白鳥歌野は勇者ではない 作:新キャラふたりは「騙して悪いが」枠
諏訪を脱します。この時、皆さんの内の約半数を見捨てます
※前話に(めちゃめちゃ良い)挿絵を追加しました
関係ない話だけど、魔女の旅々はいいぞ
アニメ勢の者だけど、沸き上がる欲求が抑えられなくてエステル短編を書いたりした
「水都、あれはどういうことなの?」
晩、水都は血相を変えた母に低い声でそう言いながら問い詰められた。
水都は母に少なからず恐れを抱いている。
引っ込み思案な性格になった原因の一端は自分自身にあると理解しているが、間違いなく母の心ない言葉が大きく影響している。
リビングで諏訪脱出後の動きについてノートに纏めていたところを母に突然声をかけられたのだ。
「あれって……本宮での宣言のこと?」
「それ以外何があるのよ。あんなの認められるはずないでしょう」
母は眉間に眉を寄せながら言った。
「でもそれ以外に方法がないんだよ」
計画は諏訪に帰還した瞬間からすでに開始している。今さら後戻りはできない。
それに、あれ以外にできるだけ多くの人を救う手立てはない。
「勇者が全員を守りながら四国を目指せばいいじゃない。ローテーションで徒歩と車を回せば」
「ううん駄目。それじゃ間に合わないの」
「間に合わないって、何が?」
「他の勇者たちとの合流日に」
最終的に雪花、高嶋、千景と共に四国に到着する予定なのだ。
合流予定地は愛知県の名古屋城付近だ。
日時は九月十日。
こちらから北海道方面に迎えに行ったりはしない。リスクが大きすぎる。
雪花には多大な負担がかかるだろう。恐らく明日か明後日にでも出発しなければ間に合わないはずだ。
高嶋とさえ合流できれば負担は半減される。
「いつの間にそんなこと計画してたのよ」
「前々から四国と通信してて、それで」
嘘をつく。
「…………」
「な、なにお母さん?」
怪訝な顔をする母に、おずおずと問う。
「場合によっては、あんたは私を見捨てる覚悟があるってこと?」
「――――」
息を呑む。
うん、とそう簡単に頷けるはずがなかった。
こうして個人と面と向かって、それも母となると即答できるはずなんてなかった。
覚悟は決して揺るがない。誰に何を言われようとだ。
しかしそれでも、完全に一対一の状況で相手に強気に問われると、どうしても弱気になってしまう。
苦虫を噛み潰したような顔をする水都に母は追撃する。
「もし外に連れ出すとしても犠牲はきっと出るだろうね。その時あんたは本当に耐えられるかい? お前が私達を連れ出したから死んだんだぞって恨みをぶつけられても、受け止められるかい?」
「それ、は……」
「たかが中学生の分際で、わざわざ人の命を危険に晒すべきじゃないのよ」
そうだ。
所詮、ふたりは特別な御役目を頂戴した女子中学生に過ぎない。
だから勇者として、巫女としてあろうとした。
それが何年も続き、心は成熟して大人になった。
ひとりでは何もできないひ弱な人間ではない。
もう子供ではない。
水都は負けじと母を見つめた。
「お母さん」
「…………」
母は水都の言葉を黙して待つ。
臆病な藤森水都を完全に克服したわけではない。長い月日を異世界で過ごし、心が成長しても難しいものはある。
だからといってここで萎縮するわけにはいかない。
小さな抵抗。
小さな一歩。
それを、ここから。
「私は……私とうたのんはもう、子供じゃない。自分で考えて自分で行動する。その責任もきちんと負う。半端な気持ちでこんな決断、下してない」
懸命に言葉を紡ぎながら、そう水都は発した。
「――――」
今度は母が息を呑む番だった。
時を刻む秒針の音がやけに大きく聞こえる。
母の顔が怪訝なものからゆっくり、ゆっくりと改められる。
それだけだった。
