【同人再録】Somewhere beyond the apocalypse what a wonderful world. 作:長串望
オリジナルファンタジー「異界転生譚ゴースト・アンド・リリィ」をお読みの方は、その世界観の下地になったとしても言えば大体どんなのかお分かりかと思います。
一応艦これの二次創作です。一応。
「おーいナージャ! もう出るよ! 早くしなったら!」
甲艶のいい馬につないだ馬車に荷物を放り込みながら、クナーボは宿に向けて大声で呼びかけた。殆ど怒鳴っているのに近いのは、これがもう朝から五回目にもなる呼びかけで苛立っていたのもあったし、他に客もないような寒村の寂れた宿で泊り客に遠慮をする必要がないというのもあった。
クナーボが今回の依頼の途中で拾った無駄飯ぐらいのデカブツは、極めてマイペースでしょっちゅう苛立たせてくれた。今朝の様に寝坊して起きてこないというのは序の口で、余所見をして物や人にぶつかったり、あちこち物を散らかしたり、それに好奇心に任せてふらっとどこかへ消えるのも頂けない。しかもその消えた先で面倒事を引っ張ってくるのだから溜まったものではない。その始末をするのは誰かと言えば、拾い主であるクナーボなのだ。
ごとりと音がしそうな溜息を吐きながらクナーボが最後の荷物を車に放り込むと、御者席でぷかぷか煙管をふかしていたシーラが肩をすくめた。ひっつめ気味にセミロングをポニーテールにまとめた桃色の頭が、小生意気に傾ぐ。
「あなたは本当に冒険屋らしくないですね」
「君に言われたかないよ」
冒険屋はやくざな仕事だ。読み書きができるのはまだ優秀な方で、殆ど場末のごろつきと大差ない連中もざらではない。クナーボの様に、時間は正確に守り、何事も整理整頓を心がけるような繊細な感性は、冒険屋らしくないと言われても否定はできない。
しかし腕を上げ名を上げて貴族や金持ち、上流市民の相手をすることになれば必須の感性の筈で、クナーボはだからお前らは三流止まりなんだよと何時も怒鳴りたいのを堪えていた。堪えもする。その感性を持っていても、結局三流止まりなのはクナーボ自身なのだから。
だからと言って、運搬専門を宣言して、馬車から降りようともしない物臭娘に冒険屋かくあるべし等ということを言われたくはなかったが。
「…………何か落ち度でも?」
「べーっつに」
「……ふう。あなたは犬を飼ったことが無いのですか?」
「犬ぅ?」
犬は見慣れたものだった。
クナーボの
羊達は健脚で殆ど壁に近いような坂もするすると登るが、良質の毛をたっぷりと採れる様に品種改良を重ねられたせいで爪も牙もすっかり退化してしまっているから、狼などの害獣相手には全く無力だ。無秩序にうろつき回る羊達を囲い込む為にも、害獣の危害から護る為にも、牧人にとって優秀な牧羊犬は欠かせないものだった。
クナーボの牧場でも勿論、代々牧羊犬を飼い従えていた。体は大きいが人に忠実な獣で、クナーボは小さい頃よくその広い背中に乗り、牧場を駆けて貰ったものだ。ふわふわと長く柔らかい毛にしがみ付いて、景色が流れるように過ぎ去っていくのを眺めるのはたまらなく面白いものだった。普段はすらりと長く美しい八本の足でのんびりと思えるくらい優雅に歩くのだが、羊達を囲い込んだり、またひとたび害獣が現れたりしたのなら、風よりも素早く滑るように駆けるのだった。
牧羊犬達の八つの目は、あちこち散らばる羊達を一頭も見逃さず、また山から密かに降りてくる狼達を確実に見つけ出すとして、牧人達にとってある種のシンボルとして、キルトや彫り物などにもよくあしらわれたものだ。クナーボが
犬という生き物はそのように、体力があり、足も速く、目端も利き、そして忠誠心と言ったらこの上なく、まるで神があつらえたのかと思われる程に素晴らしく牧場に相応しい生き物だった。肌寒い秋空の下でこうして待ちぼうけしていると、あの柔らかく暖かい毛並みが懐かしくて堪らなく思われた。
そんな愛らしくて頼れる人類の友をあのような図体が大きいだけのものと一緒にしろと言われたかのようで、クナーボは眉をしかめた。
「そういうよく躾けられたのではなく、街ではよく見かけるでしょう。愛玩用の」
「ああ、金持ちとか、お貴族様が飼ってるのかぁ」
冒険屋を便利屋だと思っている連中が――間違いではないにせよ――、度々迷子の犬の捜索をしてくれとか、街中で暴れ出したからどうにかしてくれとか、下水道に住み着いて野生化したから駆除してくれとか、好き勝手に言ってくる類である。
確かにでかい図体であちらこちらとうろつき回る、力ばかりは強いナージャはその手合いと考えればまあ可愛いもの、とは決して言えないなとクナーボは自分で自分の考えを即座に否定した。全然可愛くない。首に縄でもつけてやりたかったが、その場合、冒険屋としては非力なクナーボは引き摺られて逃げられないという最悪の絵面しか浮かばなかった。
――しかし最低限監督責任は果たそうとしましたよというポーズをとる為にも縄を……いや、鎖でも用意するべきだろうか。
