夏の合宿が終わり、学園に帰ってきてから4日が経つ。
平日である今日の午前は1人ピーマンの収穫をしていた。
トレーナーなのに、お前はいったい何をしているんだとよく言われる。
聞かれた人に毎回言っているけど、何かの用事で生徒会室へ行ったときにエアグルーヴと雑談をしていたら一緒に畑を作って管理することになっていたんだ。
それも少し手間がかかる減農薬で。なんでも自然に優しいのをやってみたいと言ってきたから。
俺としては薬でばしゃーってやんないと虫が大量発生する印象だったが、今の機会じゃないと育てることもないかと思ってやった。
そのあとはやる気があるエアグルーヴに負けて1年目を過ぎて2年目も協力をすることに。
でも手間がかっても自分たちの手で育てるというのは意外と楽しかった。
畑を始めた当時は本業も忙しくなく、先輩トレーナーから任された担当ウマ娘はデビューしたばかりのメジロドーベル1人だけ。
男が苦手でうまくコミュニケーションができず悩んでいた当時は気分転換の趣味として始めることができたのはよかった。
ピーマンを育てつつエアグルーヴに愚痴や相談をし、一緒に農業雑誌やネットで勉強をしてはマルチを張り、土寄せや剪定などもやった。
そうしてストレス発散と、覚えた知識を使って野菜の成果を見るのは中々に楽しいものだ。
今年でピーマンを育てて2年目だが、去年よりも上手にできていると思う。
取れたものはエアグルーヴへ後で持っていくことにして、気分よく昼休みへと入れた。
昼ご飯を食べ終わりジャージ姿の俺は冷房がよく効いているトレーナー室で涼んでいると、昼休みが半分を過ぎた頃に制服姿のドーベルが小さな手提げバッグを持ってやってきた。
普段は控えめだけど、今日は強いノック音と共に部屋へと入る。
ドーベルは腰まである長さのまっすぐな黒髪がふわりと揺れて気の強そうな、でも一瞬にして弱々しくなった目で俺を見てくる。
「その、トレーナーにお願いがあるんだけど」
ソファーに深く腰掛けていた俺から、人ひとりぶんの距離を取って座ったドーベルは俺から目をそらし、申し訳なさそうに言ってくる。
俺はそのままドーベルに話を続けさせ、5分ほどの落ち着きがない話をしてきた割には用件はシンプルなことだった。
漫画でやりたいシーンがあるけど、自分で調べてもよくわからないということ。
ドーベルは男が苦手ということもあって、出会った時からうまく要点を言えないことがある。
担当になって今年で3年目にもなると、全部ではないものの仲が良くなってくると何を言いたいかわかることが増えてきた。
特にドーベルが漫画を描くのを隠していることを偶然知ってからは同じ少女漫画好きということもあって漫画の話題をすることが多くなった。
「ラブレターの書き方を知りたいということだな?」
「そう。自分で考えてもよくわからない文章になるの。それに手書きだとどうすればいいかわからなくて」
その言葉を聞いた瞬間、胸にズキリと鋭い痛みを感じるもののなぜかがわからない。
きっと親離れしていく子供みたいに思ったんだろう。
「トレーナー?」
「いや、なんでもない。ドーベルとレース以外の話をするのはあまりないから驚いたんだ」
走ること以外だと頼ってこないドーベルだからこういうのはあまりない。
ドーベルとはレースでしか関係のないビジネスライクな感じだから、こういうふうに頼られるのは嬉しい。
だからといって気合を入れると嫌がられるに違いないから、あまり興味のないふうにしないとな。
できれば頼れる大人として活躍したいところだが、ラブレターなんて高校生の頃に2度もらっただけで書いたことがないから役に立つかは怪しいが。
しかし、ドーベルに好きな人ができたか……。
まるで自分の妹に好きな人ができたようで、嬉しい気分だ。
だけどもそんな様子を察したのか、ドーベルは慌てて大きな声で言ってくる。
