ウマ娘恋愛短編集   作:あーふぁ

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2.キングヘイロー『キングヘイロー:私の走る理由』

 星空が綺麗に見える夜。トレセン学園で用務員として働いている僕は、1Kの広さであるアパートの部屋へと帰ってくる。

 18歳の時に北海道から就職して働くためにトレセン学園へやってきて5年が経っていた。

 3月はじめの今の時間帯は少しばかり寒く、本棚やちゃぶ台がある畳の部屋はひんやりとした気温だ。

 灯りをつけてカーテンを閉めると、すぐに石油ファンヒーターのスイッチを入れる。

 部屋はまだ寒いが息苦しい服からの解放を求めてジャンバーとその下に着ていた服を脱ぐ。

 そして自分の体を見て思うのはそれなりに筋肉がついたと感じる。

 トレセン学園での仕事は幅広く、馬場整備から学園敷地内の木の剪定や学校設備の維持までする。日頃から結構な体力を使うために高校生の頃よりもいい体つきになってしまった。

 

 成長したなぁと実感してから、動くのが楽な黒色のジャージへと着替えると夕食の準備を始める。

 と言ってもカップラーメンを食べるためのお湯を沸かすだけだ。

 夕食を食べ終えたあとは妹同然のキングヘイローからもらった、デビュー戦の時に使った蹄鉄(ていてつ)の手入れをやることにする。時々手入れをしないと、すぐにサビが増えてしまうから。

 1週間前にもサビ取りをしたが、今日も手入れをする。

 

 普段は定期的にやるものだが、仕事中にテレビで見たヘイローの弥生賞を見た興奮がまだ残っていたからやりたくなってしまう。

 レースのほうは残念ながら3着で負けてしまったけど。

 

 夕ご飯の片づけをし、台所に行って換気扇のスイッチを入れると部屋に戻ってヒモを結んで壁にかけてある蹄鉄(ていてつ)を手に取る。

 それと部屋の隅に置かれているサビ取りとサビ止めスプレー、それに白い布の横へと座ってはそれらを手に取ってサビを取る作業をしながらヘイローとのことを思い出す。

 キングヘイローとの出会いは、僕が小学校低学年の時だった。

 僕の母親とキングヘイローの母親である、ウマ娘として名門であるグッバイヘイローさんとは親友と呼べるほど仲が良かった。

 

 だから親が子供を連れて互いの家に訪れる機会も多く、そのある時にグッバイヘイローさんから直接、娘であるキングヘイローの遊び相手兼友達になって欲しいと言われた。そして良ければ、信頼できる友達にと。でも僕が嫌いになった時や、あの子がダメな子だとわかった時は見限ってもいいと言われたけど。

 当時の僕は素直に「わかった」とは言ったが、多くの意味は理解しないままだった。

 でも生まれてまだ2年ほどのキングヘイローは幼くもかわいいウマ娘だった。僕は一目で夢中になり、機会があれば一緒に遊ぶようになった。

 

 お互いに成長していくうちに、一時期は反抗期や大人になっていく途中で仲が悪くなったりしたものの、本当の兄と妹みたいな関係になっていく。

 僕は彼女のことを『ヘイロー』と呼び、ヘイローは僕のことを『兄さま』と呼んでくれる関係に。

 高校を卒業すると、僕はグッバイヘイローさんの紹介で北海道から本州にあるトレセン学園へと就職した。

 

 その時はヘイローが寂しさで泣いてくれたのが印象深く、時々思い出すことがある。

 それから少しの時が経ち、ヘイローがトレセン学園に入ってきた。

 学園で再会したときは嬉しかったが、ヘイローは僕に対して距離を置いてきたのが寂しく思えた。

 でもそれは学園で会った時だけで週に1、2度ほど僕の部屋にやってくるときは昔のような距離で接してくれる。

 そんな出会った頃や小さい頃を思い出しながら始めた作業は終わり、ちょっとだけあったサビは取れた。

 あとは仕上げとしてサビ止めをつけるだけ。

 

