「コヘレト~。」
輸送トラックの操縦席の隣で妖精が言った。
「何だ、妖精。」
「寝ていい?」
「別にいい、近くなったら起こす。」
「ありがとう~。」
妖精は席に立てかけられてあったバッグの中から妖精にとって等身大サイズの布団を取り出して眠った。掛け布団をかけないのを見てコヘレトは手近な布を見つけて片手でそれを妖精にかけてやった。
人が寝静まった深夜の港町で妖精は荷物持ちの彼女お手製の人形の肩に乗って歩いていた。その人形と妖精は互いに現代的で流行に乗った服を着ていた。人形は幼児が書いた似顔絵のような顔で常に快活な笑いを浮かべていた。
「ふ~ふ~ん♪」
妖精は名前も知らないジャズのリズムを鼻歌にして歌っていた。そうすると掲示板が見えた。掲示板には色々な広告が貼ってあり、その中には内陸都市への移住を進める広告があった。妖精はそれを軽蔑に満ちた目でちらりと見た。
読者はこの世界の人口が3万人程しかいないのを覚えているだろうか。それは喉ほど深海棲艦によって減らされている、だから深海棲艦が襲来してきた海の近くに居住する者は少ない。単純に怖いのである、ただその怖がり方は異常だった。だから自然に内陸部に人口が集まる。そうすると地価が高くなってくる。もちろん、払える者がそういる訳ではない、むしろ払えない者の方が多かった。ただしだからと言って人の居ない所に住む訳にもいかない。彼らは平穏な社会生活が残された環境でしか、つまり我々のような環境下での生きる術を学んだが、それはあくまで人が居て成り立つ知識達ばかりである。果たして、そのような知識しか持たぬというのに生存することができるだろうか、よしんば生存したとしてもそれは果たして幸せと言えるかどうか。彼らは内陸の都市周辺に居を据える事になったがそれは浮浪者の生活そのものだった。そんな訳だから起こるべくして暴動が起こった。内陸都市にも武力はもちろんあった。だがその時新たに台頭して来た企業、PS社の手厚い支援によって浮浪者たちは戦えるようになっていた。それで武力で内陸の居住権を奪い取った。それ以来、内陸の都市は武力で奪い合いをするのが主流となっていった。人間社会というバベルの塔は大量殺戮という力により倒壊され、その力を目の当たりにした人間たちは落ちてきた
「やっぱり鎮守府から離れて港町に遊びに行くのも良いもんだな~、私を視認できる人がほとんどいないからそれが気がかりだけど~・・・・・うん?」
突然曲がり角から手と足を負傷した血だらけの男が飛び出てきた。妖精はビックリして手当をしようとして呼びかけた。
「あ、待ってください!」
その男はそのまま逃げるように走り去ってしまった。妖精は追いかけようとしたが、男が飛び出していった所から腐臭が漂い始めた。港町にはそぐわぬ明らかに異常な臭いに妖精は不信感を持った。
「・・・この臭いがするのはおかしいな。」
妖精は急いで曲がり角の所へ行った。そうするとそこには腹を刺されてそこから腐食していっている男と桜色の髪をした少女が居た。少女は起こったことに理解が追い付かないのか、それとも現実を受け止められないのか、足を振るわせて男を見ていた。妖精は男の方に駆け寄った。
「大丈夫ですか!」
「これが・・大丈夫に見えますか?」
男は汗を垂らしながら諦めたような顔をして嘲笑交じりでそう言った。
「傷!見せてください!」
妖精がそう言うと、男はやっても無駄だという風に傷口を見せた。妖精はその専門的見地からして男の生存が絶望的であることを悟った。
(これは、ダメだ。強い腐食魔術だ・・医療用器具を取るには遠すぎる・・・)
「延命治療なら出来ますよ。」
「それなら・・お願いします、私は話したい・・・ことがありま・・すから。」
妖精は延命治療をしながら男の話を聞くことにした。
「私たちは内陸での・・・居住権争いで負けたんです、元々私は・・サム・フェネラル社のお偉いさんの右腕だったんですが・・、孤花社との居住権争いに・・・・負けてこのざまです。」
男は腐食に耐えながら苦しそうにそう言った。
そしてさらに男は悔しさに顔を歪ませてこう続いた。
「クソ・・アイツが・・・孤花社に失言をしなければ・・・・アイツがいなければ俺達は今頃・・クソッ・・・血反吐吐いて俺たちは這い上がって来たのに・・・悔しい、悔しい!」
震える手で少女を指さしながら続けて言った。
「この少女は、私の唯一無二の・・友人だった男の子供です、信じられ・・・ますか。アイツラ子供にも手を・・・かけてきて・・・・。」
「出来ることはやりました、もって後数分と言ったところです。何かしなければならないことはありますか?」
「いや、いいです。話を聞いてく・・ださい、お願いです。その子を・・・イシュマエルを引き取ってくれませんか。私には・・コイツしかいないんです・・・せめて・・今は亡き友人の約束ぐらい・・守ってやりたいじゃないですか。」
妖精はその男の顔を見た。決意に満ちた目だったが明らかに感情は悲しみと悔しさという底なしの海に溺れていたのがハッキリと分かった。それだから目からは悲しみの水が溢れ出て、口からは苦しくて、悔しくて、楽に息をしようとして嗚咽が漏れ出ていた。
妖精はそのような男の思いを無下にすることは到底できなかった。だから了承した。
「分かりました、貴方の最後に残された者を私が責任をもって育てます。」
「あり・・・・がとう。貴女こそ、私の・・・エル・ロイだ。」
男は感極まってさっきよりも増して涙を流した。今度はその水の中に歓喜が混じっていた。
「イシュマエルを・・こちらへ。」
人形はその感情を読み取ってイシュマエルと呼ばれた桜色の髪を持つ少女の手を取り、男の傍に引き寄せた。
「・・・ゴメンな、俺が・・もう少し強かったら・・お前の家族も・・・守れたんだけど・・・・自分の家族も・・・自分自身も守れなかった俺には・・・荷が重たかったようだ。」
男はイシュマエルの目を覗き込みながらそう言った。
「え、おじさんも死ぬの・・・嫌だよ、死なないでよ。おじさんが死んだら私はどうすればいいの・・・お母さんもお父さんももう逝ってしまったしまったのに。」
イシュマエルは今起こったことを理解し、泣き出しながらそう言った。
「イシュ・・マエル・・・強くなれ・・大切な人ができた・・・・と・・に・・守れるよ・・に・・。」
雨が降り始めた。
男の腐食は進み始めて目に見えるように衰えていった。もう声も出ないようである。
男はそう言うと息を引き取った。今度は心ではなく体を濡らしながら。
「さようなら、名も知らない人。イシュマエルは立派に育てて見せます。」
イシュマエル。その名は旧約聖書において全ての兄弟と敵対して暮らすものとなる事を宣告された者の名である。