「好きな男ができたのか。レースに影響が出なければ――――」
「別に好きな人がいるとかじゃなくて! ……漫画を描くのにいまいちわからないの」
こんなに寂しくなったのは初めてで、ちょっとだけ落ち込んで言っているとドーベルが声を張り上げて俺を止める。
耳も尻尾も怒った様子だ。
これほどまでに怒るのは、漫画に真剣な気持ちを持っているドーベルだからこそだ。
ついからかってしまいたくなるが、それはエアグルーヴにでもやることにしよう。
「わかった。わかっているから。ドーベルが男を好きにならないってのは」
「別にそういうわけじゃ……。いえ、それは別にどうだっていいの。告白された経験ある大人としてあなたに手伝って欲しくて」
「それほど恋愛したわけでもないんだが」
「エアグルーヴ先輩に聞いたの。あなたが高校生の頃、3度告白されて2回は手紙だったって。でも恋人は作らず、今もいない」
その話をされた途端、俺は痛みのあまりに両手で胸を素早く押さえる。
年下の子に24歳というおっさんの俺が恋愛話をなんでしてしまったのか、今でも後悔して思い出すと辛い。
あの時は1年前のすごく暑い日に、エアグルーヴと一緒に剪定作業をしていた時だった。
ラジオを聴きながら草取りやっていた時に、アナウンサーが恋愛の話が流れていた。
暑さで理性が弱まっていた俺は、ラジオが流れていたとはいえエアグルーヴにしては脈絡なく俺の恋愛関係について聞いてきた。
恋人と有無、恋愛経験、好きな女性のタイプなど。
聞かれるまま全部答え、そのあとに「俺が好きなのか?」とからかったら「たわけ!」の怒声と共に使っていた軍手を投げつけられたのは今でもよく思い出せる。
それぐらい気安い関係だったとはいえ、ドーベルに全部話されると恥ずかしい。
「他の人に言わないでくれよ。今まで恋人がいなかったってことは秘密にしたい」
「どうして?」
「女性と仲良くなれなかったなんて恥ずかしいじゃないか」
「そうは思わないけど。告白を3度もされたんだから魅力的な人よ。……アタシだって悪くは思っていないし」」
俺をからかっているのかとも思ったが、耳や尻尾、表情を見ると落ち着きなくそわそわしているだけだ。
ドーベルに嫌われてないことを言葉として言われて安心する。それも好意的に見られているのが嬉しい。
その嬉しさが表情に出てしまい、ドーベルからすごく変な目で見られたので深呼吸して顔を無表情にする。
「それでラブレターの書き方とは言うが、何を手伝えばいいんだ?」
「男の人はどういう状況で、どんなことが書かれていたら嬉しいかを教えて欲しいの」
「それならできるな。放課後にやるか?」
「今がいい」
昼休みもあと20分で終わるから、放課後と提案したがドーベルからは強くはっきりした口調で"今"と言われた。
そんなにも急ぎとなるなら、ラブレターを使う漫画は賞に出す、誰かに見せるといった大事なものなんだろう。
「ドーベルがそういうなら。それで俺がするアドバイスでいいか? 全部考えると俺のラブレターになってしまうだろう?」
「それはもちろん。アタシ1人で考えると遠まわしな文章になっちゃって」
「告白なら全部が直球てわけでもないし、遠まわしでもいいと思うが。まぁ、ひとまずやってみようか」
「それもそうね。机、借りるから」
俺がそう言うとドーベルはソファーから俺が普段使っている机へ行って椅子に座ると、紙とシャープペンを出した。
さて、最初のアドバイスはどうするか。
そう考えたところで誰に送るかさえも聞いていなかったことに気づく。
「ところで主人公は何歳で、相手はどうなんだ?」
「手紙を渡す子は女子高生で17歳。渡す相手は25……ううん、27歳の男の人」
「結構歳の差があるな。そうなると言葉を飾らないほうがいいだろ」
「そういうものなの?」