 と、作業を続けようとしたらチャイムの音が部屋に響き渡る。

 壁にかけてある時計を見ると時刻は午後9時半。

 この時間に来るとしたら1人しか思いつかない。

 ヘイローと会えると思うと自然に笑みが浮かび、蹄鉄(ていてつ)と道具を置いて玄関へと向かう。

 すぐにドアを開けると、そこには薄い青と白を基調としたトレセン学園の制服を着てニーソックスを履き、ボストンバッグを肩にかけているキングヘイローがいた。

 ヘイローの身長は僕より20㎝低い159㎝。

 頭の上にあるウマ耳の両方には青色のカバーを付けていて、右耳には小さな緑色のリボンを結わえている。

 

 女子高生のような幼さがある顔だが、美人度に関しては肌が輝くようで胸もあってスタイルがよく、そこらの子よりも美人だと自慢したくなるほどに綺麗だ。

 髪はよく手入れがされていて、肩まである跳ねっ毛な明るい茶色のセミロングだ。ウマ尻尾の毛も髪と同じく手入れがしてあり、尻尾は高く持ち上がり左右にふんわりと揺れていた。

 レース後で負けたから落ち込んでいるかと思いきや、そんな雰囲気はなく疲れた表情をしていたものの、僕の顔を見ると笑顔を浮かべて抱き着いてくる。

 

「おつかれさま、ヘイロー。レースは残念だったね」

「はい、兄さま。でも楽しかったです。まだ自分が早くなれる余地があるとわかって今日は嬉しい日でした」

 

 そう嬉しそうに言って僕の胸に顔を押しつけてくるヘイローの髪を優しく一撫でし、僕はヘイローの両肩を掴んでは押して距離を取る。

 不満そうな顔で僕を見上げる姿はかわいいが、先に心配することがある。

 

「今日も泊まるのかい?」

「外泊届けもきちんと届けてきましたわ」

「寮にいたほうが快適だし、ご飯もおいしいと思うけど。それにレース後だし休まないと」

「兄さまのそばにいるのが最高の休養となりますの」

 

 僕の腕を優しく振り払うと、ローファーの靴を脱いで部屋へと上がる。その際にきちんと靴を綺麗に並べていく。

 僕はドアの鍵を閉めると、ヘイローの後を追う。

 ヘイローは畳の上にボストンバッグを置くと正座で座り、ウマ耳にかぶせているカバーを外してバッグにしまうと僕が手入れをしていた蹄鉄(ていてつ)をじっと眺めている。

 

 疲れているだろうから、すぐにくつろいで欲しいと思うが、作業の方が気になって仕方がないらしい。

 僕はヘイローの隣に座り、その蹄鉄(ていてつ)を取るとさっき続けていた作業を進める。

 サビ止めのスプレーを吹き付けては丁寧に布で拭いていく。溝も釘穴の部分も時間をかけて。

 静かなままヘイローは僕の手元を見ているため、気になっていることを聞く。

 

「ご飯は食べてきた?」

「はい。スペシャルウィークさん、セイウンスカイさんと一緒にレース場の食堂で」

 

 蹄鉄(ていてつ)から目をちょっと離し、表情をうかがうと怒りや落ち込むような感情は見当たらない。

 その2人のウマ娘はヘイローより先にゴールしたウマ娘たち。

 レースに負けても仲良くでき、一緒にご飯を食べれるのはいいことだと思う。

 相手に敵意を向けることや恨むことをせず、ただ自分の成長について喜べるは素敵なことだ。

 それにその2人のウマ娘とは話したことがあるから、3人とも仲が良いいのは安心する。

 蹄鉄(ていてつ)へと目を戻し、会話はないが穏やかな空気の中で作業を終える。

 

「綺麗になっただろ?」

 

 と蹄鉄(ていてつ)をヘイローの前に持っていって見せつける。

 

「そのまま大事にしていてくださいね?」

「ああ。ヘイローからもらった大切なプレゼントだからね。サビがつかないように頑張るさ」

 

 そう言って立ち上がり、蹄鉄(ていてつ)を本棚の上へと置く。壁に飾るのは明日やることにしよう。

 綺麗になった蹄鉄(ていてつ)を見ていると、暖かい視線を感じてヘイローへと向く。だが、視線が会った途端に顔を横に向けた。その横顔は嬉しそうに笑みを浮かべていた。

 