そして話は終わりだとばかりにこちらに背を向けてリビングから去ろうとする。
ドアの前に立った母はちらりとこちらを一瞥する。
「……水都」
「な、なに?」
「少し、成長したわね」
「え?」
それを最後に、母は今度こそリビングを去った。
最悪の場合、水都は母を見捨てる覚悟をすでに固めている。
そこに葛藤がないはずがなかった。もし実際にそんな状況に陥ったとしても、水都はギリギリのギリギリまで躊躇うだろう。
……大人って、生きにくいな。
水都はノートに向き直ると計画の詳細記載を再開した。
◆
襲撃があった。
場所は前回と同じ本宮。
水都による迅速な指示と、歌野の切り札、タケミナカタの行使により非常にスムーズな撃退に成功した。
「……正直、難しいわね」
そう歌野が唐突に吐露したのは、神楽殿で勇者服から着替え、装備の整備中のことだった。
「え、何が?」
驚きはしたものの、それは弱音を吐いたことにではない。
神世紀組を含め、歌野が誰よりも芯のある勇者であると自他認めているが、それは子供らしさが前面に押し出していたからという理由が大きい。
だからこそ、辛い時は辛いと言えるようになった。これが良いことなのか悪いことなのか大局的には不明だが、少なくとも水都はこれを好ましく思っている。
なぜなら、歌野を支えることができるからだ。
「どうしても旧型の勇者システムではスピードが遅いしパワーも低い。だからたぶん全部の車は守りきれないわ。バーテックスから逃れるために必然的にアクセルを深く踏む。そうしたら車同士の距離はどうしても離れてしまう。私の守備範囲からもね」
「切り札でも無理なの?」
「うーん……飛んだらギリギリカバーできるかも。でもそれは状況がスムーズという前提。バーテックスの猛攻や私の疲労度合いによっては無理」
難しい顔で自分の戦力を評価する歌野。
水都の巫女としての力により、バーテックスのいる場所のおおよそな推定はできる。
そこを回避すれば比較的安全に進むことができる。しかし予期しない状況……例えば挟み撃ちに遭ったり、進行方向を完全に防がれていたりする場合のことも考えなければならない。
「どうしたらいいと思う、みーちゃん?」
鞭の整備を終えた歌野が真剣な面持ちでそう尋ねてきた。
もし本当にそのような状況に陥った時、実際皆を守るのは歌野だ。だから歌野の中で動きが完成されていなければならない。
その補助を水都に求めている。
水都は手を顎に当てて思考を加速させる。
「一番やったらいけないのは、皆がそれぞれ勝手な方向に逃げてしまうこと。そうなってしまうと全滅に一直線。助けに行くうたのんの疲労も一気に溜まる。だから何があっても陣形は守らないといけない。基本的には二列縦隊だけど、その場合は三列縦隊にする、とかかな」
「もし三列じゃ通れない所だったら?」
「やむを得ないけど分散する。三分割くらいに」
「ならそれぞれのリーダーやグループメンバーも考えないといけないわね。基準はどうする? 能力の均等化か、年代で分けるか」
「ちょっとそれは考え中。応募してきた人を俯瞰して決めたい」
「ま、確かにそうなるわね」
戦闘で疲れた身体を床に投げやり、でろんと力なく倒れ込む。
壁にもたれかけていた水都はすすす、と移動して歌野の頭の横に座る。
そしてそっと背中の下に手を潜らせ、上半身を僅かに持ち上げて自身の膝の上に乗せた。
「あら」
と歌野は呟いた。
見下ろす水都はやや照れ臭そうに笑った。
「こういうの、あんまりしたことないでしょ?」
「そうね。みーちゃんにしてはすごく積極的。以前ならこんなことしなかった」
「かもしれないね。でも今はすんなり……身体が自然と動いたの」
「ほほう……ほほほーう」
したり顔になった歌野は膝枕を堪能するべくもぞもぞと頭を動かして最適な位置を探り始める。
