白鳥歌野は勇者ではない 作:新キャラふたりは「騙して悪いが」枠
SF系の作品にはたいてい、時間遡行が絡んでくることが多い。
そうなると避けては通れない問題がある。
タイムパラドックス。
その最も有名な例は『親殺しのパラドックス』だろう。
もし子供が過去に戻って親を殺した場合、必然的に子供は未来に生まれることはなくなる。そうすれば親を殺した子供という存在が消えるはず。ならば逆説的に親を殺した自分という存在の整合性が保てなくなるという矛盾を生む例えである。
だから、過去を変えると未来にどれだけ影響を及ぼすのかわからない。
その結果、ふたりの時代の遥か先に生まれるであろう勇者たちの人生を大きく変えてしまうかもしれない。いや、そもそも生まれてこない可能性すらある。
しかしその勇者たちは言った。
「思いっきりやっちゃって! それがどんな結果になっても、私達は受け入れるから!」
勇者適性値がずば抜けているという結城友奈から力強い肯定の言葉をもらった。
彼女たちは勇者たちの中で一番先の歴史にいる少女たちだ。つまり、過去を変えた場合、最もその影響を強く受けてしまうのだ。
神世紀組の全員が頷くのを見て、白鳥歌野が微笑む。
「ありがとう、皆。私は必ず過去を変えて、未来をも変えてみせるわ」
神世紀組の全員に挨拶をした歌野は、続いて西暦組に目をやる。
「じゃあ棗さんは杏とタマちゃんに任せるとして、私と歌野と水都は計画通りにってことで。ちゃんと頭に入れてるよね?」
そう念入りに確認してきたのは雪花だった。
雪花は以前、現実世界に帰らずにずっとこの異世界で楽しく暮らしたいと主張して一度はぶつかったことがあった。
しかし折衷案として、『来るときが来れば大人しく帰る』が受け入れられた。
そうして造反神という虚構の敵を乗り越え、さらに中立神から与えられた試練も乗り越えた。その報酬として、記憶の持ち帰りが許可された。
今の勇者たちなら、必ず歴史を変えられる。
そう誰もが確信している。
歌野は、数日に渡って西暦組たちだけで行われた会議の内容を思い出しながら言った。
「もちろんよ! これはとっても大事なことだから忘れるはずないわ! それにもし忘れてしまったとしても、みーちゃんに記憶を補ってもらえばいいんだから大丈夫!」
「忘れちゃだめだようたのん」
愛しのパートナーから冷静なツッコミを頂戴した歌野は朗らかな表情から真剣なものへと改める。
「……冗談よ。完璧に覚えているわ。何一つ取りこぼしはない」
「ならよし」
安心そうに頷いた雪花が両手を腰の位置に置くと、丁度全員の退去が始まった。歌野と水都を含め、全員が黄金の粒子へと置換されていく。
別れの時が目前まで近づいている。
「……歌野」
乃木若葉が歌野の前に立つ。
「若葉……」
若葉は口惜しそうにくしゃりと顔を歪ませた後、とん、と歌野の胸に自身の手を押し当てた。
「私は丸亀城から離れられないが……友奈と千景が必ず迎えに行くから、どうか……」
「…………」
「どうか、死なないでくれ」
縋るような祈り。
歌野の脳裏に、様々な記憶が一瞬にして駆け抜けた。
何年もずっと、この異世界で暮らした記憶。猛烈に馬鹿をやった記憶や楽しかった記憶。もちろん嫌なことも苦しいこともあった。
でもそうしていく中で、勇者と巫女たちの心は間違いなく成長したと言える。
若葉への激しい嫉妬に燃えていた千景は今ではすっかり打ち解けているし、勇者になれず、夏凛に対して劣等感を抱いていた芽吹もこれを克服し、夏凛と事あるごとに突っかかって切磋琢磨している。
死んだはずの銀との再会のせいで心をかき乱していた東郷と園子も、きちんとふんぎり、あるいは落とし前をつけた。
