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あれから四か月後、私はサブトレーナーさんと二人三脚で、デビューに向けた準備を進めていた。
さすがは育成のプロといったところか、新米のサブトレーナーさんでもこの私に的確な指導を施してくれ、私の実力はメキメキと上がっていった。
そして彼の指導はレースに限らず、日常生活にも及んだ。
というのも、私の虚弱体質を重く見たサブトレーナーさんはクラシック級での克服を目標に掲げ、食事指導や睡眠改善をしてくれた。
するとどうだろう、次第に体調を崩すことも減り、他の人と同じようなトレーニングメニューを行えるようになっていったのだ。
もしかしたら、本当にすごい人なのかもしれない──それまで心のどこかで疑っていた部分が、少しずつ溶けていくような気がしていった。
順調にいけば、王道の秋デビュ──ーしかも、名選手を多く生んだ菊花賞デーのデビューを視野に入れていると聞いた時は、久方ぶりに心が躍ったものです。
しかしそう簡単にポンポンと行かないのがこの世界。
ある日、右足にこれまで感じたことのない違和感を覚えた為、足を診てもらうことになった。
『結論から言いますと、管骨骨膜炎、俗に言うソエですね。 しばらくは運動を控えてください』
「──と言ってましたが、その、恥ずかしながらソエというものを名前しか知らないのですが……」
恥を承知でサブトレーナーさんに聞く──が、当の彼は珍しく厳しい表情を続けていた。
「ソエっていうのはな、デビュー前のウマ娘によくみられる足の炎症のことだ。 まだまだ成長期にあるうちに強い負荷をかけると発症しやすくてな、いわば成長痛みたいなもんだ。 屈腱炎とか、繋靭帯炎とは違って大事になることはないんだが、まあその、なんていうかな……」
「……? どうして言い淀むのです、成長痛ならすぐ回復してもおかしくないのでは?」
「経過が良ければちょっと調整が遅れるくらいになるんだがな、マックイーンの場合、少し厄介なタイプで……数週間単位でデビューが遅れるのは避けられないんだ」
それを聞いた瞬間、相も変わらず暗い顔の彼と対照的に、自分の中ではいつもと変わらぬ感情が展開されていた。
数週間──? そんなのいくらでも待ってやる──
元々ないものだと思ってたデビュー戦、それが実現できる分だけ恵まれている。
「そのくらい、いくらでも待ちますわよ。 それで、次はどこを視野に入れてまして?」
「そうだな──ジャパンカップくらいがいいんじゃないかな。 もし長引いても、有マ記念の日には間に合うようにはしておくよ」
────
しかしこのソエ、夏を越しても、GⅠシーズンを迎えても、当初のデビュー日を迎えても、全く治まる気配が見えなかった。
それに連動して、初戦の予定は後ろへ後ろへ、ずれていく。
ジャパンカップウィークの予定が有マ記念ウィークへ。
有マ記念ウィークの予定が未定へ──
後ろにずれればずれる程、平然としていた心に焦燥感が生まれる。
どうして、どうしてこの足はまた、私の行く手を邪魔するの──
ウマ娘にとっての"相棒"と言える両の足に、無意味と分かってても当たってしまう。
昔からこの身体を恨んではいたが、この時はそれまでで一番の恨みを持っていた。
とはいえ、自分にできることは適切な治療を受けながら、体が鈍り切らないように軽い運動をするだけ。
それに、サブトレーナーさんはこんな自分を励まし続けてくれてる。
この期待に、応えなくてはいけない。
まだこの心は、崩れてなかった。
────
「オグリさんの、有マ記念を……」
「あぁ。 最近気が張ってるようだったし、気分転換にどうかなって」
暮れのグランプリも近づいたある日、私はトレーナーさんに誘われ、オグリキャップさんの二度目となる有マ記念を見に行くことになった。
結局、この日まで私のソエは完治することなく居座り続け、依然として私の心を蝕んでいた。
さすがにここまで長引くとは──そう言ってたトレーナーさんの沈んだ顔に、自然と自分の心も暗くなっていた。
