寒さが厳しくなって雪が降りそうなほどの12月。そんななかでも夕焼けが綺麗に晴れた日のこと。
トレセン学園で22歳の若い男ながらもトレーナーの資格を取った僕は、他のトレーナーが持て余していたサイレンススズカという、気難しくて走ることしか考えないウマ娘の専属として一緒に頑張ってきた。
2年が経つ頃にはお互いに名前を呼びするほどに親しい関係となり、G1やG2といったレースに勝利。
それは僕とスズカの頑張りが結果として出る素晴らしいことだった。
でも勝利の栄光以外にも様々な悪意が僕へとやってきた。それは初めて担当するウマ娘がいきなり大活躍した妬みや恨みで。
トレセン学園内で頼れる人もいなく、派閥にも入れていなかった僕が悪意から逃れる手段は他のトレーナーたちの事務仕事の手伝いをたくさんやることだった。
本来、僕がする必要のない仕事の肩代わりをすることによって圧力から逃れることができた。
それに報酬をくれる人もいて、スズカが使える練習コースや時間を派閥に属するトレーナーたちよりも多めに取ることも。
多数の派閥の手伝いをし、僕の精神と肉体の調子をトレードすることによってできたのを僕はできるだけ有効に使えるように胃痛を我慢してでも努力した。
でもこうやってトレセン学園での生活を送っていると、疑問に覚えることがある。
僕の幸せはなんだろうと。
自分の教え子がレースで活躍するのはとても嬉しいけど、そのレースに出るための練習時間を作るのに胃痛で毎日を過ごす日々は素敵なものだろうか?
スズカを勝たせたいために僕は頑張ってきた。いい結果も出た。
でもこんな苦しんでまで頑張る必要があるんだろうかと疑問に思う。
僕がやりたかったことがなんだったのか、トレーナーになってやりたかったことが今でははっきりとは思い出せない。
レース後に踊って歌う子たちを間近で見たくて?
ターフの上を軽やかに、そして懸命に走るウマ娘たちに心を動かされて?
脅威の追い込みを魅せてくれた三冠馬、ミスターシービーを育てた人に憧れが?
どれも合っているようで、合っていないように感じる。
そんな終わりのないことを考えながら、先輩トレーナーの書類仕事を終えて練習コース近くにあるトレーナー室へと戻ってくる。
ウマ娘たちが遠くで声を出して練習しているのを聞きながら、灰色のスーツのポケットから鍵を出して扉を開けた。
僕に渡されている部屋は畳12畳ほどの広さがあって、ストーブの暖かさがすぐに充満するほどの小さい場所だ。
本棚やソファーにテーブルがあって中央には仕事用の机が。
そんな机の上には、驚くことに制服姿のサイレンススズカがいた。
練習メニューを渡しているから今頃は1人で練習をしているはずなのに、とも思うが何よりもなんでそんな場所で寝ているんだ。
ソファーならまだわかる。普段、スズカはそこで休憩や寝ることもあるから。
なのに、なんで今日は机の上で体を丸めているかがわからない。丁寧にも机の上に乗っていた資料やペン立てはソファーへと移動しているし。
スズカの気持ちよさそうな寝顔が見え、腰まである長くてさらさらとしている栗色の髪や尻尾は机からこぼれ落ちている。
体を丸めているから、スカートの中が奥深くまで見えて白いニーソックスの先にある、太ももの付け根付近と白い布が見え隠れしている。
……なんという男の精神に悪い子だろうか。
もし今、スズカが目を開けてサファイアのような透き通る青の瞳で見つめてきたら、僕は罪悪感ですぐさま倒れてしまうに違いない。
高校生のスズカに対して性的に興奮してしまったということで。
サイレンスズカと出会った頃は走ることにしか興味ありません、というクールな女の子だった。
自分にとって気持ちのいい走りを求め、トレーナーの言うことはあまり聞かず、ただただ自分の要求に合ったときだけ練習をやるウマ娘。
才能があるけども手に負えない秀才、そう言われたのがサイレンススズカだ。いくつものトレーナーたちによって育てられ、けれどもどのトレーナーも制御できなかった。
だから多くのトレーナーに煙たがられては僕の元へとやってきた。
新人で初めてウマ娘を持つことになった僕は、自分が求める理想よりもすごいウマ娘を担当できたということだけで喜び、スズカが求める走りのために練習メニューを組んでいった。
誰も追い越させない逃げの走りで、スズカ自身しか見ることができない先頭の景色を見るための手伝いをしてきた。
そのためかスズカのトレーナーというよりも、その下っ端という気分で仕事をやってきた。別に嫌なわけじゃなく、こういう練習の方向性もあるのだと勉強になった。
スズカのために時間をかけたけれども、僕とスズカは走る練習をするだけの間柄で、走ること以外は学園内で会っても目を合わすことすらない。
けど、一緒の時間を過ごして勝つようになってくると信頼してくれたのか、次第に甘えてくるようになってくれた。
ふたりきりだと頭を撫でて欲しいと要求してくるし、くっつくほど近くにきては一緒の資料を読んだりもする。
特にふんわりとした優しい笑顔で見つけてくるのは反則だ。
僕が何度ときめいたと思っている!