「男からすれば、年下の子から告白されるなら装飾された言葉よりまっすぐなほうがいい」
高校生の頃に渡されたラブレターを思い出し、かわいい封筒の中に入っていた紙に書かれていたのはわかりやすくシンプルな文章だった。
あれには心を動かされたが、知らない女の子だから振った。
返事も丁寧じゃなく、告白された恥ずかしさから雑になってしまったのは反省している。
その経験を活かして告白設定を上手に作らないとな。
「性格の設定は?」
「面倒くさがりなのに心配性で世話好きな人」
「そういう男は不幸を引っ張ってきそうだからやめたほうがいいと言いたくなるな」
「なによ。好きになったんだからいいでしょ……。あ、主人公の女の子がね!?」
俺が女だったら、そんな男とは友達までの付き合いしかしない。
そう思っているから自然とラブレターの文章を考える、という前提すら放棄しようとしていた。
それに焦ったのか、ドーベルはすごい勢いで慌てている。
「今のは悪かった。その主人公は男をすごい好きということなんだな?」
「うん。2年間片想いしているの」
ドーベルがほっぺたを恥ずかしさで赤く染めているのを見ると、自分が考えた設定を言うというのは相談だとしても言いづらいらしい。
それでも俺に頼ってくれたのは嬉しく、このまま仲のいい関係で担当契約を終わらせたい。
……しかし、こういうドーベルを見たことがないから、すんごくかわいく見える。漫画の設定じゃなく、まるでドーベル自身が恋愛しているのかと錯覚するほどに。
恋すると美人になる、というのを聞いたことはあるが、こういうことなのかと理解した瞬間だ。
「それくらい片想いしているんだから、幼馴染か?」
「ううん、違う。ええと……陸上部のOBで一緒に色々教えてもらったっていう設定」
「なんでそこで止まるんだよ。設定を詰めていないのか?」
「まだプロットの途中だから。ラブレターをどうにかしないと行動の仕方がわからないから」
「そういうものか。しかし、そこまでだと仲がいいからラブレターじゃなくてもいい気がするんだがなぁ」
「主人公の設定は自分に自信がなくて怖がりな子なの」
小さな声で困ったふうにいうドーベル。
そうなるとおとなしめな主人公にはやっぱりラブレターのほうがいいだろう。
スマホで手軽に告白ができる時代で、手書きの手紙というのはもらうほうも嬉しくなる。
文字に感情がこもっているからな。
「これくらい情報があると考えられるな。だが、先にドーベル自身が書いたのを見たい」
「え、あたしの? 書けないからお願いしているんだけど……」
「ドーベルがどう書いたかを元にアドバイスするんだ。ひとまずシンプルに書いてみてくれ。」
「それもそうね」
そう言ったドーベルは真剣な表情で机へ顔を向けると、悩むこともなく紙にさらさらと書いていく。
すぐに文章を書けているなら練習したのがよくわかる。ドーベルは少女漫画が好きだから、ふんわりとした感じなんだろうな。
と、思っていたけど書き終わるのはすぐだった。
俺をにらめつけながら渡してきた紙を見ると、書かれていた文字は『ずっとアタシを見てくれていた、あなたが好きです』と。
じっと文章を3度読み返し、もう少しは長くしていいかもしれない。
女子高生と陸上部OBという設定だから、どういうときに好きになった、どんなところが好きかを詳しく書いたほうが男心にときめくだろう。
「もう少しだけ長いほうがときめくな」
「シンプルって言ったじゃない」
「シンプルだから文章を短くする、というわけじゃないぞ」
「じゃあトレーナーならどう書くの?」
「俺の場合か」
ドーベルに紙を返し、俺がこの女主人公だったらどう書くかを考える。
女子高生らしさというのはわからないものの、好きな男に見て欲しい言葉はなんだ。