そんな私の様子を見てか、その日以降彼は無理に笑顔を作って、このように私を遊びに誘ってくれるようにしてくれた。
その気遣いを私は喜んで受けていたが──正直、遊びに行っても暗い気分は晴れずに残り、心の底から楽しむことができなかった。
それは彼も一緒だったのか、互いに微妙な距離感を作ってしまい、親交を深めるどころかむしろ関係を冷えさせてしまっていた。
なんとかしたい、変えたい──そう思っても言い出す勇気を出せない私は、ついつい彼に甘えて怠惰な時間を作ってしまう。
シリウスに所属して八か月、変わりつつあった私の心は、結局この体質のせいでまた元の鞘に収まろうとしていた。
「──外からイナリワン迫る! スーパークリーク粘るが厳しいか! オグリキャップは三着も無理か! 先頭は、イナリワンだゴールイン!」
この年を盛り上げた三強に決着がついたその瞬間、観客から割れんばかりの歓声が轟く。
その観客達の頭上、関係者専用席にいた私たちシリウスの面々は、惜しくも五番手での入線となったオグリさんの結果に様々な反応で返した。
まさかの結果に落胆する者。
やはりなという様子で納得する者。
結果はどうあれと、お疲れ様でしたの声をかける者──
「うーん疲労が思ったよりも響いたのかね。 なあサブトレーナー……っておいお前ら」
「……あ、はいそうですね。 多分、疲労じゃない、ですかね……」
その中で私とサブトレーナーさんだけは、レースと関係ない暗さを持ち込んでしまっていた。
目の前で繰り広げられた激闘などつゆ知らず、各々の中で沼に嵌まって抜け出せない。
前々からそれを咎められていたが、一向に改善されないその様子に諦めがついたか、トレーナーさんはそれ以上何も言わなかった。
その日の夜、シリウスは学園近くの居酒屋で、オグリさんへのお疲れ様会を兼ねた忘年会を開いていた。
「しかし、問題ないと思っていた疲労がここまでとは……さすがに予想できなかったな」
「すまねえなオグリ。 俺もこの手の見極めには自信あったんだがな……」
トレーナーさんとオグリさんが二人で反省会をしてると思いきや、オグリさんはその片手間で大量の食事に手をつけていた。
それには及ばないものの、他の人もまた我を忘れて食事を取っている。
当然私も──というわけにはやはりいかず、食欲がなかなか出てこない中ちまちまと口に物を運んでいく。
それは隣にいるサブトレーナーさんも同じなようで、こちらは普通の人間な分殆ど手につけていない状態だった。
そうして進んでいった忘年会は、食事音が減るに連れて人の声で溢れるようになる。
それぞれ今年を振り返ったり、来年の展望を語り合ったり、今日の有マ記念について話し合っていたり──
そして案の定、私たち二人はその輪に加わることなく、ただ黙って座っていた。
とはいえさすがに飽きがきてしまった──と思って周りを見渡すと、何人かがいなくなっているようだった。
そういえば帰るのは勝手にしてもらっても構わないと言ってたような。
それではわたくしももう帰ってしまおう──あ、でもサブトレーナーさんに一言いれておいても──
「お、お前サブトレーナー探してるのか?」
彼を探してる様子を見てか、私と同じ芦毛のウマ娘が声を掛けてくる。
あれ、確かシリウスには私とオグリさん以外芦毛の子はいなかったはずじゃ──
「え、えぇまあ」
「あいつなら今花摘みにいってるぜ? なんでも、世界が救えるか救えないかの瀬戸際ってとこらしいぞ?」
何言ってるの──と思ったが、つまるところトイレに行ってるということだろうか。
それならしょうがない、彼には後で連絡しておけばいいだろうし、ここはさっさと戻ってしまおう。
「感謝しますわ。 ええと、失礼ですが貴女は……」
「アタシの名か? それを知りたければ、まずはこの国家機密情報の保持に関する同意書にサインしてもらって、それで──」
あぁ面倒だ。
感謝は伝えたし、早く帰ってしまおう。
そうして私は、楽し気な喧騒の中を突っ切って、店を出ていった。
「──それで、このアタシに情熱のハグを交わしてな……」
「すまんそこの君、メジロマックイーンを知らないか?」