トレーナーとウマ娘のただしい関係を維持するために、つい抱きしめたくなる気持ちを抑えるのは本当に苦労する。
普段からこんな様子なんだろうかと他のウマ娘に聞いたところ、僕が知っているスズカとは違うようだ。
学校でのスズカは相変わらず氷の女といった様子で、他のウマ娘もどことなく距離を置いているとのことだ。
そうやって他のウマ娘たちと積極的に話をしたのが悪かったのか、スズカがどこからかやってきては一緒にいる時間が増えた。
だがその一方で、僕が今日は何回あの子と会ったかとか、どんな会話をしていたのかを把握して確認するかのようなスズカの独り言を耳にするようになってきてから怖さがやってくる。
まるでストーカーのように僕が行くところのどこへでもスズカと会うようになって、スズカの自分だけを見て欲しいという欲求も増えてきている。
そのせいか、仲良くなったウマ娘たちは、スズカがいるとおびえていなくなってしまうようになった。
そんな最近のスズカの行動を思い出していると、目の前で初めて見る行動のスズカはもしかして機嫌が悪いからこうしているんじゃないかと怖くなり、そっと背中を向けて去ろうとする。
でもできなかった。
僕の背に冷や汗が出るほどに、低く冷たい声が聞こえたからだ。
「トレーナーがいなくなると、私はこの世の終わりとでもいうような悲鳴をあげますよ?」
その脅迫めいた、ちょっとばかりの怒った感情が乗せられた言葉を聞いた僕はゆっくりと振り向いた。
そうして、まだ机の上に寝転がったままでいるスズカのところへと歩いていく。
「今日はいったいどうしたんだい?」
「いつもソファーで寝てると起こさないで出ていくから、今日は変わった寝方をしていたんです。なのに、いつもと変わらないから少し怒ってしまって」
「あー、スズカが寝てるときは出直すのに気づいてたんだ?」
「はい。ウマ娘は人の気配に敏感ですし、それにあなたのことならいつだって気にしていますから」
そう言ってスズカは笑みを浮かべるも、その笑みはどことなく怖さを感じた。まるでごちそうを前にした捕食者だ。
自然と体が後ろへと下がり、それを見たスズカは目を細めてはゆっくりとした動作で起き上がると、静かに机の上から降りた。
「トレーナーさん、どうして逃げるんですか。私は怒っていませんし、怖くありませんよ?」
感情豊かな耳の動きもなく、笑みを消した無表情のスズカに追い詰められた僕は背中がドアへとぶつかってしまう。そうして逃げられなくなった僕の目の前にスズカがやってくる。
僕のほうが161㎝のスズカよりも8cm高いというのに、僕以上の圧迫感を感じる。
「ふたりきりは嫌ですか? 私はあなたと一緒にいたいだけなんです。でもトレーナーさんに迷惑がかかるといけないと思って、他の子たちを威圧するだけで我慢していたんですよ?」
「嫌ではなくてスズカと仲良くなれるのは嬉しいけど、そこまでスズカに好かれる理由が思い当たらないんだ。だから、いったい何の理由があるかと思って」
「あなたを好きになる理由なんて特別なことは何もありませんよ。私の好きなようにさせて、信頼してくれたあなたを手放したくないと……そう思ったんですから!」
声に力が入り、最後には大声を上げたスズカは僕の肩を掴むと足払いをかけて床へと叩起き落としてくる。
でも床にぶつかる直前、スズカは僕の腕を引っ張ってぶつかる衝撃をやわらげてくれた。
でも、そうしてくれても痛いのは痛く、動けないでいるとスズカは僕の腹へと足をまたいで乗っかってくる。
ストーブの音と、スズカの荒い息遣いが聞こえる中で僕たちは静かに見つめあう。
「スズカ、君に何かあったのなら教えて欲しい。君は今まで僕に危害を与えてこなかったじゃないか」
「今まではそうでした。でもこれからは違うんです。あなたと身も心もずっと一緒にいたいという気持ちを、トレーナーさんはわかってくれますか?」
スズカが静かに言うも、その目はまるで光を失って狂気を宿しているように思える。
それが怖い。怖くてどうすればいいかわからない。
今までは仲良くやってきていて、友情と理解がある指導者と走者のような関係だと信じていた。
なのに、これはなんだ。なんでこうなっている? 僕はスズカとの関係を間違えたか?