 サビ取りに使った道具を片付けて台所の換気扇を止めたあとは、ぼぅっとした静かな時間を過ごしたくなってヘイローのそばで壁に背をあてて座る。

 それを見たヘイローは俺の前に膝立ちで急いでやってくると、俺の膝へと手を置く。

 いったい何をしたいんだろうかと不思議に思っていると、ヘイローは恥ずかしそうに口を開いた。

 

「あの、少しばかり足を開いていただけません?」

「どうして?」

「理由は、その……ですね。その、北海道にいた頃のようなことをしたくなりまして」

 

 それで昔のことを思い出した。小さい時から、ヘイローは足の間に入って僕の胸へと体を預けるというのを気に入っていた。

 こっちに来てからは1度もそれをしなくなっていた。

 ヘイローも美人なウマ娘の大人として成長していくのだから、子供のように扱うのは失礼だと思っていたからだ。

 

「それに2回も続けて負けると、私の心もちょっとだけ疲れているんです。だから、これは心の栄養補給なんです!」

 

 恥ずかしそうに大きめな声で言う姿がかわいらしく、苦笑しながら俺は足を開くとすぐにヘイローはその隙間に体を入れてくる。

 僕の胸に背中を預けると、安心したような大きな息をついた。レース後にシャワーを浴びたらしく、シャンプーのふんわりした香りを感じていると、ヘイローは僕の左右の手を取ると自分自身のお腹のあたりに持ってくる。

 この姿勢は僕がヘイローを抱きしめている態勢だ。

 恥ずかしい気持ちがでるも、小さい頃の時と変わらないなと懐かしい気持ちで安心する。会話もない静かな部屋で僕はヘイローの温度を感じながら、僕はそんなことを思った。

 

 ちょっとのあいだ、お互いの体温を感じあっていたがヘイローは今日のレースやウイニングライブについてゆっくりと話し始めた。

 弥生賞では負けたけれど3着になれたのだから、能力的には劣っていないという自信ができた。次のレースである皐月賞ではいいところを見せれるかもしれないと興奮した様子で語ってくれる。

 ウイニングライブはレースとはまた違う楽しさがあり、見てくれる人が喜んでくれることが嬉しい、と。スペシャルウィーク、セイウンスカイのふたりと一緒に何かをすることは楽しいとも。

 ヘイローは喋りながら僕の手を撫で、時には太ももをぺしぺしと叩きながらも話をしてくれる。

 そんな仕草なヘイローがかわいく思える。

 

「ヘイロー」

「なんですか、兄さま?」

 

 不思議そうに顔を僕へと向けてくる。

 喋っているあいだは顔が見えなかったが、こうして見るとヘイローの顔が好きな僕としては嬉しい。それに昔と違い、レースで走る理由も変わっていそうだ。

 最初は走る理由は『親が優秀だから、子も優秀であるべき』なんてことを言っていた。

 僕と仲良くなってからは『自分の優秀さと、兄さまにいいところを見せたい』と変わっていった。

 優秀な親を持ったせいなのか、周りからの期待が強すぎたのか、自分の意思は走る理由に入っていなかった。

 

 周囲の希望を子供ながらに応えようとして、頑張っていた。

 僕が『好きなように走ればいいんじゃないの?』と言ったら『ウマ娘だから他の誰よりも早く走らなければいけないのです』と。

 トレセン学園での生活が楽しい今では、新しく走る理由を見つけているのか気になる。

 

「走るのは楽しいかい?」

 

 聞きづらい質問をしてしまい、ヘイローの返事が以前と変わらなかったらと考えると気が重くなる。もし変わっていなかったら、そのうち重みに潰れて走ることが嫌いになりそうに思えたから。

 でも僕の暗い考えとは逆に、微笑みを浮かべる。

 

「とても楽しいです。ここには競い合える友がいて、純粋に走る力を比べられることは私にとって幸せなことです。あ、ウイニングライブも楽しいですよ?」

 

 自然な笑みに僕は安心し、ウマ耳を優しく撫でる。

 ヘイローは目をつむり、僕の手の動きに合わせて気持ちよさそうにする。時々色っぽい声が出てくるのにかなり驚いて手の動きが止まるが、ヘイローが自分から僕の手へと頭を押し付けてくるために動揺を抑えて撫で続ける。