「マックイーンか? こんなところで取る食事より、油くさいラーメン屋に行く方がこの身になりますわ! って言ってここ出ていったが」
「なるほど、ほとんど嘘だろうが出ていったのは本当なんだな。 ありがとう、感謝する」
「それほどでもあるな! いや、もはやその範疇に留まることなく──」
* * * * *
────
しかしまあ、本当のことを言うと、今日はあまり楽しくなかった。
今度こそ何か変わるかも──そう意気込んで今日に臨んだが、やはりそう簡単に変わるわけない。
ほんの少し、気持ちがすれ違ってるから今がある──そう考えていても、どこを直せばいいかなんて分からない以上どうすることもできない。
「……あ」
そう考え込んでるうちに、いつの間にか寮の前についていたようだ。
こうしてまた、怠惰な一日が過ぎてゆく。
いつもいつもそうだ、帰る道中で独り反省会を繰り広げるも、寮についてご飯を食べ、寝てしまえば全て無と化す。
明日起きたときにはリセットされて、そしてまた一日を過ごし、また独りでに──
「……ふふっ、前と何も変わってないではありませんか。 こういう日常は、慣れっこなはず……」
ふと、昔の自分を思い出す。
いつ切れるも知らぬ、芦毛の問題児──
パッと頭に湧き出た言葉は、これ以上ないほど自分を貶しめるには十分だった。
あぁそうか、自分は元々こういう人間だったんだ。
人間関係もまともに構築できず、それから逃げようとすれば他人に牙を向く最低な女。
一瞬だけ夢をみたけど、それはあくまで夢に過ぎない。
あっという間に弾けてなくなる、バブルのように。
本来の自分に戻っていこう──偽りのマックイーンの衣を脱ぎ捨てて。
さようならしよう──ようやく見つけた理想のマックイーンに。
────
「おーい! 何黄昏てるんだマックイーン!」
「……っ!? さ、サブトレーナーさん!?」
後ろから聞こえる聞きなれた声。
この八か月、自分のことを誰よりも見てくれたあの人の声に間違いない。
思わず後ろを振り返る。
「おいおいいきなり帰るからビックリしたぞ──って、どうした!? そんなに涙流して!」
「え……?」
そう言われて、目元を人差し指でさする。
──液体、これはなんだろう。
まさか、自分でも知らない間に涙を流して──?
「まさか、誰かにつけられたとか……いや、それは自分か。 それじゃ、まさか襲われたとか……」
「そ、そういうのではないですわ! そもそも、これは涙でも、なんでもなく……!」
彼の声を制して、無理やりな主張を押し通す。
その主張は本当に無理やりで、サブトレーナーさんは私の言葉を無視してこちらに向かってくる。
「いやいや、どっからどうみてもそれは涙だ。 ほら、ハンカチ貸すからこれで拭いて」
「……ありがとう、ございます」
結局、私は彼の押しに負け、涙の存在を半ば認めた。
「……そうか。 ごめんな……俺ももっと、誘うだけじゃなくて積極的にアクションすれば良かった。 ずっと、遠慮しちまって……」
「い、いいえ! せっかくお誘いしてくださったのに、それに甘えてきたわたくしのせいですわ!」
どうして涙を流したのか──推測ではあるものの、その理由を赤裸々に話すことにした。
そしてそこから、これまで話してこなかった昔の話も全てした。
これまでも学校に馴染めてこれなかったこと。
トレセン学園で嫌われ者になっていたこと。
そして、自分はとても不器用で強がりなウマ娘であることは──結局言わないでおくことにした。
でもこの時ほど、彼が隣にいて良かったと思うときはない。
それまで誰にも出せなかった"自分"を、初めて共有できたような気がする──
「はは……まったく、これじゃトレーナー失格だよな。 自分の担当ウマ娘を泣かすなんてさ……」
「サブトレーナーさん……あ、そういえば、どうしてわたくしを追いかけてきて……?」
ずっと微かに抱いてた疑問。
いくら自分の担当とはいえ、わざわざ追いかけてくることなんて普通に考えればないはずだ。
「いやそれがさ……ちょっと、デビューに関する妙案を思いついてな」
デビュ──ーデビュー!?