最年長組だとつい先日、一番誕生日のはやい風が20歳を迎えた。外見は成長しないおかげで中学生のままだが、すでに立派な大人である。
それは歌野たちにも十分当てはまる。
もう、子供はこの勇者部に一人もいないのだ。
これまで若葉とはうどんと蕎麦とで何度も衝突してきた。結局最後まで白黒はっきりすることはなかったが、それでいいと歌野は思った。
またあの論争がしたい。
くだらないと周りに思われてもいいから、またこの人と日常を送りたい。
「ええ、もちろんよ。そして、今度こそ蕎麦の方が素晴らしいことをわからせてあげるわ!」
すると若葉は喉が詰まったような音を漏らして固まらせ、すぐさまシリアスさが白い湯気となって蒸発した。
「な、なんだと⁉ それは無理な話だ! なぜならうどんの方が――」
と、そこまで言いかけて若葉の姿は、完全に消えてしまった。
「あー……」
と三秒ほど引き延ばした歌野は、
「なんてこと」
と続けた。
そう言っている間にも次々と皆の退去が連続する。
もちろん歌野の身体も分解寸前だ。
「――うたのん」
その呼び声に、歌野は首を横に振った。
そこには我がパートナーであり、勇者の力を見出してもらった藤森水都が瞳を煌めかせながらこちらを見詰めていた。
歌野は無言で水都の白くて小さな手をしっかりと握った。
これからふたりに訪れる災厄。滅びの運命。死の運命。
その恐怖は計り知れない。
だからこそ。
「大丈夫よみーちゃん。私達は、絶対に生き残るわ」
「……うん」
歌野はぎゅっと水都の手をいっそう強く握りしめた。
長い時間をかけて、あらゆる策を練った。
あらゆる可能性、あらゆる状況、あらゆる失敗。
そのすべてを考慮した、この上なく完璧な作戦。北海道から沖縄までの全員を救う手立て。
だから大丈夫。絶対に大丈夫。
そう、安心させるようにふたりは互いの顔を見合わせ、微笑みながら異世界から退去したのだった。
◆
まず歌野が感じ取ったのは、鼻腔を刺激する、懐かしい土の香りだった。
「うたのん」
手は握られたままだった。
歌野が薄っすらと瞼を持ち上げると、そこには絶対に忘れるはずのない、日本百景を編纂するなら必ず採用されるであろう絶景が広がっていた。
隣の水都が歓声を上げる。
無理もない。ここは懐かしい、諏訪の大地。
ふたりが立っていてるのは諏訪湖を一望できる、特等席。
諏訪大社の上社本宮に近い山の麓からの景色は、ふたりが元の世界に帰ってきたことをしっかりと自覚させるには十分だった。
「……帰って、きたのね」
歌野がそう呟くと、水都は声を震わせながら答えた。
「うん……!」
そのままふたりは数分ほど景色を眺め続ける。
時刻は昼過ぎくらいで、おそらく畑に行けば農作業している人たちに会うことができるだろう。
しかし、第一にするべきことはそれではない。
まずするべきことは、今日が何月何日であるかを把握することだ。
さすがに異世界に召喚されたときの日は昔過ぎてふたりとも正確には覚えていない。
諏訪が滅びるとされる日は事前にひなたから聞き及んでいるため、それまでに作戦を開始するための下地を作らなければならない。
向かう場所は、上社本宮の参集殿だ。
そこに設置されている通信設備で四国と通信し、帰ってきたことを伝えるのもしなければならない。
駆け足で参集殿に向かう中、行き違うおじいさんから今日の日にちを聞き出す。
「んん〜? 今日は九月一日だよぉ……」
ほわんほわんとした返答が返ってきて、ふたりは胸を撫でおろす。
ひなたに伝えられたタイムリミットまでの猶予は充分とはいえないが、今からでも間に合わせることは可能だ。