 今まで子供扱いをしてきたが、精神が大人になりつつあるヘイローをこれからは1人の大人なウマ娘として扱ったほうがいいかもしれない。

 

 そう思いながらも昔のように撫でる手は止められず、今度は髪を撫で始めてしまう。

 変えようと思ってもなかなか変えられるものじゃない。そもそも僕が妹離れをするのが辛いし、大人扱いした結果が『兄さまなんて大嫌い!』と言われた日には、休暇届けを出して北海道に帰ってしまう気がする。

 ヘイローの成長は嬉しいが、僕自身の精神が昔のままで止まっているのは苦しいがしばらくは穏やかな時間を過ごしたい。

 このままずっと撫で続けていたいが口に手をあてて大きなあくびをするヘイローを見て、いつもより寝る時間は早いが寝てしまうことにする。

 

「レースで疲れているだろうし、もう寝ようか」

「……兄さまがそう言うなら」

 

 僕の言葉に眠そうな顔のヘイローはゆっくりと立ち上がり、置いてあるボストンバッグから白色の下着と緑色のパジャマを取り出して風呂場の前へと行く。

 そして僕の視線を気にすることなく、服を脱いでいく。

 アパートに泊まりに来たときは必ず着替えるが、その時は僕が外に行って待っている。だからトレセン学園に来てから下着姿になったヘイローを見るのは初めてで、いい筋肉の体だなと感心する。

 じっと見ていると僕の視線に気づいて、ぼんやりとしたヘイローはウマ耳をピーンと真上に立てて、大口を開けては声さえも出ない驚きの表情になった。

 このまま見続けるのはやばいと思い、即座に背を向ける。

 何か怒ってくるのかと思いきや、部屋と風呂場の間を仕切る戸が閉まり、服を急いで脱ぐ音が聞こえて風呂場へと入っていった。

 

 それでも背を向けたままでいて、風呂場からシャワーの音が聞こえたときにようやく体から緊張が抜けていく。

 すぐに思いだすのはヘイローの下着姿だ。その時に見た体はウマ娘らしい筋肉の付き具合に感心した。もちろん女の子として成長した部分はあり、色気が増してはいるがときめいたりはしない。

 それは長い時間を一緒に過ごしたから異性とは思えないし、大事な妹だから。

 僕は人間でヘイローはウマ娘だけど、これから先、どれだけの時間が経っても大事な妹だ。

 そばにいるあいだ大事にしようと思いながら、ヘイローがシャワーから上がってくるまで時間を潰すために本棚から小説を取り出して読みを始めることにする。

 

 そうして小説を読み始めたものの、ヘイローの下着姿が記憶に強く残り集中して読むことができない。

 なかなか忘れることができず、早くシャワーに入って意識をさっぱりさせたい。でもヘイローはまだシャワーから上がってこず、時間が経つのがとても遅く感じる。

 入りたい気持ちを抑えつつ待っていると、風呂場の扉が開く音が聞こえた。それからすぐに部屋と風呂場のあいだを仕切る扉が開き、緑色のパジャマを着たシャワー上がりのヘイローの姿があった。

 それを確認すると僕は小説を畳の上へと置いて立ち上がり、タンスからパジャマと下着の着替えを持ってヘイローの横を通り過ぎる。

 その時にヘイローは僕の腕を掴んで睨んできた。

 

「兄さま、私に何か言うことはありませんの?」

「あー……しっかり髪をかわかしてね?」

「違います。ほら、こう、私を見て……何かときめきません?」

 

 最後の言葉は僕から目をそむけ、恥ずかしげに言ってくる。

 そんな仕草はかわいいと思うが、それは妹としてかわいく、異性としてはまだときめきはしない。

 

「ずっと昔から妹であるヘイローはずっとかわいいよ」

「あ、ありがとうござ―――ではなくて、ときめかないんですか!? そして妹的かわいさよりも1人の女性としてはどうなんですか!?」

 