「ど、どういうことですか!? わたくしのソエはまだ完治してないですわよ!」
「うん、それはもちろん分かってるさ」
どうしましょう、ますます混乱してきましたわ──
「ソエってのは別に完治しなくてもいいんだ。 というか、ソエ発症しながらクラシックレース走ってる子もいることにはいるし」
「え、それならそうと先に……」
「まあ待て。 前にマックイーンの場合は厄介だと言っただろう? だからレースを使う段階にもまず入れなかったんだ。 けど、このまま行ったらメイクデビュー戦がなくなって相手が既走歴のある子しか残らなくなる……でも芝のレースを使うのは中々難しい……と、そこでだ」
そういうと、胸ポケットからスマートフォンを取り出してロックを解除し、私に液晶画面を見せてくる。
「阪神1700m、ダート……ダートですか!?」
「そう、その通りだ!」
突然私の手を握り、興奮した様子で話を続ける。
「ダートなら、芝と違って足への負担は小さい。 正直、クラシックや天皇賞とか取らせることを第一に考えてたから、ギリギリまで芝に拘ろうとしたんだけど……もう背に腹は代えられないなって思ってさ」
「なるほど、そうでしたのね……」
ただただ、素直に嬉しさが込み上げてきた。
自分の為に、こんなにも考えてくれてる──
そんなこととうの昔から知っているのに、どうしてか胸の鼓動が高鳴っていく。
その鼓動を察してか、再び涙が零れそうになるが、なんとか踏みとどまった。
「ただな、一つだけ問題があって……」
サブトレーナーさんは難しい顔をしてこちらを見る。
なんか、変に意識してしまいます──
「先生がな。 ほら、あの人大切にレース使ってくる人だからさ」
「あぁ、そういえばそうでしたわね……」
シリウスを纏めるトレーナーさんは、それこそ私が生まれる前から無理なレース選択をしないことで有名であった。
オグリさんを連闘でGⅠを使ったことがあるように、状態によっては攻めたこともするにはするが、状態が整わなければ絶対に出走を許可しないので、"過保護"と揶揄されることもままあった。
「確か"一勝より一生"、でしたか。 それなら多分、わたくしの出走も許していただけないでしょうね……」
「普通なら許してくれないだろうな。 でも、俺には秘策がある」
「ひ、秘策……?」
何か嫌な予感がする。
悪寒が体をまとうように吹いた。
────
「先生お願いします! マックイーンの出走に許可を出してください!」
案の定、この男は無鉄砲な強硬策に出ていた。
確かに、頼み込むしかないかもしれないが、それにしても突然すぎでは──
頼み込んだ先は、既に宴も終わりに近づいてた所であった。
「はぁ……お前さんも分かってると思うが、今日はもう遅いんだぞ。 そういう話は明日になってから──」
「いや、今日じゃなきゃダメなんです! だって先生、明日からしばらく顔出さないじゃないですか!」
「それはまあそうだが、それでもいきなりはなぁ……」
──なるほど、冷静にこの問答を聞くと、今突然聞きに来た理由が分かった。
今トレーナーさんは酒が入ってて、少しではあるが判断能力が鈍っている。
その隙をついて──って、中々サブトレーナーさんも策士で強引な方ですのね。
