「なぁ、トレーナー。この漫画の『月が綺麗ですね』っていうセリフ、どういう意味なんだ?」
そんなことを唐突に言っていたのは担当ウマ娘の1人であるウオッカだ。
大雨が降って外で練習できない中でタバコを吸うのを我慢し、のんびりしようと暇そうにしているウオッカに声をかけて一緒に漫画を読んでいる。
もう1人担当のスカーレットは静かにしたい気分じゃないということでレッスン室に行ってダンスレッスンをしている。
制服姿のウオッカは俺と同じソファーに腰掛け、読んでいる少女漫画を持って俺のすぐ右隣へと移動してきては俺へと見せてくる。
今年で高等部1年となったウオッカは、トレーナーとはいえ男である俺に無防備に近づいてくるのは困ってしまう。妹が4人いるから女性慣れはしているが。
いい匂いがするし、鍛えていても女性らしい体のやわらかさがあって少しだけ緊張とときめきがある。
だが、その行動によく慣れている俺は読んでいたウマ娘小説をソファーの上に置くとウオッカが指差しているシーンの場所を覗き込む。
そこは美少年の子が主人公である女の子に、月を背景にして喋っているところだった。
つまりは美しい告白シーンだ。
「夏目漱石だな。I LOVE YOUをどう訳するか、という話になった時にこう和訳すると言ったのがそれだと聞いたことがある」
「やっぱりかー。スカーレットの奴も同じことを言ってたけど、そういう意味なのか。あいつ、恋愛漫画も小説もすっげぇ読むから、そういうのを読まないオレに嘘を言っているかと思ったぜ」
「スカーレットはいい子だから、そう嘘はつかないだろう?」
「あー、そうだけどよ。からかってくることが多くて。いや、あいつの話はもういい。なんでこんな訳になったんだろうな」
「日本人なら、それくらい優雅に言ってもらいたいと思っていたのかもな」
そういうムードがあっての告白だったら強く記憶に残る。
言う方も言われる方もいい気分になる。振られたとしても、ショックはやわらぐに違いない。
「自慢げにそういうから、お前だったら、I LOVE YOUをどう訳するかって聞いたんだ」
「へぇ。それでどうなった?」
ああいう強気でプライドが高く、1番を目指している女の子だ。
スカーレットのような子が男性に言うとしたら、
「それが『素敵な匂いがしますね』だってさ。笑えるだろ? なんで告白が匂いになるんだっての」
「スカーレットは俺の服に染みついているタバコを嫌っているからな。それからだろう、きっと」
「ヘビースモーカーってわけでもないんだし、俺は気にしないんだけどなぁ。……うん?」
ウオッカは漫画をソファーの上に置くと、俺の太ももの上に両手を置くと首筋に顔を近づけてくる。
近づいてくるウオッカから顔をそらし、匂いを嗅いでくる恥ずかしさに耐える。
「どうしたんだ」
「そういえば今日のトレーナーはタバコの匂いがしねぇな?」
「タイミング悪くて機会がなかったんだ」
20歳を過ぎてから吸い始め、25歳になる今でも続いている。けど、吸うのは学園の外でだ。
トレセン学園の敷地内では全面的に禁煙で、吸う機会がない。
だから吸う時は敷地の外に行く必要があるんだが今日は出る暇がなかった。
吸っても1日3本ぐらいだから我慢しようと思えばできるのだが。その代わりにちょっとだけ精神が落ち着かなくなるだけだ。
俺が恥ずかしさに耐えていると、首筋から顔を動かして胸元へ
「服もほとんどタバコの匂いがしないぜ!」
「洗い立てだからな」
目を輝かせて驚くウオッカだが、そんなのが珍しいのかと不思議に思う俺。
そんな時だ。
トレーナー室の扉が開き、雨音と共に部屋へダイワスカーレットが部屋へと入ってきた。
腰まで届く長く赤いツインテールをしているジャージとブルマ姿の彼女は、ドアを閉めてから俺たちの姿を見ると大声を上げて怒鳴ってくる。
「私がいない間になにウオッカに手を出してんのよ、変態トレーナー!!」
そう言われて心当たりがない俺はウオッカを見ると、ウオッカと目が合って俺たちはお互い不思議そうに思いながらスカーレットを見る。
顔を赤くして怒っているスカーレットは足早に俺たちの前へ来ると、俺たちへと人差し指を突きつけてくる。
「ふたりきりでそんな密着して何をしていたのよ!」
「何って言われても……なぁ、トレーナー?」
「ウオッカとの距離感は大体こんな感じだが。スカーレットが見ていないだけで」
「……っ!! ウオッカもウオッカよ! クラスで恋バナしているだけで恥ずかしがっているのに、大人であるトレーナーに抱き着いているだなんて!」