 ヘイローの大声から逃げるように仕切りの扉を閉め、素早く服を脱いでさっさと風呂場へと入った。

 8年前から1年に1回は今のように同じことを聞いてくるから、素直に最後まで聞くと返事に困る。

 どうもヘイローは僕にときめいて欲しいらしい。その理由がわからない。

 女性として充分に綺麗だし、強気な性格は慣れてしまえば素敵なものだから自信を持っていいぞと言っているのに。

 

 僕が高校生の時は当時付き合っていた恋人に対し、その人の前で僕に抱き着いてきては仲の良さをアピールしてきて困らせてくれたものだ。

 と、ここでヘイローが言いたかったことに気づく。

 小さい頃から一緒に過ごしてきた僕たち。僕が高校生になって、距離が離れた高校に通うようになって自然と一緒にいる時間が減ると共にヘイローの自己主張は増えてきた。

 ……つまりヘイローはブラコンだ。

 そう認識すれば、多くのことに納得する。

 今日だってそうだ。兄と妹の関係として過ごしてきたとはいえ、大人になっていくに連れて兄離れというのが起きるはずだ。それがないということは、もう兄が好きすぎて仕方ないという事だろう。

 きっと間違いないはず。

 

 答えが出たことで安心し、ヘイローがまるで僕を男として見ているわけじゃないと理解できた。

 シャワーを終え、風呂場から出てヘイローと同じ店で買った、サイズ違いの緑色のパジャマを着る。

 仕切りを開けると、畳にあぐらで座りながらクシを使いつつドライヤーで髪を乾かしていた。

 僕が来たことに気づくと表情を明るくし、ドライヤーを止めて僕の前までやってくると腕を引っ張ってきて座らせられる。

 

「私が髪を乾かしてあげます」

「毎回やってもらうのは、僕の兄としての尊厳がなくなりそうなんだけど」

 

 ため息をついて言うと、ヘイローは僕の後ろに回り込んで濡れた髪を触ってくる。

 

「大丈夫です。私は心の底から兄さまのことが好きですから」

 

 その言葉に一瞬、心臓がどきりと音を立てた。好きというのは普段から聞いているが、今のだけは違った。

 好きという意味は兄として? と聞こうとしたがドライヤーの音によって聞くタイミングは止められた。

 そのままヘイローに髪を乾かしてもらっているが、落ち着いた今となっては聞くことができなくてよかったと思う。

 もし、もしもだ。

 僕のことを男として好きだと言ったら、ヘイローを意識してしまって今までの関係が変わってしまう。

 それは怖いことだ。僕はこのまま変わらない関係で、ずっと穏やかに過ごしていきたいから。

 そんな想いを抱きながら、乾かし終えるのを待つ。

 ドライヤーの音が止まり、ヘイローが僕の髪を撫でて乾いたのを確認する。

 

「もう大丈夫ですね」

「次は僕がヘイローを乾かしてあげるよ」

「それなら明日も泊まりますわ」

「ダメ。外泊しすぎると学園から怒られるだろう?」

 

 そう言って立ち上がるとヘイローは不満そうに頬を膨らませるが、僕はそれを気にせず台所に行って歯磨きをする。

 台所には僕とヘイローの物である歯ブラシとコップが置いてあり、ヘイローのを取るとまだ不満な顔を向けてくるヘイローへと差し出す。

 じっと僕を見つめていたが大きなため息をつくと、しぶしぶといった様子で僕の隣へとやってきて受け取った。

 

 僕たちは並んで歯磨きをし、寝る準備を進めていく。

 しかし、ヘイローの私物も増えてきたなと思う。

 始めは遊びに来て、その日のうちに帰っていった。今では泊まるようになり、必要なものである自分用の歯ブラシやコップ、シャンプーや布団すらもある。

 ……考えてみると、これは同居生活に近いのかもしれない。

 これがヘイローの母親であるグッバイヘイローさんに伝わったら、レースの集中を邪魔しているとして怒るかもしれない。いや、むしろ『精神を落ち着かせる場所があればレースで連敗してもやっていけるから安心した』と言ってきそうだ。

 