「それに……もういいでしょう? 彼女は完治こそしてませんが、かなりソエの状態は良くなってます。 芝はともかくとして、ダートなら出してもいいんじゃないですか?」
「お前の言わんとすることは分かるが……なあマックイーン、お前はどう思ってる?」
突然振られた話の中心。
だがここでは、まったくもって悩むはずもなく答える。
「それはもちろん、レースに出たいですわ。 ソエのことは少し不安ではありますが──」
そこまで言ってから、私はサブトレーナーさんの顔を見る。
「彼が──サブトレーナーさんが背中を押してくれるのならば、わたくしは怖くありませんし、彼の為に走ることを誓いますわ」
自分の中の率直な気持ちを、今まで出すことのなかった熱を持って伝えた。
これは絶対、トレーナーさんに届いているはず。
するとそのトレーナーさんは、困ったような様子で私たちを見ていた。
「そうかそうか。 それはまあお熱いことで。 これならまぁウマ娘の方では文句はねえ。 そんじゃ、サブトレーナー。 もしこのレースが原因で、彼女が取返しのつかないような事態に陥ってしまったら──お前はどうするんだ」
それは、ずいぶんと挑発的な表情で問われたものだった。
彼女──つまり自分が、とんでもない状況に陥ってしまったら──
それを想像するだけで、尻尾の先まで緊張が走る。
そしてそれは、そうなった時の彼の行動というものも、緊張の対象となっていた。
彼はどうするのだろう──聞きたいようで、聞きたくないような。
「彼女の人生に大きな影響が出たら──その時は、一生をかけて、その責任を負うつもりです」
「え、えぇ!? 貴方今なんとおっしゃって──!?」
い、一生!?
それじゃまるで、プロポーズのようではありませんか──
耳まで真っ赤になりそうになると、トレーナーさんは突然に笑い出し、それを怪訝そうにサブトレーナーさんは見つめている。
「……? 何がおかしいんです……?」
「ふぇ? いやぁちょっと、これは傑作だって思ってな」
そうして、トレーナーさんは姿勢を正して──
「良いだろう! マックイーンのデビュー戦、許可を出す。 明日の朝に登録用の紙持って、俺の家までこいよ」
その言葉を聞き、彼は一気に表情を明るくさせ、首を垂れて言った。
「あ、ありがとうございます! 絶対に彼女を勝たせて、そして怪我させないようにします!」
彼の勢いに押されるがままに、私も頭を下げて感謝を伝える。
もちろん、顔は赤らめたままだが。
「にしてもマックイーン、お前さんもいい男をパートナーにできたな──って、それはサブトレーナーも一緒か」
「へ? あぁ、はい……?」
──え? まさかサブトレーナーさん、全然意識してないのですか──?
一人で舞い踊ってた感情を冷却し、彼の目を見る。
確かに、そんなこと微塵も考えてないような気もする。
きっとさっきの言葉は、熱くなってつい出た言葉なのだろう。
だから私が火照って考えた妄想には、なんの意味にもならなかったということで──
「まったくお前は……マックイーン、こいつのお世話、ちゃんと頼むぞ」
「え、えぇ! 彼が一人前のトレーナーとなるまで、しっかりとそばにあり続ける所存ですわ!」
──まあ、これはこれで悪くないでしょう。
まだまだ先はあるわけで、今焦る必要は全くない。
あれ、焦ってるとは一体どういうことでしょう──?
