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『わたくしメジロマックイーンは、レースの第一線から退くことを、発表いたしますわ』
"あの日"から一か月ほどが過ぎた。
天皇賞の前日に電撃的に発表された"メジロマックイーン現役引退"というニュースは、レース開催中にも関わらず、とんでもない速度で日本全国へと発信された。
その日の全レース終了後に設けられた会見の場で、本人の口から正式に引退を発表。
そして12月25日、クラシックへの希望に溢れるであろうホープフルステークスが行われる日の中山レース場にて、引退式を施行することも併せて発表された。
この会見の模様はUmatubeで生中継されたのだが、その視聴者数はなんと50万人を超え、Umatterでは世界トレンド一位になるなど、とんでもない影響を及ぼしているのには本人も相当ビックリしていた様子。
とはいえ後から聞いてみると、こんなにも沢山の人に引退を惜しんでもらえて嬉しい、と言っていて、満更でもなかったようだ。
「でも今思えば、ちょっと前まで強すぎて退屈だって言ってた人達が、手の平を返して引退を惜しむって……少し都合が良すぎませんこと?」
「人ってのはそういうもんだよ。 いなくなって初めて、その存在の大きさに気づく。 マックイーンが世界一、誰からも注目を集めたことが、何よりの証拠だよ」
「ん……もう! そのいじわるはよしてくださいって、昨日も言ったではありませんか!」
しかし当のマックイーンに変わったところは何もない。
レースに出ることがなくなったので以前よりスイーツを食べるようにはなったが、引退式を控えている以上暴食するわけにもいかないので、満足するまで甘味を食べる、という彼女の野望は未だ達せられてはいない。
そして内面はご覧の通り、変化している所を言う方が難しいほど何も変わっていない。
最初の数日はいつもの生活が完全に崩れたことでフワフワとしていたところはあったが、今ではすっかり元通り。
こうやってからかえば、いつものように恥じらって文句を言ってくるわけで。
「ごめんごめん。 マックイーンの反応が面白くてついな」
「……それ、もう五回は聞きましたわよ」
頬をぷすっと膨らませ、腕を組んで説教の態勢に入る。
しかし五回も言っていた自分は、もしかしたら怒られたいとさえ思っているのかもしれない。
「全く……そんなに怒られたいなら、そう言えばいいのに」
ボソッと呟くマックイーンの姿には、どこか愛らしさも感じる。
見とれていると、どうやらマックイーンがそれに気づいたようだ。
「そ、そんなにじろじろ見られては……恥ずかしいでは、ありませんか……」
赤面した顔で言われるその言葉を聞くと、やっぱり自分は彼女のことが好きなのだと、絶対的に自覚してしまう。
あぁやっぱり、可愛い──
この気持ちは一か月後、なくなるどころかより想いを増していたのだ。
そんな今は彼女と二人きりで、トレーナー室にて甘い甘い触れ合いを謳歌している。
ソファでくっ付くように座り、彼女が淹れた紅茶を飲む昼下がり。
彼女は時に、自分の頭を俺の肩にもたらせたり、膝に寝かせたりしてくる。
そういう大きなアクションをするときは大概、彼女の心臓の鼓動が聞こえたり、大きく息を吸ったりなどの予備動作があるから、事前の準備には困らないでいられる。
ライバルの事前調査と称し、一応ノートパソコンを机に出してはいるが、正直置いてるだけになっている。
「さて、そろそろ海外のウマ娘のレースビデオを──」
彼女に好きの気持ちを悟られぬよう、目の前のパソコンに手を出そうとすると、不意に手を止められる。
案の定、マックイーンが止めたのだ。
「昨日全部見たのでしょう? まだ少し、こうさせてくださいまし……」
そう言うと、マックイーンは突然立ち上がった。
なんだろうと思っているのも束の間、なんとこちらの膝へ、ゆるりと腰を下ろしてきたのだ、しかも面と向かって。
「マックイーン……」
「貴方のお顔、真っ赤に染まってますわ」
それは君もじゃないか──と言おうとしたが、それを言うとまた怒られるだろうから、やめておこう。
その代わり、彼女と目を合わせ続けていく。
藤色の瞳と、何度も目が合う。
何も言わず、ただただ見つめ合う時間。
これを幸せと呼ばずして、何と呼ぶのだろうか。
すっと、彼女が顔を近づけてくる。
気を抜いたら、唇同士がくっついてもおかしくない距離感。
彼女はそれを狙ってるかもしれないが、俺はその誘惑には絶対に屈しない。
しかし理性が徐々に消えかかってることを、脳は一生懸命に伝えようとしている。
完全に理性がなくなるまでは我慢しよう。
