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朝、先ほどまで二人分の温もりを得ていたベッドに私は向かう。
「ほら! 朝食できましたわよ! 起きてくださいませ!」
朝から大声を出すなんて、本当に大変。
いくら自らの伴侶を起こす為といっても、ほぼ毎日はさすがに看過できない。
「うーん……あと二十分……」
「もう、まったく……」
この人、昔はこんな怠惰ではなかったはずだが。
結婚してから甘やかしすぎたのか、以前のしっかり者できりっとした彼はすっかり鳴りを潜めてしまった。
甘やかしすぎないことを志してはいるけども──
「マックイーン……すきぃ……」
「っ──あなたったら、しょうがありませんわね」
私は今、明らかに赤面してるだろう。
こうやって懐柔されるのがオチというわけだ。
「……少しなら、待って差し上げますわ」
彼の寝顔のすぐそばに寄り、それをまじまじと観察する。
いつも苦労させられてる私に対して、唯一支払われるご褒美がこれだ。
いつ見ても襲いたいほど可愛くて、つんつんと意地悪したいくらいのお顔。
でも私の毎朝のルーティンは、それらを我慢し続けること。
朝から激しいことなどしたら、学園内で倒れてしまう。
その代わり、私は彼の耳元にささやかな攻撃を仕掛ける。
「──愛してますわ、あなた……」
繊細な声が、耳の中を通って鼓膜を響かせてることを確認する。
彼の体がじれったそうによじり、仕返し完了。
これがメジロマックイーン流、好きな人の起こし方だ。
「……おはよう、マックイーン」
「えぇ、おはようございます。 もうご飯できてますから、早く立ってくださいまし」
促して体を起こさせ、できたての朝食が待つダイニングに向かった。
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私、メジロマックイーンの引退式から数年。
時の荒波にもまれていくうちに、周りの状況はガラッと変わってしまった。
私がトレセン学園を卒業したのは当然だが、同じくライスさんやゴールドシップさんも卒業し、彼女たちが信ずる道へ、それぞれ進んでいった。
ライスさんは引退式の後、故障もありスランプ期間が長引いたものの、一年半後の天皇賞春にて二年前の天皇賞春以来の勝利を飾ると、その後十分な休養を挟んだ後に挑んだ三度目の天皇賞春でも勝利。
見事春の盾V3を成し遂げ"漆黒のステイヤー"の名をほしいままに引退した。
ゴールドシップさんはクラシック級にて皐月賞・菊花賞・有マ記念とGⅠを三勝。
史上初の宝塚記念連覇も含むGⅠ6勝を挙げた。
もっとも、注目されたのはその実績より日常やレースでの振る舞いで、特に宝塚記念三連覇の掛かったレースでの大出遅れは彼女を象徴するエピソードの一つだ。
シニア級二年目にはフランスの大レース凱旋門賞に出走。
結果は日本勢最下位となる14着だったものの、異様に現地ファンに親しまれていたのは何だったのだろうか。
「──今年のドリームトロフィー・リーグから、チームシリウスのエースとして活躍したサトノダイヤモンドが入ってきますが──」
朝食を摂る傍ら、テレビが流す映像に目を向ける。
ダイヤはハイレベルと評されたクラシックを戦った後、幼馴染でライバルだというキタサンブラックと有マ記念で激突。
見事ゴール前で捉え切ったダイヤはGⅠ二勝目を挙げたが、その後はまさかのスランプに。
しかし一年半ぶりの勝利となった京都大賞典で復活の手掛かりを掴むと、その年の有マ記念で見事に差し切りが決まり二年ぶりにGⅠを勝利。
その後もタイトルを積み重ねた彼女は、今年からドリームシリーズへと駒を進めた。
「しかしシリウスとなると、昨年からドリームトロフィー・リーグに入ったインビジブルとの同チーム対決が楽しみですね」
