人々の心胆に強く響く。尋常ではない武芸の達人だ。

 

「なぜナジェスの尼が人を殺すのだ? 導きと慈悲の巫女なのでは?」

 

 女がまとう青い法衣はナジェス神のものだ。

 慈悲のナジェスの一派は山陽地方一帯に大寺院を持つ尼僧の集団である。

 人々を導き民に慈悲を与える存在で山から下りてくることは珍しい。 

 こんな残虐な行為をすることが彼らには理解できないことだった。

 

「これは天からの恵みぞ!」

 

 女が持つ大きな袋は樽ほどもあるがそれを軽々と持った。袋の口を開くと金色のものが人々の上に降り注ぐ。

 

「金だぞ!」

 

 拾い上げた女が掲げると、居合わせた皆がこぞって落ちた金を拾う。

 両手に金貨の輝きを手にしてすぐに走り去る者もいた。

 

「悪臣どもがため込んで隠していた金だ! お前たちに返すぞ!」

 

 そう叫び笑いながら女は袋を思いきり放り最後の銭を降らせる。

 

「ええい、勝手を許すな! 回収せよ!」

「はい!」

「聞け! あの女は盗人である。拾ったものは速やかに返却せよ!」

 

 隊長が怒鳴るが、民を取り押さえるのは難しい。仕方なく兵士たちも女を取り押さえるのは諦め、金を拾い始める。

 

「あさましいな! あははははっ! ふん!」

 

 空になった袋を捨て青い法衣を翻すと女は飛ぶように去って行った。

 

「何という使い手か! すぐに手配せねば」

 

 金を拾い集める部下を叱責し、隊長はどう報告したものかと考えながら駐屯所に走った。

 

◆

 

 その報告をこの国の重臣であるパウ・ダロは聞いた。パウ・ダロは国王に仕える忠臣として知られている。

 前国王──簒奪王ロサンがハイラスの王位を簒奪した際は、国外に逃れた王子の一人を王太子として立て、ロサンとの戦に勝利し今の国王を打ち建てた賢人五子の一人として知られている。

 その彼が今回起きた騒動に尼が関わっていると知って書きかけだった書類のペンを止めた。

 処刑された者たちは古くから在る高位貴族の家柄だ。

 ダロ家は一代限りの下位貴族から一つ上程度の名を持つにすぎない。領土など微々たるものでしかない地方領主の一人であった。

 パウからすれば、自身がいかに国に貢献したとしてもその地位で高位貴族を廃することはできない立場だ。

 王の信頼を得て賢人五子と呼ばれていても、内患である高位貴族に正面から対することはできなかったのだ。

 パウや国王でさえもためらう高位貴族の官僚の首を刎ねたとあれば国内は大変な騒動となるだろう。

 それを一人の尼僧がやってのけたというのだ。ナジェスの使徒であるということが理解の範疇を越えていた。

 

「何者であるか……」

「女はすぐに飛び去り行方は知れません」

「そうか、下がれ」

 

 顎に蓄えた白いひげを撫でてパウは立つと、執務室から出ると日の差す庭に出る。

 邸宅内は賑やかに彩られている。赤い飾り物を見れば婚儀が近いことを教えてくれる。

 新婦側の邸宅である。近々婿を迎える準備は整っていた。

 

「父上!」

 

 華やいだ声が響き若い娘が父の元へやってくる。

 その身は思春期を過ぎて成長した若柳を思わせるしなやかさを持っていた。

 

「アイネ、婿殿と婚礼の衣装を選んでいたのでは?」

「はい、父上。父上に選んでいただきたいの。婚礼に着る衣装をね」

「男親が選ぶものではなかろう?」

「お願い、父上。賢人五子の力を貸して。婿様はセンスがまるでないから」

 

 パウの手を取ったアイネは娘として許される甘えた声でねだるのだ。

 

「はは、良かろう」

 

