レッドゾーン・アクセル 作:イヌタデ
メイクデビューの日がやって来た。この日までに体を仕上げてきたウマ娘達が、これからの道を切り開くべく第一歩を踏み出すレース。それが、デビュー戦。
「……」
「めい兄」
「ん? ああ、どうした?」
「どうしたはこっちのセリフよ。もう少し落ち着いたらどうなの?」
「いや、うん。分かってるんだけど」
ソワソワと落ち着かない様子の明次を見て、スカーレットは小さく溜息を吐いた。そうしながら、少しだけ不満そうに唇を尖らせる。
「そんなにアタシ信用ない?」
「そんなわけないだろ」
「そこ即答するなら、もう少し落ち着いてくれるかしら?」
「いや、そうなんだけど……」
スカーレットを信頼はしている。彼女ならばメイクデビューも間違いなく勝利で飾ってくれると分かっている。
それでも、だとしても。根が小心者の明次はどうにもソワソワしてしまうのだ。
スカーレットが目を細める。呆れたように息を吐くと、視線をちらりと横に向けた。
「めい兄も、もう少しこいつ見習ったら?」
「……流石にこいつは図太過ぎだろ」
「すかー」
控室で爆睡しているウオッカを見る。緊張とは無縁を通り越しているようなその姿を見て、明次も少しだけ力を抜いた。そうしながら、いや待てよ、と寝ているウオッカに近付く。
「……こいつまさか、昨日寝てないんじゃ」
「……そういえば、何か夜中ごそごそしてたわね」
「……なあ、スカーレット」
「そうね、アタシが間違ってたかも」
この場で一番緊張しているのはトレーナーである明次だと思い込んでいたが、その実、本当に落ち着かなければいけなかった人物は彼ではなかったのかもしれない。
二人はウオッカを見下ろす。よく見ると彼女の目元には隈があった。こいつ間違いなく昨日寝れてないぞ。顔を見合わせ、視線だけでそれを確認した。
「まあ、でも。こいつの場合、緊張というより興奮して眠れなかったんじゃない?」
「遠足待ちきれない子供かよ……」
「一年前はアタシもこいつも子供だったんだから、しょうがないわよ」
「まるで今はもう子供じゃないような口ぶりだな」
思わず笑みを浮かべてしまう。そういう背伸びするところはまだまだ子供だ。そんなことを思いながら、明次は寝ているウオッカからスカーレットに視線を戻した。
「むぅ……。これでもアタシ、結構成長したんですけど」
「そうだな。それは間違いない」
「ウマ娘の実力とかそういう意味じゃないわよ」
「ここでそのボケをするほど俺は鈍くない。……最初分かんなかったくらいだからな」
そう言いながら明次は頬を掻く。あの時のことを、今から三ヶ月ほど前の、トレセン学園に入学していた彼女と再開したあの場面を思い出しながら。
そういえば、と彼はついでに思い出した。あの時に目の前の彼女に何と言ったのかを。
「そういや俺、お前にナンパ紛いの発言してたな」
「へ? あー。そうね、アタシめい兄に口説かれたわね」
楽しそうにスカーレットは笑う。その笑顔を見て、明次は非常に苦い顔を浮かべた。蒸し返しておいてなんだが、出来るだけ早く忘れてくれと、彼女に向かって懇願した。
勿論返事は、やだ、である。
「あのめい兄が、アタシのことちんちくりん扱いしてた人が、綺麗な子だなんて言っちゃったのよ。忘れるわけないじゃない」
「勘弁してくれ……」
「……アタシだったから? だから、無かったことにしたいの?」
笑みを潜め、スカーレットは問い掛ける。彼女のその顔を見た明次は、一瞬圧され、しかし視線を逸らすことなくそういう意味じゃないと返した。別にお前だからとか、そういうつもりで言ったわけじゃないと続けた。
「そもそも別に発言の内容とかそういうのじゃなくて、普通に身内に向かってナンパみたいなことしたのが恥ずかしいって意味で――あー駄目だ、これスカーレットの言う通りの意味じゃねぇか!」
「ぷっ」
「笑うなよ! こっちは割と真剣なんだぞ」
