4月の入学式が終わり新しいウマ娘たちが入った春が終わり、今は雨がしとしとと降るようになった6月のはじめ。
まんまるの月が明るく照らしている夜は、ちょっとの風が吹いていて少し肌寒い気温だ。
高校卒業と同時にトレセン学園の用務員に就職し、今年で12年目となった30歳の俺は灰色のツナギを着て懐中電灯を片手に持って学園内を歩いている。
夜の10時ともなると夜間トレーニングをするウマ娘はいなく、練習場やトレーニング施設は明かりを消していて普段のにぎやかさはまったくない。
外灯と懐中電灯の光で静かな学園内を字巡回していると、レース場に近づくと何かの音が聞こえてくる。
ここに勤めてから、そういう音は時々聞くことがあった。
はじめのうちは幽霊かと怯えたものだが、耳を澄ますと聞こえてくるのはウマ娘の走る音だ。
この時期になると頑張りすぎる子がいるものだ。
業務的に消灯後に走る子がいるのは無視できないというものあるが、自分の体を大事にしないで感情のまま走り続けるウマ娘はとても気になる。
だから俺は少し早足で練習場のコースへと近づく。
月明かりに照らされ、芝の上を走っているのは小柄な子だ。
夜遅く、帰ろうともしない子の走りを止めるため、コースの上へと歩いていき、懐中電灯の明かりを彼女の目に直接当てないようにしつつ向ける。
俺に気づいたジャージ姿の子は、速度を下げると俺の目の前で止まってくれた。
収まる気配がないほどに荒い呼吸をしていて、汗を顔にべったりと張り付けている小さな身長のウマ娘だ。
その子は淡い茶色の髪で、ところどころ跳ねているボブカットの髪型をしている。
俺の身長が180cmなのに対し、彼女は30㎝は低いと思う。
そんなにも小柄だと、レースで競り合う時にはとても苦労しそうだなと思う。
小さな体でレースは大丈夫だろうかという目をしたのがいけなかったのか、彼女は俺を殴りたいと思っているような目できつくにらんでくる。
懐中電灯の明かりを消し、言葉をかけようとすると向こうから声をかけてきた。
「なにか用?」
「トレーニングの時間は終わってるだろ」
「……自主練だけど」
「こんな時間にか。明かりがない練習場で1人寂しく?」
「あんたには関係ないでしょ。ウマ娘は走るのが仕事で、アタシはその練習をしているだけ」
「とはいえ門限は過ぎてるし、俺はお前が何と言おうと帰らせなきゃいけないんだが」
帰る気配がないウマ娘の手首を掴もうと俺は近づくが、彼女は息が整っていないのに走り去っていく。
夜の色に混じり、離れていく後ろ姿を見ると何かしてやりたくなる。
今の彼女は練習効率も練習メニューもない、ただ無駄に走っているだけだ。そういう子は用務員という仕事を長くやっていれば、数は多くなくとも見ることはあった。
そして、そんな彼女たちに俺はおせっかいを焼いていた。
とは言っても練習内容を教えるとか、トレーナーがいない子にトレーナーの仲介なんてことじゃない。
愚痴や不満を聞き、自分の目標を見つけさせることだけだ。それだけでも今まで会ってきたウマ娘たちはヤケにならず、体を大事にして練習するようになった。
以前に俺と会話した子もその子らと同じだろう。
別に用務員といっても学園の維持管理をするだけでいいのだが、頑張りすぎる子たちがどうしても気になってしまう。
コースを1週し、止まる様子もなく走って戻ってくる彼女に向けて懐中電灯を構えると顔へと向けて明かりを点ける。
彼女はそれをかわそうとするも、俺は手首を動かして光から逃がさないようにする。
俺の元へと来ることには足も遅くなり、立ち止まる。
「お前はバカか」
懐中電灯の明かりを消し、心の底からあきれた声が出てしまう。
意地になり、意味がないどころか悪影響ばかりの走りを続ける彼女に対して、そんなことを強く思う。
「どっちがバカだ!! 走っているってのに邪魔してさ! ほんとバカにしやがって!