悩みながらもう一度宿に声を張り上げると、ようやくごちんごつんと騒がしくナージャの起きだしてくる物音が響き始めた。
「…………拾うんじゃなかったかなあ」
一応は命を救ってもらった恩さえも薄れてくるほどの面倒臭さに、クナーボはごろりと荷台に寝そべった。
――そうなんだよなあ。一応は命を救われたのだ。一応。
未だに実感の湧かないあの生死の境は、やはりどことなく現実感が湧かないままであった。
クナーボが十五で
おのぼりさんと目をつけられて騙されたり売り飛ばされたり、上手く依頼を取ってきても肝心の場面で怖気づいて身体が動かなかったりする一年目。そろそろ慣れてきたかとうっかり油断して致命的なミスをしたり、この業界ではやっていけないと挫折し始める二年目。そしてそろそろ半人前くらいにはなれたかと慎重な判断はできるようになりつつも、慣れゆえに油断が生じてきてしまう三年目。
クナーボはちょうどその三年目だったのだ。
最初は親戚の伝手を頼った。遠縁にあたるメザーガという男が冒険屋をやっていたので、まずその人の下で
そして三年目となった今や、クナーボはこの冒険屋チームの財布を預かり会計を任され、依頼人との交渉や物資の管理、現地の凝り鬼や猛獣の情報収集などチームに欠かせない存在となったのである。誇張でも何でもなくクナーボがいないと何が何処にあって今いくら資産があり今夜は酒場でどれくらいまでなら呑んでいいのかといったことさえわからない駄目大人共の管理人に収まってしまったのであった。
「……うん?」
「どうした坊主」
「いえね、小父さん」
「お兄さんだ」
「僕、冒険屋目指してた筈が事務屋やってる気がするんですけど」
なお、戦闘技能は最低限のものとする。
「田舎から出てきて右も左もわからず必死にやってたからこの三年気付かなかったですけど、僕全然冒険してないんじゃないかなって。剣すら握ってないんじゃないかなって」
「人はみんな心に剣を握りしめて人生という冒険を生きてるんだよ」
「そんなお為ごかしが聞きたいんじゃねえんだよォ!」
「チッ、勘の良いガキめ」
親切な小父との交渉の結果、冒険屋三年目祝いとして、見習い卒業試験も兼ねて討伐の依頼を請けてくれることとなった。一年目にして早々に交渉事を
そして小父が見繕ってくれて、念願の剣も手に入れた。しばらく実入りのいい依頼もなかったので、流石に儀礼済みとはいかず数打ちの安物ではあるけれど、それでも嬉しいものである。弓や槌、斧など、冒険屋は様々な武器を使うけれど、剣というのは駆け出しにとっては冒険屋の象徴ともいえる憧れのシンボルなのだ。今までも護身用兼採取用兼調理用のナイフは持ち合わせていたが、これでは小動物相手でも無力だ。凝り鬼など話にならない。
そもそもそんなナイフ一本で今まで冒険屋一行の一員としてやってきた方がおかしい。おさんどんか何かと思われているのではなかろうかとクナーボは訝しんだ。寧ろ小遣いをせびりに来られたり、つまみ食いをしにきて叱りつけたり、この宿六共は人を母親とでも思っているのかもしれなかった。宿六などと言う単語がするりと出てくるあたりクナーボも大概毒されてきていたが。
ともあれ、こうして自身で剣を握って挑む実質初冒険に挑むことになったのだった。
愚痴り相手であった錬金術師のキャシィとユベルも、それはおめでとうとお祝いの品を作って寄越してくれた。気持ちは嬉しかったが、それ以外は全く嬉しくない。錬金術師という職業柄なのか、それとも彼女達がそういう性質なのか、大抵ろくでもないものしか作らないのだから。
さていざ冒険と相成ったが、無論その初冒険の予算を組み、消耗品や食料を買い込み、馴染みの運び屋と契約し、日程を組んだのはいつも通り全てクナーボだった。こういうことばかりが上手くなっているようで不安でならなかった。算盤握った方が儲かるんだろうなあとふと頭に過ってしまい、冒険屋という夢が斜めに傾いだ。
一行を乗せた馬車は、拠点としている街を離れ、街道沿いの宿場町を二つ経て、空気のよく澄んだ朝方に依頼のあった村へと辿り着いた。森を背にして、大川の支流にしがみ付くように横に伸びた小ぢんまりとした村だ。秋になりすっかり赤く色づいた森は燃えるように鮮やかだったが、村の方はこれといった特産もなく如何にもド田舎の小村といった風情だった。つまり辺境で最も平均的ともいえる類の有り触れた村だった。
吟遊詩人の歌う冒険屋の華々しい冒険譚とは裏腹に、冒険屋の仕事というのは大抵こういう村々から依頼される。余程のことが無ければ領主へ助けを求めても、小さな村一つ一つにまで援助の手が伸びることはないから、冒険屋はそれらを助ける民衆の味方なのだ、と言えば聞こえはいいが、要するに弱みに付け込んだスキマ産業であるのは否めない。とはいえ、低層出身が多い冒険屋が、貴族の居丈高な依頼より、ひなびた村民の精一杯の依頼の方を、金銭的にはともかく心情的に好むのは事実だった。