「あははは、あー、おかしい。別に、アタシもさっきのは真剣に聞いたわよ。でも、めい兄はアタシの質問の意味を勘違いしてたから」
「勘違い?」
そうよ、とスカーレットは笑う。自分が聞いたのは、無かったことにしたかったのかと聞いた部分は。そこまでを説明しようとして、指を一本立てたままのポーズで彼女は固まった。
アタシのことを綺麗な子だって褒めたのを、無かったことにするのか。
「言えるかぁぁぁ!」
「うお」
「めい兄のバカ! アホ! おたんこにんじん!」
「何で!?」
ギャーギャーと騒ぐスカーレットから逃げながら、明次は頭にハテナマークを飛ばしていた。そこまで鈍くない、と言った割には微妙な部分を逃していた。
「……よく飽きねぇなぁ、あの二人……」
ごろり、と寝返りを打ったウオッカは、そんな二人をジト目で見ながら溜息を吐く。同じチームになってから一ヶ月以上、いい加減慣れたので鼻もツンと来ない。が、なら良いかといえば話は別である。
デビュー戦を迎えたウマ娘達がレース場を駆けていく。ウオッカとスカーレットは準備も終え、後は出走するだけ。それぞれのレースのタイミングはズレているので、一足先に走るウオッカについて明次は控室を出ていった。一人、彼女は控室で目を閉じる。大丈夫だと、落ち着いていると、彼にはそう言った。その言葉に偽りはない。
「めい兄のこと言えないわね」
それでも、レース直前のこの僅かな間で、己の心臓がドキドキと鳴っているのが分かる。
万が一、そう万が一にでもこのデビュー戦で失態を犯したら。みっともない走りを見せてしまったら。明次の期待に応えられなかったら。
パァン、と思い切り頬を叩いた。己の兄貴分がやっていたように、自分の弱気を吹き飛ばすように気合を入れた。
「よし。……さて、ウオッカのやつは大丈夫かしら」
調子に乗ってポカやらかしていなきゃいいけど。そんなことを思いながら、スカーレットはここから見えないレース場へと視線を動かした。
そんな心配された当事者であるウオッカは。
「これ、俺勝てなきゃメチャクチャかっこ悪いんじゃ」
「今更かよ」
ドヤ顔でパドックに立ち、どいつもこいつも真剣さが足りないな、などと一人カッコつけていた彼女は、レース直前で我に返ったのだ。傍から見ているとこいつが一番真剣さが足りてない。
勿論ウオッカは真剣にカッコつけているので、その指摘は的外れではある。あるのだが、明次としては大丈夫かこいつと苦い顔になるのもまあ仕方ないわけで。
「……なあ、ウオッカ」
「な、なんだよトレーナー」
「スカーレットがこの後走るのは知ってるよな」
「当たり前だろ」
「だよな。じゃあ、心配いらないな。まさかウオッカが、スカーレットの前で負けるとか、そんなことはないよな」
「……コノヤロー」
ド直球で挑発してきやがった。ピキリと思わず表情が歪んだウオッカは、やってやろうじゃねえかと思い切り明次に指を突き付けた。おう、とそれにサムズアップを返した彼は、ひらひらと手を振りながら観戦側へと移っていく。
ゲートに入る。表情を一瞬にして変えたウオッカは、ゲートが開くと同時に一気に駆け出した。見ていた観客達の中で、彼女のことを知っている者達が一斉にざわめき出す。ウオッカの脚質は差しだ。序盤から先頭へと向かうような走り方を彼女がしたことは、入学してから今まで一度もない。
「おいおい、正気か?」
「え?」
それを見ていた明次の後ろから声。振り返ると、チーム結成してすぐの時ひと悶着あった際のトレーナーが立っている。いちゃもんつけてきた挙げ句謎のウマ娘に絡まれていた方だ。
「デビュー戦でいきなり走り方変えるとか、大丈夫かよ」
明次に話し掛けつつ、彼は視線を先頭を走るウオッカに向けている。あの時のアレが若干トラウマになったのか、以前の時よりも幾分か棘が無い。そのことに苦笑しつつ、明次はまあ大丈夫でしょうと彼に返した。
「スカーレットと意地の張り合いをする時に、お互い相手の土俵でぶっ倒そうとすることがよくあったもんで」
「……ほー」