私の引退のタイミングで留学生として来たインビジブルは、怪我が癒えるとトゥインクルシリーズに本格参戦。
大阪杯、宝塚記念、ジャパンカップ、有マ記念の四レースを無敗で制すという離れ業をやってのけると、留学期限が来た為イギリスへと一時帰国。
そしてあちらの学園を卒業した昨年、日本に戻り本格的にドリームトロフィー・リーグへ参戦してきたのだ。
その破天荒な生活には周りも振り回されてるようで、秘書のリバーズコアさんの苦労話は散々させられた。
「シリウスも海外でのGⅠ制覇から、一気にチームとしての厚みを増しましたからね」
愛すべきトレーナーさんは今や学園で一番のチーム、シリウスのトレーナーとして沢山の実績を積んできた。
それは日本国内に限らず、ドバイや香港のGⅠすらも勝利し、インビジブルの件もあってか海外での知名度も高いようだ。
そんな彼だが、ただ唯一、東京優駿のみは勝つことができずにいる。
二着こそは何度もあるが、あと一歩だけ着を上げることができない。
先代トレーナーが率いたシリウスもダービーを勝つことができなかった為か、世間ではすっかり"シリウスはダービーに縁がない"と揶揄われている。
そして今、私はというと。
「うーん、やっぱりマックイーンが作る飯は美味いな! 特にこの卵焼きなんかはホント絶品」
「当たり前ですわ。 あなたの妻になったのですから、これくらい出来て当然です」
彼──チームシリウスのトレーナーさんとめでたく結婚したわけだが、そこまでに色々あったわけで。
まず、あの日を境に将来を約束した関係となった私たちは、早速メジロ家に交際を報告。
おばあさまになんて言われるのだろう、と思っていたが意外や意外、素直に私たちの関係を認めてくださったに留まらず、なんと婚約や結婚式までも話が飛んで行っていくほどのノリノリっぷり。
そんな実家のことはさておき、トレーナーさんと今後のことを話し合った私は、将来を考え学園に属しながらトレーナーの勉強と料理等家事の勉強をすることになった。
卒業後、無事にトレーナーバッジを手にした私はシリウスのサブトレーナーになれたのだが──
「さすが、強豪チームシリウスの母と呼ばれるだけはあるな」
「もう! その呼び名はやめてくださいと言ったではありませんか!」
トレーニングのことは彼が担当する影響で台所などのコンディション面を担当することが増えた影響か、いつの間にかついたあだ名が先ほどの通りで。
こんな大きな子供を貰った記憶はありません、とは何度も言ってきた言葉だ。
しかし母と呼ばれる程の信頼や安心を与えてることを考えると、悪い気はしない。
「でもそろそろ本当に母親になるわけだし──あ、体調大丈夫?」
「えぇ、大丈夫ですわ。 この時期はつわりもそこまで酷くありませんので」
そう、今私はお腹の中に新たな命を授かっている。
正真正銘、彼との間に生まれた私たち夫婦の子供。
予定日は10月、例年では菊花賞の頃なのだという。
少し前までは本当に妊娠してるのか分からないくらいのシルエットではあったが、今やぽっこりとお腹に膨らみが出てきはじめている。
「俺とマックイーンの子供か……マックイーン似だったら良いのにな」
「あら? わたくしはあなた似なら良いのにと思ってますけれど?」
しかし関係が変わっても尚、私たちの相手を立てすぎる、考えすぎる所はあまり変わっていなかった。
その風景は何度もマスコミに撮られ、私たち夫婦にはすっかりおしどり夫婦のイメージが定着してしまった。
別に嫌というわけでもないが、この遠慮しがちな所がもとで色々あったこともあり、少しずつでも直していきたいと考えていたのだが。
「じゃあ間を取って……それでも少しはマックイーンに近い方がいいかな」
「それならわたくしだって、数センチでもあなたに近い方が──」
こうやって譲り合いという名の底なし沼は続いてしまうのだ。
「──ですが今日はなんといっても、ウマ娘の祭典日本ダービー! 今回のダービーはある一人のウマ娘に、大きな注目が集まっています!」