参集殿に入ったふたりは昔を思い出しながら通信設備の動作確認をして、四国に通信を始める。
「繋がるかな……?」
水都がパイプ椅子に座る歌野の後ろにまわり、不安げに通信機を眺めて肩に手を置く。
基本的に四国と通信を行うのは、定時連絡の時のみだ。
それ以外の用途、つまりプライベートな通信は普段行わない。当時から若葉とは仲が良かったが、互いにそんなことに時間が割けるほどの余裕はあまりなかった。
しかし、若葉たちも帰還しているのならば、必ず反応してくれるはずだ。
「……若葉なら絶対に出てくれるはずよ」
と歌野は水都と自分を安心させるように呟き、ダイヤルを回して周波数を合わせる。
ぎゅるぎゅるとノイズが混じるが、間もなくそれは落ち着いた。
スマホのようにコール音が鳴ることはなく、向こうが出るまでただ待ち続けることしかできない。
手に汗を滲ませながら、歌野は受話器を耳元に強く押し当てながら懇願した。
そして。
ガチャリと向こうで受話器を取った音が聞こえた。
『もしもし――
……違う。
はっ! と弾かれたように水都が顔を上げ、歌野と見合わせる。
この若葉は異世界に召喚される前の若葉である可能性が非常に高い。
だがそうと決めつけるのはまだ早すぎる。向こうももしかしたら帰還者ではないかもと勘ぐっている可能性があるからだ。
「もしもし乃木さん、歌野です。突然の通信で申し訳ありません」
『構わないさ。でもまだ定時連絡の時間ではないはずだぞ。どうしたんだ?』
相変わらず武士のような物言いに思わずくすりと笑ってしまうが、すぐさま歌野は表情を改めて、あるおまじないを告げた。
「『私たちはここに。私たちは未来を掴む、踏破者たち』」
それに対する若葉の返事は――。
『ん? 何を言っているんだ? んー、あーでも、私より一つ上の郡さんって人がいるのだが、あの人なら好きそうなフレーズだな』
確定だ。
この若葉は、召還前の若葉である。
今歌野が口にしたのは、所謂合言葉だ。
帰還者であることを互いに確認し合うための唯一の方法。
あらゆる可能性について異世界で話し合い、すでにこのような話題も上っている。
それは、諏訪組と四国組との間に存在する時差。
諏訪組は滅亡前なのに対し、四国組は諏訪の滅亡後、初陣まで経験した後に召喚されている。
つまりこの瞬間、異世界で綿密に話し合っていた計画を若葉たちとは一切共有できないことが確定した。
しかし歌野も水都も焦らない。これは非常に可能性が高いと当時から危惧されていた事態だった。
「……気にしないでください。それよりもそちらの調子はどうですか? 他の勇者たちと仲良くできていますか?」
適当に茶を濁した歌野は質問を投げてみた。
すると向こうで喉を鳴らす音が聞こえた。
『うぐ……うーん……』
と気まずそうに唸る。
『まだ我々の絆は深いと即答するのは難しいな……。全員が丸亀城に集結してしばらく経ち、訓練なども受けているが、事実上友奈が中心になっていなくもない……』
「そうなんですか」
『友奈はムードメーカーというか、どこまでも脳天気だからな。その辺りが皆を引き寄せているのかもしれん』
初々しい。
というのが歌野の感想だった。
大人になった塾講師が、生徒に学校の様子を聞いているような気持ち。それほどの精神の隔たりを感じた。
可愛らしいね、とふたりで頬を緩める。
「乃木さんは……いえ。………………いえ、やっぱり訊いておきましょう」
しばらく日が経つと、異世界を過ごした若葉が上書きされる。だから勇者になってまだ経験が浅い若葉とはもう二度と離せなくなる。
別にそれが歌野たちの計画に影響を与えることはない。