聞いているのかいないのか、感心したのかそうでないのか。よく分からない返事をしながら、トレーナーはそのままあっさりと勝ってしまったウオッカを見た。うわマジだ、と何ともいえない表情を浮かべた。
「ところで、あなたは何故ここに?」
「いや、こっちもデビュー戦に決まってるだろ。終わったんで後は帰るだけだ」
彼のその言葉に、明次は意外なものを見る目で振り向いた。言っては何だが、あの口ぶりからするときちんとした担当はいないと考えていたのだ。精々どこかのチームのサブトレーナーポジションだと思っていた、
「まあ、チームのメイントレーナーの付添だけど」
「ですよね、よかった」
「おい本音漏れてるぞ」
ふん、と鼻を鳴らすと、彼はそこで踵を返す。そうしながら振り返り、期待のホープを手に入れただけではこれからやっていけないからなと笑みを浮かべた。
「担当がついた途端、急激に伸びるのがウマ娘だ。うちのチームの新人も、負けてない」
「だったら最初から俺達に絡んでくんなっつの」
「あ、ウオッカ」
いつの間にかこちらに戻ってきていたウオッカがトレーナーを睨む。ぐ、とバツの悪そうな顔をした彼は、覚えてろと言わんばかりに去っていった。何だったんだと眉を顰める彼女を見ながら、明次はあははと笑みを浮かべる。
「それより。ウオッカ、デビュー戦初勝利おめでとう」
「お、おう! ま、俺にかかればラクショーだぜ!」
「ははは。ああ、そうだな」
これで後はスカーレットが勝つだけだ。そんなことを言いつつ、明次はウオッカと共に控室へと戻るために足を動かす。それについていきながら、ウオッカもまあ大丈夫だろうと軽口を叩いていた。あのスカーレットがそうそう負けるはずがない。そんなこともついでに続けた。
そうして控室へと戻ってきた二人が見たのは、何故か微妙に頬の赤いスカーレットの姿。どうしたんだと目をパチクリさせた二人に、彼女は何でもないとそっぽを向く。
「それよりウオッカ。アンタ当然勝ったんでしょうね」
「当たり前だろ。ほれ、次はスカーレット、お前の番だぜ」
「言われなくても分かってるわよ」
よし、と彼女は扉に向かう。とんぼ返りする形になるが、明次とウオッカもそれに続いた。
その途中、廊下で人とすれ違う。ペコリと頭を下げるウマ娘と、その横であら、と明次を見て目をパチクリとさせた一人の女性。
「こんにちは、代花さん」
「げ、桐生院」
笑みを浮かべたままの桐生院葵を見て、明次は苦虫を噛み潰したような顔を浮かべる。そうしながら、じゃあ俺は急ぐからとさっさとこの場を去ろうとした。
「つれないですね。数少ない同期じゃないですか」
「同期だからだよ。スカーレットとウオッカにあることないこと吹き込まれたらたまらん」
「ふふっ」
大丈夫ですよと言わんばかりの彼女の笑みに、明次の表情は更に苦くなる。お前絶対その大丈夫はこっちの期待してる大丈夫じゃない。視線でそう文句を述べながら、彼は今度こそ彼女の横を通り過ぎた。
そんな彼の背中に、葵は声を掛ける。せめて一つだけ、と明次に、否、彼らチームへ言葉を紡ぐ。
「私のパートナー、ハッピーミーク。彼女も少し前にデビュー戦を済ませました。……これから、よろしくおねがいしますね」
「……どうも」
意味ありげな葵と対照的に、ミークは言葉少なに頭を下げるのみである。口数の少ないタイプなのだろうというのが、見ていてなんとなく分かった。
言うだけ言って、手をひらひらとさせながら去っていった葵を見ることなく、明次は面倒そうに溜息を吐く。
「あれ?」
そうして、気付いた。彼女は、彼らがやって来た方向へと去っていった。控室がある方向に、歩いていったのだ。
「アタシたちと同じなんでしょ」
「ま、そんなとこだろ」
「……そういや、たづなさんが桐生院もチーム作ったとか言ってたっけ」
一体全体どんな連中が集まっているのやら。彼女に集まるようなウマ娘の予想をしようとして、やめた。今はそんなことを考えても仕方ない。