かつて駆け出しで希望にあふれていた所に見せつけられた地味で報酬も良くない仕事に肩を落としたクナーボに、メザーガはしかし誇らしげに言ったものだった。
「こういう事は、きっと誰かがどうにかしてくれると誰もが無責任に思ってやがる。当事者でさえ誰かどうにかしてくれと願うばっかりだ。その誰かが冒険屋なんだ。その誰かが俺たちなんだ。何せ俺達は、誰が言うでもないのに冒険したいなんて酔狂なんだからよ」
依頼はよくある討伐依頼だった。
何でも少し前に森に入った猟師が一人行方不明になり、猟犬だけが血塗れで帰ってきたという。森には大甲虫や鹿雉などの獲物もいるが、俊敏な四足の猛禽や強壮な熊木菟など危険な猛獣も多い。よくあることと言えばよくあることだったが、小さな村にとって熟練の猟師は貴重な人材だ。このまま作物の採れない冬になれば、山の獣の獲れない寒村は飢えに襲われるだろう。また、貴重な食料源が一つ減るばかりでなく、餌が少なくなった森から村へと間違いなく獣が下りてくるが、それに対処できる者が一人減ったということでもある。だから冒険屋にそういった猛獣を間引いて貰いたいという依頼は、今回以外にも多い。うまく遣り過ごせればいいが、ともすれば辛い冬に決して少なくない被害が出てしまう死活問題なのだ。
それに、これが獣ならまだいいが、凝り鬼であったなら被害はもっと大きく増えるだろう。連中は餌の有無など関係なく、ただ、人を殺す。
凝り鬼というものがどういうものなのかをきちんと説明できる者はいない。王都の学者などは或いは玉石混交たる学説を捏ね繰り回しているのかもしれないが、まず人々が知っているのはお伽噺位のものだ。
昔々の大昔、人間が広く大地の隅々までを棲み処としていた黄金期があった。今も遺物や遺跡として遺る高い技術力をもって途方もない繁栄の時を迎えていた。しかし神々は驕った文明に怒り、大海に一滴の毒を投じた。この毒は広く海の隅々にまで混じり、そして海のあちこちで殖えては凝って恐ろしい姿を取った。これが凝り鬼だという。
凝り鬼は人々を襲い、船を沈め、そしてやがては大地をも蝕み始めた。人々はこれに抗い争ったけれど、倒しても倒しても海から生まれてくる凝り鬼達に疲弊し、やがて伏して神々に祈り、赦しを乞うた。
神々は人間に遣りなおすことを赦し、人類の傲慢の象徴たる天を突く塔の数々を星々を落として打ち壊し、大海の水を汲み取っては地に流し穢れを濯いだ。凝り鬼の毒と大水は七日七晩にわたって大地を洗ったとされる。
教会によればその七日目の晩を越えて今の人類の文明が始まったと言われているが、今も時折遺物や遺跡が発掘されることからわかるように、神々は人間の悪しきをことごとく流してしまったわけではなかった。その傲慢故に人間は増長してしまったが、しかし生み出された技術そのものに罪はないからだと教会の神学者達は言う。神々は人の可能性を愛しておられるのだと。そしてそれと同じように人の悪しきを憎んでもおられるのだと。だから今も世界に注がれた毒は人知れず凝っては、神々の怒りを忘れないように人々を脅かす。
少なくとも、教会によればそういうことになっている。
誰もが大真面目に神話を信じている訳ではない。素朴で疑いを知らない農民達とて、信仰故にというよりは、生活に響くからと凝り鬼を恐れている。都市部の人間ともなればそれこそ害獣と大差はないし、そして冒険屋にとっては飯の種だ。
クナーボが依頼人の話を聞いて戻ってくると、メザーガは先に森を下見していた。冒険屋は大抵優れた野伏力を持つが、地元でもない森や山で気軽に歩き回るというわけにはいかない。普通は現地の猟師を案内につけるのだが、すでに一人失ってしまった寒村にそれを期待するのは難しい。一行は代わりに遺された猟犬を借り受けた。体高は小柄なクナーボの腰より少し高い程度だったが、細身の体は俊敏そうで、吠えもせず、余所者である冒険屋達の指示にしっかり従う知性の高さは大したものだった。
「おじさん、どう?」
「…………いるな。規模はわからんが」
メザーガが睨んでいるのは森の木々でも獣の足跡でもない。その手元にある簡素な器具だ。形状としては小さな箱に過ぎないが、その中には片側を赤く塗られた水晶片が支えもなく浮かんではふらふらと揺れている。精霊の導きによって凝り鬼を感知する特殊な器具だ。
冒険屋は数いれど、精霊の力を扱えるのは生まれながらに精霊に愛された申し子だけだ。一行が三流寄りの二流という評価を受けながらなお手強い凝り鬼を飯の種にできるのも、メザーガが強く精霊に愛された申し子だからに他ならない。精霊の力を借りれば、常人とは比べ物にならない身体能力を得られ、凝り鬼の強固な外殻も切り裂ける。優れた申し子ともなれば失われた魔法をも再現するという。
牧人の、それも見習いに過ぎなかったクナーボが曲がりなりにも冒険屋としてメザーガに拾ってもらえたのも、僅かながらとはいえ精霊に愛されていたからだ。