テレビが映すは東京優駿の特集、それに釘付けになる二人。
当然私たちトレーナー陣が気にしないはずもない話題ではあるが、今年は例年と違ってなおさら気になってしまう明確な理由がある。
「あのメジロマックイーンやサトノダイヤモンドを輩出したチームシリウス所属、無敗の皐月賞ウマ娘である"ディープインパクト"です!」
そこに映しだされたのは、小柄ながらも絶大なるオーラを持つ、ロングヘアのウマ娘ディープインパクト。
一人全く次元の違う走りで、4戦4勝の成績にて軽々と皐月賞を制覇。
当然今日行われる東京優駿での二冠達成を期待される立場なのだが、世間の目はもはや
そんな彼女が何故シリウスに入ったのか、というと。
「凄いよなマックイーンは。 だってこんな注目されてるディープに姉さんって言い間違えられたりしてるもん」
「さすがに何年もの付き合いになるのですから、いい加減に直してほしいとしか思ってませんわ……公衆の場で言い間違えないか、いつも冷や冷やしますもの」
元々、彼女の一つ上の姉を家族のように世話してたこともあり、妹であるディープとは学園に入る前から親しい関係だった。
となると当然、チーム選びの際にシリウスを選ぶようになるわけで。
しかしあまりに親しくなりすぎたのか、その姉妹に"姉さん"などと言い間違えられるようになったのは如何なものか。
「でもママとかお母さんよりはマシじゃない? 俺なんかこの前オヤジなんて言われたんだが」
「オヤジって……まだあなたそこまでの歳ではないでしょう……?」
私の胸の中に一人のウマ娘が浮かぶ。
そんなぶっきらぼうな言い方をする子など、今のチームには一人しかいない。
「でも確かにお母さん、と呼ばれたことはありませんわ。 別に呼ばれたい、というわけではありませんが……」
「まあ心配しなくても、数か月したら君もお母さんと呼ばれるんだ」
すると、彼はすっと立ち上がってこちらの膨らんだお腹を撫でてきた。
「だから俺も、ちゃんとお父さんにならなくちゃな……ごちそうさま、今日も美味しかったよ」
細かな気配りの含んだ言葉の後、寝室に戻っていってしまった。
恐らく着替えの為であろう──それを見送った私は引き続き朝食を食していった。
「……ようやく、ダービーを勝てそうですわね」
ディープが圧勝した皐月賞を映すテレビを前に、一人呟いた。
* * * * *
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梅雨入り前、ファンの願いが届いたかのような晴天の下の東京レース場。
いつもと違う異様な雰囲気のまま進んだ今日の開催も、遂に11R、ダービーの時が来た。
地下バ道でディープを見送ると、バ場の方から勇ましい音楽と共に本バ場入場が始まった。
「さあそしてやってきた、一億が望む巨大彗星、府中に見参するはディープインパクト! 史上6人目の無敗二冠達成へ、グリーンカーペットが広がります」
彼女の名を呼ばれると同時に、レース場全体から地響きのような歓声が沸き起こる。
それは関係者席に向かおうとエレベーターに乗る寸前の私たちにも届いたほど。
本バ場入場だけでこれとは。
「とんでもないな本当に……これレースが終わったら聞くクラスの歓声だよ」
「テイオーの時でもこれほどは……それだけ今日に掛かる期待が大きいということでしょうが……」
これまで何度も見てきたダービーを思い出す。
ライスさんの時も、ゴールドシップさんの時も、ダイヤの時もかなり盛り上がっていたはず。
それらを遥かに凌ぐこの歓声──私たちが背負っているものの重大さが身に沁みて分かる。
「ディープ、緊張してないかしら……イレ込んでなければいいのですが……」
「まぁそれは、あそこまで送った俺たちがいくら気にしてもどうしようもないさ。 なるようになる」
