〈歌う獣〉の物語   作:海野ミウ

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狩人オロメとその御子のこと

 唯一なる神エルが中つ国のどの生き物をもっとも愛していたかと問われれば、その答えは二本の灯火よりも明瞭でありました。

 すなわちかの神の愛し子――星の民エルフと、自由の民人間です。

 

 エル、または古いエルフの言葉で〈万物の父(イルーヴァタール)〉は、その御心から二つの種族をお造りたもうたのです。かれらは頭髪のほかにほとんど毛の生えない皮膚、地面を踏みしめて歩く二本の脚、直立するための広く真っ直ぐな腰と背、器用な二本の手と大きく賢い頭、輝く目を持っていました。つまり、現代の言葉で言えばヒューマノイドです。

 

 エルフは最も賢く、美しく、強く造られた種族でした。かれら星の民は不死の恩寵を与えられ、たとえ肉体が滅びようとも魂は世界の終わりまで生きるのです。

 人間の恩寵は寿命でした。かれらはエルフより賢くなく、美しくなく、強くもありません。どころか病を得て死すこともありました。しかしそれこそが人間が賜りしもの――すなわち、死してこの世界から飛び立っていく、その自由なのでした。

 

 ヴァラール――力有りし精霊たちは、このイルーヴァタールの子らを愛しました。二つの種族は、ヴァラールと同じように万物の父(イルーヴァタール)直々に造りだされたもので、しかもヴァラールの手は全く関わっていなかったからです。

 こんにち、多くの神々が――国や信仰に関わらず――人間と同じ姿で表されるのは、ヴァラールがエルフを真似て姿かたちを得たからなのです。もっともかれらは神と呼ばれるほどの力を持っていましたから、そのかんばせはエルフよりもなお美しく光り輝いていたのですが。

 

 

 

 さて、唯一なる神の御業に魅せられたヴァラールがおりました。

 

 そのひとりは工人アウレ、全ての物質を統べる鍛冶の神でした。かれは人間とエルフに感銘を受け、また中つ国が悪しき力に満ちていることを懸念して、自らの民を産み出しました。かのヴァルダ、〈星々の女王(エレンターリ)〉が天に星を架ける前、まだ世界の光がヴァラールの二本の木のみだった時代のことです。

 それがこんにちのドワーフ、黄金と宝石を愛する民、頑強なる鉱夫たちです。かれらは鉱石を掘って暮らすため背は低く、よく夜目が効き、その仕事の長期にわたるために寿命は二世紀と半分ほどもありました。

 

 

 神の御業に魅せられたのもうひとりのヴァラは狩人オロメ、森林を愛する馬の王でした。彼は中つ国を愛し、蔓延る悪しき生き物を度々狩っていました。

 かれの見守るうち第一の民エルフは目覚め、悪が覆う大陸で生を営みはじめました。オロメはかれらを導き、はるか西、ヴァラールの膝元への道を示しました。

 

 しかし彼は四つ足の動物を愛する者でした。神馬を乗りこなし、馬を、牛を、鹿を、猟犬を中つ国にもたらした者でした。かれはエルフのものづくりの巧みさ、またその歌と詩の技量に感嘆していましたが、その脚と身体の弱さを心配していました。

 

「かれらの脚は二本きりではないか」

 そうオロメは思いました。エルフたちの多くは西へ旅をしましたが、その歩みはオロメからすれば遅々たるものだったのです。子どもを連れ、またかれらが作り出した数多の道具とともに旅をするには、二本の脚は頼りないように思われました。

 

「またかれらの声は小さく、有事に彼方より助けを呼ぶこともかなわぬ」

 オロメはこうも思いました。エルフはヴァラールの教えを受けてたくさんの歌を歌いましたが、猟犬の遠吠えや馬の嘶きを知っているオロメには、儚く搔き消えてしまうものに聞こえました。

 

 さらには、馬の王には予見がありました。全てのエルフがヴァラールの膝元――不死と至福の地アマンに渡ることはないという予見です。それはすなわち、イルーヴァタールの御子が中つ国という悪と闇の蔓延る地に残るという意味でした。

 既にエルフの一部は西方への旅を拒み、生まれた土地や道の途中に住まいを定めていました。エルフは強く、美しく、賢い種族でしたが、悪に単身立ち向かってゆけるとは、どうしてもオロメには思えなかったのです。

 

 さらにオロメは人間にも想いを馳せました。このときはまだ現れていなかった、イルーヴァタールのもうひとりの子らです。エルフよりも弱く、死すべき運命の人間にとっては、闇に侵された中つ国はいっそう過酷であるように思われました。

 

 そこでオロメは万物の父(イルーヴァタール)に訴えました。エルフと人間の矛となり、さらにはよき友となる、新たな種族を遣わしてほしいと。中つ国の生き物を神にも等しいヴァラールが逐一守護することはできません。その代わりに、悪にも抗しうる強い種族を望んだのです。

 万物の父(イルーヴァタール)はこの願いを耳にし、ヴァラールにひとつの幻をお見せになりました(それは〈大地の女王(ケメンターリ)〉ヤヴァンナが、草木の守護者を願ったときと似ていました)。すなわち、エルフの矛にして友たる全く新たな存在が、狩人オロメの手によって生み出される幻でした。ヴァラールは気付いていませんでしたが、オロメが求めた存在は、原初の音楽、世界の定めの中に既に織り込まれていたのです。

 

 

 ただ、オロメの子はなかなか目覚めませんでした。とうにエルフが目覚め、ドワーフが目覚め、その他の言葉を話す者たち――ただし人間は除きます――も中つ国に息づいているのに、オロメの子はなかなか現れないのです。人間とオロメの子らがいつ目覚めるのか、ヴァラールはついぞ知りませんでした。