 歯磨きを終えた僕たちは部屋を片付け、押し入れから2人分の布団を出して敷いていく。

 敷く際に布団同士の距離は離しておく。お互いに寝相が悪いというわけではないけれど、女の子的には寝る時は距離を離したほうが安心できると思って。

 それと近すぎるとヘイローの寝顔で僕が落ち着けないから。かわいい顔を見ていると、理性がなくなって抱きしめてしまいそうだ。

 いつも通りに布団を敷いたのに、ヘイローは口元に手をあてて考え事をしたあと、布団同士をくっつけた。

 僕はそれを見て無言で距離を取るも、またくっつけられる。

 それを3度ほど繰り返したところで僕は諦めると、ヘイローはガッツポーズをとって喜んだ。

 

「寝るか」

「はい、仲良く寝ましょう」

「寝るに仲良くも何もないと思うんだけど」

 

 僕はストーブを止めてヘイローが布団に入ったのを見て、部屋の灯りを小さなオレンジ色へと変えると自分の布団に入る。

 天井を見上げ、寝ようとするがすぐ隣からヘイローの息遣いが聞こえることが気になりすぎてしまう。

 なんでだろう。よく僕のことを好きですと言われ慣れているのに、今日だけはなぜだか意識してしまう。

 妹なのに、1人の女性として見てしまいそうだ。別にそれが悪いことではないけれど、今までの関係から変わると扱いに困ってしまいそうだ。

 ヘイローとの関係性に悩んでいると、ふと声をかけられる。

 

「兄さま」

「なんだい?」

「次のレース、G1である皐月賞に勝ったら私のお願いを聞いて欲しいの」

 

 多くのウマ娘が目指し、破れていくG1のレース。それだけにウマ娘にとって、G1勝利というのはとても栄誉あること。

 それを勝つことができるなら、ウマ娘のキングヘイローは素晴らしいウマ娘と言われるだろう。

 だから、ヘイローの望むプレゼントをあげてもいいと考える。

 

「G1のレースに勝てたなら、なんだって聞いてあげるよ」

 

 そういうと、ヘイローは布団の中で僕の手を優しく握り、すぐ耳元に息遣いが聞こえてくる。

 

「……私の恋人になってください」

 

 耳がくすぐったい小さなささやき声で言われ、頭でその言葉の意味を理解したと同時に勢いよくヘイローへと振り向くが、すぐにヘイローは僕から手を離すと背を向けていた。

 今まで妹としか思わないようにしていたが、こうも言われると意識してしまう。

 

 物凄く恥ずかしく、顔が熱く、心臓の鼓動の音がうるさく聞こえてくる。

 自分の今の状態が理解できると、隠れていた感情は女性として好きだというのが表に出てくる。

 今、この瞬間に僕とヘイローの関係は兄と妹から、1人の男と女に変わっていく。

 ゆっくりと深呼吸し、ゆっくりと落ち着いてきた僕はヘイローに素直な気持ちを伝える。

 

「いいよ」

 

 素敵な言葉は言うことができなかったけれど、その言葉を聞いたヘイローは突然布団の中に潜り込み、何かの言葉を興奮して言っているようだったが聞き取ることはできなかった。

 僕としては今すぐに恋人関係になってもいいのだけど、G1を勝つまで待てる。そのほうがやる気が出るだろうし、ヘイローならすぐにG1を勝つだろう。

 

 勝ったときにはどんなふうにお祝いしようか、どこにデートしに行こうかと今から考えてしまう。その前に母親であるグッバイヘイローさんにも会いに行かなきゃいけないか?

 まだ先のことを頭の中でぐるぐると考えてしまい、中々寝れない。

 その時に隣でヘイローが動き、微笑みを向けてくる。僕はそんなヘイローの顔を優しく撫でる。

 

「早く寝ないと明日は遅刻するぞ」

 

 そう言って僕の方から背を向ける。かわいい顔をじっと見ていると落ち着くことなんてできないから。

 目をつむり、頑張って寝ようとすると優しげな声が聞こえてくる。

 

「おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」

 

 その言葉を最後に僕たちの間に静かな時間が流れ、ヘイローの寝息が聞こえてくる。

 次第に興奮が収まり気持ちが落ち着いてくると、少しずつ眠気がやってくる。

 そして次に目を開けたときはいつもと変わらない日常がちょっとだけ変わり、今までよりも幸せな時間が増えるに違いない。

 そんなことを考えながら、僕の意識は穏やかに沈んでいった。




2018年6月17日投稿

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