「なら存分にみーちゃんに甘えます」
髪が触れてくすぐったい。
十数秒を要したが、満足できる場所を見つけた歌野は穏やかな吐息をたてて意識をゆっくりと眠りの底へと沈めていく。
水都は勇者の美しいエメラルドの髪にそっと触れる。そのまま流れにそって撫でる。
気持ち良さそうに喉を鳴らした歌野は口の端を緩めた。
静かな風が神楽殿を吹き抜ける。
昨日演説をした拝殿の方角からの風だ。
拝殿の裏に鬱蒼と生い茂っている木々の香りがする。
これが、諏訪。
生まれ故郷、育ちの里。
そして、数日後には破棄する地。
果たしてこれが罰当たりなことなのかは水都にはわからない。
異世界にいた頃の歌野の力ならばギリギリ諏訪を維持できるかもしれないが、それだけでは駄目なのだ。
天の神の圧倒的すぎる力によって四国以外の土地が異界化される。
そうなればここは終わりだ。
それぞれの土地で生き抜くという案ももちろん上がったが、これともう一つの理由のせいで却下された。
それは、単純な戦力増強のためだ。
今後戦いの舞台は否応なく四国になる。史実通りならば若葉以外が死ぬ。それだけは決して避けなければならない。それぞれの死を避けるために、異世界から記憶を持ち帰ったのだから。
ならばこそ、生きなければならない。
たとえ、どれほど深い業を背負おうとも。
「あれ、水都ちゃんじゃない?」
名前を呼ばれて顔を上げると、四脚門を潜り、石階段を下りてくる二人組の男女がこちらを見ていた。
「五十鈴さん? あと初月くんも」
五十鈴は呑気に手を振りながら歩いてきて、初月を連れて神楽殿に乗り込んできた。
「こんにちは水都ちゃん。歌野ちゃんも……」
そう言って視線を水都の膝下に落とすと、声のトーンを落として「なるほどね」としたり顔で呟いた。
「あの、どうしてここに?」
「そりゃあ決まってるじゃない。お祈りよ」
「お祈りって……」
五十鈴が頭を後ろに振り、離れた拝殿に視線を向ける。歌野と星屑の激しい戦闘によって外観をほとんど失った拝殿。
昨日ふたりが諏訪の終焉を告げた場所。
あそこに神聖なものがあるとすれば、御柱くらいだろう。
「決まってるじゃない。私と初が生き残れますようにってね」
「ふたりは……参加するのですね?」
「ええ、もちろん。軽トラもいっぱい運転できるんでしょ? 危険は承知だけど、やっぱり気分が高揚するわねー!」
夜を待たずして、志願。
水都は昨晩のあの宣言の直後にでも我先に志願する人が現れるかと思ったが、そんなことはなかった。とぼとぼと歩いて自分たちの家に向かっていく後ろ姿は見るに耐えなかった。
タイムリミットは六日。志願の返事は明日。
一方的に告げられた人々の気持ちは心が締め付けられるほど理解しているが、汲み取ってやることはできない。歩み寄ってやることもできない。
こちらはただ超然とした態度で待つことしかしない。
だからこそ、五十鈴の前向きな物言いは水都にとっては嬉しかった。
ちらりと五十鈴と一緒に神楽殿に入り込んできた初月に目をやる。初月はふたりの会話に参加しようとはせず、端の方でぽつんと座り込んでいる。
中学二年だし、思春期の頃合いだから無理に話に誘っても嫌がられるだけだと考える。
「わかりました。詳しい話は晩にうたのんから話しますので、その時また本宮にお越しください」
「ん、わかった」
これで話が終わって五十鈴は初月を連れてどこかへ行く……と思っていたがそんなことはなく、五十鈴が水都に寄り添って自身の手を頭の上に置いてきた。
「ど、どうしたんですか五十鈴さん」
「……水都ちゃんは偉いね。歌野ちゃんも」
優しい手付きで撫で始めた五十鈴は薄っすらと目を細める。
きっと水都のことを可愛い年下の女の子として見ているのだろう。しかしそれは大きな間違いで、精神年齢はまったくの同じ。