「……どうして、あなたはそこまで冷静ですの?」
乗っていたエレベーターが止まり、関係者席へ向かっていく。
この動きを過去何度もしてきた彼の足取りはいつもと変わらないまま。
悲願のダービー制覇が目前に迫っているこの状況でこの冷静さは、ある意味不気味だ。
「長年トレーナー業をしてきて、名伯楽と呼ばれた先生ですらダービーを勝ってないんだ。 俺みたいな若輩者が簡単に勝てる舞台じゃないと思ってるからね」
「そういうこと言って……ダイヤがハナ差で負けた時は、夜通しわたくしの胸の中で泣いていたではありませんか」
これを言うと彼は少し顔を赤くして、私に向かって反論してくる。
「それを言うならマックイーンだって、ゴルシが負けた時にバ場がおかしいと言って騒いでいたじゃないか」
「あれは本当におかしいくらいの高速バ場でしたわよ!? だからおかしいことは何も──」
更なる反論を返そうとすると、どこかからせき込む音が鳴る。
空気を読めという意図を持った音の主は、顔をも覆うほどの黒髪をもつ淑女。
「二人とも、そんなに大声出したらめっ、だよ? もう立派な大人なんだから……」
可愛らしい叱り方をするライスシャワーは、現役の選手として活躍していた頃より随分大人っぽくなった様子。
それでも変わらないちんまりとした姿が、目の前の人物の特定を簡素にさせていた。
「それに、二人は今日の主役の保護者さんでもあるんだよ? 親としてちゃんとしないと……」
「保護者になった記憶はございませんけど……」
「確かに騒ぎ過ぎたな、すまん」
息ピッタリに私たちの総意を伝える。
ライスさんも納得したようで、共にスタンドへ向かっていく。
「今日って、一応ライスだけが来る予定だったよな?」
「うん。 もう一回声掛けてみたりしたけど、結構皆忙しいらしくて……」
ウマ娘のセカンドキャリアは基本、私と同じように育成に携わったり評論家に回る人など、変わらずウマ娘と近い関係にある仕事に就く人が多い。
特にシリウス出身の子はその傾向が強く、今目の前にいるライスさんを除けば皆ウマ娘関連の職に就いてるというのだから驚きだ。
そしてこの時期はダービーだけでなく、その翌週から始まるメイクデビューに向けての準備が激しくなる時期でもある。
故に、最もチームメンバーが集まりづらい時期であるのだ。
「こういう時ゴールドシップさんはよく来てくださいますけれど……あの人もあの人で大人になったということなのですわね……」
学生で味わった青春などとうの昔のことであるのに、それを実感しない体の感覚。
気が付けば彼との関係は夫婦になって、今年ついに父と母になってしまった。
チームメンバーの状況が変わるのも当然だ。
「だがゴルシのことだ、実はこの府中に潜んでる可能性だって否定できない……そうだろ?」
「忍者か何かと勘違いしておりませんの? あなた?」
窘める私の姿を見守ったライスさんはどうしてか、昔のように分かりやすい笑顔を浮かべてきた。
「マックイーンさん、いつの間に"あなた"って自然に……! 前までは"トレーナーさん"と言ってて夫婦感なんてなかったのに……」
彼女の言葉に体は熱を帯びる。
トレーナーさんを見ると、そんな私を見てニヤニヤとしていた。
「べ、別にいいでしょう! わたくしがどんな呼び方をしても!」
慌てて反論したが、これは逆効果になってそうである。
案の定愛しい彼は、さあどう弄ってやろうかと言わんばかりにニヤニヤ度を増していた。
「あなたもですわ! 昔からそうやって隙あらばいじめようと──」
しばらくの説教の後、席の方で発走を待つように。
さすがにここまで来たら、冷静を纏っていた彼にも緊張の糸が張り巡らされたようで、口を真一文字に結んだまま祈るように手を合わせていた。
「……なあ、ディープは本当に勝てるだろうか。 今日も無事に、走り切れるだろうか……」
「あなた……」