「ともかく。 マックイーン、早速明日からトレーニングするからな。 ちょっと実家には帰りづらくなるだろうけど……いいか?」
「も、もちろんですわ。 ……明日からデビュー戦に向けて、頑張らないといけませんわね」
落ち着かない心を無理に落ち着かせ、気合を入れる。
明日から始まる、栄光への道しるべ。
今まさにゲートへ、ゆっくりと歩みだしたのであった。
* * * * *
────
有マ記念の日から約二か月。
私たちはデビュー戦にむけ、二人三脚でのトレーニングを行っていた。
まだソエが完治してないことから、通常よりは軽いメニューをこなしていたものの、実力はしっかりとついてきてる感覚があった。
そしてこの間、私は自分の気持ちというものにも整理をしていた。
それによって分かったことが二つあった。
まず一つは、私は彼に──サブトレーナーさんに恋をしているということ。
そして二つ目は──この恋は、決して実らない恋ではない、ということ。
というのも、ここ最近トレーニングの合間に彼に色々なことを聞いてみたところ、誰かとお付き合いしている、という雰囲気ではなかったのだ。
もちろん私が惚れた殿方ですから、彼を魅力的に思う女性は多く、同期の女性トレーナーさんや理事長付きの事務員さんと会話を交わすことも多いのですが──
「絶対に、負けません……」
狙った対象は必ず仕留めなさい──
母から教わったその言葉を胸に秘め、恋の戦争を戦い抜く。
「ついに、ここまでこれたな」
「えぇ……本当に、長かったですわ……」
2月3日、阪神レース場。
第4レースに行われるダート1700mのメイクデビューに、私の名前は登録されていた。
「晴れの日には相応しくない、雨模様と不良バ場だが……行けるか?」
本バ場入場前の地下バ道。
サブトレーナーさんに言われ、私は右足の様子を確認する。
──大丈夫、行ける。
「問題ないですわ。 まだ完治はしてませんが、これでも最終追い切りでは自己最高を更新したほどですもの。 一着を取れる自信は、十分ありますわ」
三日前の追い切りでいい動きができた私は、本番に向けての自信を深めていた。
その好調さを買われてか、メジロマックイーンは観客から二番人気に推され、専門家からの印も多くつけられるくらいの位置に立っている。
「さすがだなマックイーン。 ただ、それでも二番人気だ。 相手は状態面に不安がなく、追い切りでも好時計を連発している。 ここは楽勝というのがおおよその見方だろう。 他にも調子の良い子が複数いるし、あくまで挑戦者の気持ちで臨んでいってくれ」
「もちろん。 それに今後のことを考えれば、ここは絶対、確実に勝たなくてはいけませんわね」
「……? 勝つに越したことはないのは事実だけど、どうしてそんなに拘るんだ?」
「それは──」
サブトレーナーさんから湧き出た疑問。
彼の手を取り、自信を持って答える。
「クラシックに、連れていってくれるのでしょう? わたくしの目標はメジロ家が大事にしてきた天皇賞盾の獲得ですが、貴方の目標はわたくしをクラシック競走に行かせること。 そして、貴方の目標はわたくしの目標。 今のわたくしの最大目標は、貴方と共に、クラシック出走を果たすことですから」
彼の目を見る。
その目からは、安心や信頼──少なくとも、私を信じてくれていることが伝わった。
「……なんか、こそばゆいな。 そんな自信満々に言われると」
「ふふっ、これくらいで恥ずかしがっていたら、来年まで身体が持ちませんわよ!」
こうやって彼をからかえるようになったのは、果たしていつからだろう。
彼をからかうと意外な反応が見れて、すごく温かい気持ちになる。
誰も知らない、好きな人の一面。
私だけが独占できることに、ただ喜びを感じる。
「ははっ。 それくらいの活躍、期待してもいいんだな?」
「もちろんです。 このメジロマックイーンを見続けてくだされば、必ずや頂点の景色を、ご覧に入れさせてみせますわ」
悩むこともなく、実直に伝える。
それは彼に、未到の絶景を見せたい──いや、共に見たいという信念からくるものだった。