 その頼みを断れようはずもない。娘のアイネ・ダロはパウが年老いてから設けた一子だ。

 今年一八になる娘は婚儀を控え嫁ぐのを待つ身である。ダロ家の慶事に家は飾り付けられ招待客も多く呼ばれるのだ。

 

「パウ様」

 

 パウを迎えて畏まるのは花婿のノル・ジンロである。この都でもっとも幸せな二人がここにいる。

 ノルはアイネの四つ年上だ。

 ノル・ジンロはパウ・ダロが前王との戦いで同志であった剣の使い手ナダル・ジンロの息子である。

 ナダルが病で亡くなったとき、パウはその子息を引き取り実の息子のように育てた。

 この婚礼で本当の親子となるのだから亡きナダルに報いたという気持ちであったのだ。

 

「重畳、重畳、花嫁も花婿もお似合いではないか」

 

 王都で昵懇の商人を呼んで衣装からすべてを依頼していた。

 衣装を選び仮着した二人を見てパウは目を細めた。まさに似合いの二人だ。亡き友との約束は十年来の悲願だった。

 国王夫妻からも祝賀の祝いの品が届けられている。

 家の格に対して頂くにはもったいない品ばかりであったが、返し断るのも礼儀に反すると国王夫人に礼の手紙を返している。

 着飾った姿を見てから夫婦を見送り、その後のパウ・ダロは国政からの隠居も考えている。 

 時期王候補は優秀であった。その弟も才ある若者で兄王子を立てていることから行く末には問題はない。

 だが心配事はあった。

 

「ナジェスに使いを送るか……」

「ナジェスがどうかさなったの? 父上」

 

 つい口に出た言葉をアイネに聞きとがめられる。

 

「何でもないのだ。私は書斎に戻るとしよう」

「はい、父上」

 

 二人に見送られ書斎に戻るとパウは書きかけだった書類を片付けて新たな書簡を取った。

 夜も更けた頃は月の光が歩く影の姿を映し出す。寝所に向かう通路で気配を感じたパウはとっさに身をかがめた。

 音を立てて飛来したものが柱に突き刺さる。それは飛扇だった。

 

「蝶飛扇?」

 

 毒が塗ってあるやもと扇には触れずに確かめる。

 再び飛来する音を聞くがそれは人だ。屋敷の壁を越えて軽々と屋根を蹴って飛んできたのは青い法衣をまとう女であった。

 厳しい警備の目も武芸の達人とあれば高い壁などないに等しい。

 

「パウ・ダロ! まだおめおめと生きていたか!」

 

 放たれた若い女の声には憎しみが満ちている。

 

「ナジェスの巫女……」

 

 目の前に降り立った女の歳は二十半ばほど。

 パウが覚悟していた年頃とは程遠く若かった。

 

「飛扇を投げたのは貴女か?」

 

 今度は扇を抜いて女に見せて確かめる。

 

「そうだ。国賊め。お前には報いを受けてもらう」

 

 若い女から漏れる憎しみの言葉をパウは困惑して受け止める。

 

「何かの間違いであろう。貴女の恨みを買うようなことを私がしたのか?」

「それを見てもまだ気が付かぬか!」

 

 どっと、気迫のこもった内なる神力を吐き出して女が飛扇を指さす。

 蝶飛扇──精緻な蝶の紋様が描かれた扇は美しいものだ。赤い文字で描かれた筆跡にパウの目が止まる。

 

「まさか……お前は」

 

 マジェリ・アグナ。そう扇には書かれてあった。

 

「思い出したか? お前が追放した女だ。生涯を尼として過ごすように定められてな!」

 

 記憶をたどる。マジェリは前国王の娘の名前だ。

 僭称王ロサンを倒した後、罪は一切問わずに尼となるよう定めて追放した少女。

 ナジェスのひざ元で修行を積み、神功を得たことで齢を止めたのか、その姿はかつての少女の面影を残したままの美しさを保っていた。

 