しかしながら。
何年も勇者を経験した先輩という立場から、何かアドバイスがしたいという自己満足と言われても否定できない衝動に駆られた。
「乃木さんはどうして、自分が勇者になったと思っていますか?」
『それは、人々を喰い殺した奴らに報いを受けさせたいと私が誰よりも強く思っているからだ』
即答だった。
しかしながら子供だな、とも思った。
それはただの意趣返しでしかない。
「乃木さんは昔こんな感じだったんだね。今とすごく違う」
歌野に耳打ちする水都に深く頷く。
確か乃木家には『何事にも報いを』という家訓のようなものがあるという。きっとそれに強く縛られているのだろう。
「でも若葉はまだ子供よ。仕方ないわ」
「うん。そうだね」
歌野は言葉を選びながら質問を重ねた。
「立派な理由ですね。ですが……他の勇者は? 皆が皆、乃木さんのように復讐のために勇者になったのでしょうか?」
『考え方はそれぞれで違うだろうが、理由は皆同じそのはずだ。我々は奴らを憎んでいる。倒さなければならない悪だから、勇者になった』
「……少なくとも、私は復讐のためにこれまで戦ってきたわけではありませんよ」
『なに……?』
若葉の声が驚愕に凍り付く。
四国組より先にバーテックスとの戦闘を幾度も経験した、歌野の衝撃的な告白は大きなショックを与えたことだろう。
「もちろん、私も乃木さんのようにバーテックスは憎いです。一刻も早く全ていなくなってほしいと願っています。ですがそれだけが理由で私は勇者になったわけではありません」
『な、なら、白鳥さんはどうして勇者になったんだ?』
若葉の、疑問に震える質問に歌野は端的に答えた。
「――生きるためよ」
『――――』
「私自身のためだけではないわ。皆のためでもある。誰もが皆、明日を生きようと頑張っている。もちろん私もね。だから、そんな人たちの日常を死なせたくないために私は勇者になって、これまで戦ってきたわ」
『そう、か……』
あまりに予想外の答えだったのか、若葉はやや力のない声で相槌を打った。
「若葉はまだ子供だからこの考えは難しいかもしれない。正直、私だって完全に理解していないわ。でも私は生き抜いた。これが証拠じゃないかしら?」
歌野は決して芯を曲げない勇者だ。
勇者部の中でもきっての自我の強さを誇っている勇者。
だからこそ、たったひとりで諏訪を守りぬけていたのかもしれない。
『なんだか……学校の先生に教わってるみたいな感じだな。本当に白鳥さんは中学二年なのか? 実は年上と言われても驚かないぞ』
「あはは、同じ中二ですよ」
外見だけは、同じ中学二年生だ。
『本当か? いやまあ本当だろうな。白鳥さんの助言、胸に刻んでおくよ』
「それがいいでしょう。そうですね……一度皆に訊いて回ってみてはどうでしょう? 『どうしてお前は勇者になったんだー』って。それでもやっぱり復讐の気持ちが強いのなら、それでいいと思います。理由なんて結局、人それぞれですし」
当時の四国組の戦う理由は歌野も朧気ながら覚えている。
きっと若葉は、自分と全く異なることを考えている仲間たちに心底驚くことだろう。
それは間違いなく若葉に大きな影響を与えるはずだ。そのせいで思い悩むことになってしまうかもしれないが、これは若葉の勇者としての成長にはどうしても必要な過程だ。
『わかった。早速訊いてみるよ。ありがとう白鳥さん』
「あ、今訊くんだ」
水都のツッコミが入る。
「まあいいんじゃない? 早いにこしたことはないでしょ」
だが、受話器から聞こえた若葉の声に二人の顔は一気に青ざめた。
『あ、丁度いいところに。郡さーん!』
「「⁉」」
一番にその人に訊くか!!