「第4レースに出走する皆さーん! そろそろ入場お願いしまーす!」
奥の方から係の人の声が響いてくる。
私のトゥインクル・シリーズが、人生を掛けた争いの全てが、始まる時が来た。
「それでは、行って参ります」
「あぁ。 行ってこい」
サブトレーナーさんと最後の言葉を交わし、バ場へ歩んでいく。
ここから先は振り返らない──そう決めていたが我慢できず、つい後ろを見てしまう。
サブトレーナーさんに一切の迷いはなかった。
当然自分も──最後のアイコンタクトを送り、地下バ道を抜け、いざ晴れの舞台へ。
「あいにくの雨模様となりました、阪神レース場。 第4R、彼女たちにとって、関係者にとって、勝っても負けても思い出に残るメイクデビュー。 出走する各選手、ご紹介してまいります。 まずは──」
* * * * *
────
「なんというのも、もう半年以上前のことなのですね……」
あのメイクデビュー、結果は先行した私が最後にキッチリと逃げの子を捕らえ、見事に新バ勝ちを果たした。
その後、急にソエの状態が上向いたことから一時期ダービー出走の話が出たものの、結局は大事を取り、三冠最後の菊花賞を目指したローテーションを組むことになった。
夏場は休養に充て、晩夏に始動したわたくしこと、メジロマックイーン。
賞金不足で登録除外の可能性があったものの、なんとか今日、菊花賞のターフに立つことが叶った。
「いやぁ、マックイーンがここに出れるなんて、去年の年の瀬には思ってもみなかったよ」
私の幼馴染で、最大のライバル。
同期のメジロライアンが話しかけてくる。
「あら、そういうことならわたくしも、ここまでGⅠを勝てないままとは思ってもみませんでしたわ。 ずっと上位人気でしたのに……」
彼女は今回の菊花賞で、堂々の一番人気を背負ってここに立っている。
しかし背負ってるのは人気だけではない。
私と同じく、新人のトレーナーさんと二人三脚で、ここまで戦い抜いているのだ。
そんな彼女は常日頃から、トレーナーさんと共にGⅠの景色を見たいと話している。
私に似ているな──しかしそれならば、絶対に負けられない理由がもう一つできた。
この戦いはきっと、どちらがよりパートナーを想っているか、愛しているかの勝負になる。
それならば負けるわけにはいかない。
彼の担当ウマ娘の名に懸けて。
この挑発染みた発言も、その一端だ。
「お、なかなか言ってくれるね。 あのトレーナーさんに出会ってから、言葉遣いが随分と攻撃的になったなと思ったけれど……これはなかなかのパンチ力だね」
「それもそうですわ。 だって今日は、負けらない戦いなのですから」
しばし、ライアンとのにらみ合いが続く。
すると突然、観客席からわあっという歓声が轟いた。
「さぁこの二選手。 ともに担当トレーナーに初のGⅠ勝利を届けるべく、ここまで研鑽を積んできました。 メジロライアンは三冠皆勤で一番人気。 三度目の正直でGⅠ制覇を成し遂げられるでしょうか」
どうやら、ターフビジョンに私たちが映し出されていたようだ。
向こうにいるサブトレーナーさんも、この様子を見てらっしゃるのでしょうか──
「しかしその他の子も負けてません。 ダービー三着、トライアル圧勝でここに来た二番人気ホワイトストーン。 春のスプリングステークスを完勝した魅惑の大器アズマイーストが三番人気。 もう一人のメジロ、メジロマックイーンは重賞初挑戦で四番人気です」
中心となる子の紹介の中に、自分が割って入っていた。
これが初の重賞競走、それもGⅠ。
しかしそれに怖じ気づく私ではない。
「さあスターターが台に上がって、ファンファーレです!」
──ターフで初めて聞く、GⅠファンファーレ。
その圧は観客席で聞くそれの比ではない、大層特別な物。
これから、何度も何度も、聞けるようにならなくては──
その序章となるファンファーレが終わると、各ウマ娘が続々とゲートに入る。
「それじゃ、勝負と行こうか。 マックイーン」
「えぇ。 正々堂々、よろしくお願いしますわ」
大外18番に入るライアンとはここで一旦分かれる。
そして自分の枠入れ。
