おもしろくねぇ
おもしろくねぇ!
ちっとも、おもしろくねぇッ!!
近頃貴明は、とにかくイラついていた。
何もかもが悪い方へ転がっている。そんな気がする。
去年の今頃は、とっくにカウント・ダウン・ランウェイの出演が決まっていた。しかし今年は「まだ」どころではない。このままでは出演できないのでは? という危機感さえある。というのも、マネージャーが加藤から狭山に変わってからチンケな仕事ばかりさせられているからだ。
サプライズゲストと言えば聞こえは良くても、ド素人のお遊びのようなファッションショーへの出演だったり、地方タレントしか出演しないようなローカルイベントの参加だったり。そんな近頃の状況に「『タカアキ』も終わったよな」そんな陰口を叩く連中がいるのも知っている。
大きな仕事さえもらえれば、そんな連中の口なんてすぐさま塞げる自信がある。しかし、その大きな仕事がもらえない。その全てに貴明はイラつく。
『ジュエリー・テッサ』の件は確かに自分にも多少の落ち度はあったかもしれない。しかし、モデルを好きに振り回すあの女社長をうまくあしらいつつ、自社モデルが仕事をしやすいよう環境を整えるのはマネージャーの仕事であったはず。その点で言えば加藤マネージャーの力量不足は否定できず降格は仕方がないのかもしれないが、
しかも、後任の狭山マネージャーは、どう考えても自分を軽く見ている。『アズラエル』の大型新人としてデビューした自分は、『アズラエル』にとって大切にすべき人材であるはずなのに、取ってくる仕事はありえないものばかり。大型新人と喧伝してデビューさせておきながら、その活動がたった3年で失速するような事態は『アズラエル』にとってもまずい事態のはずなのに!
加藤マネージャーが力量不足なら、狭山はさらにその上をいく職務怠慢だ。この時期になってもまだカウント・ダウン・ランウェイへの出演が決まらないことがその証左。このイベントがどれほど大事か、日本のモデル業界に身を置く者なら知らないはずがない。しかも近年は『ヴァンス』が参加したりとグローバルなイベントへと成長しつつあり、注目度はますます上がっている。その大事な大事な大事なイベントを調整できないでいるなんて狭山はどうかしている。
部長の榊は、こんなことになっているのを承知しているのだろうか。
『ジュエリー・テッサ』の件で頭ごなしに叱責されたときはムカついてしょうがなかったが、あの一件で榊にどれだけの権限があるのかも思い知らされた。だから、自分はあのとき榊に言われた通りどんな仕事も一応はスケジュール通りにこなしている。狭山の持ってくるチンケな仕事も「ペナルティ」なのだと思って甘んじた。しかし、ここまでくると、狭山が持ってくる仕事は「ペナルティ」なのではなく、そんな仕事しか取って来れないのではないかという気がしてくる。
部長に現状を訴えてみる?
自ら部長室を訪ねるなんて気は進まないが、現状を変えるためには必要なことなのかもしれない。自分はもう十分に耐えた。
そしてそんな狭山より貴明をイラつかせているのが、正体不明の新人モデル『NAO』の存在。突然CMデビューを飾ったかと思うと今月号の『KANON』では巻頭特集での大々的な扱いだ。
業界最大手事務所『アズラエル』の期待の大型新人との売り込みでデビューした貴明だって、ここまでセンセーショナルなデビューを飾ったわけではない。
関係者しか入れないはずの撮影現場にちょろちょろと姿を見せて、あの時からコネゴリのクソガキと思っていたが。
——マジ、なんなんだよあいつ。
あの加々美を引率者代わりにするふてぶてしさと、どんなコネか知らないが『GO-SYO』と『ヴァンス』を引っ張り出して、CMの出来栄えの良さも、雑誌が話題になっているのも、全ては自分の実力だと勘違いしているに違いない世間を舐めたガキ。
——現場で会ったら、マジよーしゃしねーからな!