僕はスズカが気持ちよく走るために、努力してきただけなんだ。恋愛関係になりたかったわけじゃない。
「僕は今のスズカが怖いよ」
「それなら、なんで逃げないんですか?」
言われて逃げるということすら忘れていた。そしてスズカに言われて体を動かそうとした途端、僕の胸元へ手を乗せて体重を預けながら力を入れてくる。
僕がどんなに力を入れようともスズカは涼しい顔で抑えつけてくる。
必死の抵抗にも関わらず、人とウマ娘にはこんなにも身体能力に差があるのかと今になって実感する。
日頃からトレーニングでそういうのを見てきたというのに。
「僕はいつもの柔らかい笑みを浮かべるスズカが好きだよ」
「強引なのは嫌いですか? 私はこんなにもあなたを好きなのに」
スズカは僕を押さえつけたまま、そう言いながら僕の首元へと口を近づけると小さく口を開けて噛んでくる。
あまり力が入っていないが、噛まれたということに驚きすぎて声すらでない。
スズカは甘噛みするように何度も噛んできたあと、音を出しながら舌で首筋をなめてくる。
背筋がぞわぞわとする未知の感触とエッチに感じる音。
それを一瞬だけ気持ちいいと思ってしまったのはなんだろうか。
「私はトレーナーさんと話をしたいだけなんです。それがダメなら、手足を縛ってお持ち帰りしてもいいですか?」
「そんなことしたら僕は嫌いになるよ」
耳元でささやいてくるスズカの声に気持ちよさを覚えはじめ、このままだと何かがダメになりそうだという危機感が猛烈にやってくる。
なにかの新しい性癖があらたに開発されていく気がする。
そんな未知の感覚を余裕めいて感じられるのは、もうどうにもならないとあきらめているからだと思う。
今すぐ大声をあげても止められ、スマホで助けを呼ぼうとしても無駄だろうと。だから、もう何をされようとも無抵抗になろうと決めると、自然と落ち着くものだ。
「持ち帰りたくなるほど、スズカに好かれる理由はあったかな。他のトレーナーと違って遊びに行ったことはないはずだけど」
「遊びに行かなくても、今まで私を育ててくれたこと以上に好きになる理由はないと思います。どのトレーナーも私を信じず、やりたいことをやらせてくれず、型にはめてトレーニングさせてくるのは息苦しくて。
私のことを思って鍛えてくれたのはわかりますけど、あなた以外は私のことを深く知ろうとしなくて」
僕とのことを話すスズカは、今までの恐ろしさを感じる表情から一転してやわらかい笑みを浮かべてくれる。
スズカは僕から手を離すとポケットからバンソウコウを取り出し、さっき噛まれた場所へと2枚貼ってくれた。
その時にスズカの顔が僕の真上へときて、さらさらの髪が頬を撫でてくる感触は気持ちがいい。
髪をじっと見つめ、手でその髪をさわっていく。
初めて自分からさわったスズカの髪。シルクやサテンの布よりも夢中になってしまいそうだ。
でも視線を感じ、手を止めてスズカの顔を見る。
「私は先頭の景色を見たかったんです。それを見ることは素敵な幸せでしたけど、レースで勝った時にあなたがとても喜んでくれたのはそれと同じくらいに嬉しくて。
私を待ってくれている、あなたの笑顔が大好きでそんな光景をずっと見続けていたくなったんです」
悲しさと懐かしさ、それと愛おしさの感情が見える表情に、走ること以外で僕は初めてスズカにときめいてしまった。
今まで見たことがないからか、それがとてもよく見えて、つまりは恋愛的な感情を持ちそうだという。
「なのに私が好きになった理由をわからないなんてことを言うんですから、今のはそれをわかってもらうためのお仕置きです」
そう言いながら嬉しそうに噛んだところを、壊れ物を扱うかのように優しくさわって色気がある笑みを浮かべたスズカの表情に見惚れてしまう。
さわられているうちに段々と元の落ち着いた様子に戻ったスズカは、立ち上がって僕から離れるとまっすぐに手を差し出してくれる。