トレーナーの誰もが、一緒に入学してきた子たちやアンタみたいな用務員までもが、みんなアタシをバカにする!
体が小さい、才能がない、先頭に立とうとする無茶な走りとか言ってさ! そんなにバカにするんだったら、教えろっての。
それもせずにバカにするだけなら、なんでアタシを入学させたんだ!!」
一息に怒りの言葉を大声で俺へと叫び、耳を伏せてにらみつけているのは本気で怒っているようだ。
だが、その怒りは周囲にいる人間よりも自分自身にいらだっているように思える。
自分自身に能力が足りない、身長があれば、体格がよければというような不満を感じられる。
「4月の夜は寒いから宿直室に行かないか。そこで話をしよう」
「なんで行かなきゃいけないのさ。話たってアンタにアタシの気持ちがわかるわけないから話なんて無駄だ!」
「そりゃわからんさ。俺はウマ娘でもないし、陸上競技をやっていたわけでもない。でも俺はお前のような子を今まで見てきて、世話を焼いてきたんだ。
だがな、嫌な奴らを見返したいってのなら頭を使え。今のままだとそいつらの思うとおりになってしまうだけだ」
静かに言う俺に対し、さっきまでのように声を荒げずにこちらをにらんでくる。
けれど、少しして怒った気配は薄くなり、耳もまっすぐに立ってきて落ち着いてきている。
今までの荒っぽさから一転してのこれ。気持ちの切り替えが早く、これなら上手に生かせば走るのに良いものとなるに違いない。
「俺はお前と同じように苦しんでいる子たちを見てきて、話をしてきた。お前もしたいのならついてこい」
その小柄のウマ娘に背を向けると、俺は使っている宿直室へと向かって歩いていく。
少しばかり業務をさぼることになるが、悩んでいるウマ娘に優しくしない奴なんてトレセン学園の職員じゃないと俺は言いたい。
ここに就職する前から、レースで負けたウマ娘はどうなるんだろうと思っていた。
それが知りたくて用務員になり、この10年で負けた子たちは自分に劣等感を抱いたまま去っていった。
だから、それをなんとかしたいと今も昔も思っている。
「アタシはお前じゃない。ナリタタイシンって名前だ」
「ナリタタイシン。俺についてこい」
背後からの声に俺は顔を振り向きもせず、喋りながら歩いていく。
「はぁ!? 誰がアンタみたいな奴に!」
歩き続けている俺に大声をかけたナリタタイシンだが、ちょっとの時間が経ってから小走りで近づいてくる足音が。そして俺の後ろへと来て何も言わずに静かに歩いてついてくる
暗くなったトレセン学園の中を俺とナリタタイシンの歩く足音だけが響く。
学園の中に入り、宿直室へと入る。部屋は12畳の広さで畳がある和室と、二段ベッドが2つある部屋に別れている。
どちらの部屋にも他の用務員はおらず、まだ学園内を巡回しているのだろう。
畳の部屋へと靴を脱いで上がると、後ろに来ていたナリタタイシンにも来るように手招きをする。
そうして不満顔な彼女が畳に正座で座ると、俺は自分のバッグからナリタタイシンの目の前へとノートを4冊を置いた。
そのどれもが使い込まれたもので、表紙に汚れや傷が多くついている。
「なに、これは」
「お前のように暗い中で走ったウマ娘たちが、後輩に向けた助言や学園に対しての恨みや悔しさが書かれたノートだ」
様々な感情が詰まったノートだと説明されたにも関わらず、ナリタタイシンは戸惑いもせず興味深そうにノートを手に取るとじっくりと読み始めた。
その様子を見ながら、俺はポケットからスマホを取り出すとウマ娘寮を管轄する人に電話をし、ナリタタイシンというウマ娘はもう少しで帰ると連絡をしておく。
電話が終わり、読んでいる邪魔をしないように俺はナリタタイシンの前にあぐらで座った。
少ししてノートを開いたまま、俺へと顔を向けてくる。
「これを書いた子たちと仲はよかった?」
