まずはじめに、タウル族は善良で勇敢な種族だったと断っておかねばなりません――かれらの一部が闇に堕ちたのは、決してかれらが弱かったからではないのだと。
かれらは弱かったのではないのです。ただ、サウロンの奸計が、あまりにも巧みにかれらを追い込んだのです。
もっとも、それはサウロンに与したあらゆる人間とドワーフに言えることですが。
タウル族は質実にして剛健で、その寿命が限られているにせよ――かれらは望めばエルフのように長く生きることができましたが、太陽の第二紀に入ったころには三十年から四十年の生が常となっていました――そしてその暮らしぶりが他種族から野蛮と見なされているにせよ、自由の民のよき友であり、よき矛でした。
かれらは祖先の記憶を天寵に持つために変化を嫌いましたが、それは誘惑に耳を傾けない強さの表れでもありました。かれらは豪華な宝飾にも永遠の命にも興味を示しませんでしたし、誰もが狩人オロメの言葉を記憶に持っていましたから、ヴァラールを貶め心を曇らせようとするサウロンの言葉にも揺らぎませんでした。
そんなかれらを、サウロンは何とかして排除したかったのです。
さて、西のエルフの王国、ベレリアンドの地がわたつみに沈み去ることによって、太陽の第二紀が始まります。
ほとんどのタウル族はベレリアンドに住んでいましたが、事前に父祖オロメからの警告を受けていたかれらは難を逃れ、中つ国北西部に散らばって住みました。ドワーフに親しんで青の山脈や霧ふり山脈の地下王国や、職人郷エレギオンに身を寄せた一族もあれば(山羊の氏族を筆頭に、山での暮らしを得意とする山馬の氏族や豹の氏族もいたといいます)、その山々の上を暮らしの場と定めた者も、今は古森やエント森として知られる上古の森を住まいとする一族もありました。中でも上古の森に住んだタウル族が最も大きな群れでした。今では小さく狭くなっていますが、古森とエント森は昔、ひとつの巨大な森林だったのです。
かれらは散らばっていましたが交流が断絶したわけではなく、その大きな声で絶えず同胞に呼びかけました。また最も脚の速い野馬の氏族は平原を流浪し、有事にはどんな早馬よりも先に氏族たちに知らせを届けたといいます。人間やエルフが使者として最も親しんだのも野馬の氏族でした。
太陽の第二紀、自由の民の住まうところには、絶えずタウル族の遠呼びと歌が響いておりました。
悪の首魁モルゴスは永遠に追放され、その腹心サウロンも滅びたかに見えました。しかしサウロンは霊魂のみとなって中つ国に戻り、その黒き野望を捨ててはいませんでした。やがてかれは美しく立派な外見を装って、当時最も技術のあったエルフの細工師たちに取り入りました。かれははじめ有用な技術を教えるかに見えましたが、誰にも気づかれぬうちに細工師たちの心を操り、他人を支配するための魔法の指輪を作り上げたのです。
そうして最後には、自らの手のみで全精力を注ぎこんだ結晶を作り上げました。これこそがかの〈一つの指輪〉、冥王サウロンの勢力を飛躍的に増大させた指輪でした。
これらの二十五の〈力の指輪〉について、伝承にはこう伝えられています。
三つの指輪は、空の下なるエルフの王に、
五つは、森の使者たるタウルの殿に、
七つの指輪は、岩の館のドワーフの君に、
九つは、死すべきさだめの人の子に、
一つは、暗き御座の冥王のため、
影横たわるモルドールの国に。
一つの指輪は、すべてを統べ、
一つの指輪は、すべてを操り、
一つの指輪は、すべてを見つけ、
一つの指輪は、すべてを捕らえて、
くらやみのなかにつなぎとめる。
影横たわるモルドールの国に。
宝飾に興味を示さないタウル族が指輪を受け取ったことを不思議に思う人もいることでしょう。
確かにかれらは指輪自体の価値には無関心でしたが、他の種族がそれに価値を見出していることは理解していましたし、それが贈り物であると判断していました。贈り物を無下にするほど、かれらは冷酷でも愚かでもなかったのです。
――サウロンは知っていました。かれらが贈り物を拒めないことを、知っていました。
五つの氏族の長が上古の森の一角に集められ、それぞれに指輪が与えられました。指輪はエルフのものほど光り輝いておらず、ドワーフのものほど精緻な飾りもなく、人間のものほど大きな宝石もついていませんでした。質素で艶の消された五つの指輪は、長たちが身に着けてやってもいいと思う程度には、〈二本脚的〉ではありませんでした。
――サウロンは知っていました。かれらが嫌う〈二本脚的〉とはどういうことか、知っていました。
まず狼の氏族と豹の氏族の長が、先を争うようにして指を通しました。かれらは指輪に力が込められていることを知っていたからです。かれらはタウル族の中でも身体の小さい氏族でしたから、他の氏族に力で劣っていることを、そしてそのように扱われることを、少しく不満に思っていました。贈り物で力を補い、氏族全体が強くなることを夢見ていました。