それでも誰かに頭を撫でてもらう、という経験を親から……歌野からもなかったため、無意識に身体をぴくりと強張らせてしまった。
「私なんかよりもずっと子供なのに、皆のことを想ってあのバケモノに立ち向かえる。皆が今まで明るく生きることができたのはどうしてだと思う?」
投げかけられた問いに、即座に答えを口にする。
「それは……うたのんが皆を必死に励ましたから、だと思います」
「うん、そうだね。でもまだ足りない」
いつになく真剣な面持ちで五十鈴が小さく首を振った。
その目つきは水都の意識を直接掴んで離さない。
ゆっくりと頬の力を緩めた水都は、丁寧に水を注ぐような落ち着きを纏って再び答えた。
「私、ですね。私がいなければうたのんはとっくに疲れ果てていましたから」
「その通り。もし歌野ちゃんひとりだけだったらとっくの昔にここは滅んでた。皆を救う勇者はいるけど、勇者を救う人がいないから。いるにはいるけど、本質的には救えない。だからその役が水都ちゃんで良かった。本当に。だって、公衆の面前で告白できるくらいなんだもの」
「ちょ、ちょっとそれは」
照れ臭そうな反応を見せた水都に五十鈴は楽しそうに笑うが、すぐに顔を改め、告げた。
「でも心の底から私はふたりを尊敬しているよ。だから着いていく。もしその過程でふたりに見捨てられても、私は絶対に恨まない。他の人はわからないけど、少なくとも私はそう思っているから」
確固たる決意を口にするのは、大人であろうと多大な勇気のいる行為だ。五十鈴は放漫な人だと思われがちだが、大人びた思考をきちんと持っている。
いったいどれだけ迷ったのかは知らない。そもそも即決している可能性だってある。
しかしどちらにせよ、水都は――
「……ありがとうございます」
と真摯に受け止めた。
初月は……よくわからない。少なくとも死ぬのは嫌だろうからとりあえず姉に着いていくといったところか。
立ち上がり、普段から歌野と水都が手入れをしている木の床をゆっくりと歩く五十鈴は何をするでもなく静かに佇んでいた初月に声をかけて神楽殿を出る。
「悪いね、戦闘後なのに邪魔しちゃって」
白い歯を見せながらバツの悪そうな顔で謝罪され、水都はふるふると首を横に振った。
「そんなことないですよ。一番初めに志願してくれたのが五十鈴さんと初月くんで良かったです。気分が楽になりました」
「それは良かった。まだあなたたちの言葉を受け入れられない人たちは間違いなくいる。その人たちが晩に現れて色々言うかもしれない」
「でしょうね」
「それをきちんと鎮められるかが最初の試練だよ」
「…………はい」
試練。
その言葉にはただならぬ重みがある。
神樹と中立神に上から突きつけられた試練。
人を試し、信じるに値する種であるかどうかを吟味する儀式。
刹那の間に、ぎゅっと凝縮された記憶が脳裏を走りすぎた。
苦しめられた。
たくさん苦しめられた。
でも、乗り越えた。
それに比べたら反対する人たちを鎮めることはなんてこと――。
なんてこと、ないはずがない。
勝手が違う。命を見捨てようとしているのだ。
そう簡単に割り切れるはずがない。
奥歯を強く噛み締める。もしかしたら将来、この誓いに苦しめられることがあるかもしれない。いや、間違いなくある。
後悔する。
もしあの時、残酷な決断などせず、静かにみんなと一緒に滅びを選んでいたら、いったいどれだけ気が楽だったのだろうと。
でも。
それでもやると決めたのだ。
必ず訪れるであろう嫌なことに真っ向から立ち向かうのだ。
口を固く結んだ水都は、しっかりと五十鈴の瞳を見つめた。
「――いい目をするようになったね、水都ちゃん」
薄っすらを目を細めた五十鈴は囁くように言った。
その表情はどこか満ち足りたような気すらした。
「そう……ですか?」
