こちら、ヒロイン視点回となっております。
「はぁ……」
天を仰ぐと満月が瞳に映る宵の口。
私は溜息を
永遠を生きる私にとって、『退屈』は最大の敵。縁側でお茶と茶菓子を摘まみながらのんびりするのも嫌いではないけれど、そればっかりじゃ面白くない。
気分転換に竹林をお散歩し始めたところで、頭を抱えて歩く妹紅の後姿を発見し「身体を動かすのも悪くないわね」と思って、背後から妹紅の頭めがけて金閣寺の天井の角を叩きつけた。
さぁかかってらっしゃい!と意気込んだものの、肝心の妹紅は『一回死んだら二日酔いがなくなったわ。サンキュー』と言って立ち去ってしまい、私の熱意は不完全燃焼に終わってしまった。
「はぁ……」
それからは特筆すべきこともなく、のらりくらりと竹林を歩き回っていたら一日が終わろうとしていた。今日も今日とて退屈な一日を送ってしまったと後悔し、またため息が零れる。何か面白いこととか、変わったこととか、その辺に転がってないものかしら。
……変わったことと言えば、今日の妹紅は調子こそ悪そうだったけれど機嫌は良かったわね。アイツにお礼を言われるだなんて、明日は槍でも降るのかしら。本当に降ってきたら面白いのだけれど。
そう思いながら再び天を仰ぐと。
「きゅー!」
「ぶっ!?」
空から降ってきた謎のモフモフが私の顔面に抱きついてきて、姫らしからぬ声が出た。
モフモフを顔から引きはがすと、懐かしい顔と視線が合う。
これは確か…すくすくといったかしら。見るのは何百年振りかしらね。
「しかも妹紅のすくすくじゃない。どうして空から降ってきたの?」
「きゅーっ」
短い手足を懸命に使ってジェスチャーしながら、すくすくはきゅーと鳴く。
なるほどね。わからないわ。
「きゅー…」
私がそう言うとショボンと落ち込むすくすくもこう。
相も変わらずかわいい生き物ねぇ…母性が刺激されるわ。
ご機嫌を取るために抱っこしてナデナデ。
「きゅー!」
ふふっ、あなたは顎の下を優しく撫でられるのが好きだったわね。覚えてるんだから。
しかし、すくすくもこうは一体どこからやってきたのかしら。降ってきたってことは月? ……さすがにあり得ないか。
「どうせだし、あなたも永遠亭に来る? 私の遊び相手になってくれるなら、ウサギ以上の待遇を保証してあげるわよ」
「きゅー」
「あらいやなの?」
「きゅ!」
すくすくは首を横に振ると、ビシッととある方向を指さす。少なくとも、永遠亭とは逆の方角。
指さす方角からやってきたのか、指さす方角へ向かいたいのか。おそらく後者。折角再会したんだもの、少しぐらいなら我儘に付き合ってあげてもいいわ。イナバたちが晩御飯の用意をして待っているだろうけれど、多少帰りが遅くなってもいいでしょう。
私はかぐや姫。
偶にはみんなを待たせる立場になるのも一興よね。
すくすくもこうの案内に従って歩くこと十分。やってきたのは人里だった。ここに来ることは珍しくはないけれど、この時間帯に歩くのは初めてかしら。
満月の光と提灯の灯りが淡く照らす人里の光景は、日中とは違う独特な魅力を感じる。
「それで、結局あなたはどこにいきたいのかしら?」
「きゅーっ!」
いつの間にか私の頭に乗っかったすくすくもこうは、元気よく一軒の居酒屋を指さす。
こんなところに居酒屋なんて建っていたかしらと疑問に思って看板を確認しようとしたが、視覚よりも先に嗅覚が反応した。
私の鼻が捉えたのは、バンダナと眼鏡を身に着けた人間と緑色のすくすくが、居酒屋の前で七輪を使い、貝のようなものを焼いている香り。
それは私の知っている香りに似ていた。
遥か遠い昔、まだ月にいた頃に感じたことある、あの香り。
懐かしい、潮の香り。
「きゅー!」
「おっ、らっしゃい。一名様……と一匹様でしょうか?」
それが、私と『海鮮居酒屋アキ』の出会い。
私の退屈に少しだけ、亀裂が入るのを感じた。
*————————*
あれよこれよとなし崩し的に、夜空の見える外の座席に案内されてしまった。
ご飯を食べるつもりはなかったのだけれど、あの香りを嗅いだ途端お腹の虫が鳴ってしまったのと、その音を『アキ』に聞かれ「腹ペコ割引ってことで、お安くしますよ」と言われてしまい、食べざるをえない状況になってしまったのだ。久しぶりに顔を赤くしたわ……。
アキとはこの居酒屋の名前であると同時に、店主の名前でもあるみたい。本人曰く
「そう言う家系なんです」って。どう言う家系よ。変な人間ね。
「きゅ!」「きゅー!」
アキが変なのは性格だけじゃなく、体質も変わっていた。
霊力も妖力も、あらゆる力を持たない外界の人間にも関わらず、幻想の存在であるすくすくを認知できる体質の持ち主。同時に、すくすくを引き寄せる何かを纏う人間でもあった。
つまりすくすくもこうはアキに引き寄せられてここまで来たのね。そのすくすくもこうはワーハクタクのすくすくとじゃれあっている。お互いをモフりあうその光景、見てて全く飽きないわ。
「きゅー」
この店には私のすくすくもいた。つい先日現れたらしい。
今は私の膝の上でチョコンと座っている。きっと撫でられ待ちね。
いいわよすくすくの私。数百年ぶりの会合だもの、料理が運ばれてくるまで思う存分撫でてあげる。ほら、ナデナデー。
「きゅー♪」
「「きゅー…!」」
気持ちよさそうに鳴く私のすくすくと、羨ましそうに眺めてくる妹紅とワーハクタクのすくすく。
待ちなさい。一匹ずつ丁寧にモフってあげるから。私はモフるのに妥協はしないの。
「お待たせしました。本日おすすめの一品、お持ちしました」
三匹を満足させるまでモフり尽くしたところで、アキが料理を運んできた。
「こちら、焼き
目の前に出された料理は、先ほどアキが店先で焼いていた貝。貝殻は岩のような見た目だけど、中には濁りなき白色をした大きな身が入っている。
久しぶりに感じる「初めて食べる料理」を目の前にする高揚感。見た目からは味の想像ができないけれど、先の香りからして、少ししょっぱかったりするのかしら。海に住む貝みたいだし。
そう思いながら牡蠣の身を箸ですくい、先ずは何もかけずに一口で頬張る。
「………っ!」
瞬間、口の中に広がる濃厚かつ芳醇な旨味。
これは……叫ばずにいられないッ!