「ああ、よく話をするほどにな。エイシンカヌート、カピオラ、アストリアシチー、スプリームインター、メジロラーク。今でも彼女たちのことをはっきりと覚えている」
「強かった?」
「レースに勝ち続けたかという意味では誰も強くなかった。だが、勝てなくても走り続けた根性ある強い子はいた。まぁ、中には挫折して学園を辞めた子もいるが」
辞めた子たちの泣き顔や絶望した顔を思い出すと、華々しいレースの裏に数多くの負けたウマ娘たちがいる。
レースで勝てるのは1人しかいないから。
そんな彼女たちに同情し、愚痴を聞き、なぐさめ、励ましていた。レースに負けた子たちの悲しい表情が見ていられなくて。
「……アンタの名前は?」
「別に知らなくてもいいんじゃないか」
俺が昔を思い出し、彼女たちの役に立てたかという記憶から戻ってくると、ナリタタイシンが突然名前を聞いてきた。
「アタシだけ知らないってのは不公平だと思うんだけど」
「それもそうか。名前はマサトだ」
「マサトね。じゃあ、マサト。このノートは借りてもいい?」
「他の誰にも見せないのなら」
「わかった。じゃあ今日は帰るよ。練習を続けると、ノートに書いてあるように尻尾を掴まれて寮へ連れていかれるからね」
小さくからかうような笑みを浮かべると、ナリタタイシンはすぐに帰っていった。
部屋を出るときに小さな声で「ばいばい」と言って。
気が強い子とちょっとは近づけたな、と自分自身の行動を褒めてあげたい。あとは今日のことをキッカケとして、彼女がヤケにならない練習をしてくれると嬉しい。
そしてナリタタイシンのことを大事にしてくれるトレーナーを見つけてくれればいいと俺は1人だけになった部屋で、強くそう願った。
◇
ナリタタイシンと出会った日から1年が経った。
4月に入り、トレセン学園に新入生がやってきて、これから段々と暑くなっていくこの頃。
去年と同じ今頃、あの時の出会いがきっかけで俺はタイシンと呼べるように仲がよくなった。
タイシンもあの日からは落ち着き、明かりがない練習場で見せていた焦りとはどこへ行ったのかと思うほどに強くなって今ではG1の皐月賞を勝ったほどに。
専属のトレーナーも見つかり、ウイニングチケットやビワハヤヒデといったライバルたちもいる。
実にこれからが楽しみなウマ娘の1人だ。
今でも1日に1回程度会っては愚痴や不満、時にはレースに勝った喜びを教えてくれる。
少々会いすぎかと思うこともあるが、用務員という仕事柄、学園内を歩き回っているから自然と出会う。
タイシンのほうが俺のほうを探しに来る機会も増えているが。
それもあってか、タイシンと友達のウマ娘たちとも接する機会が増え、勝ち星が多い子と話すのは新鮮だ。
だからといって、俺が気にしている、弱くてもがむしゃらに頑張っているウマ娘を心配するといったことは続けている。
でもなぜだか知らないが、いつのまにかタイシンやウイニングチケット、ビワハヤヒデたちが相談に乗っている。
いまでは3人組のBNWたちに教わりに聞く新入生たちが増えつつある。
わずかだけ俺が手のかけられる子がいなくて寂しいとは思うものの、ウマ娘たちがお互いに話し合って問題を乗り越えていくのはいいことだと思う。
寂しさと嬉しさと安心が来ている日常を送る中、休憩時には校舎の影となっている部分が日課となっている。
特に昼飯を食べたあとは眠たくなることもあり、生徒たちの邪魔にならないように気をつけて選ぶ。
そのため、寝る場所はいくつか決めているが天気や気分によって変わっていく。
そして今日の寝場所は体育館裏の日陰の場所だ。
春とはいえ、晴れている今日は日光に当たっていると暑くて寝苦しくなるから、体育館裏は実に最適だ。それにここは人が来ることがないため、1人だけの空間だから静かでいい。