「ええ。すっごく変わった。お姉さん驚いちゃったよ。ま、大人たちも思うところは少なからずあるから、どうなるかわからないけどね!」
「じゃあね!」と繋げて言い残した五十鈴は初月と一緒にどこかへ歩き去った。
水都はふたりの背中が見えなくなるまで見届けた後、そっと目元を伏せながら呟いた。
「……だって、うたのん。私たちは本当に成長したんだね」
「当たり前じゃない。もしかしたら、私たちの人間としての成長を神樹様や中立神は望んでいたのかもしれないわね」
水都の声に、ぱちくりと目を開いた歌野は寝起きとは思えないほど頭の回ったコメントをした。
「結構前から起きてたよね?」
「ええ。五十鈴さんが私たちを尊敬してるって言ったあたりから」
「やっぱり」
むくりと身体を起こした歌野は、物静かに自身の勇者装束を見つめる。
どのような想いなのかは完全には推し量れなかったが、歌野なりに様々な考えを巡らせていることだけはわかった。
立ち上がり、神楽殿を出て歌野は言った。
「そろそろ定時連絡の時間よね、みーちゃん」
「そうだね」
ふたりが参集殿に移動すると、すでに予定時間までほんの五分前だった。
危なかったわね、なんて軽口を叩き合いながらパイプ椅子に腰かけ、通信の波長を確認し、コールをかける。
真面目が具現化したような若葉ならば、五分前どころか三十分前行動しそうだ。
案の定、二コール目で相手が出た。
『もしもし、こちらは乃木若葉だ。白鳥さんで合っているだろうか』
いつも通りの堅苦しい武士のような物言いだ。
ふたりは小さく笑った。
「ええ。合っています」
『うむ。ではいつも通りに』
残り少ない諏訪での日常。
この通信は、そのひとつ。
歌野はこれまでを噛み締めながら口を開いた。
「はい。こちらの様子としましては、以前と変わらず比較的平和です。今日も襲撃がありましたが、問題なく迎撃しました」
『そうか……ここ一月ほどか? 奴らの襲撃が盛んになってきている気がするぞ。本当にそっちは大丈夫なのか?』
「…………」
歌野の口元が固く結ばれる。
この問いに答えるには多大なエネルギーを要する。
数日後に諏訪が滅ぶなんて言えるはずがない。そんなことを伝えれると若葉は絶対に助けようとするはずだ。
しかしそれは無駄で、余計な死を生むだけだ。
「問題ないです。敵はそこまで脅威ではありませんし、まだまだ元気にやっていけますよ」
だから嘘をつく。
寂しい笑みを浮かべた歌野は若葉の反応を窺う。
『ならいいのだが……』
面と向かって話していたらバレていたかもしれないが、声だけ……それも強い絆で結ばれているわけではない状態では気づくことができなかったようだ。
罪悪感は決して無視できなかったが、必要なんて嘘だと割り切る。
『ああ、そうだ。昨日言っていたことを覚えているか? ほら、皆がどうして戦うのかってやつだ』
「ええ。どうでしたか?」
テンポよく相槌を打つが、若葉はスッと結果を伝えてくれなかった。
別に悪意があってそうしているわけではないのは瞬時にわかるし、もし自分の中で整理がついているのなら流れるように話すはずだ。
だがそうではないということは、まだ勇者たちの戦う理由を咀嚼しきれていないのだ。
「少し、難しかったんじゃないかな?」
と水都は苦い顔で呟いた。
しかし歌野は首を振った。
「否定はできないわ。でも勇者として戦うのなら、いつかは絶対にぶつかるものよ」
「乃木さんたちは近いうちに上書きされて戻ってくるはずだから、結局のところ、あまり意味はないと思う。どうしてうたのんはあんなこと言ったの?」
今の若葉たちは近いうちに上書きされるわけだから、その間の記憶は帰還した若葉たちには引き継がれない。それでもアドバイスをしたのは――。
