静寂。
しばらくしてアルティマギアでの記憶が一気に溢れてきた。フレンドと共に初めて出したボスドロップのレアアイテム。新人支援のためにギルド全員で走り回った往復クエスト。武器の造形が好きで初期の装備からハイエンドまで揃えて飾った俺の武器庫。前人未到の高難易度コンテンツの踏破。"走馬灯を見る"というのはもしかしたらこういうものなのかもしれない。
「平気かしら?それは確かにいただきましたよ。ごちそうさまでした」
「いや、ごちそうさまでしたじゃない。俺の8年……これ、元に戻せないのか?」
「戻せませんわね」
激しい後悔とあまりの悲しみに大声で泣いたりどうにか復旧できないかログインを試したり手足をバタつかせて子どものように駄々をこねたり素足のまま外に出て叫んだり…はせず、ただただ衝撃が強すぎて逆に冷静になってきた。
期限付きのアイテム消化できなかったなとか、強化する予定の装備があったのにとか、そんなことが頭に過る。
「はぁ……で、その価値に見合う何かを、俺に渡してるんだよな?」
「ええ。そうですわね…では、そこの缶を持ってくださいまし」
デスクにある飲みきった缶コーヒーの空き缶を手に取る。
「では力を込めて握ってみてくださいな」
言われた通りに缶を握るとコキ、コキ、と軽い音を立て潰れた。実を食われ芯だけになった林檎のような形。くしゃくしゃに潰れた缶を見て、「は?」と声が溢れる。
世界は広い。実際身体を鍛え抜いた人が固いもの、重いものを壊したり潰したりする動画は見たことはあるが、ろくに鍛えてもない細い腕では絶対にこんなことにはならない。目を見開き二度見、三度見。何度見直しても自分の手の中で缶は潰れていた。
「これスチール缶だぞ…狸にでも化かされてんのか?」
「誰が狸ですか失礼な。その力は当然ですよ。こちらの画像なんて熊を殴って倒してますし」
「は?熊?」
いつの間にやら俺のスマホを持っている魔神から見せられたのは公式サイトにあるトップページの広告用スクリーンショット。そういえばアルティマギアでは"アチーブメント"を達成することでステータスが上昇するが、その中のひとつにそこそこ強敵である熊を素手で一撃で倒すという項目があったはずだ。
「おいまさか俺の使っていたキャラのステータスを?」
「ええ、そうですわ」
俺の使っていたキャラのステータスはSTR極振り。つまり筋力のみに重点を置いた能力値だった。重課金やレベリング、によりその値は現バージョン時点でほぼ理想値まで盛ってある。魔神の言う通りなら拳ひとつで大体の物は壊せるかもしれない。恐ろしい。
よく考えずにした妄想のせいで人間もどきになってしまったなんて。
ふと「早く人間になりたい」なんて、妖怪人間ベムの台詞を思い出す。普通であれる幸せというのは失わなければ分からないものだ。今がそう。
「あのな、いいか?よく聞け。俺には仕事があるしその仕事はこんな馬鹿げた怪力を使う仕事じゃない。ましてこれはもう現代では凶器の類だ。もし何かの拍子にこの力が他人や公共物なんかに触れてみろ。その時点で俺は傷害、殺人、器物破損やら罪を犯すことになるんだぞ」
「力加減をご自身でコントロールすればいいだけの話でしょう」
「じゃあそのやり方を教えてくれ」
「何を仰います、ご自身のことではありませんか」
夢の話からしてもそうだがコイツは重要なことをろくに話さない。
なら自分自身で確かめるしかないだろう。生活に問題がないかを確認しよう。まず在宅勤務のデスクワーカーとしてキーボードを打てるか。
気をつけて力を極力入れないよう気をつけて入力してみる。"あのイーハトーヴォのすきとおった風、夏でも底に冷たさをもつ青いそら、うつくしい森で飾られたモリーオ市、郊外のぎらぎらひかる草の波"
フォントのインストールで何度も見て覚えてしまったダミーテキスト。力を入れずにやれば仕事はなんとかできるかもしれない。最後にエンターを押して確定と同時。
パンッ!
破裂したような音と共に、ついさっきまでエンターキーだったものが破片となって宙を舞う。
エンターに少し力が入る癖、直しておくべきだった。