早々に落ち着くため、誰よりも早く2番の枠に収まる。
「最後、メジロライアンが入って、18人のゲートイン完了!」
さあサブトレーナーさん、ご覧ください。
これがメジロマックイーン、貴方のパートナーですわ。
だから──だから、わたくしだけを。
ずっと、見ててくださいませ──
「態勢整って……スタートしました!」
* * * * *
────
「随分と長く、思い返してしまいましたわね……」
それだけ思い入れがあるのだろう──ふと外を見てみると、あれだけ晴れ渡っていた空が、少しずつ雲に覆われてる様子が見える。
だが私とサブトレーナーさん──いや、今のトレーナーさんとの思い出は、これだけに留まらない。
辛い時期も、楽しい時期も一緒に乗り越えたトレーナーさんとは、今や一心同体とも言える関係を結んでいる。
あとは最後の一押しだけ。
その一押しで、彼とは真の意味で"一心同体"となれる。
──が。
「そのようなこと、できるわけありませんわ!」
ベッドに身を預けて心から叫ぶ。
最後の勇気さえあれば、とは何度も思ったものの、やはり上手くは行かないものだ。
──と、何やら後方より不気味な気配を感じた。
恐る恐る振り返ると。
「お嬢様、検査の準備ができました」
これは失態、もしや見られてたのではないか。
なんとか態勢を立て直すが、あまり意味がないように感じる。
「えぇ、分かりましたわ」
「はい……あ、それと先ほどのは誰にも言いませんので、お許しいただければ……」
──って、思い切りみられてるではありませんか!
* * * * *
────
「あれ、今日雨の予報だったっけ」
ぽつりと降った雨に気を取られ、上を見る。
「あれじゃねーか? ゲリラ豪雨ってやつ。 この時期にしちゃ珍しいけどよ」
「そうか……」
「トレーナーさん。 これもっと降りそうだし、室内に切り替えたほうが良さそうじゃないかな」
「そうだな……よし! 一旦撤収! 学園内に戻るぞ!」
ライスシャワーの進言を受け、トレーニング中のチーム・シリウスを引き返させていく。
しかしこの雨──
「んあ? どおしたトレーナー、雨が心配なんか?」
「天皇賞も近いし、あまりバ場が荒れるのも良くないよね……」
「いや、まだ開催まで数日あるし、そこまで深刻にはならないだろう。 それに、マックイーンは重バ場でも走るから、多少の雨なら問題ないさ」
実際そうだ。
このくらいなら然したる支障は発生しない。
むしろパンパンの良バ場にならない分、良い物と捉える見方もあるだろう。
だがそれでも、この雨に対するモヤモヤが──嫌な胸騒ぎを覚えるのは何故だろうか。
気のせいであればいい、と思ったのも束の間、ポケットのスマホが精一杯に振動する。
「お、ようやくマックイーンから連絡か? ずっと待たされて、アンタ悲しそうだったもんな……!」
「いやいや何涙声してんだ……えーと……」
こちらをからかうゴールドシップは置いといて、誰かからの連絡を確認する。
そこに記されてたのは──
『トレーナー様、至急、お館まで来ていただけますでしょうか メジロ家主治医』
「はわわ、マックイーン先輩の行く末が心配ですー!」
「ちょ、謎のウマ娘ちゃん発見!? ファル子さん、この方は!?」
「デジタルちゃん、この人私たちが太刀打ちできなかったドバイのレースで二着に入ったんだって! 敬わなきゃ!」
書くこと増えたせいか二つに分割となりました。
とはいえこの三話目も相当な分量になってしまいましたけど……
次回が本作の山場だと思うので、気合入れて頑張ります。
関係ないですけど、エフフォーリアの枠順がアグネスタキオンと一緒でなんか運命を感じますよね……!
無敗戴冠に期待です。
ちなみに今回の謎ウマ娘はトゥザヴィクトリー、マックイーンとは厩舎の後輩で主戦武豊さんも一緒。
牝馬ながらドバイワールドカップで二着に入って(牝馬としては歴代最高順位)大金を持って帰ったりしてて、母としても活躍しました。
頭の高い走法で、黄色いシャドーロールを揺らしてたのが印象的。
出演者はドバイに挑んだもののボコボコにされた者たちでした。