レッドゾーン・アクセル 作:イヌタデ
さて、と。と少女は、ダイワスカーレットは首を回す。視線の先には数年ぶりのくせに感動もへったくれもない再会をかましやがった兄貴分が見えた。あの様子だと、隣の先輩トレーナーに名前を聞いてようやくといった感じだろう。
「……まあ、いいか」
んべぇ、と明次に悪態をついたものの、その実彼女はそこまで機嫌を損ねているわけではない。気付かれなかったというのは、逆に言えばそれだけ自身が成長をしているということにも繋がるからだ。
彼と別れるまでちんちくりんと称されていたスカーレットは、成長期を迎えここ数年で一気に伸びた。それに合わせプロポーションもどんどん大人びていく。むしろこれまでが子供すぎたのだ。その証拠に、今も絶賛成長中だ。服も割とすぐきつくなる。原因がどこなのかは詳しく調べていないので知らないが。
ともあれ、明次はスカーレットに向かって確かに言ったのだ。綺麗な子だと、他の誰でもない、自分に向かって述べたのだ。その一点で彼女はとりあえず不機嫌さを保留していた。
ふう、と息を吐く。その辺りはとりあえず後回しだ。こちらは一目で明次だと分かったのに、とかそういう文句は後からでいい。今重要なのは、これからの模擬レースで実力を示すことだ。
別段これが初めてではない。年四回行われる選抜レース、それに参加するための事前準備として以前も走った。実戦形式に今更臆することもない。
「だから、アタシがやることは」
前を見る。視界の隅に、先程のトレーナーの男性が見えた。その横には、なんともバツの悪そうな顔で、しかし笑顔と期待に満ちた顔でこちらを見ている、相も変わらずのボサボサ頭にメガネのさえない青年の姿が見える。目付きだけは鋭く、そのおかげでよく兄妹として扱われたものだとスカーレットは小さく笑った。
用意されたゲートに立つ。他のウマ娘達がスタートのタイミングを図る中、彼女だけは別のことを考えていた。
合図とともにゲートが開いた。一斉に飛び出す面子の中に、スカーレットも当然交じる。出遅れることはない。流石に今回それをやるとあのバカ兄に文句が言えないからだ。
先頭へと真っ先に飛び出したウマ娘の背中を見る。模擬レースとはいえ中距離、あっという間というほどではない。だから、自分がやることは。
「……んー。こんなもんか?」
そんなダイワスカーレットを見て、先輩トレーナーは呟いた。大口を叩いていた割には、極々普通の走りだ。模範と言い換えてもいい。教科書通りのようなその動きに、彼は感心はするものの感嘆はしない。確かにレースで活躍できるだろう。成績もそれなりのものが約束されるだろう。
だが、それだけだ。スターには足り得ない。栄光を掴むには物足りない。
ウオッカには、敵わない。
「……ははっ」
が、横の青年はそうは思わなかったらしい。スカーレットの走りを見て、その動きを見て。彼は何故か笑っていた。どこか感極まったような表情を浮かべていた。
「どうした? 代花」
「え?」
「いや、何笑ってんだ?」
「あ、俺今笑ってましたか。……そりゃそうか」
一人納得したように明次は呟く。先輩トレーナーは眉を顰め、お前自己解決してんじゃないとその背中を軽く叩いた。あいたぁ、と大げさに叫ぶと、彼は軽くたたらを踏む。
「ほれ、説明」
「いつつ……。いや、説明も何も――」
視線は先程から練習用コースを眺めたままだ。走るウマ娘を、正確にはダイワスカーレットを見詰めたままだ。
「スカーレットが、勝つんですよ」
「は?」
何言ってんだこいつと怪訝な表情を浮かべた先輩トレーナーであったが、とりあえず言われるまま視線を再度コースへと。
「……は?」
目を、瞬かせた。ダイワスカーレットは変わらず、先程と同じように走っている。そう、変わらない。彼女の様子は変わらない。
だというのに、既に彼女は抜きん出ていた。スタートと同時に逃げを打ったウマ娘は序盤で出来るだけ距離を稼いでいたはずなのに、彼女はその後ろにピタリとついている。
「いつの間に?」
「いや、最初からこうでしたってば」