出会った頃である2年前は恋愛に関することはひどく苦手だったウオッカ。だが、俺との関係はそんなのではなく兄と妹のようなものだと思う。
世の中の妹を持つ兄たちもきっと俺とウオッカがしているようなことを平然とやっているだろう。
お互いに恋愛感情は持っていなく、……持ってはいないが段々と大人の女性らしい体になってくると俺のほうが恥ずかしくなってはきているが。
それでも男女という仲ではない。
「なぁ、スカーレット」
「なによ」
「俺とトレーナーが仲いいから嫉妬してんのか?」
「はぁ!? するわけないじゃない、そんなの!!」
耳と尻尾が全力で怒りモードのスカーレットは、俺の膝の上にいるウオッカに襲い掛かる。
ウオッカは俺の上にいながらスカーレットと向かい合ってお互いにお互いの肩を押さえて始めた。
俺はというと、ふたりの間に入るとよくないことが起きていたから何もしない。
だが、今回ばかりはなんとかしないといけない。
それというのも、ウオッカの背中が俺の胸へと入ってくる態勢だから、軽く抱きしめてあげないと落ちる。それにスカーレットの力がそのまま俺の体へぶつかってくるから、ウオッカ越しに押さえつけられているのが苦しい。
俺はウオッカの腰に手を回しながら、すぐ目の前にあるウオッカから感じる黒髪ショートとポニーテールの匂いを嗅ぐ。
ここまで近づく場合は汗の匂いを感じるしかなかったが、今日は練習前だから爽やかなシャンプーの匂いがする。
その爽やかなのを感じると、スカーレットが思うI LOVE YOUの意訳もありだなと思う。
そうしてウオッカとスカーレットのじゃれあいは続き、ふとした瞬間にウオッカがよろけて俺の上からいなくなってしまう。
ソファーへと仰向けに倒れたウオッカの代わりに、力余ったスカーレットが勢いよく俺の胸元へと飛び込んできた。
勢いがよかったから、スカーレットが来た瞬間には胸が圧迫されて空気がもれるような音が出てしまう。
「おい、スカーレット! 俺に勝てないからってトレーナーに攻撃するなよな!」
「何言ってんのよ! あんたがよろけるのがいけないんでしょう!?」
「いいから早くどいてくれ」
「わかっ―――」
「どうした?」
急いでどこうとしたスカーレットだが、目を丸くして不思議そうな表情をする。それはキスできそうなほどの距離で、ウオッカとは違ってスカーレットには女性として見てしまっているため心臓の鼓動がやばい。
かといって目をそらすこともできない。恋人にしたいという感情までは行ってないが、こうも綺麗な顔をしているとずっと見ていたくなるからだ。
スカーレットは俺の焦っている気持ちに気づいていないのか、俺の首筋へと顔を近づけては甘い髪の香りを残してすぐに離れて俺から距離を取った。
「タバコの匂いがしないわ……」
「今日は吸ってないからな。おいこら、匂いを嗅ぐな変態め」
「誰が変態よ。体からタバコの匂いがしないなんて初めてじゃない。ねぇ、ウオッカ?」
「ん、あぁ、いや、そうでもないぜ? 風呂上りの時とか」
「それもそうね。そういう時なら匂いが落ちてい―――待って、なんでウオッカがそれを知っているのかしら。いつも夜はアタシと一緒じゃない」
「そりゃあ時々自主練でするランニングの帰りに寄っているから」
仰向けになっているウオッカはなんてことのないように言っているが、スカーレットのほうは違う。
驚き、怒り、焦り。そういう色々な表情が混じっている。それと俺がウオッカに性的な意味で手を出していると思ったのか、物凄いにらみつけてくる。
「スカーレットはウオッカとランニングしても先に置いて行くだろ。ウオッカからそう聞いているんだが」
「確かにいつもウオッカより先に着いているけど。いつも遅いと思ったら、そんなことをしていただなんて……!」
「なんだよ。前に誘ったら行かないって言ったじゃねぇか」
「だって汗かいてるのに、汚い姿で行けないじゃないの!」
「いっつも見てるじゃん、そういうの」
「それは学園にいる時でしょ! 自主トレしている時とは違うのよ、このバカウオッカ!」
「なんでそうなるんだよ! わけわかんねぇこと言うなって!」
ソファから起き上がったウオッカはそう言ってスカーレットとにらみ合う。
このふたりはよくこうやって口喧嘩のようなことをして、仲良く言い争いをしている。
むしろ、これがないとふたりが元気じゃないと思ってしまう。
「ところでふたりとも。俺はタバコを吸ってもいいのか?」
ふたりが楽しく言い争いをしている中、無視されると思いながらも彼女たちのことを思うならタバコをどうにかしたほうがいいのかと思って聞いてみる。