なかなかにハードルの高い人を選んだものだ。さすがの歌野もこの展開は予想できなかった。
当時の千景は若葉に激しい嫉妬を抱いていたはず。面と向かって『どうして勇者になったんだ?』なんて訊けば千景が不機嫌になること間違いなし!
それに人の感情の機微にどこまでも鈍い若葉は近づいてきてほしくない心理的距離に土足でずいずい踏み込んでくる悪い癖がある。
「若葉待っ……!」
向こうからブツンと通信を切られ、残念ながら歌野の咄嗟の制止が届くことはなかった。
「oh……jesus」
と歌野は続いて心の中で、南無三……! と唱えるのだった。
◆
参集殿を後にしたふたりは、すぐさま次の作業をするべく上社本宮から山側に移動した。
時刻は昼下がりで、下の方から人々が仕事に励む声がちらほら聞こえてくる。
過去を変えるため、今の諏訪ができる策を把握しなければならない。何年も諏訪を離れていたせいで、この土地にある物資や人的資源といった情報の大多数が記憶から欠落してしまっている。
「あまり悠長にしていられないわね。二手に分かれましょう。この時間はたぶん農作業をする時間だったから、みーちゃんはひとりで調査をしてもらうことになるけど良い?」
「わかった。でもたぶん今から全部を調べ始めたらたぶん夜になっちゃうから、できそうなのからするよ」
「オッケー。じゃ、ここでいったん解散ということで!」
くるりとまわり、水都に気前よく手を振りながら階段を駆け下りた歌野は、小走りで皆の待つ畑に向かう。そこは守屋山のふもと近くの平地。
懐かしい土の香りが近づいてくると、歌野の気分はこの上なく高揚する。
ここが自分の故郷。愛しの我が家。
たったひとりの勇者でひたすら守り続けていた諏訪の大地。
……そして。近いうちに滅ぶ、儚い人の里。
畑にはすでに、大人たちが鍬を持って農作業に勤しんでいた。
「白鳥歌野、参りましたー!」
歌野の声に反応し、人々が手を止めてこちらに声をかけてくる。
そのなかでもひとまわり身体の大きいひとり中年の男性が、首にかけたタオルで丁寧に丁寧に汗を拭いながら歌野に歩み寄ってきた。
やや日本人離れした顔立ちで、高い鼻が特徴的だ。外国人の血が混じっているのでは、と皆に不思議がられているが、本人は朗らかに笑いながら否定している。
確か――。
「ああ歌野ちゃん。今日は珍しく遅かったね。先に始めてしまってるよ」
「すみません
天霧は「そうだったんだね」と掘りの深い目元に皺を寄せた。
「四国の方は上手くやっているのかい?」
「ええ。比較的平和に過ごせているそうですよ。ちょっと着替えてきます。すぐに戻りますねー!」
とたたと畑から離れた歌野は作業員たちの更衣室に向かい、慣れ親しんだ作業着に着替える。何年も経っているせいで者が置いている場所などを忘れてしまっているのではと危惧していたが、どうやら身体にルーチンワークとして染みついていたようだった。
手際よく着替えた歌野が畑に戻り、樹に立てかけられていた鍬を手に大人たちの中に加わった。
……覚えている。
この人たちを、歌野はしっかりと覚えている。
異世界で過ごした日々はとても濃密で忘れがたいものだったが、それは諏訪でも同じことだ。
『女の子に負けてられんわ』とか『水都ちゃんとは仲良くしてるんか?』なんて和気あいあいとした雰囲気に一気に包まれる。
「もー、そんなに声かけられても私は聖徳太子ではないのでインポッシブルですよー」
なんて苦笑いを浮かべながら柄をしっかりつかみ、鍬を掲げて振り下ろす。
ざくっ、と肥えた土に刃床部が沈み込み、確かな手ごたえが腕を伝って肩まで伝わる。