「バカ言うな。彼女は最初のうちはバ群の中に」
「中になんかいませんでしたよ」
「はぁ?」
何を言っているか理解できない。自分とこいつは見ている景色が違うのだろうか。そんなことを思ってしまうほどだ。
それに気付いたのか。明次は、あははと頬を掻きながら言葉を続けた。
「あいつは、最初からずっと、自分のペースを崩していない。というよりも」
「お、おう」
「最初から全部、それこそ他のウマ娘も皆、あいつのペースの中だ」
ワクワクしているような顔と声で告げるそれを聞いて、先輩トレーナーは改めてコース上の彼女達を見る。自分だけは全く崩れずに、ほんの少しの綻びを即座に広げていくような、そんな走りをしているダイワスカーレットを、見る。
気付くと彼女はトップにいた。他のウマ娘を捻じ伏せるがごとく、先頭を走り続けた。
「……いや、だが。言っちゃ何だが、流石に我流が過ぎる」
「でしょうね」
「でしょうねって、おい代花」
「でも、当然ですよ。だってあいつは、スカーレットは」
真っ直ぐに、前を。ひたすらにトップを。一番へと走る彼女を、彼は見る。
いつぞやの、まだ彼女がちんちくりんであった頃、自分が故郷を離れる前にした会話を思い出しながら。
「ねえ、めい兄」
「ん?」
「トレーナーになるんでしょ? だったら、アタシに何かアドバイスちょうだい」
「受験勉強してるだけの素人に無茶言うなよ」
「何よ。そんなんで中央のトレーナーになれるわけ?」
「……へいへい。つってもなぁ」
こいつの才能は素人目で見ても抜群だ。だから俺のようなやつがヘタなことを言うとかえって邪魔になる可能性がある。というか、まず間違いなくそうなる。
だが、しかし。
「なあ、スカーレット」
「何?」
「お前って、基本初っ端から前に飛び出すよな」
「当然よ。だってアタシ、一番になるんだもの」
ふふん、と胸を張るちんちくりん。そんなぺったんこでやっても虚しいので、まあ無理だとは思うがもっと成長してからしろ。口に出すと拗ねるのでそんなことを飲み込みつつ、俺はそこで少し考えていたことを脳内でまとめた。現状でもこいつの走りで充分速い。このまま伸びていけば、トレセン学園に入学してからもトゥインクル・シリーズで活躍できるだろう。
「勝ちパターンを増やすのはどうだ?」
「……どういうこと?」
「一番になるってことは、それだけ沢山のライバルを倒すってことだ。当然、お前の走りに対策をする相手は出てくる」
「まあ、そうね」
「だから、走りのバリエーションを増やそう」
俺が出来ることは、精々このくらい。勿論、これがかえってこいつの邪魔になる可能性は十分ある。素人が分かったようなことを言うなと本職のトレーナーに言われたらその通りですと頭を下げるだろう。
「ふーん。じゃあ、めい兄はどういうのがいいと思う?」
「極端に変えるのはあれだし、ここは一つ、自分のペースを崩さない走りを徹底するのはどうだろう」
「別にアタシ、いつもそんな感じだけど」
「ウソつけ。お前毎回毎回ムキになってんじゃねぇか」
こいつの負けず嫌いは筋金入りだ。だから絶対に負けないために後先考えない行動をすることがままある。努力家といえば聞こえがいいが、ぶっちゃけアホじゃないかと思うほどの無茶もするので、傍から見てるとハラハラものだ。
それはともかく、そんな性格なのでレース中は間違いなく頭に血が上っている。負けてなるものかと、それしか考えてないような顔で走っているのでよく分かる。
「むぅ……」
「どっちかっていうとそれは相手に合わせてる走りだろ? だから逆に、相手をお前に合わせてやれ」
「……よく分かんないんだけど」
「いやまあ、俺もまだトレーナーとしてのしっかりとしたことは言えないから、具体的なトレーニング方法とかは無理だけど」
「ダメダメじゃない」
「うっせいやい」
六歳年下に呆れられるの図。いやまあ分かってたけど、それでも言わずにはいられなかったんだ。
だって、スカーレットが望んでいたから。だから、言わないなんて許されない。他の誰でもない、俺が許さない。
