──ボクね、大きくなったらおじさんと結婚する! だから誰とも結婚しないで!
恥ずかしげもなく、本心からそんな事を言ってのけた
おじさん──まあ、当時は20代だったけど──は駄々をこねるボクを見て、困ったようにしながらも、わかったわかったと言ってその大きくてあたたかい手を頭に置いてくれた。
しばらくしてからおもちゃの指輪をプレゼントしてくれたり、「大きくなってもそれを持ってたら考えてやる」なんて言ってくれたりで、ボクは凄く、ものすっっっごく嬉しかった。
終いには、おじさん以外の人なんて好きになったりしないよ! なんて言った覚えもある。
おじさんはボクから離れないし、ボクもおじさんといつも一緒に居ると信じて疑わなかった。でもずっとそのままで居られる筈もない。
──おじさんがトレーナーに転職してから、あの人はボクに言ったんだ。「とあるウマ娘の担当になった、暫く会えなくなる」って。
ボクは当然荒れた。荒れたし泣いたし暴れたし丸一日おじさんの背中に引っ付いた。
それでもおじさんの仕事の邪魔は出来ないし、自分のワガママに付き合わせて困らせたくない。だから、ボクは渋々おじさんを見送った。
──それから毎日、何度も、ボクのおじさんを取ったヤツは誰なんだって、そんな事を考えながらボクはレースの中継を見ていた。弱かったら許さない、負けたら許さないなんて、生意気なことを考えたのも今となっては懐かしい。
──そしてボクは、目を奪われた。おじさんの担当していたウマ娘は、なんと無敗での三冠を成し遂げたのだ。
おじさんの育て方が上手いのかもしれないけど、それ以上に、あのウマ娘が──シンボリルドルフが強いことは当時のボクでも理解できた。
あの強さに惹かれて、なによりおじさんに会いたくて、ボクはインタビューの現場に突撃して彼女に問答をしたこともあった。ボクが絶対にあの人と──カイチョーと同じ無敗の三冠ウマ娘になると誓ったのは、あの日が最初。
……それで、勝手にインタビュー兼記者会見の現場に突撃したことを、偶然予定が重なったのかその場に居なかったおじさんにあとで電話で怒られたのも生まれて初めてだった。
──でも、おじさんは約束してくれた。「ル……ドルフとの契約が終わったあと、お前が中央のトレセン学園に来たら担当してやる」って。「まっ、お前アホだし無理だろうけどな」って。
……むきーっ!
──なんてこともあったなあ。
とかそんな事を考えながら、あれから数年後。ボクは選抜レースのゲートに入っていた。
シンボリルドルフことカイチョーが
観客席には座ってるトレーナーがいっぱい居て、ボクたちウマ娘をじっと見ている。
おじさんも居るかな……って思ってキョロキョロ見回したけど、見つけられないままレースが始まってしまった。意識を切り替えて、開いたゲートを押し退けるように飛び出す。芝の距離2400m。中距離は──ボクの独壇場だ。
ラストのスパートで逃げのウマ娘も、追込で迫っていたウマ娘も全てぶっちぎって、2バ身以上突き放してボクはゴールする。
急ブレーキを掛けないように速度を落としつつ、ぐるっとレース場を回ってボクは新人トレーナーたちの前で足を止めると、ボクの耳に歓声が届いた。わっと声の壁みたいな圧が来て、ちょっとびっくりしながらも一人ずつ対応する。
『どこであんな走りを?』とか、『是非ともうちに来てくれ!』とか、ボクを中心にドーナツみたいに輪を作るトレーナーたちは、なにがなんでも自分のチームに引き入れたがってるみたいだった。だからこそ、ボクはある質問をした。
「──ボクの夢は無敗の三冠ウマ娘だけど、みんなはボクにその夢を見せてくれるの?」
そう、ボクの夢は、カイチョーと同じ無敗の3冠ウマ娘。ボクと契約したいというのなら──トレーナーにも相応の覚悟を求める。
──でも、ボクの言葉を聞いて、新人トレーナーたちは渋い顔をした。
……それも当然だ。無敗の三冠ウマ娘になりたいということは、ボクに『次のシンボリルドルフを生み出せ』と言われてるってこと。
ボクを見るトレーナーたちの顔からは色々と読み取れる。無理、傲慢、生意気。だんだんと、ボクの周りからトレーナーが離れて行く。