限界が来たら、彼女を離して──
「……マックイーン?」
チキンレースへの覚悟を決めた途端、マックイーンはぷいっと反対方向を向いてしまう。
依然膝に体を乗せてはいるが、さっきまでと比べれば理性の消耗スピードは断然緩やかだ。
少し顔色を窺うと──顔がとんでもなく紅潮しているのが見えた。
「……今日はわたくしの負け、ですわ……」
しょんぼりにも恥じらいにも聞こえた声が、またも俺の心を鷲掴みにしてくる。
正直かなりギリギリではあったが、どうやらまた彼女に勝ったようだ。
まあこれに、勝ち負けが必要かというと疑問だが。
マックイーンはこちらに振り向くと、母性溢れる微笑みを浮かべて、元の頭の位置に戻していく。
しかし俺の膝は、彼女に占有されたままであった。
こんな甘い日々は、会見後から毎日のように続いていた。
もちろん互いに求め合ってるからに他ならないが、自分には他にも理由があった。
それは──彼女を好きになれる時間が、もう少なくなってきているから。
チームのトレーナーとして責務を果たす傍ら、俺は一か月前に届いたある依頼を受諾する準備を進めていた。
遠く離れたイギリスの"神"と呼ばれるウマ娘の完全復活。
そのプロジェクトの最重要人物として、俺はスカウトされたのだ。
本来なら、大好きなシリウスを手放すようなスカウトを受けるつもりはない。
それでもなお受けようとするのは、それだけ待遇が良い──というわけでもなく、マックイーンと強制的に距離を取る為である。
俺とマックイーンはあまりに仲良くなりすぎた、それは本来守らなくてはいけないラインを越えて。
だから最初に彼女と物理的に離れて、次に心の距離を離していく。
そうすることで、彼女は俺を忘れてこれから生きていってくれるだろう。
最初は辛く感じるかもしれないが、いずれ乗り越えなきゃいけない試練なのだから我慢してもらうしかない。
だが俺を忘れることができた際には、きっと素晴らしい未来が彼女を待っているはず。
これは俺の願いだから、分かってくれるよな?
明日のジャパンカップデーで、件の海外ウマ娘が来日する。
目的はもちろん、契約の最後の詰め──つまり、契約を交わす為だ。
ライスシャワーのことがある以上、すぐに飛び立つわけじゃないが、年明けてしばらくしたら出国するつもりである。
それまでの間、欲望に従える限られた時間を、マックイーンと積極的に触れ合う為に使っている。
しかし人間というのはどうしようもない生物で、この時間を重ねていく度、彼女と離れることが辛く感じるようになっている。
でも我慢しなくてはならない──自分が選んだ道なのだから。
「そういえばトレーナーさん、あの子──サトノダイヤモンドでしたっけ? どうするのです、結構チームに入りたがってますけれど」
マックイーンが言うサトノダイヤモンドとは、今年トレセン学園に入学したウマ娘だ。
入学前からその素質はかなり評判になっていて、最近始まった選抜レースでも余裕の走りで完勝しており、多くのトレーナーからのスカウトを現在進行形で受けている。
しかしそんなサトノダイヤモンドには、とてつもなく入りたくてやまないチームがいるらしい。
それこそが、このチームシリウスなのである。
『私、メジロマックイーンさんに憧れていて……だから、このチームに入れさせてください!』
どうもメジロマックイーンにかなりの憧れを抱いているらしく、それが為にシリウスで活躍することが夢になったのだとか。
普段ならば嬉しいはずの逆スカウト──しかし今においては、かなり難儀な問題になっている。
というのも、トレセン学園でのトレーナー業を休業して海外での就業を望む場合は、それまでの一年間、デビューしてないウマ娘を受け入れてはいけないことが規則として定められている。
つまり、今サトノダイヤモンドをチームに加入させた場合、俺はイギリスで働くことができない、ということになるのだ。
当然それは避けなくてはいけない為、あの手この手でそのお願いを躱し続けてきた。
レースを見たことないから判断しにくいだとか、色んなチームをちゃんと見るべきだとか、マックイーンはもう現役ではないから入っても一緒には練習できないだとか、まあそんな感じですぐに入るべきでない理由を羅列させていった。
しかし彼女の意志は相当固いようで──
『レースを見てないから、ですか? 学園には選抜レースの映像が沢山ありますし、なんなら家の者に撮らせた私の走る映像が沢山ありますから、それを見れば良いと思います!』
『色んなチームを見ろ? ふふん、四月に入学してからというもの、全てのチームの特性や練習スケジュール、雰囲気すらもチェック済みです! その上で、このチームが良いと言っているのです!』