「まあ、あれだ。逃げ脚質だけじゃなく先行脚質でもいけるといいなとか、その辺?」
「いきなり大雑把になったわね」
「分かりやすいじゃないか」
「さっきまでの説明と違う気がするんですけどー」
「うっせいやい」
六歳年下に呆れられるの図継続中。そんな空気の中、スカーレットはクスクスと笑った。何だかよく分からないけど、と笑いながら彼女は続けた。
「めい兄がそう言うなら、アタシやってみる」
「いいのか? まだトレーナーですらない素人だぞ俺」
「いいの。……あ、じゃあさ」
ぴょこん、とこちらに向き直ったスカーレットは、そのまま上目遣いでこちらを見詰めていた。笑みを浮かべたまま、どこか楽しそうに、言葉を紡いだ。
「勝負、しない?」
「勝負?」
「そう。めい兄の何だかふわっとした指導が出来るかどうか」
「いやどういう勝負だよ」
「めい兄がきちんとしたトレーナーになった時に、アタシがその別の勝ちパターンやれるようになってたら勝ち」
「出来なかったら俺の勝ち? いやそれ結局俺のアドバイス駄目だったってことだから負けじゃん」
「細かいことは気にしないの。ね? どう?」
そう言ってまたふふんと胸を張るスカーレット。はいはい、と俺はそんなぺったんこに向かって溜息混じりに了承し、まあ期待しないでおくよとついでに続けた。
「何言ってるのよ。アタシを誰だと思ってるの? 一番のウマ娘、ダイワスカーレット。絶対に、めい兄をギャフンと言わせてやるんだから」
「……ぎゃふん」
「どうした代花」
「あ、いえ」
明次の呟きに先輩トレーナーが反応した。何でもないですと彼は返し、一番でゴールしたかつてちんちくりんだった年下の幼馴染を見やる。少し見ない間に、本当に成長したものだ。あの頃の子供はもういない。いるのは、一番になるための努力を欠かしていない、未来のスターの原石となった美しいウマ娘だ。
レースも終わり、クールダウンを行っているダイワスカーレットと目が合った。ふふん、と自慢気にこちらを見ると、彼女はビシリと人差し指を立てこちらに突きつける。
そんな一番を宣言するかのような彼女を見て、明次は笑った。そういうところは変わっていないな、と笑った。
だから。
「流石は俺の、スカーレットだ」
サムズアップで返答をする。お互い笑いながら、二人だけにしか分からない何かを感じながら。
そろそろ時間だ、と戻っていく彼女を目で追いながら、明次は小さく息を吐いた。これはもう、覚悟を決めるしかないなと一瞬目を閉じ、開いた。
「先輩」
「ん?」
「お願いがあります」
彼の真剣な表情を見て、何かを感じ取ったのだろう。というか、既に予想がついていたと言うべきか。はぁ、と溜息を吐きながらも、先輩トレーナーは言ってみろとそのお願いとやらが何か続きを促した。
「スカウトしたいウマ娘が一人います」
「だろうな」
「まだ新人で、研修を終えたばかりの未熟者なのは重々承知です。けれど」
「……一つ、質問するぞ」
明次の言葉を遮って、彼は指を一本立てた。彼の目を真っ直ぐに見ながら、ゆっくりと問い掛けた。
「お前の目標は何だ」
「スカーレットを、一番のウマ娘にします」
「即答かよ……」
「それが俺の、トレーナーになった意味ですから」
「あーはいはい。ごちそうさまごちそうさま」
ガリガリと頭を掻いた先輩トレーナーは、ほれ、と一枚の紙を手渡した。受け取り眺めると、トレーナーがウマ娘をスカウトする時のための書類であることが分かる。
「さっさと行け。他のやつに取られないうちにな」
「はいっ! スカーレットは誰にも渡しません!」
言うが早いか即座に駆けていく明次を見ながら、先輩トレーナーは盛大に溜息を吐いた。あいつあんなに直線バカだったのか、と呆れたように笑った。
まあ、それはそれとして。
「……さっきの、聞きようによっちゃ告白だぞ」
幸い周りには誰もいない。が、あの調子ではまたすぐどこかでやるんだろうな。そんなことを考え、彼は肩を竦め再度溜息を吐いた。
視界の先では、慌て過ぎたのかダイワスカーレットに説教されている明次が見えた。