――サウロンは知っていました。かれらの中に不満の種があることを、知っていました。
だから、その機を逃しませんでした。
指輪をはめた途端二人の長の意思は闇に飲み込まれ、自失してその場に立ち尽くしました。
サウロンは知っていたのです。甘言も陰謀も間者も、タウル族を支配することはできないと。ゆえにタウル族に与えられたのは、他のどんな指輪よりも意識を支配する働きの強い指輪でした。そのほかの機能はなかったと言っても間違いではありません。
冥王は、タウル族の強靭な意思と記憶を強引に支配しようとしたのです。
しかし、かれらのすべてが闇に呑まれたわけではありませんでした。
同胞の異変に気付いた山馬の氏族の長――すべてのタウル族の上級王は、素早く指輪を踏み潰すと、三つの声で警告の叫びを発しました。それに応じて野馬の氏族と山羊の氏族も指輪を捨て、既に嵌めてしまった同胞に向けて、指輪を外すように歌いかけました。
けれど手遅れでした。
やがてサウロンの意思に操られた狼の氏族と豹の氏族は、言葉も忘れて同胞に襲い掛かりました。かれらの身体はほかの氏族より小さかったけれども、非常な瞬発力と鋭い鉤爪を持っていました。
かくて最初の血は流されました。山羊の氏族の長は死に、山馬の氏族と野馬の氏族の長は傷を負って、辛うじて民の下へ逃げ帰りました。
このとき捨てられた指輪の所在はサウロンでさえも知らず、壊れていないのならば、今も中つ国のどこかにあるのだそうです。
サウロンの悪は長の血筋を通して氏族全体に広がっていき、やがて肉食の獣に似た二つの氏族はサウロンの操り人形となりました。かれらは善なる生き物――つまり、サウロン手ずから歪めて作り出したのではない命――のうちで、唯一その悪に染め抜かれた者だと言われています。
善の側に残った三つの氏族は、憎しみを込めて敵を〈肉を食む獣〉と呼びました。狩人オロメから下された役目を忘れ悪に諾々と従うものは、同胞ではなく獣に等しかったからです。
かれらはここで善に踏みとどまった自分たちを〈二本脚の友〉と称し、本格的に悪との戦いに身を投じました。自由の民たちは決して弱くはありませんでした。タウル族も積極的に武器や防具を取り入れ、瞬足と剛力でもって戦に貢献しました。
多くのエルフが、人間が、ドワーフが、タウル族が殺されました。
悪に堕ちたタウル族――〈肉を食む獣〉は、オークどもや東夷と違って音もなく敵に忍び寄ることができました。狼の氏族は結束してどこまでも敗走する自由の民を追いかけ、殺しました。豹の氏族はエルフよりも巧みに森に隠れ山に登り、女子供の避難所を急襲しました。〈肉を食む獣〉が得意とするのは二本脚の者たちが行ってきた合戦ではなく、待ち伏せと奇襲でした。
操られているといえどかれらには知能があり、しかし守るものはありませんでした。
かつて同胞だったタウル族たちは、千年以上も血で血を洗う戦いを繰り返しました。タウル族の世代交代は人間よりも早かったので、かれらは三十世代近くに渡って争っていたことになります。
それほどの歳月が経っても、〈二本脚の友〉は決してタウル族の汚点を忘れませんでした。かれらはそのように恩寵を与えられているのでした。先祖の憤りを、いつまでも身のうちに飼っているのでした。
太陽の第二紀最大の合戦――〈最後の同盟〉の戦いまで、この争いは続きました。
〈最後の同盟〉は、第二紀末期に結成された人間とエルフの同盟です。自由の民はこれが最後の機と、サウロンに決死の攻撃をしました。覚悟は実り、冥王は討たれ、指輪は人間の王イシルドゥアの手に渡りました。
指輪を失ったことでサウロンの力は弱まり、ふたたびかれが歴史に姿を現すには三千年を必要としました。
当時のタウル族のことについての記録はほとんど残っていません。かれらは合戦場ではなく山や森の中で独自に戦っていましたし、この〈最後の同盟〉の戦いのあと、生き残ったタウル族は二本脚の者たちに関わったことを誤りと断じ、山や森の奥深くに潜んで他の種族との関わりを断ったからです。
ただ僅かな目撃情報の中には、〈二本脚の友〉の捕虜となった〈肉を食む獣〉の姿が記されています。「その金色の敵はもはや抵抗の意思を見せず、従順に引き立てられて森へ消えていった」と記録は語り、短い記述は次のように締めくくられます。
「その後、いかなる〈肉を食む獣〉も、中つ国には見られなかった」
タウル族について言及した文献は以上が最後です。かれらがふたたび歴史に足跡を刻むには、サウロンと同じく三千年を待たねばなりません。
歴史改変が起こるとは思うけどとりあえずこれで。
誤字脱字等お知らせくださいますと幸いです。