……ふーんだ、みんな分かってないんだからなー。それにしても、おじさんって本当に中央に来てるのかな。もしも中央のトレーナーライセンス持ってないとかだったらどうしよう。
カイチョーに相談してみようかなあ、なんて考えて、離れていくトレーナーたちに踵を返してもう1レースしようかって思ったら。
「──なれるぞ、無敗の三冠ウマ娘」
「────っ!!」
ふと、そんな声が聞こえてきた。ボクは思わず振り返ろうとして、足を止める。昔から聞いてきた声が更に低くなっていたけど、それでも絶対に聞き間違えたりなんてしないあの声。
ずっと、ずっと会いたかった人の声に、ボクの返した声は上擦っていた。
「ふ、ふぅん、じゃあ言ってみてよ、ボクの強み。さっきのレース見てたんでしょ?」
「そうだな……お前の武器はもちろん脚だな。それも関節の柔らかさがあの速さを生んでいる。下手を打てば骨折の危険性もあるが、俺なら引き際を誤って怪我をさせるなんてしない」
「……よく見てるじゃん、もしかして、ボクのファンだったりするのかな?」
振り返れない。振り返りたくない。
こんなニヤけた顔を見られたら、恥ずかしすぎて爆発しちゃう。頬がカーッと熱くなって、心臓はバクバクと鳴っている。
「そりゃあな。まあ……なんだ、ちょっと見ない間に随分と大きくなったな、テイオー」
「っ……おじさんっ!」
──やっぱり無理だ。
やっぱり、我慢なんて出来ない。ボクは、ばっと振り返っておじさんの胸に飛び込んだ。
「なんですぐ来てくれないんだよぉ!」
「30代のおっさんが若手トレーナーに混じってたら悪目立ちするだろ」
「もー! もーっ!」
ゴンゴンゴンと頭突きするように押し当てて、顔をおじさんのヨレたワイシャツにうずめる。すうーっと匂いを嗅いで、肺をおじさんの香りでいっぱいにする。きっと普通なら、ボクくらいの年頃ならおじさんの匂いなんて嫌なんだろうなぁって思うけど、ボクにとっては実家の畳の臭い的な安心できるモノなんだ。
「そんじゃ、契約用の書類にサインしないとな。ほら、テイオーの名前書き込め」
ぐいっと肩を押されて離れると、おじさんはボクに紙を挟んだボードを渡してくる。
「ふっふーん、『む、は、い、の、トウカイテイオー様』っと!」
「バ鹿、書き直せ」
「え──っ!? 駄目なの!? 将来的には名乗るんだからいーじゃーん」
「将来的には、な。今は普通のトウカイテイオーなんだから、普通に書いとけ」
「ぶー」
渋々と紙に書いたボクの名前を書き直し、返──す前に、おじさんに言った。
「おじさんの名前ってなんだっけ」
「オイ」
「……だってボクずっと『おじさん』って呼んでたんだもん。そういえば名前で呼んだこと一回もなかったなーって思い出したの」
「……ったく」
ガリガリと頭を掻いて、呆れた顔をしながら、おじさんは改めてボクと向き直る。
そんなおじさんの胸元と、ボクの左の小指で、安っぽいプラスチックのリングが輝いていた。
「一回しか言わねえからよーく聞いて覚えろよ? ……俺の名前は────」
・ルドルフと契約していた当時は20代後半、テイオーと契約した現在は大体30代前半。
無敗の三冠と七冠を達成したシンボリルドルフを育てたある意味伝説的なトレーナーだが、当時から記者もカメラもルドルフの方に注目を向けていた為、つい最近中央に来た新参の若手トレーナーは和の顔や名前を知らない。
結婚の話はたかがガキんちょの口約束だからと雑に返事をしていたが、テイオーが本気なら自分も真剣に応えないといけないと考えている。
トレーナーとしての才能はそれなりにあり、現在はトレセン学園で会長をしているルドルフからの信頼も今尚昔と変わらずかなり厚い。
トウカイテイオー
・幼い頃から自分の傍に居た和に、淡くも純情な恋心を向けているウマ娘。
和を横取りしたウマ娘(ルドルフ)に対して嫉妬しつつ敵視もしていたが、無敗の三冠を成し遂げたその実力に惚れ込んで、自身も無敗の三冠を成し遂げようと決意する。
本作におけるテイオーはかなりプライドが高く、仮に和以外のトレーナーと契約していても、自分の実力を引き出せないようなら容易く契約を切っていただろう。今ではルドルフも和も両方好きではあるが、ルドルフが直感で自分のライバルであると察している。恋はダービー。