 

 果たしてオロメの子らが目覚めたのは、この世に初めて月が昇ったときでした。かれらは霧ふり山脈の上で月光を目にし、かれら自身の言葉で感嘆の声をあげました。かれらの体毛は月の光を吸って、銀に金をひとすじ垂らしたような、類稀なる淡い輝きとなりました。かれらが〈月の子〉と呼ばれるのはそういうわけであって、この美しい色はのちにかれらの王統の証とされました。

 

 〈月の子〉はまた、〈太陽の子〉である人間よりも先に目覚めたので、〈兄たる者たち〉とも呼ばれました。なぜなら、太陽は月に遅れること七晩ののちに空に昇ったからです。

 今では信じがたいことですが、太陽と月ははじめ、西の彼方から昇りました。言い伝えられることには、〈太陽の子〉と〈月の子〉が西に旅をしたのは、彼らを起こした光が西から来たからだということです。

 

 〈月の子〉が目覚めたことを知ると、狩人オロメは愛馬に乗って霧ふり山脈に出向き、かれらにエルフ語と歌、森で生きていくすべを教えました。子らははじめ非常に驚きましたが、すぐにオロメを偉大なる者として仰ぎました。なぜなら、馬に跨った狩人の姿はかれらに近しく見えたからです。

 

 〈月の子〉は中つ国にそれまで表れたどんな生き物とも違いましたが、エルフと四つ足の動物にそれぞれ似ていました。つまり、エルフに似て、整ったかんばせと大きな頭、それを真っ直ぐに支える背と腰、器用な二本の手を持った一つ目の胴体と、暖かく豊かな毛皮に覆われ俊敏で強靭な足腰と鉤爪を備えた、獣に似た二つ目の胴体を持っていたのです。

 現在の言葉で言えば、タウル族、と表すのが一番近いでしょうか。以後はこう呼ぶことにしましょう。

 

 この特殊な姿のゆえに、かれらは非常に大きな肺と二つの心臓を持っていました。エルフや人間であれば臓腑がある部分はほとんどが肺でした。心臓はふたつの胴体にそれぞれ一つずつあり、協力して力強く脈打っていました。このため、かれらは非常に長く速く駆けることができ、力も強かったのです。

 もっとも、これらの特徴は、他種族にはほとんど全く知られませんでした。ほかの言葉を話す者たちは、まさか自分たちに似た身体の中身が全く違うなどとは思ってもみませんでしたし、タウル族はそれを当然のこととしてあえて口にしなかったからです。こんにちの人間が「わたしには胃がある」と言わないのと同じことです。

 

 タウル族の特徴として広く知られていたのは、その類稀なる声でした。かれらは大きな肺と同時に三つの声帯を持っていて、ちょうど人間やエルフが声をあわせて歌うように、ひとりで三つの旋律を歌うことができたのです。

 

 また、この特異な声のために、ほかの種族はかれらの言葉を真似することが全くできませんでした。かれらは普段、三つのうち二つの声を使って話しました。二つの声を重ねるか重ねないか、またそれぞれの音の高低によって多様な語を作り上げたのです。

 タウル族の父オロメでさえ、かれらの言葉を書き記すことはおろか、話すこともできませんでした。ヴァラールの中では狩人オロメが、中つ国の住民の中ではタウル族と親しくした僅かな者が、かれらの歌うような言葉を聞き取って理解できるのみでした。

 

 そして、かれらが三つの声を使ってかれら自身の言葉で歌を歌うとき、それはエルフの業にも負けないほどの、驚くべき魔法の効果を発揮しました。そしてエルフが歌うよりもはるかに大きく、はるかに遠くまで響くのです。

 

 のちにタウル族と出会ったエルフが、かれらをリンレヴァインと呼んだのはこういうわけでした。〈歌う獣〉という意味なのです。この世で最も美しい声を持つのはエルフでしたが、最も巧みに歌うのは〈歌う獣〉でした。

 

 

 それからもうひとつ、タウル族の歴史について語る前に、かれらの天寵について話しておかなければなりません。

 

 オロメの子らはその姿においてエルフと獣の両方を備えていましたが、それは命においても同じでした。すなわち、オロメはかれらを、子をなすまでは永遠の命を持つ者としました。病を得ることはありえましたが、かれらの身体は人間よりも丈夫でしたから、子をなすまでは若いまま、思うだけ生きることができました。

 しかしひとたび子をなすと、男も女もその成長を見届けることなく、枯木のように衰えて死んでしまうのでした。

 

 これはかれらが享ける天寵のためでした。永遠の命や死すべき運命ではありません。かれらは先祖の記憶を魂に引き継いで生まれて来、己と己の父母の記憶を子の魂に引き継いで死んでいきます。己の全てを子に明け渡してしまうがゆえに、ひとたび子をなしてからは短い命しか生きられないのです。

 つまりタウル族の子どもは、父とその父たちの記憶と、母とその母たちの記憶を、始めから持って産まれてくるのです。

 

 先祖の記憶、これこそがタウル族の恩寵でした。このためにかれらはオロメから言いつけられた「イルーヴァタールの子らを扶けること」という役目を決して忘れませんでしたし、授けられた森の業も忘れませんでした。

 かれらは技術や武術を「思い出させてもらう」ことこそあれ、一から教わる必要はありませんでした。タウル族の子どもが子どもと言われるのはその技術が未熟なためではなく、ただ身体と精神が成熟しきらないからでした。

 

 かれらは忘れずとも思い出さないでおくことはでき、また代々の記憶のために柔軟に変化することも苦手でしたが、それは少し別の話です。

 これでオロメとその御子の話は終わり、かれらは神々の介入を受けることなく、自らの足で中つ国を歩いてゆくことになります。

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