俺は仕事を寝過ごさないように、スマホのアラームをセットすると体育館の壁に背を預けて足を広げて座る。
体育館の周りは木々で囲まれており、そよ風によって葉っぱがこすれる音は聞いていると眠気を誘ってくる。
そうして目をつむり、俺はしばしの睡眠へと入っていく。
ふと、シャンプーのフローラルな香りと胸元に優しい重さを感じて目を開ける。
寝起きで頭がぼんやりとしているなか、視界に入るのは俺の足の間に体を入れていて、胸へと背中を預けているのはスマホでゲームをやっている制服姿のタイシンだった。
時々、というか週2か週3ぐらいでタイシンはどうやって知っているのか、寝場所を変えている俺のところへとよくやってくる。
そうしてやってきたときは、横にいて俺へと寄りかかっていることが多いが、今日だけは珍しく胸元に来たかったらしい。
後ろ姿しか見えないタイシンの表情はわからないため、今の気分がわからない。と、いうのも前に声をかけた時はいらだっていて声をかけただけで怒られたものだ。
まぁ、こうして来てくれるわけだから嫌われてはいないだろうが。
今まで話をして来たウマ娘たちの中で最も距離が近く、対応にも困る。
恋愛対象として見ているわけではないが、かと言って妹のようでもない。1人の女性として接しているものの、いつの間にかこういう至近距離で一緒にいるようになった。
こう近づかれるのは信頼されているという証拠なので悪い気はしない。
ただ、夏になるとクソ暑くてたまらないのでやめて欲しいところだが。
「タイシン」
「ん、すぐに終わらせるから待ってて」
タイシンがやっている音ゲーが終わるのを待つ間、左腕の時計を見ると休み時間が終わるまであと12分。
終わるのを待つ間、俺はタイシンの癖っ毛のある髪へとそっとさわっていく。
右手で髪を撫で、タイシンが嫌がっていないのを見るとそのまま撫で続けていく。
デリケートな耳には手がふれないよう気をつけつつ、優しく撫でまわす。
タイシンの髪は手すべすべしていて気持ちよく、長時間さわり続けていたい。さらさらとしている髪もいいが、跳ね癖があるのもさわっていて実に楽しい。
そうしてタイシンのゲームがひと段落まで撫で続けていたが、そのあいだずっとタイシンから色っぽいため息が出ているのは気がついていないことにする。
もし気づいて、そのことをタイシンに言ったら以前に足を踏みつけられたことがまた起きてしまうだろう。
「よし、終わった」
そう言うとタイシンはスマホをスカートのポケットにしまい、大きく深呼吸をした。
それは体の力を抜いて、さっきよりも俺へと体を預けてリラックスしている。
「なんだ、今日は誰かに嫌がらせでも受けたか」
「最近はそういうのはないよ。……いや、チケットの奴がからんできてウザいことはあるけど」
「じゃあ、今日はどうした」
「別に。マサトに会いたかったから来ただけだけど。悪い?」
「悪くはないさ。俺もこうやってタイシンとくっついていると落ち着くからな」
「なにそれ、自分で言っていて恥ずかしくないの?」
不満そうに言ってはぺしぺしと手で軽く俺の太ももを叩いてくるタイシンがかわいい。
昔はきつく当たってきたが、今ではこういうふれあいかたになっている。
こだわりがあるのか、俺に会う理由を何かと用件をつけて来ているが、今日は特に用もなしというのは珍しい。
ツンツンとした性格がやわらかくなってきているのはいいが、それをタイシンの女性トレーナーにも向けて欲しいという気持ちもある。
ちょこちょこ女性トレーナーからタイシンと仲よくなるにはどうするかと相談を受け、時には一緒に酒屋へ行って飲むこともある。
「ねぇ」
「なんだ」
「アンタさ、恋人はいないんだっけ」
「俺はケンカを売られているのか?」
「そうじゃなくて! その、恋人がいるのなら気をつけようかと思って。アタシじゃなくてトレーナーに!