メザーガの一行の面子も、申し子ではないけれど凝り鬼の駆除には慣れた猛者ばかりだ。装備はばらばらでいかにも冒険屋といった風情だったが、みな凝り鬼の外殻を傷付ける聖硬鉄の武器を携えている。ただの鉄では凝り鬼は仕留められないが、教会で祝福された聖硬鉄は恐ろしく高価だ。それをメンバーの全員が揃えている一行というのはそう多くない。貴族の受けが悪く公の評価は低いが、こと凝り鬼相手となれば負け知らずの一流の武辺だった。
クナーボの買い与えられた剣は安物の数打ちだったが、素人が凝り鬼を相手にするなど土台無理であるから、現場の空気を感じるのが目的のようなところはある。もし普通の害獣が出て余裕がありそうだったら相手をさせてもらえるかもしれないが、勿論依頼を優先だ。危険な凝り鬼がいるなら、そちらをまず駆除しなければならない。
牧場で動物の相手に慣れていたクナーボは、猟犬の面倒を任された。牧羊犬とは勝手が違うが、前の飼い主が癖のない躾を施したらしく、素直に言うことを聞いてくれる。名前はナージャといった。するりと長い鞭のような尾がしなやかで美しい。年は食っているが、それだけに案内をすっかり任せてしまえる。
傾きかけた宿に不要な荷物をしまい込んで身軽になり、運搬専門を気取る冒険屋のシーラにチップを払って荷物番をしてもらうことにした。一行の面子は武装と簡単な道具だけだったが、クナーボは他に携行食や回復薬を背負い袋やベルトに吊るした道具入れに詰めてそれに続く。すぐさまに戦闘に移れるよう、冒険屋はこのように荷物持ちを連れることが普通だった。
錬金術師のキャシィとユベルに貰った贈り物も、一応、義理立てとして持っていくことにした。
祝いに貰いはしたが、何やら金属の筒めいたこのお守りは重たく嵩張るし何の役に立つのやらさっぱりわからない。文鎮代わりにするには大きく、飾っておくには簡素すぎる。錬金術師というのはほとほと意味不明な連中だ。いざとなれば鈍器程度には役立つかもしれないが。
全員で簡単な打ち合わせを済ませたら、早速森へと挑む。
クナーボにとっては初めての冒険で、すっかり緊張して強張ってしまうような状況だったが、一行の面子はいたってリラックスしたものだ。優れた感覚で近づく気配にも敏感で、例え近づいてきても十分に対処できるという自信が彼らに余裕を与え、そして決して油断ではない余裕が彼らに最良のパフォーマンスを約束していた。
実際、何度か熊木菟や鷲犬といった害獣に襲われたが、熟練の猛者達にとって物の数でもなかった。餅でもつくように気軽に熊木菟を切り伏せ、縁日の的当てでもするような呑気さで鷲犬の群れを遺さず射抜いてしまった。クナーボはと言えば凍り付いたように強張ったまま、護るように前に出たナージャに尻尾で撫でられて慰められていた。
情けなくはあるが、仕方のないことでもある。
熊木菟といえば獰猛な猛禽の中でも特別危険な手合いだ。普通は四足だがそれでも体高はクナーボより高いし、ぬっと二本足で立ち上がればまるでそびえたつ壁だ。羽毛は硬く分厚い脂肪と合わさって生半な矢では通さないし、太い筋肉は腕の一振りでやわな木々をへし折ってしまう。人間がまともに受ければたまったものではない。
鷲犬とて一頭一頭はナージャと同じような体躯だが、大抵十数頭の群れで獲物を狙う獰猛な害獣だ。鋭い目で森の奥から狙いを定めて、気づかれる前に恐ろしい勢いで押し寄せてくる血に飢えた猛禽なのだ。
それらを足手まといを庇ったままあっさりと平らげてしまうのだから全く一行は只者ではない。クナーボも事務屋としてはあれこれと口煩く言ってきたが、元来同じ舞台に立っていいような連中ではない。まあ感心したからと言って、折角の報酬もすぐに酒に変えてしまうような計画性のない穀潰しどもであることに変わりはないのだが。
小休止を挟みながらの移動中、クナーボも何度か剣を振るわせてもらった。優秀な斥候であり陽気なムードメーカーでもあるガルディストイが、うまくはぐれの獲物をおびき寄せてくれた。相手は小柄な猿猫や螻蛄猪の幼生などでいずれも小物であったが、何しろ剣の振り方が様になるかならないかといった素人であるから、まず相手にならない。猿猫には散々樹上よりからかわれ、終いには頭上に居座られて一行に笑われ、小さな螻蛄猪には剣を振ろうにも低すぎて当たらず、挙句足元をすくわれてそのまま逃げられてしまった。
一方で、一行の弓遣いであるパフィストに手解きを受けた短弓は悪くなかった。狙いはまだ荒いが、何度か試すうちに割合まとに収まるようになった。兎百舌や鼠鴨といった獣も見事仕留め、これは捌いて焼き、一行の腹に収まった。
兎百舌はやや淡白だが、特に腿肉は良く締まり、ぎむぎむと歯応えのある肉は噛んでいる内にじっくりと滋味があふれてくる。
鼠鴨は身はやや少ないが、たっぷり蓄えた脂が美味い。あぶられてぽたぽたと火に落ちてはたまらなく香ばしい匂いを漂わせ、口に含んで歯で噛めばじゅわりとたっぷりの脂がとろけ、さっくりとした歯ごたえの肉と丁度よい。