するとふたりはピタリと言い争いをやめ、すぐにじっと俺を見つめてくる。
ふたりして同じ行動を取ると、びっくりして怖いからやめて欲しい。仲がいいからこそ同じことができるのはわかるが。
「吸ったほうがいいぜ」
「吸わないほうがいいわ」
同時に言われる、正反対の言葉。
ウオッカとスカーレットが自分の意見を言った瞬間、すぐにふたりはお互いに向き直って言い争いをしようとしたところを俺は止める。
「待て。言い争うな。お前らはなんでそういう意見になったんだ? あぁ、俺の健康がどうってじゃなくて、お前らに取ってタバコはどう思っているかの意見をくれ」
「タバコを吸っていると大人でかっこいいから。それにライトスモーカーでタール少ないを吸っているから気にならない」
「私は吸っていないほうがいいと思うの。そっちのほうがあなたは素敵な匂いがしていいわ」
ウオッカは真面目に意見を、スカーレット大きなため息をついては愚痴のような何かを言った。
だが、俺はスカーレットの言葉が気になった。
それはさっきウオッカが言っていた I LOVE YOU のスカーレットが思う意味だ。それにとても近い。
これはどういうことだ!? とウオッカへ目を向けると、ウオッカも驚いたらしく目をぱちくりとさせている。
ウオッカもスカーレットの言葉に驚いているということは、I LOVE YOUの言葉だと認識している。つまりはスカーレットは俺に恋愛感情を持っているってことか、おい。
そう考えると、急にドキドキしてくるんだが?
「あー……なんだか俺は邪魔っぽいから10分後に……いや1時間後に戻ってくるから! それじゃあな!!」
「おい、ウオッカ!」
「なんで急に慌てて帰ったのかしら」
この狭いトレーナー室にスカーレットとふたりきりにしないで欲しかった。
気を使っていなくなったんだろうが、そういうのはお互いに恋愛感情を持っている時に気を使うものだ。
今回の場合はいてくれたほうがよかった。俺ひとりだと対応に困る。
「まぁ、理由はわかるんだが……」
「なによ。私だけ知らないってこと? 教えなさいよ!」
少し怒った様子のスカーレットは俺のすぐ左隣へ来ると、迫ってくるので顔を押し返す。
その時にぎゃーぎゃーわめくから正直に言ってスカーレットをおとなしくさせることにした。
そう、自分の発言を思い出して恥ずかしくさせておとなしくなってもらおうという、実に賢い俺の判断で!
「お前、I LOVE YOU の意訳をウオッカになんて言ったか覚えているか?」
「なによ、急に。ウオッカのことなんてどうでもいいでしょう!?」
「ウオッカにいった言葉を思い出してくれ」
そこでスカーレットは俺に顔を掴まれたまま、動きを止め考え始まる。
それから1秒2秒と時間が経つごとに事態を把握できたスカーレットは顔が赤くなり、俺の手を振り払うと大声をあげて暴れ始めた。
「月が綺麗ですねって言う言葉は有名だけど、あれをウオッカに言うのはなんか恥ずかしかったのよ!」
「それがなんで『素敵な匂いがしますね』になるんだ!? 流れがわからんぞ!」
俺のほっぺたを引っ張ろうとしてくるスカーレットに必死で抵抗し続けていると、ふと力がなくなり組み合った状態でスカーレットは話し始めた。
「とっさに思いついたのがあんただったのよ! ……それで顔や声、性格が私好みなあんたの匂いがよかったら、アタシは恋愛相手として惚れるだろうな……って、ああもう!!!」
大声をあげ、深呼吸したスカーレットは俺をみつめ、けど恥ずかしそうにしてくる。まるで恋する乙女のような表情をして。
「こうなったら最後。あたしの告白を聞いてもらうわ! 年齢差なんて関係ないの。妹みたいにもう扱われたくない。いい? ちゃんと聞きなさいよ。1度しか言わないから。
……私はあんたのことが大好きなのよ!!」
ここまで怒り狂うように大声で言っていたスカーレットだが、言いたいことを言い終わると俺の首へと腕を回して胸元へ顔を押し付けながら抱きしめてくる。
そうしたあとに不安そうな表情で俺を見上げてくる。
その顔はいままで1番のかわいさだ。
「私、あんたの、ううん。あなたのためなら―――」
俺の耳元にささやかれる甘いささやきの声。
それは歳相応でなく、大人の甘い声だ。
そんなのをささやかれると抵抗せずに言いたいことを全部聞き、普段ツンツンしてくるギャップもあってか俺の耳と脳がとろけてしまう。
それからウオッカが戻って来るまではスカーレットの好きなようにされてしまった。