ほら、よく会っては話をしているでしょ!? 仕事の邪魔になっているならアタシから文句言っておくから!!」
大きな声で焦ったように早口で言うタイシンは、頭をごんごんと俺の胸元へとぶつけてくる。
そんなタイシンがいったいどんな様子で聞いてきたのかと、体を動かして目を合わせようとするも、タイシンは頭を動かして目を合わせてくれない。
「……で、いるの。いないの」
ウマ娘のことばかり気にして恋人はいないし、結婚もしていない。
だが、正直に言うとからかわれるだろうから、たまにはからかってみたい。かといって完全な嘘は見破られるから、少しの事実を混ぜて。
「今はいないが、気になっている子ならいるぞ」
「それは誰」
軽い気持ちで言ったのに対し、タイシンは俺のほうへと顔を向けて無感情な表情になっていた。
タイシンとは至近距離で目が合い、お互いの吐息すらわかるほどだ。
だが、俺はときめきを感じず、むしろ恐怖を感じた。
タイシンの耳は初めて会ったときかのように耳を後ろに倒し、じっと見つめてくる。
「妹みたいな関係のウマ娘がいて、その子とよく話をする機会が―――」
「あぁ、キングヘイローさんと仲がよかったね。そう、彼女がアンタの心を乱しているんだ」
俺の言葉を途中でさえぎり、どこか光を失った目とひどく平坦な声で言ってくる。
それを聞き、このままだと何かがヤバいと感じて恐怖心と冷や汗が一気にやってくる。
「待て。別に心は乱してないし、あいつには好きな男がいるから恋愛相談を受けているだけだ」
「なぁんだ。それを早く言ってよ。おかげで勘違いするところだったじゃん」
タイシンの目に光が戻り、座りなおして俺から視線を外すと恥ずかしそうにスマホを取り出してはゲームを始める。
それを見た俺は安堵の深呼吸をすると共に、これからタイシンをからかうときは女性関係はやめようと強く誓った。
「でもそのうちに結婚前提の恋人を作りたいとは思っているよ。最近はタイシンのおかげで気が楽になった」
「アタシみたいな若いウマ娘とくっつけるから?」
嬉しそうに頭をぐりぐりと押し込んでくるタイシンにされるがままになり、それが落ち着くのを待つ。
「それはないこともないが、今まで心配したウマ娘たちの中でお前がG1を勝ったことが嬉しいんだ。勝てなくて荒れていた子の助けになれたんだと思ってな」
「今までアンタと仲良くなった子たちは感謝してるよ。あのノートに残酷な夢を見せられたって罵倒されていても、アンタがいなければ学園を辞めるのはもっと早くなってただろうし」
「そうだな。そもそも俺の自己満足で相談や愚痴を聞いているだけなんだ。別に感謝されるのが当然と思っているわけじゃないさ」
「アタシはマサトにすごく感謝してるけど」
そう言ったタイシンは俺に寄り掛かるのを辞めて体を起こすと、あぐらになって俺と向き合うように座る。
近い距離になっても小柄なタイシンと俺とでは身長的な高さもあって、タイシンからのかわいい上目遣いをしやすい状況となってしまっている。
現に態勢を変えた瞬間にそうなっていたし、でも真面目な表情になっているのに俺だけタイシンをかわいいと思うのはよろしくない。
じっと俺の顔を見つめてくるが、ぼぅっと俺の顔を見てから、なぜか恥ずかしそうに目をそらした。
「それならよかった。俺もお前には感謝しているぞ。練習を頑張って結果を出し、さらには新入生にも優しいし」
「昔のアタシやノートの中の先輩たちを思い出すと、頑張っている子には、こう、なんというか……つい構いたくなって」
こういうのを聞くと涙が出そうになる。
俺が続けてきたことが、タイシンへと受け継がれているということに。
負けるウマ娘は必ず出るが、1人で不満や愚痴を抱え込まずにそれぞれが話をしあって走って欲しいと思う。
「お前たち3人が活動しているからか、昔のお前のように明かりを消してまで練習する子がいなくなって嬉しいな」
「……迷惑だった?」
「いいや、迷惑なんかじゃない。でも今までやっていたことがなくなって寂しい気もするが」
「アンタにはアタシがいるじゃん」