「……わからない。ただ、今の若葉たちが上書きされるとしても……何も残らないとしても、何か勇者として培った在り方を伝えたかった……のだと思う」
懸命に言葉を探しながらあの時の心情を伝えると、水都は「ごめんね」と呟いた。
「ちょっと意地悪な質問だったかもしれない」
「いいのよ、こういうのは遠慮なく言ってほしい。私が間違っている可能性だって普通にあるんだから」
「ううん、自己満足ではあるかもしれないけど、間違ってはないと思う」
『あー、何か話しているようだが、そろそろいいか?』
若葉の声に、完全に今まで放置していたことに気づき、慌ててふたりは意識を通信に切り替えた。
「ごめんなさいね、どうぞ」
『うむ。では結論から言わせてもらうと……わからなかった』
正史において、いつ若葉が報いというしがらみから解放されたのかは知らない。
それまでに起こった出来事や若葉たちの心境の変化などももちろん知らない。
それまでに歌野たちはすでにこの世にはいないのだから。
ゆえに、この答えはなんとなくわかってはいた。
無理強いしたことは否めない。
『一応皆から訊いてはみたんだ。確かに白鳥さんの言う通り、それぞれの理由があって、とても勉強になった。だからまずは感謝を』
「ええ。それでわからなかったというのは具体的にどういうことですか?」
若葉はしばし沈黙し、深く呼吸をした。
その音はこちらにもよく伝わった。
『あまり……説得力が感じられなかったんだ。決して皆の理由を馬鹿にしているわけではないぞ? なんとなくだったり、誰かを見返すためだったり、その逆で誰かを守るためだったり。どれももっともらしいのはわかるが、どうしても私には理解できなかった』
おおよそ誰がどんなことを言ったのか検討がついたふたりは、次いで若葉の頭の固さに瞠目する。
流石に面と向かった当時の若葉の勇者としての在り方ははっきりとは覚えていないが、どうやら若葉の考えを改めさせるのは非常に困難であることがわかった。
結局は若葉自身の想いに委ねるしかないわけだが、それでも報いという責務に縛られるのはあまり良くはないだろう。
おそらく、この若葉はまだ人生において大きな壁にぶち当たったことがない。己の非力さに打ちひしがれるとかそういった意味合いではなく、根本的な在り方が故に生じてしまったずれを痛感したことがないのだ。
だから他人を意志、その真意を推し量り、尊重することができない。
「やっぱり乃木さんの戦う理由は変わらないと?」
『ああ。バーテックスどもは根絶やしにする。私のクラスメイトたちを食った奴らに報いを必ず受けさせる……!』
遠い四国の丸亀城にて、握り拳を作る姿が容易に想像できる。
「……そうですか」
たぶん、これ以上何かアドバイスを言っても理解してもらえない。
そう素直に悟った歌野は話を切り上げることにした。
時期尚早だったようだ。時期によっては適切なアドバイスだったかもしれないが、どうやら効果的ではなかったようだ。
「では今日の定時連絡はこの辺りで終わりましょうか」
『ん? 今日はいつもよりはやいな。このあと何かあるのか?』
「ええ、ちょっと用事がありまして」
『そうかそうか。なら終わりにしよう。また明日』
「はい、また明日」
片手で数えられるほど残り少ない『また明日』。それを今、ひとつ消費した。
通信が切れると、ふたりは口を閉ざしたまま壁にかけられたカレンダーを見つめた。
約束の日まで、残り四日。
今日の夜に参加の是非を聞き入れ、準備を始めたとしても費やせるのは二日だけ。
最後の日は最終確認だけにしたい。
すでに必要物資を揃えるためのフローチャートは水都が作成しているため、比較的スムーズに進行するはずだ。
「あと一時間くらいだけど……どうする? 今回も昨日と同じように正装で行く? このままの方が手間が省けていいと思うけど」