四国の土とは質感が若干異なるのがわかる。昔の感覚を思い出しながら歌野は腕を動かした。
両の足で地面を踏みしめ、下半身がブレないように力を入れる。腕だけでなく、全員を使って鍬を下ろす。
「歌野ちゃん、なんだか動きが奇麗になったような気がするよ」
少し離れた位置で、野菜を収穫していたひとりが感心そうに呟いた。
「そうですか? この調子でもっと進化して、農業王すら超えてみせますよ!」
「ははは、そういえば水都ちゃんは農業王妃だったね」
「イエース!」
異世界では、基本的にひとりで農作業をしていた。水都はもちろん手伝ってくれたが、他の勇者部員たちは手の空いたときや、豪雨などで畑が危機に陥った時しか手伝わなかった。
それについてとやかく言うつもりはないし、あれは元々歌野の趣味、生き甲斐として始めたことだ。
しかしここでは農作業をするというのは違う意味を持つ。
それは、生きる為にほかならない。
ここで畑を耕し、野菜を得て食いつなぐ。
そんな生活を続けてきた。
だから生半可な気持ちで鍬を振るってはならない。生きる為、生き延びるため手を抜くことなく作業に勤しむのだ。
と、ここで遠くの方から軽トラが非常にゆったりとした速度で走ってきた。荷台は空で、備蓄していた野菜を運び終えて帰ってきたところなのだろう。
「おぉーい!」
運転席の窓を開けて顔を出し、陽気にこちらに声をかけたのはひとりの少女だった。ひなたに似たアメシスト色の長髪をシンプルな髪ゴムで括っていて、さばさばとした雰囲気はひなたとは正反対である。
年は非常に若く、歌野と水都を含めて数少ない十代。
だがこの少女……というより女性は、歌野より年齢が上だ。
「皆お疲れ様ですー! 歌野ちゃんもお疲れ!」
白い歯を見せた彼女に、歌野はいったん手を止め、なるべく耕したところを踏まないようにひょいひょいと飛んで軽トラに駆け寄った。
「運搬お疲れ様です、
向こう、とは諏訪湖沿岸部に住んでいる人たちのことを指している。
「なんとかってところね。こっちと違って、若手がまるで足りてないからすごく苦労してたよ」
「そうですか……」
「だからちょっとだけ手伝ってきたの。こいつも連れてね」
そう言いながら五十鈴は助手席にそっぽを向いて座っていた少年の頭の上に手を置いた。
「ちょ! 止めろよ!」
心底嫌そうにしながら、手をぶんぶんと振り回して抵抗する。
「まあしょうがないよね。中二のオトコノコだから拗らせちゃうのも無理ないか。ねー
初と呼ばれた少年は、いっそう嫌悪感を示した。
この少年は五十鈴の弟で、名前を
「違うし! そんなんじゃないし!」
やや目を吊り上げた初月は五十鈴に反抗する。
「お疲れさま、初月くん」
と歌野が声をかけると、姉とのやりとりから引いた初月がちらりとこちらに目を向けた。しかしすぐさま窓の外に顔を向き直し、
「……ん」
と短く相槌を打った。
「ごめんね歌野ちゃん。たぶん恥ずかしがってるだけだから」
「恥ずかしくないし」
「ほら、そうやって反応するとこ」
「…………」
たぶん黙っていたほうがボロが出なくて済むよ、と心の中で助言をした。
伝わったのかどうかは知らないが、それきり初月は押し黙り、こちらを振り向くことはなかった。
「あー帰ったらお酒が飲みたいなぁ! ビールとかさ!」
そう言いながらジョッキを持ってビールを喉奥に流し込む素振りを見せる。
「え、でも五十鈴さんってまだ……」
「あと半年しないといけないんだけどね。でもどうせ酒なんてここにないし。楽しみと言えばこの軽トラでドライブするくらいかな~」
「……ちなみに免許は」
すると、五十鈴は『にっこり』とそれはそれは楽しそうな笑みを浮かべた。