珍しく体だけでなく、声でも弱気さを出してきた彼。
それだけダービーというのは重く、大変なレースなのだということを実感する。
しかしこんな弱気な彼は見たくない──そんな一心が無意識に働いて。
「マックイーン……?」
つい手を取ってしまう。
「……大丈夫。 私たちが信じる彼女なら、間違いはありませんわ」
「マックイーン……そうだな。 ディープなら、この舞台でも差し切ってくれる。 ダービーを勝ってくれるはずさ」
いつものような夫に戻り、とにもかくにも一安心。
手を取り合ったまま、私たちはディープの動向を見ることにした。
デビュー当初からのウィークポイントとしてメンタル面が挙げられた子というのもあり、この大歓声に押しつぶされないかが気がかりだが。
「ちょっとチャカついてるな……皐月の時はここから落ち着いてきたから、今日もそんな感じでお願いしたいんだけど」
祈りも込めた夫の言葉。
するとそれが届いたのか、ファンファーレが終わると同時にディープは急に落ち着き始め、ゲートにすんなりと入っていった。
しかしそれまでの様子とのギャップはかなり激しいもので、逆に不安を感じるくらいだ。
「冷静になったらなったで、あれは少し不気味すぎますわ……」
「まあゲートで出遅れても、ここのレベルなら届く自信はある。 まずいのは心身のバランスを崩すことだし、だとしたら落ち着いてるなら及第点だ」
そう話す彼の瞳は、勝負師が持つものと一緒だった。
そんな彼の瞳に導かれ、アスリートとしての自分は大成した。
今彼に導かれてるうら若き学生たちに嫉妬してしまうこともある。
だがその度に思い出す──一緒に帰るお家が私たちにはあることを。
「ウマ娘を愛する全ての人に、日本ダービー衝撃! さあそのスタートは──」
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「早くも、早くも、ディープインパクト先頭か!」
「内ラチ一杯、インティライミも頑張った、残り200を切りました!」
「さあディープディープ、上がってきているのはディープインパクト」
「インティライミ二番手、態勢全く変わらない!」
「このスピード、そしてこの強さー! 遂に決めた無敗の二冠達成! そして秋の京都へ、衝撃は引き継がれます!」
2分24秒先にもたらされた結果は、全ての杞憂を嘲笑うようなものだった。
第4コーナーで何事もなく外に持ち出し、そのまま直線弾けて5バ身差の圧勝。
この時、私たちのトレーナーさんは遂に"ダービートレーナー"の称号を戴いたのだ。
「……あれは凄すぎるな」
「えぇ……! ほんっとうに、凄すぎますわ……!」
興奮が抑えられないスタンド席。
周囲からのお祝いを受けながら、私たちは手を取りあいながらその強さに打ち震えるのみであった。
「おめでとうトレーナーさん、マックイーンさん!」
「感謝いたしますわライスさん。 思えば、貴方の二着から新生シリウスのダービーは始まったのでしたわね」
「あれから数年か……先生も喜んでるだろうか」
きっとどこかで見てくれてる先代トレーナーを想っていると、元より大きい歓声が更に大きく轟いた。
バ場を見ると、ディープが観客に向けて二本指を突き出し、かつての皇帝がとったように二冠ポーズをしていたのだ。
「……会長──じゃなくて、理事と一緒ですわね」
「皐月の時もやってたな……三冠か」
どこか遠い目でそれを見ている彼。
三冠という言葉の重みを感じているのだろうか──できることなら、少しでもその重しを肩代わりしてやりたいが。
そう気持ちを固めてると、室内に向けて足取りを進めようとしていた。
「それじゃ、地下バ道まで迎えに行くか」
「えぇ!」
連れられるがまま、地下バ道に着くとちょうどディープがその姿を現してきたようだ。
勝利者インタビューも終え、爽やかな表情でこちらに近寄るその姿は本当にダービーを走った後なのかと疑ってしまうくらいのものだった。