寂しがっていると、タイシンは俺の両肩へと手を置いて俺の胸元に顔をうずめてくる。
「アタシはさ、ヤケになって練習していた時に心配してくれたのが嬉しかったんだ。
出会った日はそうじゃなかったんだけど、今のトレーナーに会ってから大切にしてくれることのありがたさがわかったんだ。
今でも心配してくれるし、疲れた時にはこうやって優しく受け止めてくれる」
「お前のためなら、なんだってやってやるさ」
タイシンの頭を撫でながら思うことは、それにタイシンのようにかわいい女の子と仲良くなれるのは1人の男としても嬉しいものだ。
タイシンがトレセン学園を卒業するまでは、今のような親友関係を続けていきたい。
静かな、けれど心が暖かくなる時間を過ぎていると、授業が始まる予鈴の音が鳴り響く。
その音でタイシンは胸元から顔を離して肩からも手を離すと、スカートのポケットから小さなノートを取り出して俺の前へと突きつけてくる。
「戻る前にこれを読んで」
「仕事が終わってからでいいか?」
「いますぐ読んで。流し読みでいいから」
もうすぐ授業が始まるというのに、このタイミングでノートを出してはすぐに読めだなんて言う。
断ろうかとも思ったが、タイシンが強く言ってくるために渋々受け取っては最初のページを開き、ぱらぱらとめくっていく。
最後のページへ行く途中までを流し読みしていく。
はじめは恨み言が多く、トレーナーを得てからもそれは続いていくが段々と走る喜びや勝利の嬉しさなどが書かれている。
それらを読んで、頑張っているタイシンが報われていていいと思っていると、将来の目標や夢が書かれているページにたどりつく。
そこに書かれていたのは『初めてできた恋人と結婚を前提に付き合い、引退と同時に結婚。妻になったアタシは料理や家事を勉強して旦那を癒し、子供は干支をコンプリートするぐらいに生む』という具体的な内容をじっくりと見てしまうが、タイシンに肩を軽く叩かれたので次のページへと進む。
次にめくったページには『好きです』という4文字だけが書かれていた。
どういうことかと思って顔をあげると、タイシンは素早く俺の頭を手で抱え込むと唇へと目をつむってキスをしてきた。
そのキスは痛みがあった。
勢いが強かったために歯と歯がぶつかったから。でもそれは最初だけで、唇がふれる軽いキスをしてきた
そのことに戸惑い、ノートを落としてしまう。空いた手でタイシンを突き放すか、それとも受け入れるか。親友だと思っていた自分の感情が揺れ動き、キスをしてからでタイシンのことがひどく愛おしく見える。
自分の感情に整理がつかないままで3度キスをされると、ようやくタイシンの顔が離れたものの、タイシンは顔が赤くなって左右の耳がばらばらと動いて落ち着きがなく見えた。
「付き合ってくれるかの返事は、ずっと待っているから。またね、マサト」
それだけを早口で言い残して、全速力で俺の前から去っていった。
残された俺は呆然としたまま、タイシンにキスされた唇を自分の手でなぞっては今のが夢じゃないと実感する。
現実感がやってきたところで、猛烈に心臓がバクバクして今になってから緊張と興奮が同時にやってくる。
生意気でツンツンしているけど、優しいところもある。そういうイメージをタイシンに持っていたから、俺のことはうるさいおじさんという印象を持たれていると思った。
だが、キスをされたことで恋愛対象として見られていることがわかる。
それも俺を恋人にしたいとか。
今までタイシンに恋愛感情を持ってはいなかったが、キスをされたことで実はタイシンが好きだったという感情があふれてきた。
キスをされただけでタイシンのことがもう好きで好きでたまらなく、今のにやけている顔は絶対に人には見せられない。
あぁ、くそったれめ。恋愛経験なんてほとんどないから、この後はどうすればいいんだ。タイシンと会ったときにうまく話せる自信がない。
……ひとまずキングヘイローに恋愛相談をしよう。
タイシンを愛おしい気持ちが、恋愛感情だと後押ししてもらうために。
タイシンを書き終わった時にすっきりした。
これはきっと妹が幸せそうで嬉しいという気分!