生まれも育ちも違う面子であるから酒の辛い甘いもパンの硬い柔いも好みの違う一行ではあるが、森で獲れる獣の内でまず最も美味い肉は鴨の類であるというのは誰もが認めることだった。次点は、これはもめた。
肉の多く採れる鹿雉は悪くないとメザーガが言い、珍味としてはパフィストが鶉虫の蛹のとろりとしたクリームのような肉を推した。ガルディストイは冬虫夏草の一種である蟹茸のくにゅくにゅとした歯ごたえを称えた。クナーボも、里でもよく見かける飛行性の二枚貝であるハリシジミなどは地域によって味の違いが楽しめる出汁がたまらないことを語った。まこと森には滋味があふれている。
北国生まれの武僧であるウールソなどは、かなとこの様ながっしりとした顎をさすりながら、熊木菟がうまいとぼそりというものだからこれには猛者ぞろいの一行も驚いた。熊木菟といえば肉は多いが臭みが強く食用には向かないというのが巷説に知られるところである。
血抜きが下手なのだろうなとウールソの語るところによれば、以前旅を共にした山椒魚人が巧みな旅上手で、熊木菟の肉も彼女が捌いて食わせたという。海辺や沼沢地を好んで住まう山椒魚人の癖にずいぶんと手馴れたもので、綺麗に血抜きされた肉は、勿論独特の匂いはするもののまるで臭みというものではなく、冬眠直前ということで脂もよく乗り、斑胡桃の味噌を溶かした鍋は絶品だったという。
人よりも凝り鬼に近いと言われる隣人である山椒魚人と旅をしたというのも全く驚きだったが、恐ろしいばかりの熊木菟がそこまで美味いというのはなお驚きだった。恐らくは猟師達が自分達の楽しみの為に秘密としているのだろう。
とは言え、ウールソも技を学んだというわけではなかったので、やはり熊木菟のむくろは打ち捨てるほかなかった。
そのような小休止を繰り返し、何度かの襲撃を返り討ちにするのを見て、クナーボがようやく慣れてきたころ、今度は一行の面子の方が緊張を強め始めた。
凝り鬼が出たのだ。
まずメザーガが感知して、素早く手信号を示した。敵は一つ。正面から。矢をつがえ、槌を構え、杖を手に祈祷に備え、一行が待ち構えた。
やがて木々に紛れるようにゆらりと黒い影が躍り出た。ふらふらと宙を漂う姿は、とても自然の生き物とは思われない不気味なものである。渓谷の空魔遣い達の従える空魔達もまた異形ではあるが、凝り鬼の様な不気味な気配はない。黒くのっぺりした鞠に、それを引き裂くような大きな口のついた異形で、がちりがちりと不吉に歯を鳴らしながら、鬼火のような薄暗い光を放って漂っている。一行を窺っているのだろうか。
しばらくにらみ合いになるかと思われた沈黙を破ったのは、これもまた凝り鬼だった。きりきりと不気味な音を立てて大きく口を開けたかと思えば、激しい金属音に続いて不意に付近の木肌が爆ぜた。
「伏せてろ!」
メザーガの手にいつの間にか抜身の剣があった。凝り鬼が口から小さく鬼火を吹くと、メザーガはその剣を鋭く振るい、そしてまた金属音が鳴り響き、近くの茂みが引き裂かれる。
何かしら凝り鬼が恐ろしい速さで吐き出したものを、剣で弾いたのだった。恐るべき早業である。
悪名高い凝り鬼の毒矢だった。凝り鬼が吐き出すという目にも止まらぬ恐ろしく速い毒矢で、人間があれに当たれば、ただの一吐きで挽肉になってしまうだろう。
メザーガはその死そのものでしかない毒矢を軽々と切り払い、一歩一歩着実に距離を詰めていった。そして凝り鬼が離脱しようとしたのか、口を閉ざしたその瞬間、獣のようにしなやかに飛び上がり、銀一閃、聖硬鉄の刃が凝り鬼を真っ二つにかち割ってしまった。
どすんと地に落ちた凝り鬼の体は、すぐに泡の様に崩れ溶けて、地面にしみこんでしまう。時がたてばあれはやがてまた凝って集まり、鬼となる。しかしそれには時間がかかる。その時間稼ぎが冒険屋の仕事だと言ってもいい。
「こいつは斥候みたいなもんだな。親玉がいるはずだ」
探すぞ、と短く告げて、メザーガは颯爽と森の奥へと踏み出していく。一行もそれに続き、力強く歩んでいく。
クナーボはその背中を何だか不思議な気持ちで追いかけた。目には見えない何かしらの力がその背中に漲っているように思えた。これが普段酒場で管を巻いて膝の痛みと逃げた女房と下の緩みに悩んでいる中年共だと知っているので、そこはかとなく切ない気持ちにはさせられたが。
何度かの凝り鬼の襲撃を危うげなく退けて、精霊の導くままに森の奥へ奥へと踏み込んでいく。日が中天を越えて傾いてきた頃には村の猟師達も立ち入らない深みに入ったらしく、猟犬ナージャも神経質に鼻を鳴らしながら歩みを慎重なものに変えた。
昼過ぎとはいえ、日の光の遮られた森の中は薄暗く、しかし湿った空気は濃密な生命に満ちていた。影と湿りとまつろわぬ者達の息遣いが支配する世界だ。人の生きる世ではない。それどころか獣達の世界でももはやなかった。凝り鬼の斥候が増えるにつれ、獣達は姿を消した。虫達の鳴き声も絶え、心なし木々さえも身を縮めて葉擦れを堪えているように思えた。猟犬ナージャも恐れて進まなくなり、仕方なく置いていくほかなかった。異界に迷い込んだ気持ちで、クナーボははぐれぬようにおっかなびっくり男達の背中を追った。