僕はその手をすぐに掴んで立ち上がると、僕とスズカは言葉もなくお互いを見つめあう。
僕を脅迫して噛んで傷つけてくるけど、惚れている今となってはそういうのさえもかわいい愛情表現だろうと感じる。
お互いに見つめあっていると、今までと違って恋愛感情がはっきりわかってしまったから恥ずかしく感じる。
それをごまかすために僕は部屋に入ったときからの疑問を聞くことにした。
「話は最初に戻るけど、部屋で待っていたのは僕に何か用があったのかい?」
「早く来たからトレーナーさんを待っていただけですよ?」
「じゃあ、今からトレーニングしようか」
「その前にやることがあります」
僕が疑問の声を上げるまえに、スズカは僕に背を向けると、両手で髪をかきあげる。
それがいったいどうしたのかと聞くと、スズカは不思議そうに見つめてきた。
「髪、さわらないんですか? 怖がらせてしまったお返しに、好きなだけさわっていいですよ?」
「……僕は別にさわりたいわけじゃ―――」
「それなら、なんで私の髪をさわったんですか?」
いたずらっぽく笑うスズカに言い訳すらも思いつかず、申し訳なくなって視線をずらす。
無意識とはいえ、さらさらと揺れる髪にさわりたくなってしまうのは仕方がないと思う。
男性が一般的に好きである女性の大きい胸はさわりたいと思うことはないが、風になびいて揺れる髪はつい目を奪われてしまう。
「さわってもいいですよ?」
2度もそう言われると僕は我慢をせずに、けれども慎重に手を伸ばしてさわっていく。
さわった髪はすべすべで気持ちよかった。他に言葉は浮かばず、とにかく気持ちいい。
そんな髪を手で持ち上げると、手のひらから流れる水のように髪がこぼれ落ちていった。
窓から入り込む夕日の光に髪を当てると、キューティクルが輝いて天使の輪のように見える。
こんな美しいものを見ると、スズカの髪におぼれてしまいそうだ。
まさか自分がこれほどにも髪が好きだったなんて。
またさわる機会があるなら、高いクシやドライヤーを用意して髪を梳いてあげたい。
それと洗うことも。
そう思いながら両手でスズカの髪を優しい手つきで撫でていく。
時々スズカはくすぐったそうにし、色っぽい声であえぐのを聞くと自制心が色々と止まらなくなりそうなのでやめることにする。
僕はスズカから離れると、スズカは僕へと体を向けてくる。
そうして自身の髪をさわり、口元に手をあてて少し悩んでいる様子だ。
1分ほど待つと悩みも終わり、スズカは明るい笑顔を浮かべた。
「私と恋人になってくれれば、この髪はいつでもどこでも自由にしてくれて構いません」
「そういう取引で恋人同士になるものだっけか」
「私は恋愛を少女漫画でしか知りませんけれど、相手の顔が気に入った、性格がさっぱりしていい、作るお菓子はすごくおいしいというのがあるように惚れるきっかけは様々だと思います」
「まぁ、そういうのもあるだろうけど……」
「ではそれから始めませんか? 今は私の片想いでいいですから」
スズカを恋人候補としてキープしているようで嫌な気持ちにもなるが、スズカの期待する目でみつめられると断りにくい。
「わかった。スズカを恋人にしたいとなったら、僕のほうから告白するよ」
「ありがとうございます。そんな優しいあなたが私は大好きです」
愛を告げる言葉と今日1番の魅力的な笑顔を見た瞬間、これは近いうちに完全に惚れると感じた。
付き合ったらスズカからの愛情がすごく重くなるだろうけど、それほどに強く愛されるというのは嬉しい。
いくらかは普段の生活で息苦しくなるかもしれないけど、恋人や結婚した人たちの関係もきっとこういうものだろう。
愛する人が自分だけを見て欲しいと思えば。
髪フェチ小説を書きたくなってきたため、こういう話に。
元々はヤンデレ小説を書こうとしていたんです。