「見た目からは想像できないほど濃厚さ! クリーミーでまろやかなコクに滑らかな磯の風味、そしてほのかに感じる渋みと苦み! その全てが同調、凝縮されることで一つのを旨味を作り上げている! 素晴らしいわ!」
「きゅーっ!」mgmg
思わず立ち上がり、高らかに叫んでしまうほどの美味しさ。
一緒に私のすくすくも高らかにきゅーと鳴く。
「あはは、大袈裟ですねぇ。でもお気に召したでようでよかったです」
そんな私に驚いた様子も見せず、むしろ見慣れたような優しい目で見てくるアキ。
…………はっず。
「……今のは見なかったことにしてちょうだい。そして忘れなさい」
「ちょっと難しいです」
「忘れなさいよぉ!」
お酒も入っていないのに、つい口調が乱れてしまう。初対面に人間にこんなにもペースを乱されるなんて、今日の私はどうかしてるわ。
しかしこの牡蠣っていう貝、本当に美味しい。すくすくの私がこっそり私の分の牡蠣をつまみ食いするのも頷ける旨みね。
「ほら。そんなコソコソしなくてもいいから、あなたも存分に食べなさい。はい、あーん」
「きゅー!」mgmg
「ふふっ、美味しい?」
口いっぱいに牡蠣を頬張り、満足そうにすくすくは頷く。外の世界の海は良いわねぇ、こんなにおいしいものがあるなんて。静かの海にも生息していたら、月での生活ももう少し楽しく感じられたかしら。
折角だし、牡蠣と一緒に出された調味料も使って食べてみましょ。
レモンのサッパリとした風味、ポン酢のさわやかな酸味、どちらも牡蠣との相性は最高ね。
このタバスコ?って言う真っ赤なソースは初めて見るけど、食べてみて「なるほど」と思う。独特の強い辛味が牡蠣のクリーミーな味わいをこれでもかと引き立てる。これはお酒とも相性が良さそうだわ。
「お客さん。今日はお勧めの日本酒もありますがいかがでしょう」
「勝手に心を読まないでくれるかしら。というか、何でわかったの?」
「この子が教えてくれました」
「きゅー」
そう言うと、アキはピンクと紫の中間ぐらいの色をしたすくすくを抱きかかえる。
地底に住んでる
この人間はすくすくの言葉もわかるのね……本当にただの人間なの貴方?
「……まぁいいわ。貴方のお勧めは期待して良さそうだし、一杯だけ頂こうかしら」
「かしこましました。ではこちら、『夜半の月』と呼ばれる日本酒です。名称も味も、今夜にうってつけの一杯となっております」
「『夜半の月』は秋の季語よ。今は春だけど」
「細かいことはいいんです。ささっ、どうぞ」
そう言って、お酒が注がれた盃をアキは差し出す。
盃に口を付け、お酒を少量口に含む。瞬間、清らかな香りと柔らかい甘味が口いっぱいに広がる。少し刺激は足りないけれど、この優しい後味は逆に癖になりそう。
ふと、盃に映った満月が目に入る。
『夜半の月』……深夜を照らす美しき月を意味する言葉。
私は地上での暮らしに興味を持って禁忌を犯し、故郷を捨てて地上にやってきた。そこに未練はない。
けれど今だけは、この満月が不思議と恋しく思える。
「きゅー?」
「あ、あれ? もしかして、お口に合いませんでした?」
長く俯いていたせいか、心配そうな顔で私を見つめるすくすくとアキ。
……ホームシックは私には似合わないわ。俯かずとも、上を向けば月は見える。私の時間は無限にあるけど、一秒でも長く有効に使わないとね。
今はただ、この時を楽しもう。
「いいえ、とっても美味しいわ。気が変わったわアキ。お酒と牡蠣のおかわりと、他の肴もちょうだいな。貴方のお勧めをね」
「はいよ。よろこんで」
「きゅー!」
今夜は夜更かし。永い夜になりそうだわ。
帰ったら永琳たちになんて言い訳しようかしら。ふふっ。