鼻息荒く息巻いて、貴明は鬱憤のはけ口を探していた。
* * *
大学後期が始まって、尚人の生活は日常に戻っていた。授業を詰め込めるだけ詰め込んだ尚人の大学生活は前期以上の多忙さだが、大学生らしい充実感があるとも言えた。
CMの放送が始まってほんの少しだけ周囲がざわついたが、尚人的にはある意味慣れた状況で気にするほどではなかったし、鷺原や安藤をはじめとした友人たちの振る舞いには、大学生ともなればさすがに大人なんだな、と感心もした。
一方中野からはテンション高めのメールと直接の電話をもらったが、あれはあれで中野らしくて尚人的には嬉しかった。
『あー、やっと電話つながった! 篠宮、CM見たぜ! 最初はいきなりでびっくりしすぎたけど、あのCMちょーよかった。めちゃくちゃよかった。俺の中のベストCM大賞あげるぐらいよかったぜ』
「それは、ありがとう」
『あれ撮ってたから夏休み忙しかったんだ?』
「うん。詳しく話せなくてごめんね?」
『そりゃ、企業秘密ってやつだろ。話せなくて当たり前じゃん。いや、でもほんっとあのCMめちゃくちゃ良くて。録画して繰り返し見てる。俺の周りでもかなり話題でさ。本当は篠宮のこと自慢したいけど、何か人に教えるのももったいない感じがしてさ。俺たちだけが知ってる篠宮をわざわざ他人に教えることないじゃんって感じ? まー、それはいいとして。あのCMのイヤフォンもさ、すぐ買いに行ったんだぜ。今じゃどっこも売り切れてるらしくて、持ってるだけでちょっとした優越感。それに、使いごごちもすっごくいいし。毎日使ってる。正直今まで『リゾルト』って会社知らなかったんだけど、家電量販店でメーカー気にして見ると『リゾルト』の商品って結構多いんだな。今までなんとなく眺めて「あれ、デザインかっこいいよなぁ」って思ってたのが、『リゾルト』だったってことも多くて。なーんか、勝手に親近感湧いてる』
中野節炸裂だった。
久々の中野とのお喋りが楽しくてつい長電話になってしまって、雅紀には「一体いつまで喋ってんだ」とちょっと呆れられてしまったが、拗ねた雅紀も「かわいいなぁ」と思っていたら、その後ベッドの上で散々泣かされた。
雅紀とは相変わらず甘い関係が続いている。大学生になって土曜が休みになって、昼間っからみだらな雰囲気になることも増えた。先週の土曜も、寝る時にはまだ帰ってなかった雅紀が隣に寝ていて。なぜか二人とも裸で。それで何となくそんな気分になってしまって。二人で朝ごはんを食べてから、すぐさま二人でベッドに舞い戻った。
真っ昼間のセックスは、夜以上の背徳感がある。だから、以前は萎縮する気持ちの方が強くてあまり好きではなかったが、今はその背徳感が興奮に変わる。何より自然光の中の雅紀の裸体は美しすぎて、うっとり眺めている間に快楽の波に飲まれていく感覚がたまらなくよかった。
その日は、午前中いっぱい二人で甘い時間を過ごして、一緒に風呂に入って体をきれいにしてから、ちょっとおしゃれをしてランチデートに出掛けた。海の見えるレストランでコース料理を堪能し、雅紀行きつけのセレクトショップでショッピングを楽しんだ。
加々美から電話があったのは、ちょうど買い物が終わったタイミングだ。雅紀の携帯電話に食事の誘いがあって、だから尚人は「二人で話したいことがあるんだな」と思ったのに、なぜか「ナオも一緒に」と言われ。雅紀と一緒に待ち合わせ場所だと言う小料理屋へと向かって。自分はオマケのつもりだったのに、そこで「次の仕事の話」が加々美から飛び出したのである。
「実は尚人君にさ、カウント・ダウン・ランウェイ出演の依頼があってて」
「それって、毎年雅紀兄さんが出演してる?」
加々美の思わぬセリフに尚人はついきょとんとしてしまった。雅紀が毎年「絶対に外せない仕事」としているから、かなり重要なイベントという認識は尚人にもあった。
「そう。1年の締めくくりのイベントで。多くのモデルが出演するんだけど。クリスが今年は尚人君をモデルに使いたいって言ってきてて」
「それって、あのCM絡みでってことですか?」
「関係してなくはないけど。出演するとなったら着る衣装は全くの別物だろうね」
「ということは、『ヴァンス』のモデルとして出演するってことになるんですか?」
それはありなの? という単純な疑問が尚人の中に浮かんだ。業界に詳しくない尚人とて『ヴァンス』が『アズラエル』と専属モデル契約をしていることは知っている。『アズラエル』に所属していない尚人が『ヴァンス』のモデルを務めるのは問題にならないのだろうか。
「それについては、ゲスト出演ってことで調整する。実は、これについては既に高倉とは確認済みなんだ」
(——そうなんだ)
まあ、だからこそこの話題を尚人に振ってきたのだろうが。
「だから後は、尚人君の返事次第なんだ。年末のイベントだから大学の授業には影響しないと思うけど。どうかな?」
「……え、——と」
(それって、当然、ランウェイを歩くってことだよね?)
経験ないんだけど。
そこはいいのか? と思ってしまう。
大きなイベントで、ど素人がランウェイを歩く。なんて、そんなこと。
業界的に許されるのか。
いや、そもそもちゃんと歩けるのか。
『MASAKI』みたいに?
それは、——絶対無理。
だから、やるとしても『NAO』としてできることしかできない。
当然、やるとなったら特訓が必要だろうけど。
いやいや、その前に、……特訓すればどうにかなるもの?