水都が窺うように尋ねるが、考える素振りすら見せずに歌野は首を横に振った。
「いいえ、それは良くないわ。皆の命を捨てる決断を聞くのだから、私たちは勇者と巫女として聞かないといけない。堂々と、威厳のある姿で皆の前に立つべきよ。本気であることを伝えるためにも」
「うん、わかった」
予定では六時からになっている。
昨日は七時くらいから始まったはずだから、1時間ほど繰り上げての集会だ。
参集殿を出たふたりは再び神楽殿にとんぼ返りし、正装を身に纏った。
それと同時に意識がカチッと切り替わる。
脱いだ服を丁寧に畳んで棚に置き、ゆっくりとした足取りで拝殿に向かう。
無言で手を繋いだふたりは、整然と並べられた石畳を堂々たる態度で歩く。
布橋を横切り、宝殿の前を通り、齋庭に出る。
その中央には、御柱が屹立している。さらにその周囲の荒れようは、今日の戦闘を物語っている。
御柱の黄金のオーラは、一秒たりとも止まることなく輝きを放っている。
すでにちらほら集まり始めていた村人たちは、歌野と水都の登場に視線を一斉に集中し始めた。
いつもなら気さくに挨拶をするところだが、ふたりは物静かに一瞥を向けるのみ。
そのままの足取りで崩壊間近の拝殿に乗り上がった。
時が来るまで何も語ることはないと言わんばかりの佇まいに、村人たちは素直に大人しく待ち続けた。
その間にもぞろぞろと人は集まり、予定時刻である六時の十分前には全員が揃ったと思われるが、それでもふたりは微動だにせず齋庭に集まった人々を見下ろしている。
本宮にはなんとも言えぬ緊張と不安が渦巻く。ぐるぐると混ざり、伝播し、溶ける。
まだ空は闇に包まれてはおらず、御柱の光だけで十分視界は保たれる。しかし後々篝火は必要になるだろう。
巫女と勇者が与えた猶予は、たった一日。
一日で、命の選別をしなければならない。
どのような考えで、どのような手法でそれが行われたのかはふたりは知らない。
むしろ介入しない。介入しないために、今日は本宮で過ごした。
昨日のような騒がしい声は誰一人として発していない。聞こえるのは、木々のざわめきや本宮を吹き抜ける風の音。
時間が来たことを確認した歌野は、静かに口を開いた。
「――皆さん」
人々の顔が目に見えて引き締まった。
その様子を見下ろす歌野は、余計な前振りなどは一切必要ないと判断する。
「私とみーちゃんと一緒に四国へ行く意志のある人は、どうぞ右側に移動してください。そうでない人は左側へお願いします」
怒りや抗議といった声は誰一つ発しなかった。
ふたりもそんなものが来るとは一片たりとも思っていない。
なぜならば、その足掻きは無意味だからだ。
何をどう言おうと、歌野が諏訪を離れた瞬間に滅亡は確定する。
そしてその意志が変わらぬ限り、虚しい叫びにしかならないのだ。
それぞれの顔を見れば、どれほど壮絶な判断だったのかは想像に難くない。もしかすると、すでにふたりに対して恨みを抱く者がいても何ら不思議ではない。
だが歌野と水都は感情の起伏を絶対に見せない。
それは残る者への侮辱にならないようにするためだ。
冷たく、無感情に、無表情に。
あくまで業を背負う者として相応しい立ち振る舞いを貫く。
数十秒ほどで移動は完了した。
目算で数えると、おおよそちょうど半分くらいで別れている。
生存組には、初月と五十鈴、天霧、そして水都の母の姿も確認できる。
「ご協力、感謝します。右側の方々は後ほど名簿に記録していただきます」
機械的に歌野は話を進行する。
「今後のスケジュールはすでにこちらで用意してあります。具体的に言いますと、明日の早朝に、みーちゃんによってグループ分けを行います。その後は四国へ向かう大まかなルートや動きを私から説明させていただきます。その間に、左側の方たちには食糧の加工をお願いします。これが明日の流れとなります」