「トレーナーさんマックイーンさん、おめでとうございます。 栄誉たる"ダービートレーナー"ですよ」
「それはこっちのセリフだ。 二冠達成おめでとう、ディープ」
「そうですわ。 貴方が勝ち得たタイトルなのですから自信を持ってくださいませ」
私たちの褒めちぎりについには顔を赤くし照れてしまうディープ。
あまり褒められることに慣れてない彼女らしい。
「確かに走ったのは私です。 が、ここまで私を連れてきてくれたのは他でもないトレーナーさん、そしてマックイーンさんなのですよ」
「……本当に貴方は、わたくしによく似ておりますわ……きっと、こうも考えているのではないかしら」
「三冠を達成するまで気は抜けない、と」
どうやら図星だったようで、してやられたといった感じに口を開いた。
「はい。 もっと言えば、その後に控えるシニア級の一線級との対決、そして海外遠征──気は全く抜けませんよ」
強い強い意志を持った瞳が私たちに訴えかける。
レースで追い込みを始める時のような怖い目。
それだけ彼女のレースに対する思いが強いという証左であろう。
「もちろんだ。 まずは夏を越して秋──菊花賞だな」
「あら、菊花賞ならここに覇者がいますわよ? わたくしを参考にすればよいのです」
胸を張ってみると、二人の視線が少し怪しい雰囲気になった。
「そうだな。 シリウスにはライスシャワーやゴールドシップ、サトノダイヤモンドと菊花賞ウマ娘が三人もいるし、予習材料に不足はないな」
「はい。 特にゴールドシップさんは同じ追い込みということもあって、凄く勉強になるでしょう」
「え……?」
明らかにいじめられてるこの状態。
分かってて二人がやってるのは理解していても、どこか腹が立つ。
彼らに分かりやすいよう、頬を膨らませて抗議の意思を示した。
「分かってる分かってる。 最強ステイヤーと呼ばれたマックイーンのことは一番信じてるから、そんなリスみたいな顔して怒らないでくれ」
「……最初からそう言えばよかったのですわ」
本日何度目か分からない感じのこの揶揄い具合だが、それを仕掛けてる彼の楽しそうな顔を見ると許してあげたくなる気も強まる。
「でもマックイーンの経験に期待してるのは本当。 ライスの時もダイヤの時も、マックイーンのおかげで勝てた側面があるからな」
「……褒められると逆にこそばゆいですわ……」
身をよじると優しく二人が視線を送ってくれた。
すると、ディープの名が呼ばれる声が地下バ道に響き、それに返事した彼女が踵を返す。
「追加取材のようです。 少し長くなるかもしれないので、控え室で目黒記念でも見ておいてください」
私たちが分かったというと、そのまま彼女は人混みの中に消えていってしまった。
「……三冠か」
「あなた……?」
消えていくディープを見ながら呟いた夫の言葉。
「いや、ダービーが終わってようやく重圧から解放されると思ったら、更に重いプレッシャーが掛かったからな。 多分、彼女が引退するまで続くんだろうな」
ディープの控え室の方に足取りを向け、歩調を合わせて向かって行く。
「それは……わたくしの時も思ってましたの?」
隣にいる彼の顔を見つめる。
彼も同じようにこちらを見てくれた。
「もちろん。 特にマックイーンは初めての担当だからな、菊花賞の時とか緊張して仕方なかったぞ」
「やっぱり……」
彼がプレッシャーに押しつぶされる映像を浮かべると、全身からぞわっという感覚が襲った。
現役の間は表に出されてなかったが、より親しい関係になったことでようやく知れた彼のもっと弱い部分。
それを私自身が味合わせていたなんてことは、考えたくもない。
「マックイーンは心配性だなぁ。 そんなプレッシャーを遥かに上回るくらい楽しいからこの仕事続けてるんだ。 マックイーンの時もそうだったんだぞ?」
「本当ですの?」