やがて不意に視界が開けた。木々が途絶えたのだ。森の帳を抜けて日の下に出ると、その理由はすぐに知れた。
「……これ、聖硬石だ」
足元は真白な石で覆われていた。のっぺりとしたそれは一見ただの石材にも見えたが、継ぎ目もなく恐ろしく正確に平らに広がること、また試しにナイフの先で引掻いても鉄の方が欠けるほどの硬さといい、間違いなかった。
聖硬石は旧世界から残る恐ろしく頑丈な石だ。壊せない訳ではないが、まるで割に合わない。木々の根も割り入る事ができない。東方にあるという遺跡の上に作られた都市は、聖硬石の壁に守られて何百年と蛮族の侵略を防いでいるという。
ここもそのような遺跡の一つなのだろう。
視線を先に投じれば、いにしえに打ち倒されたという天塔の類なのだろうか、聖硬石造りの建物が、半ば崩れかけながらそれでも聳えていた。
嘗ての偉容を偲ばせるものはなく、今はただ崩れ落ちた瓦礫の山が、世界を滅ぼした神々の怒りを今なお傷痕として残すばかりだった。
クナーボがその古の文明のむくろに目を奪われている最中も、一行は油断の一つもしていなかった。遺跡と凝り鬼の組み合わせは、あまりよい想像には至らない。
そしてその悪い想像は得てして当たるものだ。
一行がゆっくりと崩れた塔に接近すると、
クナーボがひっと喉の奥で息をのみ、一行も緊張に身を強張らせた。
そうだ。
「凝り鬼だ」
メザーガが唸るように呟いた。そうだ。凝り鬼だ。それも人知れず凝っては沸く小物ではない。太古の頃より生き延びた人知の及ばぬ魔物だ。
凝り鬼は死ねば泡となる。形を残しているということは、
傍らには同じように瓦礫に打ち付けられた枯骸が、虚ろな眼窩をそれでもなお凝り鬼に向けたまま朽ちていた。想像もできぬほどに栄えた文明のいにしえの戦士でさえ、こうして相打つのが精いっぱいだったのだろう。
「に、逃げようよ……」
クナーボが魂の抜けるような力ない声でつぶやいた。そうだ。何より逃げるのが賢い選択だろう。このような古来種の伝説は決して少なくない数が報告されている。しかしそれは、伝説と呼ばれるに相応しい災厄なのだ。伝説に相応しい担い手が、新たな伝説として討伐すべきものだ。
「駄目だ」
しかしメザーガは剣を構えた。
「恐らく周囲の凝り鬼はこいつにつられて沸いたんだろう。こいつがいる限り凝り鬼は沸く。凝り鬼どもが活発になっているということは、こいつの復活の時が近いということだ。ここで仕留めにゃならん」
「で、でも僕らでなくてもいいじゃないか! こんなの、逃げたって仕方ないよ! 誰か他にもっとふさわしい冒険屋が、」
「誰もがそう思ってる」
磔の凝り鬼へと厳かに歩み寄るメザーガの剣が燐光を帯びる。精霊の加護だ。
「きっと誰かがどうにかしてくれると誰もが無責任に思ってやがる。当事者でさえ誰かどうにかしてくれと願うばっかりだ。言っただろう、クナーボ。その誰かが俺達だ。その時が今だ。その相手がこいつだ」
俺達は冒険屋なんだ。
そう言って掲げられた剣を残して、冒険屋メザーガの胴体は四肢も残さず爆ぜた。粉々に砕けた血と肉と骨とが呆然としたクナーボに降りかかった。
耳が聞こえなくなるほどの轟音だった。
目をおおいたくなるほどの惨状だった。
肌が泡立ちふるえるほどの恐怖だった。
一拍遅れて、守護の祈祷を捧げんと杖を握り締めた武僧ウールソの巨体が腰から下を残して爆ぜた。
素早く射かけた弓遣いパフィストは、その矢諸共に血煙となって散じた。
野伏ガルディストイは少しもった。飛来するなにがしかをかろうじて腕一本を犠牲にかわし、呆けたように突っ立つクナーボを突き飛ばしてこれを庇った。代償はそうしてまっすぐ伸ばした腕以外の全身だった。
クナーボが次の呼吸を思い出したように始めるまでの間に、歴戦の凝り鬼殺し達は肉塊となり果てて地に散らばった。
咄嗟に腰の道具入れからいざというときの回復薬を取り出したが、しかしそれをどうしろというのだろうか。瀕死の重傷さえ癒す最上級のエリクサーは、しかし死人を生き返らせることなどできはしないのに。
少し遅れて、吹き飛ばされたメザーガの剣がむなしく地面に落ちる音を聞きながら、クナーボは力なく回復薬の瓶を取り落とした。割れた瓶から同じ重量の金よりも高価な薬剤がとくとくと流れ落ちるのを聞きながら、クナーボが思ったのは最後の昼餉の鼠鴨の味だった。あれが最後の食事となるのだろうと。
己を磔にする杭をぶちぶちと引き抜きながら、具象化した死がその身を起こした。
空を割る咆哮が、クナーボの全身から生存への希望を奪い去っていった。
センサーは接近する生体反応を五つ確認していた。比較的大型の生物だった。そしてその先頭のひとつは詳細の解析できない不可解なエネルギー反応を示していた。
不明反応に対して
不明エネルギー反応の消失を確認した
一つ目の対象の記録最低値以下の脆弱さから敵生体の強度を再計算し、砲弾を再形成。重カルシウム弾殻に超高圧メタン系ガス炸薬が封入され、省エネモードで分泌された液体装薬が砲弾を順次砲撃。