淡々と続ける説明を、皆は静かに聞き入れてくれている。
「加工する食糧のリストは用意してありますので、このあとすぐにお渡しします」
すると水都が神楽殿を出る時に持っていたファイルを徐ろに取り出す。
「作戦は諏訪を出てからではなく、この瞬間から開始しています。なので悠長にしていられる時間はありません。今から私が左側に並びますので、リストの受け取りをお願いします。右側の人は、うたのんが持っている名簿に記入をお願いします」
水都の指示に従ってぞろぞろと動き始める。
居残り組にはお役御免、ということにはならない。彼らにもしてもらわなければならない仕事がある。
脱出組にはあらゆるトラブルに巻き込まれた際の対処法を伝えなければならないし、そして何より、生き抜いてもらわなければならない。
生きて、それからきちんと死んでもらう。
どちらかというと脱出組のほうが遥かに辛い思いをすることは明白である。
歌野の宣言通り、全員を安全に四国まで送り届けられるわけではない。
間違いなく死者は出る。
四国への渇望を抱きながら事切れる無念……言葉では言い尽くせない。
水都の前に列をなす居残り組は不自然なほど一切の不満を口にしない。
スムーズに進むのはいいことだが、どうしても不安は拭いきれない。しかしそれを顔に出すわけにもいかず、努めて顔色一つ変えずにリストを手渡す。
面と向かい。
しっかりと受け取り。
「ありがとう」とまで言ってくれる。
それがどうしようもなく水都の神経をすり減らした。
嫌味を言ってほしかった。罵倒してほしかった。
なんなら押し倒されて暴力を振るわれる覚悟もしていた。
なのに、いっそ穏やかなほどのこの落ち着きはなんだ。
そして次に水都の前に現れた人物を見て、思わず喉の奥で喘いでしまった。
歌野の、母だ。後ろにはその夫が並んでいる。
目の瞳孔が極限まで開ききり、チリチリと脳の奥で思考が灼けた。
「――――」
時間にしてほんの数秒の出来事。
しかしながら、水都にはどこまでも引き伸ばされた感覚になっていた。
ようやく我に返ったのは、歌野の母から声をかけられた時だった。
「そんなに申し訳なく思う必要なんてないのよ」
凍りかけていた視界に熱が宿った。
ぎこちない動きで眼球を動かし、活動を再開する。
「…………」
「誰も水都ちゃんと歌野を責める人はいないわ。これが私たちの総意。子供に業を背負わせる大人の、せめてものけじめ」
「そんな……でも」
「あの子はきっと水都ちゃんを命がけで守ろうとするわ。でも私たちはもう、あの子を守ってあげられない。だからどうか……どうか歌野を、お願いします」
そう言って、歌野の母は深く頭を下げた。
普通ならば、頭を上げてくださいなどと言葉をかけるべき場面なのかもしれない。だが水都はそうしなかった。
この願いを反故にする、あるいは逃げるような受け止め方は決してしてはならないと考えたからだ。
たっぷり一分ほどしてからようやく顔を上げた。
その瞳は真剣だ。
ふたりは無言で見つめ合う。
……我が子を託す。
精神年齢がすでに大人である歌野であろうとも、やはり人の子であることは変わらない。
同時に少し自戒の念に駆られた。
白鳥歌野という存在は、藤森水都によってのみ成り立つと思い込んでいた。
けどそれは大きな間違いだった。
今までの歌野は両親の愛によって育てられたのだ。
これから巣立つわけだが、その先でも育つ。
だから。
愛を与えられるように。
人の営みを享受できるように。
ずっとずっと、共に生きていけるように。
そう決意を改めながら、水都は力強く……しかしながら仄かに哀切な響きを帯びた声で返した。
「――任せてください。うたのんは、私が守ります」
剪定、完了
それではまた次回!