よし、と彼はスカーレットを見る。ふふん、と笑みを浮かべる彼女を見て、明次も同じように笑みを浮かべた。
「じゃあ、スカーレット」
「ええ」
「一着、取ってこい」
「当たり前よ」
そうしてスカーレットはゲートに立つ。パドックでの彼女は怖いくらい静かで、同じレースを走るウマ娘達は、既にその時点で雰囲気に飲まれていた。
そうして始まったそのレースは、まさに圧倒。完璧、と称してもいいくらい見事に、スカーレットはトップを取った。笑みを浮かべ、一番だと指を立て。
「めい兄! 一着よ!」
「おう! 流石だ、スカーレット」
ついぽろっと普段の呼び方をしたおかげで会場がざわめくのだが、当事者の二人は気付かぬまま話を進めていたので、誰もその事に触れられなかった。
ウオッカだけは、あーあと頭を押さえていた。
レース結果を見て、葵はクスクスと笑う。まあそうでしょうね、とどこか楽しそうに一人呟いた。
「トレーナー? どうしたんだろう?」
「……多分、例の人関係」
「ああ、件の同期の方のことですね」
そんな彼女を見ながら、水引のような髪飾りを付けた黒髪のウマ娘が首を傾げている。ミークはそんな彼女に少しだけ溜息を吐きながら返事をした。その横で、薄茶色の長い髪のウマ娘がポンと手を叩き。そうしながら、以前聞かされたそのトレーナーの話を思い出し顎に手を当てた。
「トレーナーさんは、その方のことを憎からず思っているのでしょうか」
「んー。どうなんだろう。どっちかというと、悪友とか、ライバルみたいな感じな気もするけれど。話だけだと、どんな人かもピンとこないし」
「私はさっき会ったけれど……」
ほんと、と二人がミークに詰め寄るので彼女は少し後ずさる。そうしながら、落ち着けとばかりに押し返した。
「ぶっちゃけ……よく分からなかった。人となりも、まあ……」
「変な人ってこと?」
「あはは、そういう意味じゃないと思うな……」
ん? と首を傾げる黒髪のウマ娘に、薄茶色の髪のウマ娘が苦笑しながらツッコミを入れる。が、ミークはあんまり間違いじゃないかもとあまり変わらない表情の眉尻を少し下げた。
件のトレーナーの担当ウマ娘はダイワスカーレットとウオッカ。注目株でもありライバル同士でもあるあの二人をかっさらったにしては、何か特別なものがあるようには見えなくて。そんなことを言いながら、彼女はちらりと葵の方を見る。
いつの間にかこちらを笑顔で見ていた。
「うわっ、トレーナー!?」
「はい。どうしました皆」
「あ、いえ、その。トレーナーさんがよくお話しになられている方と今日出会ったと、ミークさんから」
「ああ、そのことですか」
ふふ、と上機嫌な葵は、相変わらずでしたけれどねと笑みを強くさせる。次いで、担当している二人の仕上がりも上々だったと鼻歌でも歌う勢いで語った。
「これは、負けられませんよね」
「トレーナー。……それ、プレッシャーかけてる」
「おっと、ごめんなさい。私もまだまだ精進が足りませんね」
あはは、と頬を掻いた葵は、でも、と二人を見る。向こうの二人に、注目株だと言われていたあの二人にも負けない実力は絶対にある。そう断言し、ぐ、と拳を握った。
「それに、友人でライバルという関係も似てますし」
「……あの二人、仲悪かったような」
「でも、同じチームなんだし。案外そうでもなかったのかも」
チームになる前のスカーレットとウオッカを思い出し、二人は微妙に首を傾げる。
そのタイミングで、そろそろ出番だと連絡が来た。まずは黒髪の少女、そしてそのすぐ後が、薄茶色の髪の少女のレースだ。
「よし。では、行きましょうか」
「ふれー、ふれー」
「はいっ!」
「頑張ります!」
ダイワスカーレット、ウオッカ。ハッピーミークと、そしてこれから走る二人。今年のトゥインクル・シリーズは、去年や一昨年をひょっとしたら超えるかもしれない。そんな記事をとある記者がもう少ししたら執筆するのだが。
「テイオーさんのように!」
「マックイーンさんのように!」
今はまだ、その当事者達は知る由もない。