特に厄介そうなのが、彼女はマックイーンに限らず、マックイーンを育てた俺にも憧れを抱いていること。
『私、マックイーンさんを超一流のウマ娘にしたトレーナーさんにも憧れがあって……トレーナーさんの指導を受けて、トゥインクルシリーズで活躍することが夢なんです! ……ダメですか?』
こんな上目遣いで言われたら、断ろうにも心が痛む。
それはマックイーンも同じだったようで、その時ちょうど一緒にいたところな為、かなりの嫉妬を背中から感じてはいたのだが、懸命にお願いする姿にジェラシーはすっと消え去り、逆に受け入れさせろと言うようになってきたのである。
そういう経緯を経た結果、今サトノダイヤモンドはチームに入ってこそいないものの、チームの練習には参加しているという、宙ぶらりんな状況に立っている。
これがしばらく続いてくれたら言うことなしだが、そう上手くいかないのが現実で。
基本的にトレーナーの指導を受けるには契約を交わさないといけない為、この関係がバレたその時には、チームに入れさせるか練習参加させないようにするかの二択になってしまうのだ。
それならハナから指導しなければよかったじゃないかと思われるかもしれないが──
「正直、あんないい子を悲しませるのは、心が痛むよなぁ……」
「えぇ、一から十まで同感ですわ」
とにかく、サトノダイヤモンドの取り扱いだけが悩みの種になってしまった。
そうして過ごしている最中、ドアからノックする音が聞こえてきた。
だらしない姿を見せない為か、マックイーンがこちらと距離を離し、姿勢を正してくる。
それを確認してからどうぞと言うと、小さい黒髪の女の子──ライスシャワーが入ってきた。
「どうしたましたの、一人で来るなんて。 珍しいではありませんか」
至福の時間を取り上げられてしまったことへの恨みからか、少しギラギラとした目をしているマックイーン。
昔のライスならここでひるんでいただろうが、今の自信溢れる彼女ではそうはならないようで、いつもの足取りでこちらに近づいてくる。
「あのね、ゴールドシップさんがステイヤーズステークスに出たいって言ってて。 特別登録の書類を持ってきたんだ」
「は? ゴルシが、ステイヤーズステークスに?」
ステイヤーズステークスというのは、ジャパンカップの翌週に行われる重賞で、URAで一番距離が長いマラソンレースである。
しかし大事なのはそこではなく、一週前に突然、重賞への出走をしたいと言ってきたことである。
予測不可能なゴールドシップらしいと言えばそうなのだが、それにしても急すぎる。
間の抜けた声を出してしまうのもしようがない。
「いきなりですけれど、何か理由は……?」
「えっとね、『酸素を失った後の世界を体験してみたい』って言ってたんだ」
「はぁ……?」
マックイーンが首を傾げているが、それに相当するくらい意味が分からない。
まあゴールドシップの行動に理解可能な動機を求めてる時点で負けな気はするが。
「まあいいけどね。 元々長距離レースに適性があるわけだし、勝ち負けは十分にできるだろう。 分かった、その書類に判押しておく」
「えぇ!? ……じゃなくて、ありがとうトレーナーさん!」
──あれ、一瞬驚いてなかったか?
いや、きっと気のせいだろう──そう思って、渡された紙に判を押す。
それを持ってライスは部屋を出て行ったが、どうも何かおかしいような気がする。
「トレーナーさん? どうしましたの、そんな顔されて」
「いや……? 何もないはずだけど……」
ライスが遠のいていくのを確認して、再び接近してくるマックイーン。
うーん……あれ、そういえばゴルシってシニア級に上がってたっけ──
まあいいか。
そうしてまた、マックイーンとの甘い時間を過ごしていった。
「うちの妹がこんなに人に甘えてたなんて……私にはツンツンしてたのに……」
「あれ~? ねえねえタマちゃん、あの人知ってますか~? マックちゃんのことずーっと見てますけど……」
「ん? って、おお! 久しぶりやないか! クリーク、アンタは覚えてへんかもしれんけど、確か……有マの時以来やないか?」
今日は短めです。
というのも意外と文章量が多くなりそうで……分割せざるをえなくなってしまいました。
まあ書きたいこと書けたからヨシ!ってことで考えますか。
次回のバ場状態はどうなるのでしょうか……週末の天気も気になりますけどね。
今回の謎ウマ娘はメジロデュレン、マックイーンの兄……もとい姉です。
ウマ娘本編には出てきそうにもない感じですが、それはダイワメジャーもそうなんですよね。
悲劇的な出来事が起きた1987年有馬記念の勝ち馬で、タマモクロス、スーパークリークといった組とは僅かですが対戦歴があります。