「ホントホント。 現役最強のウマ娘に携われるなんて、とんでもない幸福だからな。 その相手がマックイーンとなりゃ、毎日がパラダイスだ」
少し嬉しくなるようなことを言ってくれて、つい気持ちが弾んでしまう。
「マックイーンは重圧を共有しようと思ってくれてるんだろうけど……俺としてはさ」
それを悟られないように努めると、彼に手を取られ、一旦足を止めて言ってくれた。
「楽しさってのを一緒に共有したい。 沢山のレースを勝って、沢山の景色を見て……その隣には、マックイーンしか考えられないんだ」
「……っ」
まったくもう、この人は──
「本当に、調子が良いんですから……」
少し恥ずかしいのか、頭をポリポリと掻く大好きな彼。
「……その申し出、もちろんお受けいたしますわ。 あなたと一緒に見る景色……きっと、素晴らしいものしかないのですから」
かくいう私も、少し気負ったことを言ってしまう。
当然のように頬を赤らめたが、気持ちの良い恥ずかしさなので後悔なんてない。
──あぁ、本当に好きなんだな。
甘い気持ちが私を支配し切った。
* * * * *
────
ライブも終えて、府中のレース場から学園に戻る車の中で。
「……ディープ、寝てしまいましたわ」
「冷静さを装ってたけど、やっぱりのしかかった重圧が凄かったんだろうな」
車を運転する夫に知らせると、とてんと、こちらの肩にディープが頭を預けてきた。
不意打ちでビックリしたが、顔を見るとただただ可愛い少女の表情だったので心が安穏とする。
「ディープが菊に挑むころには、お腹の子も生まれてくるのでしょうか。 そうなると、京都には付き添ってあげられないかもしれませんわ」
「そうだったな……菊花賞の実施、遅らせてもらうか?」
「面白い冗談ですけれど、ありえませんわね。 きっとわたくしは家から、彼女の勇姿を見守るだけですわ」
「でもこっちが遠征中にちょうどよく生まれてしまったら……」
「負けてはなりませんわね。 血を分かつ子供の顔を、清々しい気持ちで見たくはありませんの?」
「そんなの、当然清々しく見るつもりだ。 無敗の三冠を達成してな」
彼の力強い宣言に、安心感を覚える。
嬉しくなって、ちょっとばかり欲求が芽生えてしまった。
「……ねえ、あなた」
「どうした?」
「愛してると、言っていただけません? ちょっと、欲しがりになってしまいましたわ」
「唐突だな……愛してるよ、マックイーン」
「えぇ……愛してますわ、あなた」
ずっと、ずーっと。
END
まずは、ご愛読いただき誠にありがとうございました。
自身初めてここまで読んでもらえた作品はないので、もう本当に感謝感謝しかありません……!
そして誤字報告してくださった方、評価や感想などを送ってくださった方、お気に入りに入れてくださった方、全ての人に深く感謝を申し上げます。
そして!ダービーまでに終えるという公約を果たすことができず!誠に申し訳ございませんでした!
いや当日ならセーフ……? やっぱりアウト……?
あ、シャフリヤールと関係者の皆様、ダービー制覇おめでとうございます。
最後に、後日仕込んだネタ等の解説を活動報告の方でさせていただきますので、ご興味ありましたらそちらもどうぞ。
それでは、さらばだー!
「トレーナーさん知ってます?」
「夜空に輝く星にも必ず、寿命があることを」
「寿命が来た星というものは盛大に弾け、跡形もなくなくなってしまいますわ」
「では消えた星がその後なんの役にも立たないかというと、そんなわけはないそうですの」
「爆発して飛んで行った星の残骸が、宇宙の至る所に放出されて──」
「その残骸が寄り集まることで、新しい星を生むらしいですわ」
「──怪我をして、儚く散ってしまったメジロマックイーンという一等星にも──」
「いつか、その残骸から凄いウマ娘が生まれるのでしょうか」
「──わたくしは貴方と、それを見届けたいですわ」
「また新しい"シリウス"を──」