「難しく考える必要はないよ」
ぐるぐると混乱する尚人の思考に気づいたのか、加々美がやんわり笑った。
「俺は、尚人君ならできると思ってるからこの話を振ってるんだ。デザイナーのクリスに関しては言うに及ばずだね。だから、後は尚人君のやる気次第って感じかな。まあ、深夜の時間帯にかかってくるから、当然保護者の意向も確認する必要はあるんだけど」
加々美はそう言って、ちらりと雅紀を見やる。その視線につられて尚人も隣の雅紀を見やった。
「——外堀を埋めてきて、保護者の意向って言われましてもね」
僅かに眉間にシワが寄っている気がするのは気のせいだろうか。その様子を見るに、雅紀にとっても初耳なのだろう。こういうことは二人の間で了解があって尚人に話が来るというパターンが多かっただけにちょっと意外だ。
「お前も出るイベントだ。保護者同伴で却って安心だろ?」
「ナオにべったりくっついといていいならばですね」
「その辺は俺がちゃんとサポートするから心配するなって」
「加々美さんだって出演者側でしょ?」
「俺の出番はほら、最後の最後のほんのちょっとだし」
「トリってそんな気楽な役どころでしたっけ?」
「そこは、ほら。経験がモノをいう世界だろう?」
(なんとなく、俺が出る前提になってない?)
二人の会話に尚人は首を傾げつつも、どことなく雅紀の懐柔に必死な加々美と突然の話に拗ねた感じの雅紀のやりとりが新鮮で面白い。普段の二人が、余裕ある大人の男の雰囲気たっぷりであるのを知っているだけ余計に。
(でも、そっか。出演するってなったら、まーちゃんと一緒のステージ立てるってことだよね)
ふと、そう思って、尚人はドキドキする。
雅紀のことをより深く知りたいと思うのは尚人の欲求の一つだ。
『MASAKI』のグラビア撮影の現場は見たことがある。しかし『MASAKI』はステージモデルが活動の中心で、そこを知らずに『MASAKI』の仕事ぶりを知ったことにはならない。と、そう思う。しかし、尚人は今までその機会に恵まれなかったし、当然、擬似体験できるような機会もなかった。知りたくても触れられない世界、そんな感じがしていた。
だから、もし、今回このオファーを受ければ。雅紀が『MASAKI』として活動してる世界の一端を知ることができる。しかも同じ舞台。それは『MASAKI』と同じ景色が見れるということだ。
それに……
ひょっとしたら『MASAKI』のウォーキングを生で拝めるチャンスもあるかもしれない。
ただし——
そんな余裕なさそうなくらい
「——緊張感半端なさそー」
本音が思わず口からこぼれ落ちる。
その呟きを拾って、加々美の視線が尚人に向いた。
「おや、その発言は、出演前提ってことでいいのかな?」
「えっと、まだ。とても、やるぞっていう決心はつかないんですけど。でも、何百人? 何千人? って人が客席にいるんですよね? そんなに大勢の注目を受けるって考えただけで心臓が飛び出てきそうです」
「そう? 前に英語のディベート大会見せてもらったけど。あの客席の近さで、ずいぶん堂々として見えたけど? あの時も、百人以上は観客がいたんじゃない?」
「あれは、ディベートに必死であまり客席を意識してなかったので。それに、あの時は舞台上に立ってるだけで。歩いてはないですし」
「練習通りに歩ければ問題ない。レッスンをつけた俺が保証する」
確かにCM撮影の準備のためになぜかかなりウォーキングの練習はしたが。
(練習通りってのが一番難しいんじゃない?)
尚人が心中呟くと、雅紀の視線が尚人に向いた。
「年末のイベントに限って言えば、客席は案外気にならない」
(そりゃ、まーちゃん程になればそうかもしれないけど)
「というのも、実は舞台上から客席はあんまり見えないんだ」
「え?」
どういう?
「スポットライトがすごくて、舞台上にいるモデルの視界ってほぼ真っ白なんだ。そして客席側は照明が絞ってるからほとんど見えない。俺は、このライトの向こうに何百何千っていう観客の視線があるんだって意識して歩いてはいるけど、緊張するからあえて考えないってモデルもいるし」
「そうなんだ」
さすが、経験者は語る。
「ま、それでも会場独特の熱気があるし、ショーは一発勝負でやり直しは効かない。緊張するなという方が無理ってものだろうけど」
やっぱりそうだよね、と頷く尚人に加々美がやんわり言葉を被せる。
「尚人君、返事は1週間待つ。帰って、雅紀とゆっくり話し合って決めてくれればいい。ただ、俺は尚人君にとっていい経験になるだろうと思ってこの話をもってきた。だから、前向きに検討して欲しい。ステージ出演は、CM撮影ともグラビア撮影とも違った、そこに立った者しか見ることができない世界があるからね。それに、望めば手に入るものではないし、二度目があるとも限らない。そこを分かった上で、巡ってきたチャンスをどうするか。ちゃんと答えを出して欲しい。不安に思うことは些細なこともサポートするからさ」
「わかりました」
加々美の真摯な台詞は本当にありがたいなと思った尚人だった。