二つ目の比較的大型の標的は
三つ目の標的は艦載機発艦用カタパルトと思しき器械的装置による攻撃を試みたため、射線を調整し艦載機諸共に撃破。武装の分子変換・再構築を妨害。
四つ目の標的による近未来事象変異を確認。戦術アルゴリズムに従い数学的因果調整を照準に加算し再度の砲撃。これを撃破。
五つ目の生体反応は静止状態にあり、高度に錬成された金属兵装は見られなかったものの、微弱な不明エネルギー反応を帯びていた。保有していたなんらかの化合物を放棄したがその意図は不明であった。
歩行適応が途中のままであった脚部を使用して超硬コンクリートの足場に着地。給排気口が周辺大気を取り込み、高圧をかけて吐き出して修復時に副次的に生成された老廃物を排出する。
クアド・リアクターの回転数を上げていき、広域センサーによって貪欲に周囲の環境情報を取得し、戦術脳をアップデートさせていく。
そして。
そして、恐怖に絶叫した。
二度の咆哮に腰を抜かして座り込んだクナーボに、しかし凝り鬼は目もくれなかった。巨大な歯をがちがちと打ち鳴らしながら、怪物はむしろ距離を取るように後ずさってすらいた。
困惑するクナーボに、そいつはいっそ呑気とも思える声をかけたのだった。
「くぁ、あ、あ。おうい、そこの小娘。いまなんどきだ」
「え、あ、え」
「うん? なんだ。通じてないのか?
傍らに女が立っていた。
すらりと背の高い女だった。
すっと鼻筋の通った力強くも美しい顔立ちで、均整の取れた体つきはしかし、女性的な嫋やかさというよりは、その張りのある皮膚の下の縄のような筋肉を思わせた。
黒々と長い髪は風にあおられながらも乱れることがなく、鬱陶し気に払われ流れる様さえ一枚の絵画のようだ。
戦の女神というものが実在したならば、或いはそのような姿を取ったかも知れない。
「随分寝た気がするな。どこだここ。まさか呑み過ぎて外で寝てしまったか?」
その極めて残念な言動と、惜しげもなく全裸を晒して尻を掻くという極めて残念な行動さえなければ。
「いや、あの、なに、え? なんなのあんた?」
「何だ通じるではないか」
「なに? 何なの?」
「何だとは何だ。見ての通り私だ」
「何なんだよあんたァ!」
クナーボは頭を抱えたくなってきた。初の冒険の筈が凝り鬼の親玉みたいのは出てくる、かと思えば頼りの仲間は皆殺し、人生終わったと下腹部が生暖かく濡れてきたところにこの頭のおかしい痴女だ。
僕が何をしたのか、クナーボは祈ろうとしたが生憎と祈る神を知らなかった。教会で崇められている戦乙女達など結局現実の救いに等ならないといつも思っていたからだ。そして結論から言えば祈らない方がマシだというのは事実だった。その祈られる対象こそがとどめにやってきた
「わっかんないかなあ! ピンチ! 今ピンチなの!
「コゴリオニって何だ」
呑気に腹を掻きながら訪ねてくる謎の痴女にただ指さすことでのみ応えんと振り返れば、そこには、あの背筋も凍らせ魂も吹き消すような、ような……
「……
聖硬石の壁に支えられるようにずりずりと情けなく後退していくあわれな怪物の姿。
「おお、なんだ。駆逐艦か。深海棲艦か」
痴女は合点がいったという風に頷いた。そしてそれからおもむろに、獰猛に歯をむいて嗤った。
「つまり敵だな。敵だ。おお、よかった。ちゃんと敵がいるぞ。つまり私も私の戦争もまだ終わっていないわけだ! 何しろ戦争が終わったら私は無職だからな。手に付けた職なんて戦争しかないから助かった」
しかも心底安堵したように言うものだからクナーボは今度こそ頭がおかしくなりそうだった。いや、すでにこの全裸の傍若無人に慣れつつある辺り大分おかしくなってきているのか。
自身の正気を疑うという贅沢な時間の使い方は、しかし後に回した方がよさそうだ。
女は我が物顔でうろつき、メザーガの剣を取り上げて、まだしっかりと握りしめていた手首をぽいと放り捨てるや、無造作に素振りなどしている。
「フムン、特殊モリブデン鋼か。よっ。悪くはないが、はっ、随分粗いな。ふんっ。邪魔だな。艤装が生きてればよかったんだがなあ」
真実頭がおかしくなりそうな光景だった。
この女はあれと、あんなものと戦おうとしているのだった。そしてそれがさも当然だとでもいうようだった。
そしてそれは本当に当然なのだった。
容赦なく凝り鬼の見舞ってくる強烈な破壊の吐息を、この女は素振りのついでに軽々と切り払っているのだった。
「おうい、なんか他に武器ないか。鈍器とかでもいいが」
腹を空かせた子供が、お母さん何かなぁい、とでも聞いてくるかのような気楽さである。
なんだか夢でも見ているように呆然と働かない頭で、クナーボはぼんやりとその言葉を聞いて、のそのそと鞄をあさった。その間も途切れなく聞こえてくる轟音に、麻痺した心が自分は何をやっているのかと冷めた疑問を投げていた。
果たして鈍器はあった。