「走りで悩んだとき、いつどんな時でも迷惑がらずに教えてくれるのが嬉しかったです。あなたが一緒にいれば、レース前でも心が落ち着き、隣にいてくれるなら走る自信がでます。
そんな手間のかかる私ですが、付き合ってください。と、言えば悪くはないはずだ」
「それだと男性を利用しているだけって思われない?」
「男ってのは利用されるというか、頼られるのがすごい好きな生き物なんだよ。俺でも好意を持っている相手からだったら恋人になってしまうだろうな」
「…………そういうものなの?」
「もちろん」
長い沈黙のあと、ドーベルが俺から目をそらし、でもちらちらとなぜか恥ずかしそうに見てくるのがかわいい。
俺が言ったことはそんなに恥ずかしかったか? おっさん的だと思われてしまっただろうが、俺の年代的にはこうなるはずだ。
他の20代や30代前半あたりの男もこういう感じが好きなはず。
たぶん。きっと。
「とても参考になった。これでいいのが書けると思う」
「助けになったらよかった。あとは付き合って何がしたいとかも書けば、いや、今のは忘れてくれ。言い過ぎた」
「別に気にしてないし、そういうのを書いてもいいのね」
「ああ」
休み時間が終わるまであと5分だが、ドーベルは真剣な様子で机に向かって考え始めた。
さっきとは違う、おしゃれなデザインの紙を用意して。
漫画に使うラブレターの内容ならノートに書けばいいのに、ここまで本物と同じ状況を再現するなんて。
細部にこだわるのはいいものだ。
でも書き始めてすぐではあるが、声をかけて教室へ帰らせたい。でも邪魔をすると怒られるだろうし、遅刻する理由付けとしては俺に引き留められたことにしておくか。
ドーベルの真面目な姿を見つつ、いなくなるまでは俺も静かにしているかとソファへ横になる。
チャイムが鳴ると同時に「できた!」という元気な声が聞こえる。
顔だけ向けると、満足感たっぷりな顔をしたドーベルと目があった。
「できたか」
「うん。ありがとね、トレーナー。それで後は渡すタイミングなんだけど」
「タイミングか。同級生なら机の中や下駄箱だが。あとはふたりきりの時でいいんじゃないか?」
「ムードとかそういうのは考えなくていいの?」
「告白するのにそこまで考え過ぎなくてもいいだろ。静かな場所であれば」
ドーベルは手紙をかわいらしい封筒に入れ、デフォルメされたシールを張って止める。
それを持って勢いよく立ち上がると、早足で俺の前に来ては顔の前へと突き出してきた。
「これ、あげる」
「書いたばかりのラブレターをどうすればいいんだ」
「静かでふたりきりならいいって言っていたから」
「それは言ったが」
俺から目をそらし、赤くなって言っているドーベルを見ていると気づいた。
これが俺へのラブレターだってことに。
ってことはなんだ。今まで漫画の参考用としてやっているものだと思っていたが、渡す俺の好みを聞きながら目の前で書いていたってことだよな?
ドーベル、渡したい相手の前で書くなんて度胸がついたな。出会った時から考えると精神の安定度が高まって……。
違う。考えることは違う。
これは俺のことを好きだっていうことだ。
俺もドーベルのことは嫌いではないが、そういう恋愛対象で見てはいなかった。
普段ツンツンしているけど、ふとした瞬間に優しくしてくるのは嬉しい。
時間をかければ男である俺への苦手意識もなくなり、今ではふたりで街へご飯を食べに行く程度の中ではあるが。
一緒にいると楽しいとは思う。思うが!
「返事は急がなくていいから。それじゃ授業行ってくる!」
ドーベルさっきまで使っていたペンを片付けると、バッグを持って全力で走ってトレーナー室からいなくなった。
追いかける気力もなく、ドーベルがいなくなったドアをぼぅっと見つめてしまう。
なんか恥ずかしくなってきた。
直接言われるのとは違う恥ずかしさと、自分がドーベルを好きだったということに気づいて。