「ですよね~」
と歌野は引きつった笑みを返す。
「一度でもいいから、車を思いっきりかっ飛ばしたいわね~!」
「ここでしないでくださいよ?」
実質今の日本に法律なんてあってないようなものだから、こういう枷に縛られないのは五十鈴にとっては何よりも嬉しいことなのだろう。
諏訪に酒の類はすでにないが、もしあれば五十鈴は間違いなく隠れて口にしているの違いない。
五十鈴はへらへら笑いながら言った。
「わかってるわかってる。舗装されてないところでそんなことしたらすぐ転倒するわ。それに、絶対に初が泣くし」
「は? 泣きませんけど。それよりなんで俺が一緒に乗ってる前提なんだよ」
「え、そりゃあ……私のストッパーとしてじゃない?」
「姉ちゃんが爆走してる時点でもうストッパーもクソもないだろ」
と冷静で正論すぎるツッコミが入ったその瞬間。
――突然、聞き慣れたサイレン音がけたましく鳴り始めた。
これが何を意味するのかは諏訪に住む人々なら一瞬で理解する。
その音が等しく歌野の鼓膜も震わせるよりも早く。
歌野の肌を電撃のような刺激が走り。
歌野の目の色がすう、と細められた。
ここまで、ほんの刹那の出来事。
目の前でその速やかな移り変わりを見ていた五十鈴は、それに感化されて表情を一変させて真面目なものとなった。
「うたのーん!」
サイレン音にも負けないほどの声量で叫びながら畑にやってきたのは、しばらく前に別れた水都だった。
息を切らしながら歌野のもとに走りよると、肩で息をする。
「エネミーは!」
「本宮の方! 星屑が二十体後半ほどで、ネームドはいない! 近くにいる人たちの避難はやっておいたよ! 装束と武器は拝殿の神楽殿に!」
「了解!」
「あとこれには特に気をつけて! 勇者システムの出力は下がってるから!」
「承知!」
テキパキと必要な情報を歌野に提示する水都の姿は、巫女になったばかりの頃に比べると遥かに成長していた。
ひなたや静、それに亜弥という同じ御役目を担う人間として互いに刺激し合うことで、自己に対する信頼のなさをほとんど克服している。
だから、水都は歌野に張り付く小判鮫ではない。
振り向いた歌野は素早く指示を飛ばした。
「皆さん、避難をお願いします! たぶん何人か疲労で動けないと思うので、五十鈴さんはその人たちを荷台に乗せて避難させてください」
「任せて!」
「初月くんには悪いけど、軽トラから降りて、遅れてる人がいないか確認しながら避難をお願いしてもいいかしら」
平常時は異なるが、今のように非常時には勇者である歌野と巫女である水都の指示は他の如何なる指示よりも高い優先度を持つ。
バーテックスに対抗できるのは事実上、歌野しかいないため、これは諏訪の常識である。
歌野と水都を除き、この畑にいる人間の中で最も動き回れるのは初月しかいない。
年寄りの多い弊害として、どうしても避難に遅れてしまう人が出てくることがそれなりの頻度である。
それに初月が降りることで、助手席に動けない人を乗せることができる。
「……ん、わかった」
こちらに顔は向けなかったが、反論することなく素直に初月が頷いた。
バタン、とドアを開けて軽トラから降りた。
手際よく避難の準備を始める人々を眺めていた歌野は自分の両頬をぺちん、と叩いた。
「スクランブル! 勇者白鳥歌野、征きます!」
声援を背に受けながら、歌野は本宮を目指す。その後を追って水都も走る。
「異世界でなら、スマホをタップしたら一瞬で着替えられるのに。昔の私、よくこんな不便なシステムで戦っていたわね」
「そうだね。でもうたのんなら大丈夫。絶対にバーテックスなんかに負けないから」