「貴女は僧籍に入られて三十年。巫女として民を導き癒しを与えることを誓ったはずではなかったか」

「ふん! 何が誓いか! 我が父を殺し、母を追放し、私から人生を奪ったお前を許せと? その月日を修行の日々を耐えながら考えていたのは憎しみを晴らすことだけだ!」

「私に復讐を?」

 

 憎しみの炎が宿った美しい瞳がパウに向けられている、

 

「我が父の死に関わった者たちすべての命をもらう。思い知らせてやるのだ。王を名乗る恥知らずどもにな」

「壁に掲げた首のように我もそうすると? ではこの国の貴族全ての首を刎ねようというのか」

「あれは民を苦しめるクズどもの首だ。憐れみと救済をもって三度の警告をしたがやつらは聞かなかった。ゆえに首を刎ねてやったのだ。貴様の罪は首一つでは収まらぬ。一族全てを殺す」

「それは修羅の道よ。ナジェスが導きたもう道ではない。邪道にそれるなマジェリよ」

「私に説教をするつもり!」

 

 放たれた暗器が紅に飾られた灯篭を打ち砕いた。 

 

「では、取りたければ取るがよい。抵抗はせぬ」

 

 パウは飛扇を差し出し首を上に向けた。いつでも取れと示す。

 

「賢人五子。聖人ぶって命を差し出すのか? 抵抗の一つでもして見せたらどうだ?」

「抵抗はせぬ、この命一つで恨みが晴れるのであれば晴らすがよい。心残りは多いが」

「お前だけで足りるわけがない」

「ではどうすれば満足するのか? マジェリ・アグナよ。三十年の月日で鬼籍に入った者も多い。墓の中の者に復讐はできぬ。恨みは忘れ、慈悲の心で民を救うのだ」

「世迷言をぬかすなっ!」

 

 のど元に突き付けられた飛扇を前にパウは身じろぎせずに見つめ返す。

 

「父上? 誰かいるのですか?」

 

 寝間の姿でアイネが現れ青衣の女に目を瞠った。

 

「お前の娘か……」

「これは巫女さま、ご来訪と知らずこのような格好で失礼しました。こんな夜分に父上にご用事でございますか?」

 

 ナジェスの巫女と一目でわかる女にアイネが歓待の挨拶を返す。

 父の知り合いは多く、来訪する客が突然なことも多い。

 婚礼を控えた身だ。ナジェスの祝福があれば婚儀はもっと晴れやかなものとなる。

 

「ふん」

 

 飛扇を畳んで手のひらに打ち付けてマジェリは壊した飾り灯篭に目を止める。

 灯篭は一つではない。屋敷内に飾られた灯篭は婚儀が近いことを教えてくれる。

 

「パウ・ダロの娘にしては礼儀を心得ているようだ。婚礼を行うのはそなたであろう?」

「はい、わたくしめでございます。ご縁がありまして嫁ぐことになりました」

「そうか、おめでとう。パウ・ダロよ命拾いしたな。婚礼を控えた娘の前でお前を殺すことはやめてやる」

「父上……」

 

 不穏なマジェリの言葉に困惑してアイネがパウの衣を掴んだ。その不安を諭すようにパウは娘の手に手のひらを重ねる。

 

「いずれ報いを受けてもらう。それまでその命を繋ぐがいい! パウ・ダロよ!」

 

 そうマジェリは宣告し空に跳んだ。一躍で屋根を越え瓦を蹴って屋敷から飛び出すのだった。  

 ──闇夜の向こう側に青い法衣の女が駆け去るのを見て四人の黒い衣装の男たちがその後を追い始めた。

 男たちはいずれも武術を心得ていて飛ぶような軽功で追いすがる。その距離は徐々に詰められていく。

 追手か──パウ・ダロめ。引き離すのは容易だが、恥知らずのパウ・ダロが寄こした男たちを始末してしまおう。

 考えれば不意の訪問でパウには備えがなかったことがわかるが、仇敵に会った興奮からすべてパウのせいだと決めつけた。

 後ろ目にその姿を見てマジェリはわざと追いかけさせた。竹林の中に逃げ込んだフリをする。

 