何やら金属の筒めいたこのお守りは重たく嵩張るし何の役に立つのやらさっぱりわからない。文鎮代わりにするには大きく、飾っておくには簡素すぎる。
錬金術師のキャシィとユベルが初冒険のお祝いにと作ってくれたそれは、強いて言うなら巨人の指か、或いは金属製の杭のようにも見えた。
クナーボがそれを転がすように放り投げると、女は骨付きの肉を放られた犬のように喜んでそれを拾った。
「おお、あるではないか、私好みのが」
女はしっかりとそれを握り締めるや凝り鬼に先端を向け、その尻の部分に拳を向けた。
「ちょこっとずつなんて躊躇すると却って良くない。ちょこっとずつ何回も叩くとずれるからな。 こうと決めたら思いっきり殴りつけるんだ。狙いが正確じゃあなくなるし、何より格好良くないからな。こんな風に、なッ!」
女の手から雷が奔った。様にクナーボには思われた。
いっそ哀れになるほど無残に呆気なく一方的に、あれほど強固に思われた凝り鬼の外殻が、膨らんだ風船を針で突いたように爆ぜ、無残に泡状分解していく。
悪い冗談のように全てを全て台無しにした破壊の原因を、確か、あの不思議な錬金術師達はこう呼んでいたはずだった。
つい数分前まで家族のように自分を愛し、慈しみ、護ってきてくれた冒険屋一行の血と肉と骨とによってできた泥のただ中でうずくまったまま、クナーボはぼんやりと繰り返すことしかできなかった。
「なんなんだよ、あんた……」
「何だとは何だ。起こしたのはお前だろう」
何の話なのだ。いったい何の話だというのだ。
視線を落とした先に、クナーボはきらめくものを見つけた。血と肉と骨にまみれながら、きらきらと輝く破片を。ガラスの瓶の、破片を。
それはクナーボ自身が取り落とした回復薬の瓶だった。
「古代の……戦士……」
「艦娘だ。名は……」
「ナージャ! はやくー!」
「
「だって言いにくいんだもん」
母音過多の奇天烈な名前をした、図体ばかり大きくて面倒事しか持ってこない拾い物に、クナーボは改めて鉛の様な溜息をこぼした。
ようやく宿から出てきたナージャはもう全裸ではなかったが、この田舎では丈の合う服が手に入らなかったので、亡きウールソの僧衣を拝借して着せていた。その大柄の武僧の服だって、横はともかく縦にもいくらか寸足らずなのだから全く無駄にでかい。そのくせちょっと見ないくらいには見目がいいのだから、十八になってもまだ出るところが出てこず、針金が服を着たようなクナーボとしては納得がいかない。
ずいぶん待たされた御者席のシーラは黙って日よけの帽子を目深くかぶり、まだですかと無言の圧力をむけてくる。
「ほら、早く乗った乗った」
「わかったわかった」
まるで子供でも相手にするように仕方がないと溜息を吐かれるのだからクナーボとしては腹立たしくて仕方がない。そもそもすべてはナージャが物珍しがって村を巡ってあれこれ勝手に触っては壊して回ったせいで出発が遅れているというのに。
来た時よりずいぶん減った冒険屋一行を乗せて、馬車は勢いよく街道へ飛び出していく。今日は天気も良いから、距離を稼ぎたかった。
空は高く、日は輝いて、秋風が少し肌寒く頬を撫でる。
詩人も高らかに歌いだしそうなお日柄に、しかしクナーボはげんなりと荷物の整理を繰り返した。手を動かしていなければ、どんどん悪い方へと考えてしまいそうだ。何しろ算盤仕事ばかり達者な三流冒険屋を残して頼りの小父達はみんな死んでしまった。依頼料は手に入ったけれど、ナージャが壊した水車や小屋の修繕費で飛んで行ってしまったし、今後自分が請けられるような依頼の額の小ささを思えば先行きは不安で仕方がない。
ついでに言えばそんなクナーボの不安などどこ吹く風で、身を乗り出して馬車の外の景色を子供のように眺めるナージャの存在もまた憂鬱だった。
現代によみがえった古代の戦士で、凝り鬼も平気で平らげる人の形をした化け物だ。それも最悪なことに自分が監督責任を持ってしまった。
どうしたものか。
何も考えていないような背中が恨めしい。
「ただのド田舎でしょ。楽しい?」
「ああ、楽しいとも。何もかも終わってしまったと思っていたが、終わった後にもこんな続きがあったのだな」
しみじみと言われると、返事に詰まった。
喜々として全裸で暴れて、子供のようにあちこちうろつく姿ばかり見ていたが、しかし、そうだ、彼女はもうずいぶん昔に滅んでしまった世界の人で、そして彼女の知る世界はもうどこにもなくて、世界の方でも彼女を知る者なんて誰一人いないのだ。
それは、なんだかとても寂しいことのように思えた。
けれど
「何だかご褒美でも貰った気分だよ。ああ、素晴らしきかなこの世界!」
歌いだしそうな位に陽気に言い放ち、そして実際に調子っぱずれの鼻歌を口遊み始める。それは聞いたこともない旋律で、馴染みのない音色で、そして底抜けに明るい、今はもうない歌なのだった。
少しだけ、そう、少しだけ、面倒を見てやってもいいかもしれない。
その決意を生涯後悔することをクナーボはまだ知らない。
そしてナージャを連れて行った先で、錬金術師を営む