「うん。ありがとうみーちゃん」
神楽殿に着くと、歌野は大急ぎで土に汚れた作業着を脱ぐ。いちいち丁寧に脱ぐ余裕なんてものはなく、乱雑に脱ぎ散らかす。そして安置されている勇者装束に着替え、鞭を手にとった。
「……ダウンしてるわね。間違いなく」
勇者装束を見に包む事で得られる神の加護を、そう冷静に分析する。
そもそもあの異世界は三百年も先の遥か未来のことだ。勇者システムが進化しているのは当然のことだ。
原点回帰。
これが今の歌野に最も似つかわしい言葉だろう。
……ここからだ。
ここから過去を変える物語が始まるのだ。そう考えると、未来への希望が爆発的に強くなり、それ以上に生への渇望が漲った。
初陣だ。
ここで大金星を勝ち取り、すべてをリスタートするのだ。
歌野の、細くも頼もしい背中を無言で見詰める水都は歌野の言葉を待っている。
多くを水都に語る必要はない。
語らずとも、水都とは以心伝心。
だからシンプルに。
振り返って、力強く伝えた。
「いってくる」
すると緊張や不安などを少なからず抱いていた水都の顔が、氷が溶けたように優しげに満ち満ちた、静かな笑みを浮かべた。
「いってらっしゃい」
親友の言葉を受け取った歌野は緑の雷となって神楽殿を飛び出した。
本宮には前宮や秋宮、春宮と違って四本の御柱が存在する。しかしながらそれらは本宮の四方に配置されていて、防衛戦となると流石の歌野でも一人ではとてもカバーしきれない。そのため土地神の加護によって力が集約され、拝殿の目の前、整然と石畳が敷き詰められている斎庭に一本の御柱として存在している。
これをバーテックスから守り抜くことが今回の防衛戦における勝利条件だ。
長く伸びる長廊、布橋を横切り、四脚門の前を通り過ぎれば斎庭が眼下に広がる。
そこにあるのは、一本の白い巨木。
その巨木は遥か天まで届かんとせん黄金の奔流が、煌々と輝きを放つ光の粒子を纏いながら螺旋状に伸びている。
これを破壊しようと、拝殿の後ろに鬱蒼と生い茂る神居から木々を荒々しく白い全身を使ってかぎわけながら星屑が姿を見せ始める。
その数、目算で十と少し。
水都の報告とは違う。つまりさらに増援として十体が襲いかかってくるとみるべきだ。
「――さて」
歌野は鞭で空気を鋭く切り裂きながら舌なめずりする。
「記念すべき帰還者白鳥歌野の初陣は、ド派手に、グレイトにいかせてもらうわよ!!」
星屑たちも脅威を視認したらしく、上下の凶悪な歯をわざとらしくカチカチと噛み合わせて威嚇をする。
「あら? そんなので怯えるとでも?」
歌野は恐ろしく落ち着いた様子で穏やかに歩行を続ける。
何年勇者をやってきたと思っている。
何百、何千回あなたたちと戦ってきたと思っている。
過去に勇者システムは確かに今までのものとは勝手が違うけど。
だからといって――。
「――私が負けるはず、ないでしょう?」
地面を力強く蹴り上げ、高く跳躍する。
初陣はド派手に、グレイトにいかせてもらうと言った。
異世界だからこそ行使できていた特例がある。
棗のように。雪花のように。
彼女たちの故郷に根付く土地神の力をさらに引き出し、人の力として振るう。
そしてここは……諏訪!
ここは歌野の愛する諏訪の大地にて!
ならば、この呼びかけに諏訪に眠る神が応えぬはずもなしッ!!
ただそのフレーズを口にするのではない。
こちらに呼びかけるように。
力強く。諏訪という大地そのものに語りかけるように。
歌野は微かに口を開いて囁く。
「お借りします――」
そして。
呼びかける神の名は。
「――タケミナカタ」
帰還後の初陣
運命への足掻きはここから
それではまた次回!