「逃がすな!」

「どこに行った?」

 

 周囲は竹林に囲まれている。空に浮かぶ月が投げかける光が男たちの影を伸ばす。

 マジェリの姿を探している。マジェリは一人見つからぬ位置で男たちの挙動を見極める。

 大した使い手ではない。全員殺せる。

 

「どこを見ている?」

「む?」

 

 飛扇が舞って黒衣の一人ののどを切り裂いていた。扇は旋回しながら主の手に戻る。

 

「貴様! やってくれたな」

「恥知らずのパウ・ダロが寄こした刺客どもが。まとめてお前たちの首をやつの門邸に吊るしてやる!」

「何を言っている? 貴様こそやつの刺客であろうが!」

「は? 何を言っている?」

 

 噛み合わない主張にマジェリは眉を寄せる。言い逃れのつもりか知らないが全員殺す。

 

「問答は無用だ!」

 

 月下で女と三人の男たちの戦いが始まる。

 金属音が鳴り響き飛扇が舞う。マジェリが衣をなびかせながら立ち位置を交互に替えながら立ち回る。

 マジェリの周りを囲む位置を取ると、三人が鈍く光る刃を手に一斉に斬りかかった。

 マジェリに向けた放たれた鋭い突きを肌一枚切り裂くギリギリを掠めるように首を傾げ体を回転させると、そらされ勢いのまま刃は黒衣の味方を襲った。

 

「うわっ!?」

 

 同士討ちになるところを同時に刃を引き、たたらを踏んで隙だらけになった三人目の膝を飛ぶ扇が切り裂いた。

 あ、っと声を上げて倒れる味方には構わず、死ねっ! と躍りかかるところを体を旋回しながら刃を弾いてみせ、飛扇を空に放るとすかさず掌底でマジェリは二人の胸を突いた。

 

「ぐぬ……」

 

 二人は吐血するも見た目の傷は浅い、が内臓に深い内傷を負うこととなった。

 膝に傷をつけた男がマジェリの背後から毒針を放つ。

 落ちてきた飛扇を取って開くとマジェリは数本の毒針を弾き飛ばすと針は木の幹に突き刺さった。

 その鮮やかな手並みが力量の差を示す。

 

「ふん、他愛も無い。私を殺すには力量不足だな」

「この妖女め……誰に手をかけたのかわかっているのか?」

「ん?」

 

 ここに至って人違いをしたと理解するが、筋違いの人間違いではなかった。

 

「ああ……お前たちはあの悪党貴族の身内が放った刺客か。民を食い物にし虐げていた賊を討ったのみだ」 

 

 男たちの正体にようやく思い当たり、木に刺さった毒針を抜いた。

 マジェリが腕を振るうと三人は呻き声をあげて地に伏せる。突き刺さった毒針は体に毒が回る前に毒消しを飲まねば危ういが、その暇を与えない。

 

「お前たちの首はどこに吊るしてやろうか?」

 

 その首を刺客を送り込んできた高位貴族の屋敷に吊るしてやってもいい。

 鮮血が舞って二人の男の首が斬られていた。血を吹き出しながら絶命する。

 残る一人はひざを負傷した男だ。毒が全身に回り始めて麻痺し動けないでいる。むろんマジェリは逃すつもりはない。

 手刀で止めを刺そうとした時、わずかな空気の震えを感じてマジェリは跳んでいた。

 

「誰だ!?」

 

 気配を感じた先に殺気を向けてマジェリは神気を乗せて毒針を放った。だが掌を返した動作によって針はそれて竹林の闇に消える。

 

「ナーモーアーミートゥオフォー(南無阿弥陀仏)……殺生戒。許しを与えたもう」

「坊主か……」

 

 果たしてそこに現れたのは御仏を体現したかのような坊主姿の怪僧であった。

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